先輩はえっちがヘタです。

メロ

Chapter.1

 ──高校生になって二度目の春を迎えた。


「……う……」

 大半の生徒が下校し、しんと静まり返った廊下。もう何度も訪れ、見慣れているはずのドアの前で足が竦む。

 正直、未だに自分の容姿に自信はない。

 少しでも女の子らしく見られたくて、肩にかかるくらいまで髪を伸ばし、きちんと手入れもしたけれど。くせっ毛だし。

 一応、スキンケアも続けているけれど。以前との違いは分からないし。

 せっかく友達の円華まどかにメイクを教えてもらったのに、気持ちの問題とそもそも学校じゃ薄いメイクしか出来なくて地味だし。

 スタイルもそこまで悪くないはずだけど。クラスの可愛い子達に比べたら全然だし、頑張って筋トレしてもお腹まわりぷにぷにだし。

 容姿でしかアピール出来ないのに、これじゃ……。

「って、ダメダメダメ!」

 友達の手を借りてまで頑張ってきたんだから。

「だ、い、じょ、う、ぶ」

 そう手の平に書いて、飲み込む。

 そのおまじないに効果があるとは思えない。だけど、今すぐにでも逃げだしたくなる気持ちを消し去るには、しないよりした方がマシだった。

「よし、行くよ。 行くよ。 行くよ」

 いざ、中へ。

 放課後の図書室は、時折開いた窓から入ってくる金属音以外の音はほぼ無くて、とても静か。もしかしたら、このうるさい鼓動が彼に聞こえてしまうのではないかとソワソワする。そんな事、ある訳ないのに。

 ゆっくり、ゆっくり。子供の頃、遊んでいた『だるまさんがころんだ』をやっているみたいに窓際の席──いつも彼がいる場所へと向かう。

 途中で気づかれたらどうしよう。そんな不安が頭を過る。しかし、それはただの杞憂。私が近づく程度で彼を本の世界から連れ戻せるはずがないのだから。

 ひらり、とページをめくる音。

 すぐ目の前にいる。およそ一年間想い続けた憧れの先輩が。

 やっと、ここまで来た。

「あ、あのっ‼︎‼︎」

 きっと、今までの人生の中で一番大きな声だったと思う。

「ん?」

 先輩のポニーテールが揺れ、シャープなおめめが。アイドル顔負けの整ったお顔が本から、私に向けられ──。

「どちら様ですか?」

「に、二年三組、麦野むぎの海子みこです! 実は、私……あ、貴方の事が、好きなんれぇひゅッ‼︎‼︎」

 言ってしまった。

 つい先程更新したばかりの人生最大の声よりも大きな声で。情けなく噛んで。

 きょとんとした先輩。返事までの間がとても長く、長くて、長くて、長くて、長くて、長くて、長くて。

「ありがとう」

「え」

 それ、だけ。永遠にも感じる程の長い間から紡がれたのはその一言だけ。つまり、私は……。

「何処へ行くんですか?」

「一応、図書委員、なので。 カウンターに、いないと」

「それは困りましたね。 このまま行かせるとボクが君に酷い事をして泣かせたみたいです」

「えっ、そ、そんな! これは、私が勝手に……。 えへっ、気にしないでください」

 急ごしらえの作り笑顔は、勢いよく席から立ち上がった先輩に顔を覗き込まれただけで簡単に崩される。そして、先輩の細くて長い指に涙を拭われて、別の涙が溢れそうになって。

「ひゃっ。 あ、あの」

「その顔。 もしかして、フラれた。 と、思いましたか?」

「……はい」

「すみません、言葉足らずで。 さっきの『ありがとう』は君の好意は嬉しいという意味です」

「うれ、しい。 じゃ、じゃあ」

「もしお付き合いしたいというのであればボクは構いませんよ。 ですが、君はいいんですか?」

「私が? どういう、事ですか?」

「ボク、えっちがヘタですよ」

「……え……」

 優しい笑顔から放たれた衝撃の言葉。それが何を意味するのか。

 まるで分からなかった。



 ✳︎



「って、言われたの。 どういう意味なのかな?」

 お昼休みの教室。円華まどかに昨日の先輩との一件を相談すると、スマホに夢中なせいか。気怠げな声で『キョーミない』と言われてしまった。

「先輩、本好きだから。 やっぱり、文学的表現だったりするのかな」

「あのさ、ウチの話聞いてた? キョーミないんだってば」

「一応、ネットでも調べてみたんだけど。 そういう表現は見つからなくて──あだっ」

 その時。コツン、と額を小突かれてしまった。

「無視すんなし」

「だってぇ、円華以外に相談出来る人いないし」

「はぁ? 何それ、めんどくさ! ちょーめんどくさ!」

「まどかぁ」

「……ったく、しょうがないなぁ」

「流石はマイベストフレンド! おしゃれ優しいギャルさんに感謝&感謝だよ!」

「しれっとギャルって言うな。 とりあえず、そんな文学的表現あってたまるかって感じだから。 ストレートにヘタなんでしょ。 はい、終わり」

「んー。 でも、仮にそうだとしてなんでわざわざ言ってきたの?」

「そりゃ、向こうにセックス目当てって思われたんじゃないの。 知んないけど」

「それはない。 絶対ない」

「じゃあ、ホントは付き合いたくなくてテキトーなコト言ってアンタを幻滅させようとしたとか」

「それもないよ。 だって、先輩付き合ってくれたもん」

「ふーん、じゃあ──はぁっ、待ってっ! アンタ、付き合ったのっ⁉︎ その流れでっ⁉︎」

「うんっ! LINEも教えてもらっちゃった〜。 えへへ〜」

「う、嘘でしょ……」

「本当だよ。 ほら」

 スマホの画面に表示された先輩の名前、『桜庭さくらば瑞樹みずき』を見せると円華は大きなため息をついた。

「いや、そういう意味じゃないけど。 てか、付き合ったんならいいじゃん。 お幸せに」

「それは。 そうなんだけど」

 私はもっと先輩の事が知りたい。



 ──初めは『いつもいるなぁ、この人』ぐらいにしか思ってなかった。

 誰も立候補しなかったから仕方なく引き受けた図書委員。初めは週一回当番をするだけだったのに、次第にサボる子が増えてきて、気づけばその子達の代わりに図書室へ足を運ぶようになっていた。でも、それは図書室の先生と仲良くなったから自主的に。

