第3話
翌日。付けたらモテる、と言われた指輪の力を信じているわけではないのだが不思議なもので、この手の物には効かないだろうな、とは思いつつ、一回くらいは試してみたくなる魔力がある。家を出た後、羊はこっそりと指輪を付けて登校する(家で付けなかったのは家族にその指輪どうした? とか聞かれると面倒そうだったからである)。
しかしまぁモテる、とは言っても、具体的にどんな風にモテるのだろうか? 学校に付いたら下駄箱にラブレターびっしりとか? いや、ラブレターの準備には時間が掛かるからそれは難しいか。見知らぬ女子に校舎裏に呼び出されて、とかだろうか? 何かそれはそれで美月とかの告白とブッキングしそうな気がしないでもないが。
こういうのはあれこれ想像しているうちが楽しいものだ。現実には起きないことを起きたらどうしよう? と想像している時間が楽しいとも言えよう。例えばパンを口に咥えて『遅刻遅刻~』と走ってくる女子や空から不思議な力で浮きながら落ちてくる女子、など居たらいいなぁ~、という想像こそするが実際に起きたら前者は引くだろうし、後者はビビるだろう。フィクションだからいい、というのは間違いなくあるのである。
何事も起きないとしてもだ。何か起きるかも。そんな期待を今日一日はできるわけだから、これはこれで楽しいかもな。そんな風に考えながら羊が学校へと向かう電車へと乗った。
電車内は空いている。というのも、羊が乗る電車の時間帯というのは他の生徒よりも大分早い。ピーク時に乗ったとしても人がギューギュー詰めになっている、という状況は大幅な遅延でもしない限りまず無く、たまに座れることがあるくらいの混雑度でしかない。
そんな電車で時間を外せば乗っている人を数えられる程度の過疎化となる。椅子に横になっても問題無いくらいの混雑度である。まぁ、モラル的に問題があるので寝っ転がりはしないが、これだけ空いていると端より真ん中の方が特等席だと思っている羊は真ん中に座る。両隣に遮るものがない。これが公共の乗り物の中というのだから、何とも贅沢な空間と時間である。
しかし、そんな至福の時間はすぐに終わった。次の駅に着き、人が入って来ると、女子生徒が一人、彼の横に腰を下ろしたからだ。
ん? っと、羊は相手に気付かれない程度にチラリと横の生徒を見る。至福の時間を邪魔され迷惑がって睨んでやった、というわけではない。違和感、とまではいかないが、不思議に思ったのである。
さっきも言ったが、この時間帯、空いている席などいくらでもある。もちろん、どこに座ろうが席が空いている以上は本人の自由ではあるが、端も真ん中もボロボロ空いているこの車内で、わざわざ人が隣に居る席に座るだろうか?
変なの、とは思いつつ、まぁそういう人も居るか、と大して気には留めなかった。
が、流石に無視できなくなってきたのは、そこからさらに数駅ほど止まった頃である。
おかしい。明らかにおかしい。羊の両隣はあっという間に埋まり、その隣、その隣、と彼側の席は既に満席。向かいの席も満席で、彼の周りには立ち見の女性たちで溢れ返っており、そこだけちょっとした満員電車のようになっている。
満員電車のようになっている、だけであれば、羊だって別に気には留めない。時間的に珍しいこととは思うが、満員電車になること自体はある。問題は、だ。こんなに混雑しているの、彼の周りだけである、ということだ。この車両に乗って来る女性、乗って来る女性が次々とまるで何かの引力に吸い寄せられるかのように、彼の周りへと集まって来る。
ちょっと首を伸ばして周りを見ていると、チラホラ空いている席がある。と、言うかだ。むしろガラ空きである。察するに、普段なら分散されているであろう乗客が彼の周りに密になっているせいで、むしろ周りは過疎化しているのだろう。寝ている乗客は別としても、何人かの男性陣が、あの一帯は何だ? と奇異な視線を向けている。
