第8話
いつまで経っても背中に衝撃が来ないことを不思議に思ったのか、頭を抱えて地面に縮こまっていた羊も恐る恐る目を開けたようで、『何これっ!?』と驚いている。そして羊もフードの人物に気付いたようで、立ち上がって二人並んでフードの人物の方を見る。
「時間を止めるなんてそんな大仰なことできるかよ」
「えっ、でも実際に」
狼が目の前で箒を振り上げている女子の頬っぺたを指で突っつく。動く気配も無ければ瞬きをする様子も無い。
「思考や動きといったあらゆるものを一時停止させてるんだ。時間が止まってるわけじゃない」
「……同じじゃねーの?」
「いや、……。あー、……。……ああ、うん、同じだ」
「おい、説明を諦めたろ、今。ちゃんと説明しなさい」
「専門用語を交えないで説明するのが面倒過ぎる。何しても動かないし、気付かれないって意味じゃ同じだよ。頬っぺたじゃなくて胸を突っついてもバレねぇぞ?」
「………………あれ、よーするに俺今合法的に胸突っつける?」
「いや、全然合法じゃないよ? 蘇生措置するわけでもなく、意識の無い女の子の胸突っつくんだから普通にセクハラだよ? ダメだよやっちゃ。絶っ対にダメだよ?」
「おいそれはどっちだ。俺は一体どうすればいいんだ? くっ! 沈まれ俺の右腕ぇっ!!」
バカ二人がおバカな会話をしていると、
「な、何なんだよこれぇっ!?」
どうやら時間(厳密に言うと違うらしいが)が止まっているのは女子たちだけで男子生徒は動けるらしい。話についていけないらしくただひたすらテンパっている。
「何だ? あのピーチクパーチクうるさいのは。知り合いか?」
「「いや、全然」」
「クラスメイトだと言っているだろバカ二人っ!!」
さらに声のボリュームを上げて騒ぐ男子生徒をうるさそうに見つめていたフードの人物だったが、男子生徒の指に光る指輪を見つけると、
「ほう」
明らかに声のトーンが一個下がった。怒りの気配を滲ませて、いや、あれはそもそも怒りの気配を隠す気も無さそうだ。むしろ今まで我慢してました、とでも言いたげに怒りの気配をどんどん放出しているような気さえする。
「テメェか。ワシが急に叩き起こされた元凶は」
男子生徒の方を向いて言うフードの人物。流石に身の危険を感じたのだろう。男子生徒が無意識下に一歩後退りした、と思った直後には、フードの人物は男子生徒の目の前に居た。小走りできる程度には二人の間に距離があったと思うが、その距離が一瞬で詰まっていた。
「抵抗すんな。大人しくしてろ。今、イラついてんだ」
フードの人物は男子生徒へと手を伸ばす。抵抗するな、とは言われてもあれだけあからさまに攻撃色を滲ませている人物が自分の顔へと手を伸ばしてきたら怖いだろう。
「さっ、触るなぁっ!!」
半狂乱的に振り回した手がフードに当たり、フードがわずかに捲り上がる。フードの下から銀色の髪、褐色の肌。ほんの一瞬覗き込んだだけでも、人の目を、心を奪えてしまうような、そんなある種危険な美しさを持った顔のほんの一部がかすかに見えた瞬間、
フードの人物の膝蹴りが男子生徒の鳩尾に何発かが、一発と誤認できるほど瞬時に入り込んだ。
「おい小僧。イラついてるって言ってんだろうがよ。これ以上イラつかせるんじゃねぇよ。リアルに八つに裂かれてぇか? あん? ……おい、シカトしてんじゃねぇぞ、コラ」
いえ、違います。今の膝蹴りで意識持ってかれているんです。
羊は横の狼に聞く。
「今、何発入れた? 1発じゃなかった、ってのだけ分かったんだけど」
「3発……、までは目で追えたけどな……」
「7発だ」
いつの間にか二人のもとへ戻ってきていたフードの人物が答える。7発……、あの時喧嘩しなくて良かったぁ……、と狼がホッとしていると、突如首筋に手が回されヒヤッとする。横を確認すると羊の首にも同じように手が回っており、身長差の関係で若干二人の間にフードの人物が浮いているようにも見える。
