殺し屋として

紫野一歩

殺し屋として

 私は旅行会社に十五年務めたベテランである。

 ベテランと自分で言うのも憚られるが、上司から「君はもう少しベテランとしての自覚を持った方がいい」と言われてからは、自分をベテランだと言い聞かせるようにしている。

 そのベテランとして会社の重役ポストに就く為の一環だろうか、私は二年前から人事部で新人育成と面接採用を任されている。

 本音ではずっとツアーの企画職をやっていたかったが、上の命令とあれば仕方があるまい。私の様に旅行好きで、他社の為に旅行企画を考えるのが楽しくて堪らないような人材を発掘する事を楽しみにしようと自分に言い聞かせて部署を移ったのを覚えている。

 しかし、一昨年も去年も散々だった。たまたまうちの会社に来る学生が、そうだったのだろう。そうと信じたい。

 とにかく、やる気がある人間など一人もいなかったのである。

 口を開けば「年休は自由に取れますか」「行きたくない場所には行かなくてもいいですか」など、仕事はあくまで金稼ぎの手段だと思っている人間ばかりだった。言うなれば彼らは、その仕事が旅行ではなくてもいいのだ。マニュアル通りの受け答え以外に、旅行に関しての熱意が感じられる学生が一人もいなかった。

 今年は違うと信じたい。

 ノックの音がして返事をすると、一人の青年が部屋に入って来た。

 どことなく大人しそうで、少しうつむきがちの目線が気になる。自分に自信がないタイプなのだろう、上目遣い気味に私の様子を伺っていた。

「どうぞご着席ください」

 私が手で椅子を示すと、青年は落ち着き無さそうにもぞもぞと座った。

 大丈夫かな、と私は思ったが、まだこれだけではわからない。緊張の為に二、三受け答えをしないと口や体が固まったままの人は一定数いるのだ。

「では名前と所属大学をお願いします」

「あ、すみません。僕は中途採用枠で……」

「失礼致しました。では志望動機と前職を――」

 今年は中途採用と新卒採用を同時に行っているのを忘れていた。しかし、すかさず訂正出来るというのはなかなかの好印象である。

「はい、私自身が日本全国や海外、と遠方で仕事する事が多い職業に就いており、その先々で素晴らしい経験をさせて頂いたのが、旅行業界を志望した理由となります」

「ほう……それは確かに旅行会社で働くうえでいい経験になりますね……。しかし世界中を駆け巡る職業何て限られていると思いますが……前職は何ですか?」

「はい、殺し屋です」

「なるほど殺し屋ですか。それはそれは…………もう一度いいですか?」

「はい、私自身が日本全国や海外、と遠方で」

「あ、前職だけでいいです」

「殺し屋です」

「…………そうですか」

 やばい奴が来てしまった。どっちだ、これは。アホなのか本気なのか。

 何処かの攻略本にでも載っていたのだろうか。自分が殺し屋だと名乗って面接官を脅す事で無理矢理内定を勝ち取るという手法を指南しているものがあるのか?

「あー……世界と言っているますが、何処の国が多いのでしょうか?」

「出張で多かったのはやはり中東ですね。それと次いで多いのがメキシコ、アメリカ……でも報酬が高いのはやはり日本ですかね」

 中東て。殺し屋というか傭兵ではないか。上げて来る地名には信憑性がある。

「一番嫌だった仕事は何でしょうか?」

「そうですね……銃を使わずに、出来るだけボロ雑巾の様に殺してくれ、という依頼ですかね。私怨からの依頼だったらしく、証拠写真を二百枚送って初めて契約が成立するというものでした。報酬が桁違いだったので引き受けたのですが、肉片一つずつ写真を収める事になるなんて……もう二度と引き受けないですね」

「グロテスク過ぎて耐えられなかったんですかね……?」

「いえ、面倒くさくて仕方が無いのです」

 よし、本物だ。本物のヤバい奴だ。泣きたくなって来た。だから人事部は嫌なのだ。人事部に入らずにいれば大好きな旅行の企画を出来て、やる気のない学生にストレスを溜める事も無く、殺し屋と一つの部屋に閉じ込められる事もなかったのに。人事部に入ってから嫌なことだらけだ。人事面接では殺し屋と相対する可能性もあるから気を付けるように、とマニュアルにでも書いておけ!

