サラリーマン、家を買い替える

@djdoala

第1章 サラリーマン、上京して家を借りる

 間取り図には人生のすべてが凝縮されている。

 毎日のように自宅の郵便ポストに投函される不動産広告を見るのが、北川博志のささやかな楽しみだった。小学生のころから広告の裏側の白紙部分に落書きをしていたが、ある時ふと表側に描かれている四角い変な図が気になりだした。裏側から見るとその図がうっすら透けて見えるので、いつしかそれをなぞるようになった。博志の両親がその様子を見て図の描かれた不動産チラシを博志のために残しておき、小学校から帰った博志は黙々とその図を裏側からなぞっていた。

 中学生になると、図の意味が少しずつわかりだした。母親が「なんで博志はそんなに間取り図が好きなん?」と繰り返し質問してきたので、その図は「間取り図」と言うのだとわかっていたが、何を表す図なのかはよく理解していなかった。ただ、チラシには必ず間取り図とともにマンションや家の写真が出ていたので、部屋の構造を表していることは予測がついた。自分の家の間取り図を描くといったいどうなるのだろうかと博志は関心を持って、チラシの裏に自宅の位置関係を思い浮かべながら描き始めたが、どうしてもうまく描けなかった。自宅は木造2階建てで、2階へは玄関を入ってすぐの階段を上って行くのだが、立体空間を平面図に落とし込む技術を中学生の博志は持ち合わせていなかった。父親に尋ねてみると、父親は1階の間取り図の横に2階の間取り図を描いた。

「なるほど! そうやって1階ずつ描くのか!」

 博志は思わず膝を打った。1階の間取り図に書かれている階段を上ると、横に描かれた2階の間取り図に移動するというのが、なんとなくファミコンのRPGソフトをプレイしているような気分になり、博志はワクワクした。

 それ以来、チラシだけでは飽き足らず、街の不動産店に掲示されている広告を見ることも楽しみの1つになった。学生服を着て不動産店の前でニコニコしながら間取り図を指でなぞり、時折「おー!」と歓声を上げる博志に、周囲の人はこの中坊は貧乏なのか大金持ちなのか、はたまた「その筋」の息子か、素性を図りかねたような視線を送っていた。しかし博志はそうした周囲の冷ややかな反応など意に介さず、ほとんど毎日不動産店の間取り図を眺めていた。雨の日でも、博志は傘を差して間取り図を眺めていた。不動産店の従業員はこの「常連客」の顔を覚えてしまったが、学生服を着ている少年が優良な顧客である可能性は限りなくゼロに近く、少年に声をかけることはしなかった。

 またある時は、博志の母親が不動産店の前で興奮している息子を見つけ、「もう! みんなに笑われるから、はよ帰るよ!」と怒りながら連れて帰った。博志はなぜ自分が怒られているのか、まったく理解できていなかった。

 高校生になると、間取り図以外にも周辺に書かれている価格やキャッチコピーが気になりだした。「駅近! 徒歩3分! 4000万円ポッキリ!」「築浅! オートロック! ペット可!」「第1期完売御礼! モデルルーム公開中!」など、言葉の意味がわからないものもあったが、高校生の博志でも「この家に住んでみたい」と思えるようなフレーズを見かけることもあり、言葉で人間を動かすことができるのだと、言葉の力に関心を持ちだした。

 中学時代に軟式テニス部に所属していた博志だったが、進学した高校では硬式テニス部しかなく、軟式と硬式で使用するラケットの種類が違うと知り、新しく買い替えてほしいとは親に言い出せず、結局どのクラブにも所属しない道を選んだ。毎日の授業が終わるとたまに書店やゲームセンターへ寄り道することもあったが、たいていはまっすぐ自宅に帰った。自宅では、勉強するとき以外はほぼテレビか間取り図を見ていた。両親が共働きということもあり、自宅に帰っても3歳下の妹がたまにいるぐらいで、たいていは一人で自由気ままだった。博志は幼少のころから、ぐずっていてもテレビを見せるとおとなしくなっていたらしく、両親は博志の対応に困るとテレビの前に座らせていたそうだ。博志が小学生になると、それまで物置きになっていた部屋を博志の部屋とし、一人で寝させるようにしたが、博志が寂しくなって泣き出さないようにとテレビを設置した。ご近所さんや親戚連中は、子供部屋にテレビだなんてと異議を唱えていたが、共働きで二人とも帰宅が遅くなることもまれではなかったので、育児の代わりをテレビが担ってくれているのだと北川家の教育論を展開し、博志に自分の部屋でテレビを見ることを許可していた。

 小学生のころは、他の子供たちと同様にアニメや戦隊モノを中心に見ていたが、中学生になるとバラエティ番組やドラマも見るようになった。中学生までは番組の内容がおもしろくなかったらテレビをつけたまま間取り図を眺めていたが、高校生になるとつまらない番組をテレビが映していること自体が苦痛に感じられるようになり、テレビを消して間取り図を見るか本を読むようになった。本は8割がマンガで残りの2割は小説かちょっとスケベな雑誌だった。

 博志にとっての「おもしろい番組」とは、いかに出演者のおしゃべりが巧みであるかどうかだった。自宅は大阪府豊中市にあり、お笑いの風土がベースになっている土地柄からか、あらゆる物事の基準が「おもしろいかどうか」だった。特に言葉を巧みに操り、観客を笑わせる漫才師には尊敬の念すら覚えた。しかし一方で、その漫才師が話題のレストランのメニューを紹介していた番組では、漫才師の言葉がまったく心に響かず、食べてみたいと思えたことがなかった。同じ人間でも言葉の内容によって、相手の心を打ったり、まったく響かなかったりするのだと、テレビからも間取り図同様に気づきを得ていた。

