tale11~tale20
糸(Aパート)
目を覚ますと、そこは天国だった。
……いや、比喩でもなんでもなく。
環太は確かに死んだ。
事故とか、事件に巻き込まれたとか、そんな劇的なものではなく病気で死んだ。
死因は癌だった。これも特に珍しくもない。
63歳という若さは少々悔いが残る年齢ではあったが、家庭は円満で孫の顔をみることもできたのだから、世間一般的には充実した人生だったといえるのではないだろうか。
家族に看取られて目を閉じ、再び目を開けた環太の前に広がっていたのは『天国』としか表現できない、ステレオタイプが具現化したような世界だった。
辺り一面に咲き誇る多種多様な草花。
木になる果実は摘んだそばから新しい実をつける。
動物たちはヒトを恐れる様子もなく、無警戒にヒトと戯れていた。
そしてヒトは皆、見たことも無いような幸せそうな表情で、一切の諍いもなく仲良く時を過ごしていた。
人間同士が集まれば必ず衝突が起こるものだ。
この天国らしき場所には、ヒトや動物の攻撃的な本能を抑制するなんらかの力が働いているのではないだろうか、と寛太は考えた。
しかし、別に寛太だって好んで他人と争いたいタイプではない。
変な争いごとがない世界は、寛太にとっても悪いものでは無かった。
環太もこの争いの無い平和な場所で生活をはじめ——すぐに飽きた。
これは仕方のないことだ。
なにせこの場所には娯楽というものがない。
ネットも、動画も、スマホも、ゲームも、テレビやラジオでさえも、なにひとつ無い。オモチャすらもない。
考えてみれば当たり前のことだった。
人を楽しませるエンターテインメントというものは、それを創るために働く人たちがいるから生まれる。
この世界に働いているヒトなど皆無だ。
なにかが創り出されることなんて、これまでも、そしてこれからも、一切ない。
唯一の娯楽といえばスポーツ、というか運動くらいのもの。
それも道具なんかないから、原始的な運動以外にできることはない。
娯楽にあふれる現代に慣れた環太には厳しすぎる環境だった。
このままだと徐々に感情が死んでいってしまう気がした。
事実、そこらで寝転んでいるヒトの中には、ずっと同じ体勢のままでぴくりとも動かないヒトがいる。きっと彼らの感情はもう……。
それを怖いと思うこともない、魂という存在も気持ち悪かった。
むしろどうして他の人たちは平気なのか、まったく理解ができなかった。
「俺はいったい、いつまでココにいればいいんだ? 退屈過ぎて死にそうだ……」
いやまあ、もう死んでいるのだけれど。
環太はシャクと音を立ててリンゴによく似た果実をかじると、小さな声でひとりごちた。
大きな樹の下で、幹に背を預けたまま天を仰ぐ。
「ココにも空があるんだな」
空なのか。空に似せたナニカなのか。それはわからないけれど。
天国では常に上空に青空が広がっていた。
「君もこちら側のヒトみたいだね」
「……ッ!?」
不意に背中から声をかけられて、環太は飛び上がるほど驚いた。
「おっと。驚かせてしまったなら申し訳ない」
本当に申し訳ないと思っているのか、ニコニコと笑顔で挨拶をする男が、やはり樹の幹に背中を預けて立っていた。
しかし環太が腹を立てるようなことはない。なぜなら、ここはそういう場所だから。
「いえ。構いませんよ。なにかご用ですか?」
「ご用というほどのことはないのですが。ひとつ面白い話をお聞かせしようと思いまして」
面白い話、などと自らハードルを上げてくるヤツの話が面白かった試しなどないが、ヒマを持て余していた環太は男の話を聞くことにした。
「ココの上、興味あります?」
「上?」
環太は空を見上げるが、いつものように青空が広がっているだけだ。
上と言われてもピンと来ない。
「スカイダイビングでもさせてくれるんですか?」
「なんと! それも面白そうですね。まあ、それもココでは叶わぬ夢ですけれど」
イヤなことを言う男だ、と頭では思うが、感情はまったく不快にならない。
「いや、失礼。もったいぶるつもりはないのです。実はココよりも上の世界があるという話を聞きまして」
「ココの上に世界が!?」
「おっと、お静かに」
人差し指で「静かに」とジェスチャーされて、環太は思わず両手で口をふさいだ。
天国らしき場所に来て、一番驚いた。それほどの衝撃だった。
青空にしか見えない上空のもっと上。そこにどんな世界が広がっているのだろうか。
単純に考えれば……神様とか、世界を管理している文字通り雲の上の方々が住む世界、とかなのだろうけど。そもそもこの世界に来てから一度もそういう存在を見た覚えがない。
いや、逆に考えれば『上の世界』があるから見る機会がないのかもしれない。
「そんな世界が本当にあるんですか?」
「さて、どうでしょうね。私も聞いた話ですから」
そういえば、そんな口ぶりだった。
残念、とため息をつく環太を見下ろして、男は静かに言葉を続けた。
「これもウワサなんですけどね。たまに空から糸のようなものが降りてくるそうですよ」
「糸が降りてくる……ですか。まるで芥川龍之介の『蜘蛛の糸』ですね」
環太の言葉に、男は我が意を得たりと大仰に頷くと、そのまま去っていった。
しばらく経って。
環太がいつものようにブラブラとヒトのいないところを選んで歩いていると、視界に白い糸が飛び込んできた。
まさかと思い、その糸の出所を目で追うと、上へ上へと伸びている。
「これが……ウワサの蜘蛛の糸」
いや、『蜘蛛の』とは言っていなかったか。
しかしココより上へ行くための切符に違いはない。
じっと眺めていると、糸はスルスルと上に昇っていく。
まるで今掴まなければ二度と機会はないぞ、と言わんばかりに。
「待て、俺を上に連れていってくれ!」
環太は慌てて糸を掴んだ。
細い糸は、見た目に反してすごくしっかりしていた。
魂だけになった環太の体は、手で糸を手繰る度にするすると上に昇っていく。
もうどれくらい昇っただろうか。
下を見ると、あれほど大きいと思っていた樹がミニチュアのように見えた。
天国をまるで箱庭のように見下ろせる場所。
環太が向かっているのはそういうところだ。
いま環太はワクワクしていた。
この場所に来て以来、すっかり忘れていた感覚だった。
生きていた頃のように命の脈動を感じながら、環太は糸を手繰りつづけた。
【Aパート 了】
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