追われるもの(Aパート)


 ※心霊ホラー注意


「あー、楽しかった。また歌いにいこうね!」

「うん! 私もサエの歌、大好き~♪」

「えー!? ヒナの方が上手じゃーん」


 まだまだ暑い秋のはじめ、忙しい仕事の合間に訪れた余暇。

 夕方から流行りのイタリアンで食事をして、美味しいワインをたくさん飲んだ。

 二次会はいつものようにカラオケボックスへ。


 気づけば間もなく終電の時間。

 旧友との楽しい時間はあっという間だ。


「じゃあ、私こっちだから」

「うん、またね」と別れの挨拶を交わして、日向ひなたは家路につく。


 アルコールがイイ感じに回っていて、身体の内側からポカポカしている。

 まだまだ夜は暑いし、こういう日はやっぱり冷たいアイスが良いだろうか、と日向は一日を締める一品に思いを巡らせる。


 紗枝さえと別れた場所から日向の住むアパートまでの距離は、徒歩で15分といったところだが、田舎道の夜は街灯も少なく女ひとりで歩くのは少し怖い。


 このあたりに限らず、暗い道では酔っている女性を狙った変質者という輩も少なくないと聞く。


「あぁあ。やっぱり自転車で行けば良かったかなぁ」


 それなら変質者に襲われるリスクも下がるだろうし、なにより家につくまでの時間が全然違う。ちょっとスピードを出せば5分くらいで着くだろう。


 そんなことを言ったら、きっと紗枝は「信じられない!」と怒るだろう。

 自転車も軽車両、飲酒運転はもちろん犯罪だ。


 なんでも軽く考えてしまう日向と違って、紗枝はすごく真面目なのだ。


 せめて酔っていると思われないようにしよう。

 日向は背筋をピンと伸ばし、足取りがふらつかないよう足元を見て歩く。


 コッ、コッ、コッ、コッ。

 静かな夜道に、日向のハイヒールの音だけが響く。


 しばらく歩いた日向は、不意に後ろを振り返った。

 後ろには誰もいない。

 ここには日向しかいない。

 そのはずなのに、どうも誰かに見られているような気がしてならない。


 足音のしない何者かが、日向の背後にぴったりとくっ付いてきているような。

 女性特有の勘、それともただの自意識過剰なのか。

 日向は背中にゾクゾクとした悪寒を感じつつ、足早に自宅へと向かった。


 大通り――とはいえ、夜はほとんど車も通らない細い二車線の道路――から住宅街のある小道へと入ると、あたりはさらに暗くなった。


 住宅街といってもキレイな一軒家が並ぶ都会のそれとは違い、人が住んでいるかどうかも怪しいボロボロの家屋や、外壁にツタがびっしりの幽霊アパートがいくつも立ち並んでいる。


 もう2,3分も早足で歩けば、鍵がかかる安全地帯アパートに着く。


「頼むよぉ。なにも出てくるなよぉ」


 いつでも緊急通報ができるよう、スマートフォンに『110』と打ちこんで両手でギュッと握りしめる。


 変質者が出たら即通報。ためらいなど無用だ。

 オバケだとか、幽霊だとかが出てきてしまったらお手上げだけど。

 酔っているとはいえ、我ながらくだらないことを考えるものだと日向は小さく笑う。


 もうアパートは目の前、というところで再び背中に視線を感じた。

 だるまさんが転んだ、で鬼が振り向くように、日向は素早く後ろを振り返る。


 やはり誰もいない。そう思った瞬間、日向は電信柱の陰に青白いナニカが立っていることに気がついた。


「誰!?」


 大きな声で呼びかけるものの、青白いナニカはピクリとも反応しなかった。

 そもそも、こんな暗い道で青白く発光している存在がマトモであろうはずがない。


 本当にオバケだとか幽霊だとか、そういう類のものかもしれない。

 日向は踵を返して、アパートに向かって走った。


 青白いナニカの正体を気にするよりも、まずは安全地帯アパートに逃げ込むことが先決だ。


 学生時代以来、数年ぶりに全速力で走った日向は、どうにか自分の部屋の玄関までたどり着くとハンドバッグから鍵を探す。


「ないっ、ないっ、これでもないっ! あああぁぁ、もうッ!!」


 こういうときに限って鍵が見つからない。

 普段から適当にハンドバッグに突っ込んでいる代償ツケがこんなところで回ってきた。


 アパートの廊下にある蛍光灯も、夜道の街灯に負けず劣らず薄暗い。

 これだから田舎は、と心の中で悪態をつきながら手探りで鍵を探す。


 どうしても後ろが気になって、アパートの敷地を囲うブロック塀へと目をやると、青白いナニカがブロック塀の陰に立っているのが見えた。


 体中からイヤな汗が吹き出してくるのを感じる。

 そのとき、ハンドバッグの中を探索していた右手にカチャリと固い金属の感触が伝わってきた。


「あった!」


 思わず大きな声が出る。ずっと探してきた宝ものを発見した気分だ。

 日向は大慌てで鍵穴に宝ものを差し込むと、勢いよく部屋の中へと飛び込み、すぐに鍵を閉めた。


 ようやく安心できる、と日向が胸をなでおろす。

 しかし、日向は安全地帯であるはずの部屋の中を見て、再びイヤな想像をしてしまった。


 ひとり暮らしのワンルーム、家主がいない間は当然ながら電気なんかついていない。


「電気をつけたら……、とか本当にやめてよね。心臓止まっちゃうから」


 誰もいない部屋で、見えない誰かに話し掛けるように独り言をつぶやき、勝手知ったる真っ暗な我が家の電気をつける。


 シンと静まり返った部屋。

 念のため、トイレやお風呂の電気もつけて中を確認して回る。


 念には念を入れて、ベッドの下も、机の下も覗き込む。

 押し入れも開けて中を確認。誰もいない。


 今度こそ安心だ、と脱力し日向は膝からくずれ落ちた。

 緊張の糸が緩んだせいか、不意に笑いが込み上げてくる。


 なにを自分はこんなにビクビクしていたのだろうか。


 オバケ?

 幽霊?


 そんなものが現実に存在するはずがないではないか。

 青白いナニカだって、きっと街灯の光がなにかに反射していたのを見間違えたのだろう。


「さぁて。アイスはどこに入れたかな」


 日向は気を取り直して、一日の締めに取り掛かった。

 本当の恐怖がこのあとに待ち受けているとは知らずに。




          【Aパート 了】

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