 高校生で言葉の力に関心を持った博志は、言語学が学べて自宅からも通えて、自分の偏差値にも見合っている関西の私立大学に進学した。

 大学では他の学生に比べて比較的まじめに講義に出席していたほうだったが、基礎ゼミで隣に座っていた男子学生と仲良くなり、一緒にテニスサークルに入った。大学にはテニスサークルが何十とあったが、そのテニスサークルを選んだ理由は勧誘してきた女子学生がかわいかったからだった。博志は、中学時代に軟式テニスの経験があると話すと、その女子学生は「テニスの経験者は大歓迎!」と博志に入会を強く勧めてきた。一緒にいた友人はテニス未経験者だったが、「もちろん未経験者も大歓迎! ウチは半分以上が未経験」と笑顔で話す女子学生に魅了されて、博志とともに入会した。

 博志は、勧誘された女子学生に会いたくて当初は足繁くサークルに通ったが、テニスの練習に彼女はなかなか姿を現さず、ある時の練習中に近くにいた先輩の男子学生に、自分を勧誘した女子学生のこと(勧誘時にもそれ以降も名前を知ることができず外見の特徴で説明をしたため、なかなか通じなかった)を尋ねると、なんと別の女子大学に通う学生だとわかった。博志が所属するテニスサークルは定期的に他校と交流を図っているらしく、新入生の勧誘には互いに協力しあうのだという。ただ、そこは大学のサークルというゆるい組織ゆえか、他校との交流と言っても年に1、2回ある打ち上げコンパぐらいのもので、練習ではほとんど一緒になることはないのだそうだ。

 その事実を知ってしまったことや新入生歓迎コンパで当時の会長に「軟式テニスの経験者」と自己紹介すると、「軟テなんて軟弱な……」とダジャレ交じりにバカにされたことがずっと心の傷として残っており、サークル自体にあまり良い印象を持てず、練習への足が遠のいていった。おまけに、打ち上げコンパに参加できるのはなぜか3、4年生だけと限定されており、博志が3年になって打ち上げコンパにだけは行くようになっても、自分を勧誘してくれた女子学生と再び相まみえることはなく、彼女はおそらく2年以上先輩ですでに卒業したと思われたことから、サークルに参加する意味がなくなったと判断した。それでも何か出会いのきっかけがあるかもしれないとサークルには籍を置いていた。

 一緒にサークルに入会した男子学生はテニス未経験者ということもあって、1学年上のさほどかわいくもない(と博志は思っていた)女子学生に手取り足取り指導してもらい、学年が上がるころにはテニスの技術だけでなくその女子学生もゲットしていた。男子学生とは基礎ゼミではそれなりに会話をしたが、それ以外はその女子学生にうつつを抜かすようになった(と博志には思えた)ので、1年間の基礎ゼミが終わると男子学生と会うこともほとんどなくなった。

 博志は当時の大学生にしては珍しく、真面目に講義を受けて放課後はまっすぐ家に帰っていた。大学生になっても博志はアルバイトをせずに自室にこもり、テレビをつけながら不動産のチラシを眺めていた。3歳下の妹が高校生になると同時に学校では禁止されているはずのアルバイトを始めた。両親は校則に従ってアルバイトを辞めさせるのかと思いきや、「自分でお金を稼ぎ家にわずかでも納めている妹を見習え」と、博志を早くも親の脛かじり扱いにしだしたので、1年生の後半から居酒屋でのアルバイトに精を出すようになった。

 最初は酔っ払いの相手をすることが嫌だったし、立ち仕事の経験もなく、毎日疲労困憊ですぐに辞めようと思ったが、初めて給料をもらった時にわずか5万円程度の稼ぎだったとはいえ、自分が汗水流して得た努力の結晶だと、お金を稼ぐことの達成感を味わった。そのうち、アルバイトに夢中になり、大学の講義は講師が出欠をとるものだけ受けに行き、レポートを提出すれば単位がもらえる講義には一度も出なくなった。

 両親からは、妹が月に1万円を家に入れているから、兄である博志は2万円を納めるように言われた。博志は平均して毎月7万円程度のアルバイト代を稼いでいたので、残りの5万円は自由に使うことができた。居酒屋のバイト仲間とは分け隔てなく親しくなり、稼いだお金で合コンを開いたり、女の子とデートをしたり、旅行をしたりした。大学4年間で2人の女性とも付き合った。いずれもアルバイト先の子だった。初めて付き合った女性は相手のほうから告白してきたが、2人目の女性は博志から勇気を出して告白し、成功した。いずれも恋人関係は1年と続かなかったけれども、博志の大学生活の良き思い出となっている。

 2人目に付き合った女性は、事あるごとに「東京で就職したい」と話していた。「東京で何やるん?」と尋ねたら、東京で働けたらなんでもいいとのことだった。博志も東京で大学生活が送れたら楽しいだろうなとは思っていたが、それが東京に行きたいという動機にはならなかった。その彼女は、博志と別れてから東京の企業に就職が決まったと人づてに聞いた。

 博志もいよいよ就職活動を行う時期になり、人生で初めて自分はどういう仕事に就きたいのだろうと真剣に考えた。アルバイト先の同じ年齢の仲間たちとも「自分の夢」について熱く語り合った。いや、正確には仲間が熱く語り合っているのを聞いていた。博志には明確な夢がなかったからだ。小さいころは電車の運転手とかプロ野球選手になりたいと話していたけれど、大学生の現在まで本気で電車の運転手になろうと思ったこともなければ、野球経験もなかった。スポーツは「軟式テニス」だけで、テニスサークルの会長ごときにさえ「軟テなんて軟弱な……」とバカにされるぐらいだから、軟式テニスの経験はそれほど自己アピールにはならないだろうし、軟式テニスで生計を立てようと考えたこともなかった。