「あの、志望動機だけで終わりでしょうか……」

 おずおずと聞いて来る青年の声に、思わず背筋を伸ばす。機嫌を損ねたら何をされるかわからない。しかし何を聞いていいやら……。

「えー……では前職の経験は、我が社でどのように役立てられると思いますか」

「はい。私は殺しを通して様々な人間を見てきました。その経験から、私は人が何を望んでいるか、何を恨んで生きているかが、論理的に予測出来るようになっています。この能力を活かして、お客様の欲望を満たすようなプランのご提案をする事で、お客様満足度を向上し、御社の売り上げアップに貢献出来ると考えております」

「え~と。欲望ではなく、希望、ですかね」

「あ、そ、それは失礼致しました」

 それ「は」というかそれ「も」というか……とにかく所々物騒である。恨みを抱きながら旅行プランを立てる輩何てせいぜい一家心中を考えている家族か、夜逃げプランを立てている人間くらいだろう。そんな奴ら向けのツアーなんて組んでたまるか。

 私の表情が余程ひどかったのであろう、殺し屋の青年は不安そうに眉をハの字に曲げながら、俺の顔を見つめている。そんな仔犬の様な表情を浮かべられても困る。ぷるぷるチワワの様に震えたいのはこちらの方だ。

 その後もいくつか質問を重ね、なるほど、世界の地理や情勢に詳しい事はわかった。しかしぶっちぎりで不採用である。全ての長所を補って余りあるデンジャラスさで、我が社のコンプライアンスがピンチだ。採用してこいつを他部署に所属させた場合、何ハラスメントに当たるのだこれは。命ハラスメントだろうか。

「う~ん。熱意があるのはわかりましたが、やはり我が社の社風に合っていないように思いますね」

 もっと言うと、我が会社というよりも我が社会に合っていないというのが本音だ。裏の社会にそのまま永劫引きこもっていて欲しいものだ。

「今回は御縁が無かったという事で」

「そうですか。それは残念です」

 青年はあっさりとした態度で席を立ち、一礼して出口へ向かう。しかし、扉に手を掛けたところでピタリと立ち止まった。

「あの、別に他意は無いのですが――」

 面接は済んだというのに、青年は振り返ってこちらに声を掛けた。

「どうしたんですか」

「あなたはまさか元殺し屋が危険だと思っているわけではないですよね?」

 こいつはこの期に及んで何を言っているのだ。危険に決まっているだろう。少しでも気に入らない事があったらピストルでパンに違いない。最近のキレた若者よりも万倍タチが悪いではないか。

 私の表情が露骨に歪んだのだろう。青年は私をしばらく見つめていたが、やがて諦めた様に溜息を吐いた。

「殺し屋と殺人狂は違うんですよ。僕は純粋に旅行が好きなだけなんですけどね。……こんな事なら殺し屋として来れば良かったかな」

 私の背筋に冷たいものが流れる。私の人生は呆気なくここで終わってしまうのだろうか。しかし、こんな命の危険の中でも、私は「職務を全うしなければ」という救いようの無い使命感に駆られていたのだった。

