Chapter.2

「くちゅんっ」

 駅前の広場。春とはいえまだ肌寒く、ワンピースだけじゃなくて何か羽織ってくれば良かったと後悔した。

「うぅ。 九時四十五分、か」

 まだ約束の時間まで二十分もあるけれど、一旦家に帰るとギリギリになっちゃうし。もし、遅刻したらと思うと……仕方ない。我慢しよう。


 ──パシャリ。


 突然のシャッター音に、一瞬呼吸が止まる。

 恐る恐る音のした方に目をやると、また呼吸が止まってしまった。

 何故なら、

「やぁ、おはよう。 みーちゃん」

 まだ来るはずがないと思っていたのに……っ‼︎⁉︎

 い、いつの間にか隣で、私服姿の先輩が、スマホを片手にニコニコしてて……っ‼︎‼︎

「お、おはようございますっ先輩っ!」

「いやぁ、流石は日曜日。 人がたくさんいますね」

「あ、あのさっきの、シャッター音は……?」

「可愛かったので記念にと」

「か、かわ、かわ……それを言うなら先輩だって……」

 改めて見る先輩の私服。シャツ、ジーンズにカーディガンを羽織っていて、シンプルでカジュアルな格好。普段はキッチリ制服を着ている姿しか知らないから、それがとても新鮮で──。

「ハイ、チーズ」

「えっ」

 突然抱き寄せられ、先輩との自撮り。

「もう一枚いいですか?」

「……はい……」


 ──パシャリ。


「とても良い写真が撮れました。 ありがとうございます」

「い、いえ……。 せ、先輩、来るの早いですねっ!」

「それはこちらのセリフですよ。 一体いつからいたんですか?」

「えと、私も、今着いた、ばかりです」

 本当は、家にいても落ち着かなくて九時前からいたなんて言えない……。

「ちょっと待っててくださいね」

「あ、はい」

 駅の方へ行き、しばらくして戻ってきた先輩の手にはココアがあり、それを手渡された。

「あの、これ」

「喉が渇いているように見えたので」

 喉が? なのに、ココアなんだ。

 しかも、ホット。……ホット。……ホット。……ホットぉっ⁉︎ これって!

「あと、今日は寒いですからね」

 もしかしなくても、もっと早く来ていた事がバレてる……。

「それと。 はい、どうぞ」

「え?」

「着ててください」

 肩にかけられた。先輩のカーディガンを。

 着ててって、私に。

 私がっ⁉︎⁉︎

「だだだ、大丈夫ですっそこまでしていただかなくてもっ‼︎」

「ボクが君に着ててほしいんです。 ね」

 そんな優しい笑顔で、そんな事言われたら……いくら恥ずかしくても着ない訳にはいかなかった。

「あ、あぅ……。 ありがとう、ござい、ましゅ……」

 例え、胸のドキドキで体温が上がっていたとしても。カーディガンからするお日様のような優しい匂いでそれがさらに増していっても──



 以前、インスタで見かけて興味を持った絵本カフェ。森の図書館と言いたくなるような可愛い内装と絵本の世界をイメージしたメニューに惹かれ、ずっと行きたいと思っていた。

 勿論、先輩と二人で。

「どうですか? ここ」

 メニュー表をしまい、先輩にそう尋ねると『本がたくさんあって良いところですね』と言ってもらえた。

 良かった。気に入ってもらえて。

 と、胸を撫でおろしたその時。悪戯っぽい笑みを浮かべた先輩に『またですか?』と言われた。それが何の事か分からなくて首を傾げていると、

「マンガ」

「あ。 ち、違います! 先輩への偏見とかじゃなくて! 普通。 一般的に、見て。 良い歳して絵本は……とか、つい考えちゃってて……」

「みーちゃんは絵本の読み聞かせをしてもらった事はありますか?」

「あります、けど」

「誰にですか?」

「お母さんとか、幼稚園の先生にです」

「ほら、大人も絵本を読んでいます。 だから、そんな事気にしなくていいんですよ」

 その言い分は、ちょっぴり強引な気がしたけれど。

「それに絵本って結構奥深いんですよ──」


 先輩が教えてくれた絵本についての話。

 例えば、天狗が子どもをさらって天狗にしようとするお話は、社会の同調圧力と没個性を表している。子どもが遊びで天狗に打ち勝つのは幼い頃の経験、自分で考える事がそれらを乗り越えいくのに大切というメッセージが込められているとか。