 あるアルバイト仲間が「自分の趣味を仕事にできたら良いよね」と話しており、博志も大いに納得していたが、自分の趣味はいったい何だろうかとふと我に返った。間取り図やテレビ番組を見ることは果たして趣味と言えるのだろうか。履歴書の趣味の欄に「間取り図・テレビ観賞」と書いても、マイナスポイントにこそなってもプラスになることはあり得ないように思えた。それに、間取り図を眺めることが趣味だと話す人に今まで巡り合ったことがなく、それを他人に知られるのは恥ずかしいことのように感じられた。この就職活動を機に、博志の趣味は無難な「読書」に変わった。

 折しも、博志が就職活動をするころは「超氷河期」と言われていた時代だった。厳密には博志が大学に入学した年が「超氷河期」にあたる。世間は「ミレニアム」と浮かれていたのに、これから世間に出ていこうとする若者には厳しすぎる現実が突きつけられていた。

 博志が就職活動するころには幾分「雪解け」とも言われていたが、その余波はまだまだ残っていた。博志が大学1年生のときの4年生が、就職超氷河期に直面してなかなか就職できなかったり、中小企業に入るぐらいなら1年留年して再度就職活動をすると言い出したりしていた。そう言えば、基礎ゼミで隣の席だった男子学生がゼミの休憩時間に、「軟テなんて軟弱な……」と博志に言い放ったテニスサークルの元会長が、就職先が決まらず大学院に進学することになったと話していたのを思い出した。テニスサークルの元会長はサークルでは絶大な権力を持ついわば「神様」のような存在だったから、就職先が決まらなかったことは意外だったが、一方で憐れにも思われた。「大学のサークルでは神様でも、社会に出ればただの人」と痛感させられた出来事だった。大学院に進学した「神様」が今はどうしているのか知りたくなったけれど、基礎ゼミで隣の席だった男子学生の連絡先はいつの間にか変わっていて消息がつかめなかったし、「神様」も大学院を卒業しているだろうから顛末はとうとうわからずじまいだった。博志も喉元過ぎれば熱さ忘れるで、「神様」の今が気になったのはほんの1日だけで、その後は記憶も徐々に薄れていった。

 自分は「井の中の神様」にはなるまいと心に誓っていた博志だが、就職活動を始めるころになっても特に希望する業界がなかった。少し焦りを感じ始めた博志だったが、アルバイト仲間と集まって就職活動の悩みを打ち明け合ったときに、仲間の多くがやりたい仕事を見つけられていないことを知り、気持ちが楽になった。そこで誰かが「自己分析をやろう!」と言い出し、これまでの人生で自分が好きだったこと、時間の流れを忘れるぐらい没頭したことなどを洗い出した。

 博志の好きなことははやはり間取り図やテレビ番組を見ることだった。そうすると、建設業や不動産業などの住宅系か、テレビ制作などのマスコミ系の仕事が関連してくるが、間取り図を見ることが好きだからと言って、家を作ったり売ったりすることには興味がないと気づいた。テレビ番組の制作も、「自分であればこういう番組を作りたい」というものはあるが、「テレビは作るものではなく見るもの」という思いが前提としてあるため、希望の業界ではないように思えた。「好きこそものの上手なれ」という諺があるが、好きなことを仕事にするのとは意味が違うような気がした。

そこで博志は自己分析の視点を変えて、「自分の好きなこと」ではなくて「自分の性格に合っていること」を考えてみた。博志はあまり社交的な性格とは言えず、仲間内で飲みに行くこともあるが、どちらかと言うと一人でいることが好きなほうである。今まで最もチャレンジしたと思えるのは、好きな女性に告白をしたことだった。そんなことを面接で話したら、面接官から「今回はご縁がなかったということで」と即答されてしまうだろう。もうちょっと社会人になるということを真剣に考えなければならないと反省する一方で、いつまでも学生でいられたらどれぐらい楽だろうかと憂鬱にもなった。

 博志がアルバイトで働いている居酒屋では、ときどき企業の接待らしきことが行われていた。また、上司と部下の関係にありそうな中年男性と青年の2人組がカウンターで飲んでいることもあった。そのようなシチュエーションでは、中年男性は真っ赤な顔で笑い転げ、青年のほうは反対に真っ青な顔で、まったく楽しくなさそうというのがほとんどだった。20人が座れる個室では送別会か歓迎会などで団体客がやって来て、なぜか必ず1人が酔いつぶれ、店員の博志が介抱することもあった。

居酒屋で目の当たりにしたこれらの光景は、博志に社会人の飲み会に対してネガティブな印象を持たせるには十分すぎるほどだったが、一度だけ誰一人泥酔せず、騒ぐこともなく整然と解散になり、幹事役らしき男性が「今日はありがとう、また来ます」と声をかけてきた団体があった。予約表を見ると「ムサシファーマシー様」と書かれてあり、どうやら関西に本社がある企業のようだった。

 こんなにマナーの良い社員がいる会社もあるのだと感心したことを博志は覚えていた。試しに就職情報サイトで「ムサシファーマシー」と検索すると、ちょうど1週間後に説明会と簡単な面接が本社で行われるようだった。「学歴不問、冷やかし歓迎!」と書かれてあり、風通しの良さそうな企業だと好感が持てた。