「で? お前ら。これは一体全体どういう状況なんだ? うん? 怒らないから素直に言ってみ?」
この言葉を使ってホントに怒らない人など居るのだろうか? 嫌に優しい声音が余計に怖い。今は脱力しているが首筋に回されている手はもっと怖い。下手な回答をすると一気に手に力を入れられそのまま首をポキーッ! と折られそうである。とはいえ、適当なウソを吐いてもそれはそれでポキーッ! と折られそうなので、二人は言葉に気を遣いつつ、ことの顛末を話すことに。
「なるほどなぁ……。えっ? 一個言っていい? バカなの? お前ら」
「そうなんっすよー。こいつマジ、バカなんっすよー。どうしてやりましょうかー」
「おいこら待て。速攻で僕を売るな。『ら』って言われたろ、『ら』って。君こっち」
屋上で地べたに胡坐をかいて腕を組んでいるフードの人物。その肩を笑顔で揉みながらヘコヘコしている狼。そして、その前で判決を待つ罪人であるかのように正座している羊。
「ずいぶんと豪快に指輪の力を使ってやがるなって思ったら……、紛失した挙句、盗られて好き放題やられたってわけだ」
「そうなんっすよー。こいつマジ、クソっすよねー。どうしてやりましょうかー」
「何だその後ろの子分。腹立つな」
腹立つ、とは言いつつ、狼のこんなヘコヘコしている姿は中々見られないので、ちょっと新鮮で面白かったりもする。
「何ヘラヘラしてやがる。そんなに笑いてぇなら、辛くても苦しくても一生笑顔の表情しか作れないようにしてやろうか」
「すみません、ごめんなさい、許してください」
普通であれば冗談で聞き流すところだが、指輪の一件があるのでリアルにされそうで怖いのである。
「ったく、ワシが仕事サボって路上で大の字になって眠ってたら、急に顔の上にトラックをバカみたいに落とされて起こされて何事かと思ったら」
何か色々おかしな言葉が聞こえた気がするが、とりあえず羊は黙っていることにする。下手な発言して火に油を注ぐわけにはいかないのである。
「腹いせにトラック全部ぶっ壊してやったら、壊した分給料から差っ引くとか言いやがるし、おかしいよなぁ?」
「はいっ、おかしいっすね」
イエスマンになっている子分が頷いているが、あれ話分かっているのだろうか? トラックが云々かんぬんって何かもう別世界の話をしているように羊には聞こえているのだが。
「あれは使い方次第じゃ国一個好き勝手にできる強力な指輪でな。実際、歴史では隣国まで巻き込んで大ハーレム帝国を作ろうとした奴も居るし、学校占拠くらいやろうと思えば簡単にできちまうわけ。だから渡す相手は結構慎重に選ばなきゃいけなくてな。むやみやたらに渡していいもんじゃねぇんだわ」
その割には随分と軽く渡されたような気が羊はするが。しかも無料で。ああ、いや、つまりは、
「なるほど。僕がそんな悪用するような人には見えなかったから渡してくれた、ってことですか」
「悪用したいと脳内では考えていても行動には移せないヘタレの人間に見えたからな」
何だろう? デジャヴ。さっき同じようなことを言われた気がする。そんなに分かりやすいのだろうか? と羊が鏡で自分の顔を確認していると、
「もちろん渡した以上、基本的には好きに使ってもらっていいが、あくまで常識の範囲内、っていう制約もあってな。あんまり酷い使い方されると渡したワシの責任も問われるんだわ。まぁ、だが聞いてた感じ、ワシが譲渡した相手が何かやらかしたわけじゃなさそうだし、責任は問われなそうだな、ガッハッハ」
良かった良かったとフードの人物が頷いているので、よく分からない羊もとりあえず合わせて一緒になって頷いていると、
「お前も良かったな。話聞いてた感じ、扱い的には紛失とか、盗難とかにできそうだ。これが譲渡だったら、譲渡したお前の責任が問われて、首と手と足を胴体から分離させなければいけなかったところだ」