「歩んできた過去も踏まえての、面接ですから。本日は大変申し訳ございませんが――」

 言ってすぐに、後悔する。鉛玉が私の胸に命中するまで、あと何秒だろうか。

 しかし、その青年はあっさりと「わかりました」と一礼して部屋から出て行った。そして武器を取りに来ることも無く、永遠に私の前から姿を消したのだった。

「…………は、はぁ~」

 魂が抜けたような溜息が自分の口から漏れる。逆上して殺されなくて本当に良かった。まさか面接で生死を掛ける事になろうとは思わなんだ。


        ☆


「そんな事があったのか」

 同僚は神妙な声色で呟いた。

 元殺し屋の面接から半年ほど経った頃。

 私は同僚と近くの居酒屋で酒を飲み、あの時の事をふと思い出して、同僚に話していた。

 同僚は最初は冗談だと笑い飛ばしていたが、妙にリアルな青年の描写と、みるみる青くなる私の顔を見て、本当の事だと信じてくれたらしい。

「いやぁ、俺もびっくりしたね。面接でいきなり『殺し屋です』だもんな」

 私は努めて笑い飛ばそうと努力し、何でもないフリをしてつまみに箸を伸ばす。震えて何処かにすっ飛んでいく煮っ転がし。

「まぁそんなこと忘れようぜ。そんな元殺し屋が面接に来るなんて今後無いだろ。そんな特殊なケース忘れるのが一番だって」

「まぁそうだな……」

「しかしお前も大変だな、人事なんて任されたばかりに」

「違いない」

 私達は笑いながら酒をあおり、また別の他愛も無い話に花を咲かせ始めた。同僚の言う通り、あんなことは忘れてしまう方が得策に思えた。

 しかし、あの元殺し屋の言葉が引っ掛かる。

「あの殺し屋さ……」

「おい、もう忘れろって」

 同僚は少しうんざりしたような顔になる。

「あいつは『こんな事なら殺し屋として来れば良かった』って言ったんだよな。あの時は俺を殺せば良かった、って意味かと思ったが……やっぱり違うよな」

 あの時私を殺せるチャンスなど山ほどあった。しかし彼はそれをしなかった。殺し屋として来れば、私を殺せる以外のメリットがあったという事ではないか?

「今更そんな事考えたって仕方ないだろう。せっかくの酒を不味くするような話をわざわざ蒸し返す事もない」

 酒が入っているからこそ、こういう身にならないものに思考が巡るのではないか。どうでもいい事など、普段は考えない。その反動で私はのめり込むように考え、やがて一つの結論に達した。

 友人は呆れて一人で日本酒を猪口で舐めるように飲んでいる。

「わかったぞ」

「……何がわかったって言うんだ」

「ある企業の重役を何人も殺す計画を立てたとする。しかも、不自然に見えないように、誰にも気付かれないように、という条件付きだ」

 友人は猪口を置いて頬杖を突き、唸るように相槌を打ってくる。

「その場合色々なやり方があるだろうが、企業の内部に潜り込んで長期的にじわじわ殺していくやり方もあるんじゃないかな。……その場合、殺し屋はどうやって企業に潜り込む?」

「……さぁな」

「社員として潜り込むんだよ。それで、その時に殺し屋は自分が殺し屋だなんて名乗るはずがない。だからあいつは『殺し屋として来れば良かった』って言ったんだ。殺し屋として来ていれば自分の正体を隠したまま面接してただろうから――」

「なるほどな。そりゃ面白い妄想だよ。……気が済んだか?」

 同僚は私のひらめきに毛ほどの興味も抱いていない様子だった。これ程気乗りをしない同僚を見るのは初めてかも知れない。その様子を見て、私の興奮は徐々に冷めて行った。

 思えば、私一人が盛り上がり、同僚を置いてけぼりにしていた。

「すまない、少し突っ走った」

「いいけど妄想も程々にしておけよ。俺じゃなかったら変人として社内の噂の的になってるところだ」

 私達は気を取り直して酒を飲み直す。

 話題が変わると同僚は元の陽気さを取り戻し、結局今宵も美味い酒を酌み交わす事が出来た。初めからあんな殺し屋の話題など出すべきではなかったのだ。

「じゃあな」

 帰り際、同僚がそういって手を差し出した。こいつはよく酔っぱらうとこうして握手を求めて来る。少し照れ臭いが、悪くはない。俺も酔っぱらっているのだ。

 同僚の手は乾燥しているのか、チクチクと少し痛かった。

「……楽しかったよ」

「ああ、また明日」

 私の返答に彼は答えず、手を振りながら夜の道へと消えて行く。

 私は握手をした手を握り、同僚の後ろ姿を目で追っていた。

 そして、同僚の背中を見つめながらふと、彼の上司が三ヶ月前に心不全で亡くなったのを思い出した。

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