他にも自分の性格に合いそうな企業を探しつつも、ムサシファーマシーについての情報収集を行った。ムサシファーマシーは大阪市北区に本社を構える、従業員520名の医薬品卸を主な業務とする企業だった。支社は全国に7ヵ所あり、総合職で就職した場合は転勤の可能性もある。最初の配属地は現在の住まいを考慮するとのこと。博志は、「医薬品卸とはどんなことをするのか?」と業務内容が理解できなかったが、先輩メッセージの欄に「医薬品の知識がなくても大丈夫! 大切なのは元気とやる気です!」と書かれてあり、自分でもやれそうだと思った。

 説明会当日、ムサシファーマシーの本社が入っているビルを訪れると、100名ほどのリクルートスーツを着た学生が来ていた。「冷やかし歓迎!」と書かれていたから、どれぐらい本当に冷やかしで来ているのかはわからないが、参加者としてはこんなものだろうという感じだった。博志もどうしても行きたい企業・業界ではないから、冷やかしのようなものだった。

 1時間程度の説明会の後、希望者のみ面接を行うことになった。説明会だけで帰ったのは数人で、本当の冷やかしはほとんどいなかったようだ。

 説明会後の面接は話を聞くだけという企業が多いが、ムサシファーマシーはガチガチの採用面接だった。案内人の女性社員は屈託のない笑顔を振りまいていたが、会議室に通されると3人の面接官が真剣な表情で座っていたので、急に緊張感が高まった。

 面接では志望動機や大学生活で打ち込んできたことなど、どこの企業でも聞かれそうな質問が大半だった。博志は居酒屋でのエピソードが御社に興味を持ったきっかけであり、医薬品卸の知識はまったくないことを正直に話した。居酒屋でのエピソードは自分ならではの話題であるから、面接官の印象にも残るだろうと思った。案の定、翌日には採用担当者から電話がかかってきて、次の最終面接に来てほしいと言われた。

 最終面接は同じムサシファーマシーの本社で行われたが、通された会議室が異なった。前回よりも狭く、会議室には女性が一人で座っていた。50歳ぐらいとおぼしき容貌で、おかっぱの髪型が特徴的だった。眼光は鋭く、博志を刺すような視線で見つめていた。

「人事部長の西崎、言います。どうぞ座って」

 おかっぱ面接官は、鋭い視線を送ったままどぎつい関西弁のイントネーションで自己紹介をした。ムサシファーマシーは女性が人事部長を務めているのか、と博志には意外だった。前回の3人の面接官はどの部署の人たちなのかはわからないが、全員男性だったので、てっきり人事部長も男性だと思い込んでいた。しかし、西崎は女性とはいえ視線の鋭さは「獲物を狙う肉食獣のオス」だった。

 萎縮しそうになった博志だったが、西崎から「前回の面接でうちの社員のマナーが良かったと話したらしいけれど、もう一度聞かせてくれへんかなあ?」と言われ、緊張しながらも一次面接とほぼ一言一句変わらずに説明をしたら、西崎の表情がほころんだので気持ちが楽になった。

「そうなんよ! ウチの会社はお医者さんの先生と関わることが多くて、失礼なことは絶対にでけへんから、マナー指導には特に力を入れてるんよ。学生のあなたでもわかるぐらい指導が浸透しているってことやね。うれしいわぁ!」

 西崎のおかっぱはサラサラヘアーのようで、喜んで肩が揺れるのに合わせて髪も上下に跳ねていた。博志の視線に気づいたのか、西崎はすぐに当初見せた眼光鋭い表情に戻ったが、「アルバイトは週何日なのか」や「大学でどんなことを勉強しているのか」などと、雑談のような話題を振ってくるばかりで、医薬品卸の業界の志望理由は一切聞いてこなかった。こういう面接はつかみどころがなく手ごたえも得にくいが、博志はなぜか内定がもらえるだろうという確信めいたものを感じた。

 最終面接から3日後、内定の電話があった。ほかにも何社か選考中の企業もあったが、途端に就職活動が面倒に思えてきて、もし選考途中の企業で「ご縁がなかった」と言われて無駄に傷つきたくもなかったので、ムサシファーマシーに入社しようと決めて就職活動は打ち止めにした。

 梅雨入りのころにもらった内定から数ヵ月後の10月に内定式があり、翌年4月の入社までに何度か内定者の集まりがあった。10名程度の内定者と先輩社員やおかっぱ頭の西崎とも話す機会があった。

「薬の知識なんて入社してから覚えればいいから、学生のうちに思い切りやりたいことをやるんやで」

 どの社員も異口同音にアドバイスをくれた。だからというわけではないが、博志は学生の間にあらゆるテレビ番組の観覧に応募した。テレビ番組の収録は平日や深夜に行われることが多く、社会人になったらまず観覧できない。アルバイト仲間からは卒業旅行で海外に行こうと誘われたが、海外には仕事でも行けるかもしれないが、番組観覧はまずできないから、今しかやれないことをやると断り、東京のテレビ局でのバラエティ番組観覧が博志にとってのたった一人の卒業旅行になった。

 卒業論文も提出し、あとは卒業式を待つだけという状況になったころ、ムサシファーマシーから呼び出しを受けた。大阪・西梅田にある本社に行くと、最終面接が行われた会議室に案内された。しばらくしてやってきたのは人事部長の西崎だった。おかっぱ頭は健在だった。

「今日来てもらったのはね、配属先をお伝えしようと思って。北川くんには東京支社で働いてもらいたいの」

 博志は一瞬、西崎が何の話をしているのか理解できなかった。最初の配属先は現在の住まいを考慮してくれるのではなかったか。東京勤務は博志にとっては青天の霹靂であった。しかし、内定式のときに懇談した先輩社員が、家の事情があれば辞令を断ることもできると話していたことを思い出した。