 絵本でよく使われている数字の三。『三びきのこぶた』、『三まいのおふだ』、『三びきのやぎ』、それらは三度の反抗期|(成長)と、物語に出てくるオオカミや鬼婆、化け物は子どもの成長を妨げる親の過保護な気持ちを表してるとか。

 とある絵本では一人のおじさんにスポットライトを当て、文字が分からなくても絵や音・リズムでおじさんの心の変化を表現しているとか。

 そういう風に今まで考えた事がなくて、絵本の中にある隠れたメッセージに胸が躍って、自然と口にしていた。


「先輩の好きな絵本、知りたいです」

「……そうですね」

 先輩は、困ったような顔をしてから一冊の絵本を取ってきてくれた。

「あおい、め」

 怖い、と思ってしまった。

 独特な絵柄で、色は暗めのものばかり使われていて、表紙の男の子の瞳がとても悲しそうで。

 先輩はどうしてこの絵本を好きなのかと。

「大丈夫。 読んでみてください」

「はい」


 ────。


「どうでした?」

「その……」

「正直に言ってもらって大丈夫ですよ」

「悲しいお話で、すごく苦しくなりました。 どうして無理矢理目をって……」

「そうなりますよね。 でも」

 先輩はこうなるのが分かっていたからか。優しく微笑み、絵本の少年の瞳を指差して。

「ボクとみーちゃんの瞳は同じようで違うかもしれない。 みーちゃんにはボクが真っ赤に見えるかもしれない。 逆に、ボクにはみーちゃんが真っ白に見えてるかもしれない。 そう考えたら面白くないですか」

「それも隠されたメッセージ、ですか?」

「さぁ、どうでしょう」

 その問いを誤魔化すように先輩は紅茶を一口飲み、そして。

「でも、もしボクにはみーちゃんに見えないものが見えている。 と、言ったらどうします?」

 その問いに対して私は考える間もなく『信じますっ』、『何が見えているのか知りたいっ』と言っていた。それが意外だったのか、先輩は瞳をきょとんとさせてから破顔した。

「そこは怖い顔して『中二病だ!』って言うとこですよ」

「そ、そんな事言えませんっ! あの絵本を読んだ後は、特に……」

「やっぱり、君はいいですね」

「先輩。 今、何か言いました?」

「いいえ、何も」

 何でだろう。

 今の先輩の笑顔、いつもとは違う気がする。

 まるで仮面の下から素顔を見せたような。これが本当の先輩みたいな。ただ私がそうであってほしいと望んでいるだけかもしれないけれど。

 その顔、良いなぁ。すごく。落ち着く。

 これが私だけのものだったら。

「さて、これからどうします?」

「え。 あ……ごめんなさい、この後の事は考えてなくて」

「では、折角なので街をブラブラしましょうか──」



 それからのデートも時間を忘れるくらい楽しくて、

「す、すみません……」

「いえ、ボクもうっかりしてましたから」

 本当に時間を忘れてしまい、すっかり暗くなっていた。なので、前みたいに家まで送ってもらっている。

「あの、先輩」

「どうしました?」

「今日は、家の前まで。 送ってもらってもいいですか?」

「初めからそのつもりですよ」

「ッ、ありがとう、ございます」

 と、言っても家の前まではあと五分もない。けれど、今日は少しでも先輩と一緒にいたい──。

「先輩。 今日は、ありがとうございました。 すっごく楽しかったです」

「ボクもみーちゃんのおかげで大変満足しました。 ありがとう」

 門扉越しに先輩と話すのは寂しくて、このまま帰るなんて出来ない。

「カーディガン、嬉しかったです」

「どういたしまして」

「あの、またデート。 行きましょうね」

「えぇ、楽しみにしていますよ」

「寝る前に。 電話、してもいいですか?」

「いいですよ」

「じゃ、じゃあ、帰ります……」

「はい。 また明日学校で」

 しばらく待ってみる。

「…………」

「…………」

 やっぱり、先輩は私が家の中に入るまで帰るつもりはないみたいで。今なら。

「先輩! こんな事言う子は、嫌かも、しれませんが。 つ、次、デートする時は、え……えっちしてくださいッ‼︎──はぁ、はぁっ、はぁ……」

 言っちゃった。言っちゃった、言っちゃった。

 返事を聞かず家に逃げて、胸がバクバクしてて。

 今になって恥ずかしさが込み上げてくるけれど。それでも言わなきゃ、この気持ちはしずめられなかった。

「……あ……っ⁉︎ ……寝る前に、電話……あ、ぁぁ、あぅぅ……」

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