ソルティドッグ(Aパート)


 扉を開けると、カラリとベルが鳴った。

 店内は外と変わらないほど薄暗く、間接照明がテーブルを照らしている。


 ケイゴは、本格的なバーに来るのは初めてだった。店内を見渡すが、暗くて人が影にしか見えない。


「ケイゴくん。こっちよ」


 聞き慣れた声がカウンターの方から聞こえた。

 待ち合わせの相手であるカオリさんが、小さく手を振っている。


 マッチングアプリで知り合った彼女は、大学三年生のケイゴより4つ年上の社会人。

 地元が近いうえにどちらも片親と、共通点が多かった二人はすぐに意気投合して交際を始めた。幼い頃に事故で母を亡くした影響か、ケイゴが付き合う相手はいつも歳上だった。


「あっ。カオリさん。待たせちゃって、ごめん」

「いいのよ。急に呼び出したのは私だし」


 カオリさんが逆三角形のカクテルグラスを口につける。

 よく行く居酒屋には置いていないオシャレなグラス。きっと入っているお酒も特別なのだろう。


「ケイゴくんは?」


 カオリは、スーツ姿の男性客から受け取ったメニューを、リレーのようにケイゴへと渡す。メニューには初めて聞く名前のお酒が並んでいた。

 サイドカー、アレクサンダー、ハーバードクーラー、なんだか響きが格好イイ。

 だけど、残念なことに全く味の予想がつかない。


 こういうときは背伸びをせず、知っているお酒を選んだ方が良いと聞いている。

 ケイゴは着席しながら、慣れた風を装って注文した。


「じゃあ……、ソルティドッグで」


 カウンターの奥にいるマスターが、静かにうなずいた。

 ソルティドッグなら、居酒屋でもたまに置いてある。たしかウォッカとグレープフルーツジュースを混ぜたお酒だったはずだ。


 それだけで1000円も取るのだから、バーとは恐ろしいところだ。


「お待たせしました」


 マスターがカウンターに置いたロックグラスを見て、ケイゴの目は大きく開いた。

 グラスの縁にザラザラとしたものが付いていたからだ。


 恐る恐るグラスに指を近づけ、指の腹で縁をそっと撫でる。

 指に着いた結晶のようなものを舐めると、よく知った味がした。


「あ。塩か」と間抜けた声を出すケイゴに、カオリはくすりと笑う。

 同時に、彼女の隣にいる男性客も「ふっ」と笑いをこぼした。


「『ソルティ』ドッグだからね。飲むのは初めて?」

「居酒屋では飲んだことあるんだけど……」

「ああ。それはきっとブルドッグね。たまにブルドックのことをソルティドッグって書いてる店もあるし」


 カオリが言っている意味はよくわからなかったが、ケイゴは見栄を張って「へぇ。そうなんだ」と納得したような返事をした。


 ケイゴは、塩がついたグラスに口をつけ、本物のソルティドッグを飲んでみる。

 グレープフルーツの苦みと酸味に、塩のしょっぱさがマッチしていてとても美味しかった。


 なるほど。これが一杯1000円の味か。

 居酒屋で飲んだソルティドッグ、もといブルドッグとは全然別物だ。



 それはさておき。

 お店に入ってからずっと気になっていたことがある。


 カオリの後ろで黙々とお酒を飲んでいる、スーツ姿の男。さっきからケイゴの視界にチョイチョイ入ってくる


 じっと見ていると目が合った。

 そう。おまえだ。おまえは誰だ?

 

「ところで……、お隣の方は?」と、カオリにそれとなく尋ねてみた。


 たまたま隣に居合わせたとは考えづらい。

 なぜなら、店内にはまだまだ空いている席がいくつもあるし、なによりカオリとの距離が近いのだ。


「そのことで今日は来てもらったの」


 そう言って、カオリは一瞬、目を伏せた。


 ケイゴの背筋にゾクッと寒気が走る。

 どう考えてもイイ話ではないと感じたからだ。


「私たち、終わりにしましょう」


 ほら。やっぱりそうだ。

 カオリからの突然の別れ話に、目の前がグラグラと揺れる。

 これは決してアルコールのせいではない。


「その男性ひとのことを……、好きになったってこと?」


 なんとか言葉を絞り出し、先ほどから会話に入ってこない男性を睨みつける。


「そうだけど、ちょっと違うわ。もともと君はだったの。彼がフリーになるまでの、ね。つまり、はじめから


 ガンと頭を殴られたようだった。

 ショックが大きすぎて、ケイゴの視界はチカチカと点滅している。


 キープ? 本命? ケイゴには彼女が何を言っているのかわからなかった。 


「どうも、本命です」


 スーツ姿の男性が、ニッと笑って会釈をしてきた。

 癇に障る仕草だが、どうやら悪意はないようだ。

 本人としては、ちょっとおちゃらけただけのつもりなのだろう。


 ずっとニコニコしていて、ケイゴのことをライバルとも思っていないようだった。

 ライバルどころか……これは相手が子どもだと思って安心している顔だ。


 怒りと、恥ずかしさと、悔しさとで、ケイゴの顔がカァっと熱くなった。

 目頭が熱を帯びて、ボロボロとこぼれた涙が次から次へとロックグラスに身を投げる。


「泣かないでよ、子どもじゃないんだから。……私ね、彼と一緒にロスへ行くの」

「……ロス?」

「彼についていくのよ」

「それじゃあ……」

「結婚するわ」


 ケイゴはハッと顔を上げ、涙で滲んだ目でカオリと隣の男の顔を見る。

 カオリは自分の4つ上だから25歳。

 男の方は30歳くらいだろうか。


 仕事でロサンゼルスまで行くくらいだ。

 きっと有名な会社に勤めていて、収入だってスゴいに違いない。


 結婚相手に選ぶなら、将来もわからない貧乏学生よりもエリート会社員の方がいいに決まっている。

 勝ち目なんかどこにもない。


 なによりケイゴ自身にとって『結婚』というものに現実感がなかった。彼にとっては人生のもっと先にあるはずのものだった。


 ケイゴはカオリとの間に、歳の差以上に離れている価値観があるのだと思い知らされた気がした。

 

 そんなケイゴを見て、カオリが小さく息を吐いた。


「……楽しかったわ。これまでありがとう」

「ここは俺が払っておくよ。そんな泣きはらした顔じゃあ、外を歩けないだろう」


 最後までイヤな大人の男だ。

 まるでドラマに出てくるようなセリフを臆面もなく口にする。


 二人が並んでバーを出て行く背中を、ケイゴは背中で見送った。

 どうしても、そちらを見ることが出来なかった。


 ケイゴはただボロボロと涙を流しながら、グラスに残ったソルティドッグを飲み干す。

 グラスの縁に塩がついた大人のソルティドッグは、さっき飲んだ時よりしょっぱく感じた。




          【Aパート 了】

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