「断ることもできるのでしょうか?」

 博志のこの質問は学生だからできる大胆なものだろう。

「人事部長の私が言うとパワーハラスメントとかで批判されるんやけど、新卒で断ったら絶対に出世させへんよ」

 西崎の鋭い眼光は最終面接と同じだった。あの時はまだ面接官対学生という関係だったが、今回は社員対ほぼ社員のやり取りで、以前よりは緊密である。面接時には受け流せたその視線は、今やヘビに睨まれたカエルのように博志を金縛りにさせてしまった。

「も、もちろん断りません。ただ、内定者懇談会で先輩社員から断れるとも聞いたので……」

「それは5年ぐらい勤めてからの話やね」

「もう一つ、質問してもいいでしょうか?」

「どうぞ。答えられる範囲なら答えます」

「なぜ東京配属が僕なのでしょう?」

「……それ聞くの? 聞いたらがっかりすると思うけど、言うよ。……くじ引きやねん」

「え?」

 虚を衝かれるとはこのことか。多少身構えてはいたが、あまりにも予想外の答えに博志は二度見ならぬ二度聞きしたくなった。嘘でもいいから「話し合った結果」などと言ってほしかった。自分が4月からこの会社で働くことに急に不安を覚えてきた。

「それで早速なんやけど、住む家を探してきてほしいのね。借り上げ社宅という形になるので、ええなと思う物件があったら教えてちょうだい。あと、1泊2日の旅費は会社で負担します。他に質問はある?」

 博志の同意もなく話がどんどん進んでいくので、博志はなかなかついていけなかったが、とりあえず思いついた質問を投げかけた。

「借り上げ社宅ということは、家賃は会社負担ということですか?」

「ごめんなさい。ウチは大企業ではないので、そこまでの余裕はないのよ。家賃は会社が半分負担します。ちなみに当たり前やけど、関東出身の社員が関東勤務のときには家賃補助がないから、あまりみんなには折半していることを言わんといてね」

「そうですか……。わかりました」

 博志はなんとなく大人の事情を見た気がして、これ以上質問することは良くないように思えた。


 その週の日曜日に博志は一人で東京に向かった。就職活動で回ったのもすべて関西圏にある企業だったので、新幹線に乗るのは数年ぶりだった。チケットの買い方もはっきり覚えていなかった。家を探すだけだったがこれも仕事の一環だと思って、博志はスーツを着ていった。スーツ姿の男が切符売り場であたふたする姿は、個性を消す服装のはずなのに妙に目立ったことだろう。

 生まれてからずっと関西で過ごしてきた博志にとって、東京はまったく初めての場所だった。大学1年のときに男5人で東京ディズニーランドに行ったが、そこは千葉県だという事実を知ったのは、おとぎの国の中でジェットコースターの順番待ちをしているときだった。

 テレビの影響で新宿や渋谷といった大都市の名前は知っていたが、両都市の位置関係もわからない博志が東京支社に配属になってしまったのである。

 東京駅に降り立ち、博志は西崎が紹介してくれた借り上げ社宅を斡旋している不動産店を目指した。最寄りは「営団成増」という駅だった。団地がいっぱい建ち並んでいる地域なのだろうか。そもそも「成増」の読み方がわからなかった。

 博志は東京駅の駅員に営団成増への行き方を尋ねた。しかし、「成増」が読めないので、西崎がくれた案内地図を見せて「ここに行きたい」と言った。まるで初めて日本に来て片言の日本語を話す外国人のようだった。博志は今まで外国人に間違えられたことはなかったが、この駅員に外国人と思われても仕方がないなという諦めから、どうせなら片言の日本語で貫き通そうと思った。

「ああ、エイダンのナリマスですね」

 博志が思わず「なります?」と問い返したので、駅員がゆっくりと「な・り・ま・す」と繰り返した。博志は自分は完全に外国人だと勘違いされていると確信した。

「エイダン?」

「そう、営団地下鉄のな・り・ま・す」

「な・り・ま・す」

 駅員と乗客が向かい合って「な・り・ま・す」と言い合う様は、周りから見ればさぞ滑稽だっただろうが、駅員は博志を外国人と思ってか、親切にゆっくりと読み方を教えてくれた。

「山手線、グリーンライン、オア、丸の内、レッドライン、トゥ池袋、トランスレート有楽町ライン」

 駅員は片言の英語で乗り換え案内をするので、純粋な日本人の博志はかえって理解ができなかった。ここまできて日本人だとばらすのももったいない気がして、「山手線、池袋、のりかえ?」と単語を並べて聞き返した。駅員は「おーイエスイエス! 有楽町ライン」と笑顔でオッケーサインを出したので、博志は外国人が道案内をされた時によくやる合掌のポーズをし、「アリガト」と外国語なまりのお礼を言って、その場を去った。博志は急に恥ずかしくなって、途中から走りだした。

 博志は山手線のホームに着くころには落ち着きを取り戻し、やってきた電車に乗って池袋へ向かった。両親が共働きだから土日は家で休みたいという理由で、博志には家族で遠出をした思い出がほとんどなかった。ディズニーランドへも夜行バスで向かったので、実は東京の電車に乗るのは初めてだった。山手線の黄緑色の車両はテレビで見たことがあった。初めて生で見る山手線に鉄道マニアでもない博志も感動を覚えた。車内アナウンスで次の停車駅を告げられるが、駅名もほぼ聞いたことがあったので、さすが東京だと感動した。

