ステーキとカッコウ(Aパート)


「ああ、もちろん。夜は君のために空けてある。仕事で少し遅くなるけど、待っていてくれる? うん、うん、それじゃあ、オヤスミ」


 健介けんすけが笑顔のままスマートフォンの通話を切ると、隣で悪友の浩一郎こういちろうがバーのカウンターに頬杖をついてニヤニヤしていた。


 その表情が癇に障った健介は「なんだよ」と浩一郎のヒジを小突く。


「いやいや。モテる男は大変というか、四十近くアラフォーにもなってお盛んというか。……ついさっき、夕方から夜までのデートをほかのと約束をしてたろ」

「既存と新規、合わせて4人と対戦予定だ」


 既存は身体の関係がある女性。

 新規は初めて実際に会う女性。


 初めて会うとはいっても、ネット上での交流は前々から交わしている。


「4人!? タフだなあ。若さの秘訣を教えて欲しいもんだ」


 ロックグラスでウィスキーを飲んでいた浩一郎が、わざとらしく両手を挙げた。まるで外国映画の俳優のようなリアクションだ。


「そりゃ、お前。色んな女性と恋を続けることだよ」


 程よい刺激、身体的な満足感、攻略したときの達成感。

 きっと若さとは、これらの積み重ねによって生まれるのではないだろうか。


 健介の言葉に、浩一郎が深いため息をついた。


「美人な奥さんと、可愛い子どもまでいるのに、どうしてそんなことになっちまうかねぇ。披露宴で渡したご祝儀を返して欲しい気分だよ」

「妻のことは愛しているさ。そして彼女も俺のことを必要としている。――だから、貰ったご祝儀は返さない」


 健介が結婚したのは今から3年ほど前。

 5歳下の妻で、結婚して間もなく男の子に恵まれた。


「だったら、なんで浮気なんかするかね。それも何股もかけて、まるでゲームの恋愛シミュレーションだ」


 キャバクラで知り合った妻の容姿は、控えめに言っても抜群だ。

 モデルをやっていたこともあるらしく、引き締まったプロポーションを今なお維持している。披露宴では多くの友人から羨ましがられ、健介は鼻が高かった。


 はた目から見れば、きっと順風満帆で幸せな人生に見えることだろう。

 しかし、健介にとっても同じとは限らない。


「あのな、浩一郎。おまえが好きなものはなんだ?」

「ん? どうした、急に。……食い物なら、やっぱりステーキだな。でも最近は歳で脂がしんどいから、噛み応えがしっかりしていて肉汁があふれる赤身肉の方がいい」

「へぇ、そんなもんか。俺はまだまだ霜降り食えるけどな」


 健介は、海外産の赤身肉を推しているステーキハウスよりも、神戸牛や常陸牛などのブランド牛を推している鉄板ステーキのお店にばかり通っている。


 若い女の子達は『ブランド』という響きに弱い、というのが最大の理由。もちろん個室の焼肉屋でも悪くないが、高級な鉄板ステーキは他の男とは違うエグゼクティブな特別感が演出できて良い。


「はいはい、そうですか。胃までお若いなんて羨ましいことで……って、なんの話だよコレ」

「ああ、そうだった。じゃあさ、毎日ステーキだぞって言われたらどう思うよ」

「無理無理無理。そりゃステーキは好きだけどさ、あんなに重たいものばっか食べてたらオッサンの胃袋が悲鳴を上げちゃうし、栄養の偏りも気になるお年頃よ?」

「だろ? そういうことだよ」


 全ては伝えたぞ、という面持ちで健介はコリンズグラスに入ったカクテル、その名もトム・コリンズをぐいっと飲み干した。


「あー。つまり、奥さんはお前にとっての大好物で、ほかの女はカレーだとか、お寿司だとか、天ぷらだとか、そういう『ほかの好物』ってことか?」

「50点。筑前煮とか、野菜炒めとか、フルーツジュースとか、ちゃんと身心の健康に気を遣っている」

「なるほど、なるほど。俺たちも歳だからな。……って、何をイイ話風にまとめちゃってんのさ。全然、意味わかんないからな!?」


 残念ながら隣の席の紳士こういちろうには伝わらなかったようだ。

 健介は腕時計をチラリと見て時間を確認する。

 旧友との楽しい時間だったが、そろそろタイムアップだ。


「なんだ、グラスが空じゃないか。マスター、彼におかわりを」


 ここは健介行きつけのバー。

 ちょっとした合図を送ると、マスターが気を利かせてくれる。


 新しいウィスキーが浩一郎の手元に届いたことを確認し、健介は話の切り口を変えて語り出す。


「なんにしてもさ。これは動物のオスとしての本能なわけよ。オスは多くのメスに種をつけて子孫をどんどん増やしたい。一方、メスは優秀な遺伝子を受け継いだ子を産み育てることが本能。だから、俺は妻と子どもに不自由のない生活を保障するし、子どものためなら大金を投資してやる覚悟がある。それが例え――」


 そこまで滔々とうとうと話していて、浩一郎の反応が無いことに気づいた。

 隣を見ると、まだウィスキーが残ったロックグラス手に持ったまま、寝を片落ちしている浩一郎のマヌケ面があった。


「やっと寝たか」


 別に睡眠薬を仕込んだわけでは無い。ちょっと強めの、アルコール度数99%のスピリタスを混ぜて貰っただけだ。


 スピリタスは純度が高いアルコールで味はほとんどしない。

 つまりウィスキーに混ぜても気づかれる可能性は低い。


 悪いことに使う輩もいるそうだが、健介がこの手を使うのは、ただただ場を早く終わらせたいときだけだ。マスターもそれをよく分かっているから協力してくれる。


 さっきからポケットで振動しているスマートフォン。

 相手はわかっている。この後に会いに行く予定の女性からだろう。


 健介のスケジュールは分刻みだ。

 マスターに多めにお金を渡し、浩一郎を店に放置して店を出る。


「さて、と。今日は……ポテトサラダ、かな」


 オスとして生まれたからには、オスの本能のままに生きる。

 それが健介のモットーだ。




          【Aパート 了】

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