真夜中の侵入者(Aパート)
どこかからギシィと軋む音が聞こえた。
すでにベッドに入っていたローウェル夫人が跳ね起きる。
(イヤだわ。あの人がいないときに限って……)
夫であるエドガーは出張で家にいない。いつものように「留守を頼んだぞ」と言って海外へ飛び立った。
子供たちはずいぶん前に家を出てしまっていて、いま屋敷にいるのは夫人だけ。
(ネズミかしら。それともネコかしら……)
どちらにしても、追い払わないことには安心して眠れない。
夫人は眠たい目をこすりながら、枕元の燭台に火を灯して明かりを確保する。
部屋の戸棚にしまってあった
夏の暑い夜に、虫の音が広がる。
夫人が廊下を歩くと、歩調に合わせて木の板が軋んだ。
それらの音に混じって、人の話し声のようなものが聞こえてくる。
とても小さい声で内容まではわからない。
こちらに気づかれないようにコソコソと会話をしているようだ。
(まさか……泥棒!?)
心臓がドクンと跳ねる。
背筋にはイヤな汗が流れ、鼓動がどんどん早くなっていく。
相手は少なくともふたり。
こちらは箒を持った年かさの淑女がひとり。
鉢合わせでもしたら、口封じとばかりに殺されてしまうかもしれない。
夫人は急いでリビングへと向かった。
リビングには電話がある。
すぐに警察に連絡をして、侵入者を捕まえてもらわなくては。
なるべく足音を立てないように、さりとて足早に廊下を進む。
「――てさ――たら――――なの?」
「そ――おま――」
侵入者との距離が近づいたらしく、話し声が近くなってきた。
リビングで電話をかけているところで鉢合わせにでもなったら大変だ。
夫人は燭台の灯りで周囲を照らし、なにか使えるものがないか探してみるも、彼女の几帳面な性格もあって、余計なものは置かれていない。
諦めがちに小さなため息をつき、夫人は燭台を少し上の方へと掲げた。
「ひっ!」
目が合った。
ぎょろりとした大きな目だ。
暗闇に壮年の男性の顔だけが浮いている。
頭はバラのように真っ赤で……。
ピクリとも動かない男性の顔をマジマジとみて夫人は気がついた。
これは絵だ。
少し前にエドガーが買ってきた海外出張のお土産。
フランドル絵画で有名な肖像画――の複製画だ。
廊下に飾っていたことを忘れていたわけではないが、暗闇の中から不意に目の前に現れれば驚きもする。
「――なに――にさ!?」
「だ――なに――よッ!」
さきほどの夫人の悲鳴が聞こえたのか、なにやら慌てているような声が聞こえた。
(そうよ。ここに人が居ることが伝われば、逃げていくんじゃないかしら)
夫人はコホンと小さく咳払いをして息を吸う。
しかし、そこでふと気がついた。
ここに居るのが『女』だとバレたら、それはそれで危ないのではないか、と。
それなりに大きな屋敷で、庭もまあまあ広い。
家に居るのが女ひとりとわかれば、泥棒の予定が強盗に変わる可能性だってある。
夫人はすんでのところで声を殺し、別の手段を講じることにした。
まずは物音を出すことだ。
夫人は箒の柄を使って、飾ってあった絵画を廊下に落とす。
ゴン、ガン、と鈍い音が響く。
同時に「わああああ!」と悲鳴のようなものが聞こえて、足音が玄関の方へと移動していった。
(今のうちに!)
夫人は急ぎ足でリビングへと向かい、ダイヤル式電話機の受話器を取った。
警察の番号を思い出しながらダイヤルを回すが、どうにもおかしい。
何度かけても一向に電話が繋がる気配がない。
(まさか……、電話線が切られて!?)
なんと用意周到なことだろう。
警察に連絡されないよう、事前に電話線を切っておくだなんて。
血の気が引いていく。
夫人は自分の体温がスッと下がっていくのを感じた。
ここまでのことをする侵入者が、物音に驚いたくらいで引き下がるだろうか。
イヤな予感がした。
夫人は燭台で玄関側の廊下を照らす。
人影が近づいてくる。やはり帰ってはいなかった。
一度は玄関側へ引き返したものの、態勢を整えて戻ってきたようだ。
今なら裏口から逃げ出すこともできる。
しかし、夫人はそうはしなかった。
エドガーが残した「留守を頼んだぞ」という言葉が、彼女をその場に押し留めていた。
(ここは私たち家族の大切な場所。私が守らないでどうするの!?)
夫人は覚悟を決めた。
リビングはダイニングとキッチンと繋がっている。ならばここは、夫人にとって城のようなものだ。
棚を見れば食器がある。お皿だって、ナイフやフォークだって、投げつければそれなりに効果はあるだろう。流し台に行けば包丁だってある。
夫人の心の奥底から、ムクムクと勇気が湧いてきた。
この場所は私が守るんだ、と誓いを立て、玄関の方へと向き直る。
もう夫人は先ほどまでの怯えた淑女ではない。
戦う覚悟を決めた戦士だった。
迫りくる侵入者をしっかりと見据え、夫人の戦いがいま始まる。
【Aパート 了】
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