 こうして感慨にふけっていた博志だが、15分ほど経ってなかなか池袋に着かないので焦りだした。東京駅と池袋駅はそんなに離れているのだろうか。ホームのアナウンスでは「上野・池袋方面」と言っていたから、電車の方向は間違っていないはずだ。心配になった博志は車内の路線図を眺めたが、今自分がどのあたりにいるのかわからず、池袋駅すら見つけることはできなかった。

 夏でもないのにだんだんと汗がにじんできたころに、ようやく「次は池袋」というアナウンスが聞こえてきた。どうやら東京駅から池袋駅へ向かうには山手線では遠回りのようだった。そう言えば東京駅の駅員は「丸ノ内……」と言っていたから、営団地下鉄丸ノ内線に乗ったほうが早かったのかもしれないが、駅員の片言の英語が聞き取れず、山手線に反応した博志に駅員は「(遠回りだけど)行けるよ!」と教えてくれたのだろう。やはり自分の体面を保つために外国人のふりをしてごまかすのは、何のメリットもないということに改めて気づかされた。

 池袋に着き、JRの駅員に営団成増への行き方を尋ねると、有楽町線の乗り場を教えてくれた。有楽町という名前は、博志が生まれる前にヒットした歌謡曲のタイトルにも含まれていて、その曲のレコードを母親がよく聞いていたので聞き覚えがあった。東京の地名は歌のタイトルになっていることも多い。博志が住んでいる大阪も歌のタイトルになっているが、東京は「有楽町」「蒲田」など、より狭い範囲の地名が付けられているが、かたや大阪は「大阪」「神戸」などと、かなりざっくりとしている。もし「豊中」を歌のテーマにするなら、まず大阪府の北側にあることから説明しないといけないのではないかと、都会と地方の圧倒的な差を見せつけられた気がした。

 地下鉄の切符売り場で料金表を見る。「営団成増」がどこにあるかなかなか見つけられなかったが、路線図の左上にあるのをようやく発見した。有楽町線に乗り、営団成増駅で下車する。改札を出て地上に上がると、そこは東京都心とは違ってそれほど高層ビルもなく、関西にもありそうな街並みだった。

 人事部長の西崎が指定した不動産店は、地下鉄の出入り口から見えるところにあった。「成増不動産」と看板が出されていたその店舗は、どこにでもありそうな街の不動産店だった。今まで不動産店の外から広告を穴のあくほど見ていたが、中に入ったことはなかったのでドアを開けるときは少し緊張した。ドアの前で開けるのをためらっていたら中からドアが開き、博志はびっくりして横によけた。博志と同年代とおぼしきカップルが出てきた。どちらも金髪に近い茶色の髪色で、前を歩いていた男のほうが、一瞬博志を睨んで舌打ちをした。博志はカップルをチラッとだけ見て、「東京にも田舎のヤンキーみたいなやつらがいるんだ」と少し安心して中に入った。

 「いらっしゃいませ~」という声とともに、1人のスーツ姿の男性が博志の前に現れた。30代前半といったところか。短髪に刈り上げており縁のないメガネをかけ、いかにも真面目そうな感じだった。

「ムサシファーマシーの借り上げ社宅でやってきたんですけど……」

「ああ! お話は聞いています。北川様ですよね?」

「はい、そうです」

「今日、わざわざ大阪から来られたんですか?」

「はい、そうです」

「遠いところ、お疲れさまです。ぜひ良い家を見つけましょう! ワタクシ、成増不動産の大曲(おおまがり)と申します」

 大曲は人懐っこそうな笑顔を見せた。彼なら希望の物件を見つけてもらえそうだと、博志は一人で東京の不動産店へ乗り込んだ不安を払拭できた。

「早速ですが、ご希望の物件の目星はつけられましたか?」

「あ、はい。この辺りがいいかなと思って」

 博志は事前にインターネットの地図サービスで調べたところ、ムサシファーマシーの東京支社がある池袋から、西武池袋線という路線が延びていたので、この沿線に住もうと思った。池袋へは他にも東武東上線やJR、地下鉄も駅があったが、「池袋」という名前がついている西武線に最初に目が行ったため、感覚的にここにしようと決めた。どうせ東京に住むのだからと都心部を中心に探していたが、さすがに池袋に近い豊島区周辺はワンルームでも家賃の相場が高かった。池袋から西武池袋線が延びる北西の方角へ目を向けると、練馬区の向こうは「西東京市」となっていた。西なのか東なのかよくわからない名前だが、博志はこの時初めて東京都に「市」があることを知った。東京都には23区しかないと思っていたのである。

 そんな博志だから23区内でしか希望を考えていなかった。23区はどこも家賃の相場が関西より高かったが、東京、新宿、渋谷、池袋といった都心から離れた地域なら、それなりのところに住めそうだった。西武池袋線沿線であれば練馬区が該当したので、博志の希望は練馬区だった。そのなかで「大泉学園」という駅から徒歩7分のところに、新築アパート2LDK・家賃7.8万という物件を見つけた。大泉「学園」と名がつくぐらいだから文教地区で治安も良さそうな感じがした。いくら会社が半分負担してくれるとはいえ、家賃は8万円以内に収めたいと思っていた。その範囲内で2LDKに住めるのであれば、将来誰か(彼女)と一緒に住むことになっても、余計な引っ越しをする必要がなくなるかもしれない。

