第13話 キス
和樹は自分の血の気が引くのを感じた。
たしかに透子はこの家の合鍵を持っている。
ほとんど二人暮らしの和樹と観月は、東三条家からも心配されていて、幼い頃は透子の母が面倒を見に来てくれることもあった
それがいつしか透子が合鍵を持つようになって、、時々、祝園寺の屋敷にやってきていた。
ともかく、こんなところを見つかったら、透子に何を言われるかわからない。
観月は上半身は下着だけの半裸だし、和樹もほとんど裸だ。
どう見ても誤解される。
(いや、誤解じゃないのかもしれないけれど……)
玄関のチャイムを鳴らしても、出てこなかったから観月は勝手に家に上がったのだとは思う。
洗面所兼脱衣所の扉を開けられたら、透子に見つかってしまう。
透子には婚約破棄されたわけだから、他の女の子と何をしていようがやましいところはない。けれど、義妹に手を出したと思われるのは少し困る。まだ和樹はそこまで覚悟を決められていなかった。
和樹は慌てて観月の手をとった。観月がびくっと震えて、顔を赤くする。
「に、兄さん……?」
「風呂場の中に隠れよう」
さすがに風呂場の扉を開けたりは透子もしないはずだ。
あとは和樹一人が入っているかのようなふりをしていればいい。
観月の手を引くと、和樹は風呂場に入った。
広めの風呂場に、半裸の観月が壁際に立っている。
観月は小声で言う。
「本当に一緒にお風呂に入っちゃいましたね」
「し、仕方ないよ。それに、裸ってわけでもないし」
「わたしは裸でもいいんですけど」
観月はそう言うと、和樹に少しだけ身を寄せた。甘い香りに和樹は動揺する。
そんな会話をしていたら、とうとう透子が脱衣場まで入ってきたみたいだった。
「か、和樹? もしかしてお風呂に入ってるの?」
「そうそう。悪かったけど、だから玄関にも出られなくて」
「ご、ごめんなさい」
透子は意外と素直に謝った。
脱衣場と風呂場を区切るのは半透明の扉だ。
和樹が観月をかばうような位置に立っているから、観月の姿は扉の向こうにはわからない。
「それで、透子は何の用?」
なにか理由があってここに来たのに決まってる。
透子は少し沈黙していた。
「……あのね。昼間のこと、謝ろうと思って」
「謝る。何を?」
「婚約をやめるなんて言って、ひどいことを言ってしまって……」
「事実だし、仕方ないよ」
「ち、違うの。あれは私の本心じゃなかったの」
「……そうなの?」
「婚約破棄の話が東三条の家で動いているのは本当」
霊力がない相手、しかも家も没落気味なら、東三条家がそういう判断をするのもおかしくはない。
でも、透子本人の意思は違うらしい。
透子が風呂場の扉に手を当てたようだった。観月が少し険しい表情になる。
「和樹が……婚約破棄に抵抗してくれるんじゃないかって期待してたから。和樹がもし一言でも、私の婚約者でいたいって言ってくれていたら、その場で私は婚約破棄を撤回して、お父様たちに掛け合うつもりだった。でも……」
「俺は何も言わなかったね」
振り返ってみると、和樹はあのとき「そっか」としか答えなかった。そして、その答えに透子は不満そうだった。
「どうして……あんなにあっさりと受け入れてしまったの? 私たち、幼馴染で婚約者で……ずっといっしょに過ごしてきたのに。私って和樹にとってそんなにどうでもいい存在だった?」
「透子が望むなら仕方ないと思ったんだよ」
「試すような真似をした私が悪いのはわかってるの。でも……私に婚約者でいてほしいって一言でも言ってほしかった」
透子が涙声になるのを聞いて、和樹は慌てた。
そんなことだとは思いもしなかった。
「それでも、本当はあのときすぐに婚約破棄は本気じゃないって言うつもりだったの。でも、ちょうど観月が来たから、言い出せなくて……」
「ああ、なるほど」
それで問題がややこしくなってしまったわけだ。透子が河原まで追いかけてきた理由も理解できる。
「ねえ、和樹。私がまた貴方に婚約者に戻ってほしいって言ったら、私の婚約者になってくれる?」
透子の問いに、和樹は迷った。「もちろん」とうなずくことは簡単だ。もし観月がいなければ、和樹はそう答えていたと思う。
けれど、和樹の目の前には観月がいた。観月は、自分のことを異性として好きだと勇気を出して告白してくれた。その返事を和樹はしていない。
和樹はためらいながら口を開こうとする。
そのとき、目の前の下着姿の観月が、和樹の腕をとり、そして引っ張った。
和樹は前のめりになる。そして、次の瞬間――。
観月の小さな唇が、和樹の唇に重ねられていた。
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