何かサラッと命に係わる怖いことを言われたので、羊は慌てて、
「ちょちょちょちょ、ちょっと待って? 何今の怖い発言?」
「何言ってんだ? 指輪渡した時に説明しただろ? 勝手に人にあげたりするなよって」
「してない。してないよ? してないし、そんなサイコパスなバツがあるなんて一切聞いてないよ」
「言ったよ。なぁ?」
「はいっ、言いました」
「嘘吐けぇっ!! 言われてないっ! 絶っ対言われてないぞっ!! 弁護士っ! 弁護士を要求するっ!!」
「残念ながらワシらの世界に弁護士は居ねぇんだなぁ。上がどう判断するか。決定権は全てそこにあり、拒否権なんかなぁーい」
なんて怖い世界だ。羊が自分の首や手足が繋がっていることに感謝していると、フードの人物は気絶している男子生徒の方に再度近付き、
「とはいえ、事後処理はしねぇとな。ってわけで、とりあえず、指輪返せこの野郎。……何だ、ちくしょう、ピッタリはまってて取れねぇな……。こいつ無理やり突っ込んだろ……。ちっ、メンドくせぇな、こうなりゃ指ごと……」
「僕がお取りしますぅっ!!」
流石に気を失っている間に指一本無くされるのは気の毒だと思ったので、羊が代わりに指輪を取ることに。慌てて無理やり引っこ抜いたため、男子生徒の指の皮が多少擦り剥けたが許せ。指ごと無くなるよりマシだろ、と羊は回収した指輪をフードの人物へと渡す。
フードの人物は地面にやや広めに胡坐を付いて座り直し、胡坐の中心に指輪を置く。
「事後処理って、何するんすか?」
興味深げに狼が覗き込むと、フードの人物が懐から木槌を取り出したので、慌てて頭を抱えて距離を取る狼。フードの人物はケラケラ笑いながら、
「別にお前の頭をぶっ叩きはしねぇよ」
狼の頭を叩く代わりに、木槌でトントン自分の肩を叩く。
「この指輪にはリセット機能ってのが付いててな。指輪を外すと、指輪に魅せられた女子たちが何事も無かったかのように元に戻ったろ?」
聞かれて羊は答える。
「ああ、はい。指輪付けてた間の記憶が無いみたいでしたね」
「あれは自動で発動する軽めのリセット機能でな。今回やるのは手動で発動させるそれより強めのリセットだ。この指輪には『指輪を付けている状態』とは別に同時進行で『指輪を付けていない状態』が記憶されていてな。その記憶されている『指輪を付けていない状態』の方が参照されるようにする」
「ん? え、ええっと?」
よく分からなかった羊に対し、フードの人物はざっくりと言葉を噛み砕く。
「要するに、指輪が無ければこうなっていた、という状態に強制的に戻す、ってことだな」
「それって」
「リセットした瞬間、ここに居る女子たちは全員、指輪が無ければ本来この時間に居たハズの場所に戻る、ってことだ」
「指輪が付けられる前に時間を戻す、みたいなことっすか?」
木槌が自分に振り下ろされなそうだ、ということに安心した狼が近付いてくると、フードの人物がビシィッ! と木槌を狼の方に向けたので、狼は慌てて再度距離を取る。
「時間を止める・戻す、そんな大掛かりなことはできん。覚えておけ」
「はいっ、失礼しました」
学校内で一度も聞いたことがないくらい狼がいい声で返事をする。
「歴史も無かったことにならん。その歴史自体は確かにあったが、参照される歴史が別のものに変わって参照されなくなるってだけの話だ」
「すみませんっ、自分バカなんでよく分かんないっす」
イエスマンがついに質問した、と羊が驚いていると、
「分かりやすく言うとだ。……分かりやすく言えないからもう同じでいい」
「分かりましたっ!」
「いいのか? 君はそれで。説明諦められたぞ、今」
