ジョイフル・クリスマスイブ(Aパート)
※ヒューマンホラー注意
今日、指輪を買った。
僕から愛する彼女へのプレゼントだ。
もうすぐ彼女との待ち合わせの時間。
彼女と合流したら、人気のテーマパークで一緒に夜のパレードを見る。パレードの光の中で指輪を渡したら、つぎはディナーだ。近くのホテルにあるスカイレストランを予約してある。もちろん部屋も。
想像するだけで笑みがこぼれた。
ヴーン、ヴーン。
コートのポケットでスマートフォンが震えた。
まさか、彼女になにかあったのだろうか。
急いで画面を見た僕は、表示された着信を見て眉をひそめた。
妻からだった。
一気に気持ちが盛り下がる。さっきまでのウキウキ気分が台無しだ。
僕は大きくため息をついて電話に出た。
「どうしたの?」
「お仕事中にごめんなさい。……やっぱり今日は帰れない?」
「今夜は会社に泊まり込みだって言ったよね」
「そうよね……。ワガママ言ってごめんなさい」
「いや。分かってくれればいいんだ。あぁ、一応部長に早めに帰れないか聞いてみるよ。でも、期待しないでね。うん。それじゃ」
ツー、ツー、ツー。
心にもないウソでなだめすかして電話を切る。
やれやれ。本当に困ったものだ。
ただでさえ毎日、毎日、イヤというほど顔を突き合わせているというのに。
クリスマスイブくらい放っておいて欲しいものだ。
もちろん、いつもは左手薬指を締め付けている銀の輪も、今晩はスーツの内ポケットでぐっすり眠ってもらっている。
「ごめん! お待たせっ!」
僕がスマートフォンをしまうのと同時に彼女が現れた。
息を切らしながら、小走りで寄ってくる。
なんて愛らしいことだろうか。
「
僕たちは手を繋いでテーマパークへと入っていく。
幻想的なイルミネーションに彩られた園内は、人の波で埋め尽くされていた。
お化け屋敷やジェットコースターはもとより、普段は家族連ればかりのメリーゴーランドやティーカップでさえもカップル達で大行列だ。
流石はクリスマスイブ。
それでも僕は、香織とふたりで過ごす時間さえあれば幸せだった。
「はい、撮るよ~♪」
香織も楽しんでくれているらしく、アトラクションに並ぶ時間に何枚も写真を撮っていた。カメラアプリで加工されたふたりの写真は、周りのカップルに負けず劣らずアツアツに見えた。
ヴーン、ヴーン。
コートのポケットで再びスマートフォンが震えた。
着信はもちろん、妻からだ。
彼女の前で出るわけにはいかない。
「ちょっと待ってて。ポップコーンを買ってくる」
「え? じゃあ私も一緒に」
「大丈夫、すぐだから。少し休んでいてよ」
少しヒールのある靴を履いている香織をベンチへと誘導し、僕はポップコーンの行列に並んだ。
そして着信に出る。
「どうしたんだ?」
「ねぇ、どうだった? 帰れそう?」
一瞬、妻がなにを言っているのか、理解できなかった。
今日は会社に泊まり込みだと伝えたハズなのに……と。
僕は危うく「なにを言っているの?」と言いそうになって思い出した。
そういえばさっき、妻をなだめるために「一応部長に早めに帰れないか聞いてみる」とウソを吐いたことを。
香織とのデートが楽しくて、妻と電話で話したことなんてキレイさっぱり忘れてしまっていた。
僕はなるべく残念そうに、ありもしない交渉結果を伝える。
「ごめんよ。やっぱりダメだったよ」
「そうなの……」
妻は静かにつぶやいた。
そして少し間をあけて僕に訊く。
「ねぇ、そこはどこ?」
僕の心臓がドクンッと跳ねた。
なぜだ……。なぜ、そんなことを訊くんだ。
「会社だよ。屋上だけどね」
僕は再びウソをつく。
「そう……。風の音がうるさいのは屋上だからなのね」
「あ、ああ。そういうことか。そうだね、屋上だから風は少し強いかもしれない」
「なんだか賑やかな音も聞こえるけど……」
「近くでイベントをやっているみたいだ。クリスマスイブだしね……、ああ、部長が早く戻って来いって。ごめんね、それじゃ」
ポップコーンの順番が回ってくる。
僕は急いで電話を切ると、笑顔を貼り付けたような店員からポップコーンを買った。
香織とふたりで過ごせる貴重な時間。
それをジャマする妻にイラ立つ気持ちを抑え、香織のもとへと走った。
「お待たせ」と駆け寄ると、暗闇の中でスマートフォンを覗き込んでいた香織の顔がこちらを向いた。
「ありがとう」とはにかむ香織の笑顔は、天使にだって負けていなかった。
さあ、つぎはパレードだ。
香織と腕を組んで歩きながら、空いている場所を探す。
ツワモノたちは何時間も前から最前列で場所取りをしている。
僕たちが狙うべきは、列の少し後ろ側。
できれば前にいる人の座高が低いほうが良い。
もしくは身体の小さな女性。
ともかく、こちらの視界をなるべく妨げられないポジションを探す。
「ここなんかどうかな?」
「うーん。あっ、あっちが空いてるよ」
香織が指差した場所は、ふたりで座るには少し狭いけど、最前列にほど近い最高のポジションだった。
まさか、あんな場所が空いているなんて。
きっと、神様も僕と香織の時間を祝福してくれているに違いない。
僕たちは地面へと腰をおろした。
狭いスペースにふたり、コート越しに身体が密着する。
ポケットに入れた指輪の箱を撫でると、年甲斐もなく胸がドキドキした。
ヴーン、ヴーン。
コートのポケットで、またしてもスマートフォンが震えた。
またか、と僕はげんなりする。
電話に出ようにも、周りは前後左右360度、パレードの見物客でびっしりだ。
抜け出すのも、もう一度中まで戻ってくるのも一苦労。
もう知るものか、と僕は無視を決め込んだ。
「電話、出なくていいの?」
それはとても冷たい声だった。
僕は思わず左にいる香織の顔を見る。
さっきまでの笑顔はどこへいったのか。
すっかり表情を失った香織の目が、僕を覗き込んでいる。
「電話、はやく出なさいよ」
今度は右から聞こえた。
それはとても聞き覚えのある声だった。
背筋にヒュンと寒気が走り、体温が急激に下がっていく。
恐る恐る右側を見ると、毎日、毎日、飽きるほど見ている妻の顔があった。
「「ねえ、隣の
ふたりの声が、ピッタリと重なった。
【Aパート 了】
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