車両内の女性を独り占め、周りを女性たちに囲まれてまるでハーレム、マンモスうれぴー、なんてことにはならない。ハッキリ言って普通に怖い。満員電車で人に囲まれているならいざ知らず、彼の周りだけ面識のない女性たちに囲まれているこの状況。とてつもなく居心地が悪い。それにチラホラこちらを見られているような感覚がある。右を向けば右の女性陣が、左を向けば左の女性陣が一斉に目線を逸らす。さっきまで見てました、と言わんばかりの光景だ。
今のところまだ、誰かが具体的なアクションを起こすことはない。近くに居るだけだ。しかしこれは恐らく、お互いがお互いの様子を伺ってそれがけん制となっているかのような、どことなく均衡状態のような気がする。これ、誰か一人でも羊に話し掛けてきたら、それを口火に決壊しかねない危うさを感じる。
ぴりつく、とまでは言わないが、台風の目の中に居るような、これから台風に突っ込むような危機感を理屈ではなく、生物の本能として感知した羊はまだ降りる駅ではないのだが、『ちょっとごめんなさいね』と言って席を立ち、ドアの前へと移動する。すると、周りに居た取り巻きどもが一斉に立ち上がり、彼の後ろを付いてくる。ウソを吐け。その制服が降りる駅はここではないと知っているぞ。
降りる駅でもないのに降りようとする。理由は一つ。自惚れでも何でもなく羊が降りるから降りるのだろう。多分これ、降りた後も付いてくる気だろう。一人が付いてくるだけでも交番に駆け込みたくなる恐怖なのに、この人数に付いてこられたら交番も居留守を使う恐怖に違いない。
ではどうするのか? 答えは簡単。
駅に着き、ドアがほんの少し空いた隙間に滑り込むようにして降車。背後の女性陣も慌てて降りようとするが、大勢で一斉に降りようとしたため、扉に当たって降車が遅れている。この一瞬できたリードを失わぬよう、羊は背後を振り返りもせず猛ダッシュをする。背後から無数のダダダダダァァァァァッッッッッ!! という地響きのような足音が聞こえてくるが、こちらは全力で意識の外に持っていく。怖いから。
そうだ。モテ過ぎて困ったら指輪を外せばいいんじゃな~い、と気付いたのは羊が10キロ弱のマラソンを終えた時だった。10キロを30分を切るくらいの帰宅部にしてはスーパーハイペースで走ってたハズなのだが、一人の脱落者も出ることなく羊に付いてきたのは、彼女たちの日頃の鍛錬の成果か、指輪の力によるトランス状態のせいか。
指輪を外した瞬間付いてこなくなるのだから、現金なものである。いやまぁ、付いてこられても困るのだが。指輪を付けている間に起こった出来事の記憶は指輪を外した後には持続しないらしい。ふと我に返ったように何故こんな所に居るの? とキョトンとしている。
どのあたりから記憶が無いのか定かではないが、気付いたら知らない場所に居るわけだから相当恐怖だろう。中にはここから駅への帰り道が分からない人も居るかもしれない。同情はするがとりあえず放置だ。紳士のようにこちらですよ、と案内してあげたい気持ちはあるが、急に見知らぬ男子に話しかけられても怖いだろうし、羊も羊で先ほど追いかけられたトラウマがあるので迂闊に近寄りたくない。
そんなわけでそーっと彼女たちの視界から隠れるように草むらをほふく前進する。大人しく電車に座っていれば余裕で始業の一時間前くらいには最寄り駅に着くハズだったのに、急遽発生した10キロマラソンのせいでそこそこ時間にピンチである。羊も羊で必死に逃げたものだから現在位置を正確には把握していない。せめて学校から遠ざかる方向に走っていなければいいなぁ~、と彼が希望的観測を抱いていると、
「先輩?」
頭上から声が降ってきた。不意の声に羊の心臓は飛び跳ねて、ほふく前進を停止させる。
登校中に草むらでほふく前進をしているという世にも奇妙な姿を見られたから動きが止まったのではない。いや、それもあるにはあるが、声を掛けてきた相手が一番の理由だ。
草むらの隙間から見える足。そのままスーッと視線を上に上げていくと、
「?」
声には出さない『そちらで一体何を?』という質問を浮かべながら曖昧な笑みで首を傾げてくる美月に正直に答えるわけにもいかず、羊も羊で曖昧な笑みを返すのだった。
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