 自分の将来設計とともに大曲に希望の物件を伝えた。

「ああ、そこは人気物件ですでに埋まってしまいました。でも、ほかにもたくさん北川様のご希望に沿った物件をご用意しております。ご希望の条件はありますか?」

 あっけなく将来設計は崩れてしまった。

 博志は条件として、西武池袋線で、東京23区内で、できるだけ都心に出やすくて、新築で駅近で1LDK以上で2階以上で、風呂とトイレは別で家賃は8万円までの賃貸マンションと伝えた。大曲は最初は笑顔で博志の条件をメモしていたが、途中で書くのをやめていた。でも顔だけは笑っていたので、博志はどうしてメモをやめたのか不思議だったが、大曲の次の言葉で、メモをやめた理由に納得が行った。

「その条件をすべて満たすなら、都内でも23区を出ないとダメですね」

 さらなる将来設計の変更を余儀なくされた。

「23区に住むにはどの条件を捨てないといけないですか?」

「新築と家賃ですかね」

「じゃあ、新築じゃなくてもいいです」

「あと、7万円台で1LDKというのもあまりないです」

「じゃあ、ワンルームでもいいです」

「では、間取りよりも家賃重視ということですね?」

「そ、そうですね」

 大曲は優先順位を決めていくことが重要だとアドバイスをくれた。なるほど、たしかに博志が出した条件はあくまでも「あわよくば」の希望であり、そのすべてが絶対に譲れないというものではない。

「23区に住むことは絶対ですか?」

「いや……東京には23区しかないと思っていたので」

「ハハハ。23区は東京都でも東の半分ぐらいです。残りは市や村ですよ」

「村?」

「はい。東京都にある檜原村は日本一大きい村なんですよ」

 世の中、知らないことばかりだ。所詮ハタチそこそこの大学生の知識量なんて高が知れている。

「23区以外の市外局番は『03』ですか?」

「いいえ。東京都でも23区以外は市外局番が3ケタか4ケタになりますよ」

「4ケタ?」

「東京も閑静な住宅街や田園風景が残っているんですよ」

東京といえば、「東京砂漠」という言葉に代表されるように、農作物も子供たちも育たない不毛の地だと思っていたが、どうやらそれは関東以外の人間から見た偏見のようだ。

「でも、東京に住むなら『03』がいいなあ」

「地方から来られるお客様はわりとそうおっしゃいますけどね。最近、固定電話から電話されていますか?」

「……そう言われてみれば、携帯電話からばかりです」

「ですよね? だったら『03』にこだわるよりは、もっと周囲の環境や設備にこだわったほうがいいと思います」

 大曲のアドバイスが的確すぎて、博志は何も言い返せなかった。

「23区にこだわるなら、希望の条件はかなえられないものが多く出てきますが、23区から出てもいいなら、ほかの希望はかなえられるかもしれません」

ずっと東京に住んでいる人にすれば、「03」という市外局番はどうでもいいことなのかもしれないし、携帯電話も普及してきて「03」の価値もますます形骸化してきているのだろう。でも地方出身の人間にしてみれば、「電話番号を教えて」と言われたら「オッケー。東京03……」と一度言ってみたいものだ。このまま23区外に住むことになったとして、博志は地元に帰った時の友人との会話を想像してみた。

「電話番号を教えて」

「オ、オッケー。0424……」

「それどこの市外局番?」

「西東京市」

「それって東京都なの?」

 やはり微妙だ。上京した意味があまりないような気さえした。

「まだ、何かこだわりがございますか?」

 大曲に尋ねられ、ふと我に返った。

「いや、23区以外に自分が住むとは思ってなかったので、どうしたらいいのかなって」

「では私がいくつかピックアップしましょう」

 大曲は机の横に立てかけてあったファイルをいくつか取り出して、右手でパラパラとめくりだし、「ここなんか良さそうだな」と独り言を言いながら、左手で電話をかけだした。

「お世話になっております。成増不動産の大曲と申します。××コーポ206ですが……まだ空いてますか、わかりました。では後ほど伺います」

 早速見学の予約を入れてくれているのだろうか。なんて手際の良い仕事ぶりだろうか。自分もこんな社会人になりたいものだ。しかしできれば、見学の予約を取る前に契約する本人に確認を取ってほしかった。これから住もうとしている自分に、どこにある家でどんな間取りで家賃はいくら、ということぐらいは事前に教えてくれないのだろうか……。

 ファイルの表紙部分には「西東京市」「東久留米市」「清瀬市」「朝霞市」「和光市」「所沢市」と書かれた紙が貼られており、市ごとに物件を分けてファイリングされているようだった。ぜんぜん聞いたことのない市名ばかりだが、所沢市だけは知っていた。たしかここは埼玉県ではなかったか。

 大曲があっと言う間に5件の物件に問い合わせ、そのすべてで内見の予約が取れたと教えてくれた。

「じゃあ早速見に行きましょうか。車でお送りします」

 大曲はいすに掛けてあったスーツのジャケットを手に取りながら、「行ってきます!」と大きな声を出して事務所のドアを開けて出て行った。博志は口を開けて大曲が出ていく様子を眺めていたが、大曲が戻ってきて「5件見に行きますんで急ぎましょう」とせかすので、慌てて後を追いかけた。成増不動産の社員でもないのに、事務所を出るときに「行ってきます」と言ってしまった。でも、オフィスの中の誰一人として「行ってらっしゃい」とは言ってくれなかった。


 店舗の前で大曲が車を出すのを待っていると、年季の入った白い軽自動車が博志の前で止まった。運転席に大曲が座っており「どうぞ、助手席へ」と助手席のパワーウインドウを開けながら声をかけてきた。