「専門用語を交えないで説明するのが面倒過ぎる。全員が何事も無かった日常に戻るって意味じゃ同じだよ。どうせ参照できなくなる時間軸だから、今のうちに女子の胸鷲掴みにしても無かったことになるぞ」
「………………あれ、よーするに俺今合法的に胸揉める?」
「いや、全然合法じゃないよ? 厳密に言うと、歴史自体はあったままみたいだから、君が胸を揉んだというセクハラ行為に及んだ歴史は残るよ。だからダメだよやっちゃ。絶っ対にダメだよ?」
「おいそれはどっちだ。俺は一体どうすればいいんだ? くっ! 沈まれ俺の右腕ぇっ!!」
割と本気で葛藤していそうな狼だったが、やがて清々しい悟り切った顔になると、
「どうせ俺も胸揉む前の状態になるんだから、揉んでもいいんじゃね?」
盛大に開き直ってきた。どうしよう、止めるべきか、いやでも状態戻るのか、と羊が止めるべきか、男の夢を応援するべきか悩んでいると、
「ああ、お前らはそのままだぞ?」
フードの人物が夢を打ち壊すとんでもないことを言ってきた。
「「な、何で?」」
「胸揉めなくなった瞬間、すげぇ形相で近付いてきたな。怖ぇわ。どんだけ必死なんだよ」
フードの人物はまとわりついてくるバカ二人を木槌をブンブン振り回して追い払ってから、
「お前らの状態だけ元に戻らないで今のままってことだよ。胸は揉みたきゃ好きに揉めよ。別にワシの胸じゃねぇし」
「だって俺の状態はそのままなんだろう?」
「揉まれた女子の状態は元に戻るぞ」
「いや、それじゃダメなんだよなぁ。俺が揉んだという状態がそのままだと……、罪悪感が、こう……。……ちぃっ、仕方がない、諦めるか……」
「変なとこでマジメというかヘタレというか。お前の状態が戻るなら戻るで、触った状態も元に戻るんだから、むしろ戻らない今の方が都合がいいと思うんだけど」
類は友を呼ぶというか。こいつもこいつで胸を揉みたいとは思いつつ実際には揉めないタイプらしい。
「元々が指輪を作成する際の実験用の機能で作ってただけだからな。データを取る必要のある当事者にはリセット機能が効かないようになってるんだ。諦めろ」
「人の夢って書いて儚いって読むんだよなぁ……」
「何か夢追い敗れたものみたいな遠い目してるけどよ、お前の夢って女子の胸揉むことなの? いやまぁ夢は人それぞれなんで、悪いとまでは言わんが」
片目に涙さえ浮かべて空を見上げて黄昏ている狼のことは置いておいて、フードの人物は指輪に向かって木槌を振り上げた。それを見て羊は、
「リセットって、その木槌で指輪を壊すってことですか? ああ、そういえばこの手のって、結構原因になった物を壊せば現象が直ったりしますよね」
羊の言葉に『ほう』と感心したように木槌を止めて、フードの人物は羊の方を見ると、
「発想は近いが今回は違う。さっきも言ったろ? 実験用の機能なんだ。失敗する度にいちいち物を壊して作り直してちゃ実験が滞って仕方がない。リセットするのに必要な工程なんだよ。ああ、」
そこまで言って、何か思い出したようにフードの人物は補足する。顔は見えないが恐らくニヤッと笑ったような気がする。
「心配すんな、リセットしたら指輪はお前に返してやるよ」
『壊すんですか?』というのは単純に興味本位で聞いただけだったのだが、『僕の指輪壊しちゃうんですか?』というニュアンスに受け取られたらしい。これは訂正せねばなるまいと羊はキッパリと伝えることにする。
「いや、要らないので持って帰ってください」
貰った物を返す、というのが失礼な行為だというのは重々承知しているが、しかしもうトラブルはゴメンだ。どうせ羊はもう使わないのだし、持って帰ってもらった方が色々と都合がいい。
「ああ、そう」
羊の返答に、さして意外でも無さそうにフードの人物は軽く頷くと、木槌を指輪へと振り下ろした。
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