 それで毎日通ってる内に気づいてしまった。いつも図書室にいる先輩の存在に。

 ここは自分の特等席と言わんばかりに同じ席で本を読む先輩。別に本を読むくらいどこだっていいのに、何故か頑なに同じ場所で本を読んでいた。

 その意思の強さはすごくて。ある日、本なんかに全然興味のないカップルが先輩の特等席でイチャついていた。流石にその日は別の場所にするのかと思いきや先輩はカップルのすぐ隣の席で本を読み始めた。勿論カップル達は文句を言ったけど、先輩は涼しい顔で応対して、最終的にはカップル達が根負けしてどこかへ行ってしまった。そして、先輩はいつも通り自分の席へ。

 その時、『いつもいる人』から『頑固な人』になり、何だか興味が湧いてきて、いつしか目で追うようになっていた。

 先輩はどんな本を読んでいるんだろう。ブックカバーをかけているから分からない。

 どうして先輩はいつも同じ席に座るんだろう。図書室の先生に聞いても分からない。

 どうしていつも窓を開けるんだろう。本を読むなら静かな方がいいのに。どうしてポニーテールにしているんだろう。どうしていつもそんなに真剣に本を読んでいるんだろう。

 そんなどうしてがたくさん積もっていつしか『頑固な人』から『知りたい人』になって。図書室以外で先輩を見かけると得をしたような気持ちになって、嬉しくて、もしかして好きになっているんじゃないか、と。

 まさか、そんな事がある訳がない。だって、私は先輩と直接話した事もないどころか声を聞いたのはカップルと揉めていた時の一回限り。少女マンガみたいに特別ドラマチックな事も起きてない。モデルみたいにスラッとしていてカッコいいけれど、タイプじゃない。だから、好きになるなんてある訳がない──と思っていた。

 けれど、次に先輩の姿を見た時。胸が締めつけられるみたいに痛くなった。

 私は彼の事を何も知らない。それが辛くて、悲しくて。

 おかしいなぁ。いつの間に『知りたい人』から──



【起きてください】



「──ん、あれ……?」

「おはようございます。 よく眠れましたか?」

「はい。 おはようございま──はぅわっ⁉︎⁉︎」

 とんでもない状況に気付き、即座に離れる。

 な、なんで先輩の肩にもたれかかって、ね、寝て……。

 確か、図書室に来て、先輩の隣に座って、それから……。そうだ、もう少しで読み終わりそうだったから、ちょっと待ってようと思ったら眠気に襲われて……そのまま……。

「ごめんなさいっ! 本を読む、邪魔をしてしまって……」

「大丈夫ですよ。 ちゃんと読み終わりましたから。 それより」

 窓の外を指差され、視線を移すと日が沈み、辺りは暗くなり始めていた。

「もうこんな時間です。 家まで送るので帰りましょうか」

「で、ですね。 ……ん?」

 今、家まで送るって。家まで送るってぇっ⁉︎⁉︎──



 先輩と一緒に帰る。

 付き合っているのだから、それくらい当然と言えば当然だけれど。いきなりだと。

「…………」

「…………」

 何も話せない。

 あんなにも先輩の事を知りたかったのに、何故か何も聞いちゃいけないような気がして、喉に言葉が詰まる。

「さっき、声掛けてくれて良かったんですよ」

「ッ、それは、その。 もう少しで、読み終わりそうだったので」

「そんな遠慮いりませんよ。 ボクとみーちゃんの仲じゃないですか」

「で、でも……。 み? みー、ちゃん? 今みーちゃんって⁉︎」

「はい、そう呼びましたけど。 何を驚いてるんですか?」

「す、すみません。 いきなり、あだ名で、呼ばれたから。 つい」

「成程、いきなりはダメでしたか」

「いえ! ダメだなんて事ないです! 寧ろ、嬉しいなって……。 あ、その! ただ本当に、びっくりして──ッ‼︎」

 その時、先輩が笑った。

 それは彼の大人びた顔からは想像出来ない程無邪気で、楽しそうで。先輩って笑う時、こんな顔するんだ。

「すみません。 そんなにあたふたされるとマンガみたいでつい」

「先輩。 マンガ、読むんですね。 意外です」

「難しい本ばかり読んでると思ってましたか?」

「うっ、すみません。 偏見を持って」

「謝らなくていいですよ。 よく言われるので」

「……先輩は──」


 どんな本を読んでるんですか? 特にこだわりはなく、幅広く読んでいる。

 どうしていつも同じ席に座るんですか? あの場所が好きだから。

 どうしていつも窓を開けるんですか? 窓から入る生徒達の喧騒が好きだから。

 どうしてポニーテールに? かっこいいでしょ。

 どうしていつも真剣に本を。 物語が大好きだから。


 ──どうして、あの時私にあんな事を。


「みーちゃん?」

「いえ、色々教えてくれてありがとうございます。 先輩」

 一つだけ聞けなかった。

 でも、

「家すぐそこなので、ここまでで大丈夫です」

「分かりました。 気をつけて帰ってくださいね」

「……あの、先輩。 帰る前に一つ、いいですか?──今度の週末、デートしてください」

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