おもてなし(Bパート)
初めてお呼ばれしたお宅で、私は少し緊張していた。
隣に座っている
「ちょっと緊張しますね」
「ええ。こんなに立派なお宅にお邪魔したのは初めてなので」
本当にその通りだ。
私が暮らしているマンションの部屋――2LDKで約65㎡――よりも、今いるリビングの方がきっと広い。
テレビもびっくりするくらい薄いくて大きい。
私の部屋にある十年ものの型落ちテレビとは大違いだ。
カーペットもなんだか雲のようにフカフカしているし、廊下にはでっかい壺が飾ってあった。飾るための壺を買おうなんて、今まで生きてきて一度も頭をよぎったことがない。
「お紅茶でよかったかしら」
今日のホストである
まさか、本当に紅茶を『お紅茶』と呼ぶ人がいるなんて――という失礼な感想はグッと心の奥にしまいこみ、「お気遣いなく」と返す。
ふわりと漂う香りが『お紅茶』がそんじょそこらの紅茶ではないことを告げていた。『お紅茶』と呼ばれるだけはある。
「すごくいい香りですね」
「気に入って頂けたなら良かったですわ。モンド・キャニオンのゴールデン・ティップスですのよ」
なんのことやらサッパリわからない。
まずモンド・キャニオンって?
アメリカのグレートキャニオンなら知っているのだけど。
もちろん、行ったことはない。
再び天野さんがキッチンへと向かったタイミングで、楠田さんに「知ってます?」と聞いてみたら、彼女は苦笑いをしながら首を振った。
楠田さんの反応を見て、私も小さく笑った。
今日はひとりで来なくて本当に良かった、と心から思った。
「ごめんなさい。こんなものしかないんだけど、お口に合うかしら」
戻ってきた天野さんが持ってきたのは、箱に入ったチョコレート。
箱は10に区切られていて、ひとつの区画にひとつのチョコレートが金の台紙の上に鎮座していた。
それだけでも私が普段食べているチョコレートとは全然別モノなのだけれど、最も目を引いたのはそのチョコレートに書かれている文字。
B・V・L・G……。
これは流石に知っている。
アクセサリや時計で有名な高級ブランドの名前だ。
チョコレートまで出しているとは知らなかった。
箱の中にすでに3つの空席があるのは、来客用ではなく日常のおやつで消費しているということだろうか……。私にとってはもう未知の領域。
差し出されるままに恐る恐る手を伸ばし、高級ブランドの文字が入ったチョコレートを手に取る。
パキっとひと口かじってみると、それはそれは天にも昇るような芳醇なチョコレートの味が口いっぱいに広がって……というのを期待していたのだけれど、残念ながら私の貧乏舌には敷居が高すぎた。
なんていうか苦い。
甘いんだけど苦い。
もちろんただ苦いわけじゃなくて、なんだかスパイシーな味が口いっぱいに広がったあとで苦味が残る感じ。
これが俗にいう『カカオの苦味』というやつだろうか。
口に出したりはしないけれど、ディスカウントストアで買えるお徳用パックのミルクチョコレートの方がガツンと甘くて私好みだ。
「こんな上品なチョコ、初めて食べました」
ウソではない。上品すぎて自分の口に合わなかっただけ。そんな気持ちを込めた精一杯の感想だった。
私は口の苦味を流そうと、改めて紅茶を口にする。
「うわっ。おいし……」
チョコレートの香りと甘さ、それに苦味までもが紅茶の魅力を引き立てる。
「うん。すごく美味しいです」
隣の席で、楠田さんも驚き顔だ。
天野さんを見ると、黙ってにこやかに笑っていた。
(ここでドヤ顔になったりしないところも上品なんだよなあ)
これが私ならきっと「そうでしょっ!?」と食いついて、自分が知っている限りのウンチクを語りだしているに違いない。
「それじゃ、そろそろ始めましょうか」
紅茶とチョコレートでひと息ついた3人は、カバンの中からそれぞれパソコンやら紙やらを取り出した。
今日はただお茶を飲むために集まったわけではない。小学校の学年PTAのイベント企画、その準備のために集まったのだ。
色々と紙を広げて準備をするなら、広い部屋がいいだろう、ということで天野さんが場所を貸してくれた。本当に良い人だ。
それから2、3時間ほど経って、日も落ちてきたところで今日は解散することになった。
「そろそろ子供たちも呼ばないと」
「いいわよ。私が呼んでくるわ」
私と楠田さんが帰り支度をする中、天野さんが子供たちを呼びに行ってくれた。
まだ小学2年生の娘、
「陽鞠ー。紬生ちゃーん。
子供たちはトランプで楽しく遊んでいたらしく、紬生はまだ帰りたくないと少しゴネていたが、また遊ぼうと約束して笑顔で別れていた。
友達ともっと遊びたくて泣く、なんて私にとっては遠い過去のこと。我が子の涙に、懐旧の念が心をじんわり温めた。
帰り道、私は紬生に「今日はなにしてあそんだの?」と聞いてみた。
「んーとね。なんかマズいチョコ食べて、あとはトランプしてた!」
「マズいチョコ?」
「うん。なんか○ルカリで買ったって言ってたよ。あんなお金持ちでも○ルカリやるんだね」
「へぇ、そうなんだ。ふふっ」
子どもの言うことだから、と話半分に聞きつつ、あの天野さんが高級ブランドのチョコレートを○ルカリで買っている姿を想像した私は、思わず笑ってしまった。
【Bパート 了】
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