 助手席に座ると、車内はヤニ臭かった。博志は20歳を過ぎても特にタバコを吸わなかったので、ヤニ臭さが鼻を突いた。大曲はニオイに苦しむ博志など全く意に介さず、手持ちのファイルから間取り図が書かれた紙を取り出し、博志に渡した。

「これから見る物件は、西東京市1件、東久留米市2件、朝霞市1件、和光市1件です。北川様は単身者だから、ワンルームか1Kがいいかなと思ったんですが、北川様のご希望もありますし、1DKや1LDKを中心にご案内します」

 社会に出たことのない博志には1年先のことも想像がつかなかったが、相手がいないにもかかわらずもしかしたら結婚しているかもしれないと真剣に考えていたので、ワンルームは避けたかった。

「ワンルームや1Kなら23区でもたくさんあるんですよ。でも、少しでも広いほうがいいのがご希望でしょ?」

「どうなんでしょう。もうわからなくなってきました」

「人生これからいろいろあると思いますので、住まいのほうもそれに備えるのはいいことだと思います。あとは間取りと家賃と、立地ですかね」

 大曲から渡された間取り図を見ながら、博志はまだ見ぬ将来の妻と結婚して子供が生まれてからのことを想像した。やっぱり家族3人でワンルームはきついのではないか。学生時代(と言っても、まだ学生だけれど)は実家住まいで自分の部屋も与えられていた。決して新しい家ではなかったけれど、6畳程度の広さがあり、不自由はしなかった。今度住む家も実家ほど部屋数はなくても構わないが、部屋の広さは同じぐらいにしたかった。「なぜ?」と聞かれても「なんとなく」としか答えられないぐらいの漠然とした希望に過ぎないが、狭い部屋には圧迫感を覚えるのだった。

 あれこれと思いを巡らせているうちに、西東京市の物件に着いた。グレーを基調にした10年ほど前に建てられたマンションなのだという。

「ここは1DKの間取りですね。築10年で、3階建ての3階。角部屋ではありませんが、近隣住民とのトラブル報告もありませんし、比較的閑静な住宅街だと思います。家賃は8万2000円。ちなみに、徒歩10分以内で西武池袋線の急行が停まる駅があります」

 立地は良さそうだったが、中に入ると、前の住人が出てすぐなのか、屑などが目立った。そのため汚い部屋という印象を持ってしまった。バスとトイレは分かれていたが、トイレはウォシュレットではなかった。1階も同じ間取りの部屋が空いているそうだが、目の前に大きな木があり、日当たりがあまり良くないとのこと。家賃は1フロア上がるごとに1000円割り増しのようで、1階は8万円らしい。

「なんか気になることはありますか?」

「西東京市の市外局番は03ではなかったですよね?」

「え? 違いますよ。まだこだわってますか?」

「あ、いや、そういうわけじゃないんですけど……」

 特に質問がなかったので、ついつい市外局番の話をしてしまった。

「まだ1件目なので、ほかと見比べたいです」

「まあそうですよね」

 西東京市の物件はそれほど細かくは見ず、2人は2件目の物件に移動した。

「2件目と3件目は、東久留米市になります。1件は駅に近いけれど、築10年以上経っている1LDKです。家賃は8万4000円。もう1つは駅から徒歩20分なのですが、新築でこちらも1LDKです。家賃は7万8000円です」

家から駅まで徒歩20分はどうなのだろう? 通っているうちに慣れるかもしれないが、夏場や雨の時はきつそうだ。

 東久留米の1件目は駅から徒歩3分ほどだったが、大曲の言う以上に古さを感じてしまった。東京での新生活を迎えるにあたって、博志はできれば新しい家がいいと思った。そんな気持ちがあったからか、2件目は新築だけあってとてもきれいに思えた。新築の家でないと嗅げない独特の木のニオイが、より好印象を与えていた。これで7万円台だったらだいぶ「お買い得」なのではないだろうか。しばらく博志はベランダからの景色を眺めていたが、大曲の視線を感じたので、慌てて部屋を出た。足早に車に乗り込み、次の物件へ移動した。

「東久留米の2件目は結構よかったです」

「そうですね。僕もきれいなマンションだなと思いましたよ。新生活に華を添えてくれそうですよね」

「しかし、東久留米市って初めて聞きました。九州の久留米と関係があるんですか?」

「さあ……、地名の由来までは知りません。関東には東松山とか東伏見とか、西日本にある地名に『東』がつけられている場所も多いので、ひょっとしたら関係があるのかもしれませんね」

 なるほど。そもそも「東京都」自体が「東の京都」とも読めなくもないので、ルーツはどれも西日本方面なのかもしれない。

「えっと、次は朝霞市ですね。ちょっと移動に時間がかかります」

 朝霞市は東久留米市から遠いのだろうか。今まで来たこともなければ、聞いたこともない場所だから、今、自分がどちらの方向へ進んでいるのかすらわからなかった。大曲がもし同じところをぐるぐる回っていたとしても気づけないだろう。

 かれこれ15分は車に乗っていただろうか。大曲も話すネタがなくなったのか、まったく話しかけてこなくなった。博志も雑談の抽斗をたくさん持っているわけでもなく、大曲のような30歳代と思しきサラリーマンの生態にさほど興味もなかったので話しかけなかったが、車のエンジン音やタイヤがアスファルトをひっかく音のおかげで無言でも気にならなかった。流れる景色をただ眺めているだけの博志だったが、その景色のなかにふと「埼玉県」と書かれた道路標識があったように思えた。

 朝霞市は埼玉県なのだろうか……。いや、道路の流れの関係上、一瞬だけ埼玉県に入ってまた東京都に戻るのだろう。博志は自分にそう言い聞かせたが、朝霞市の物件に到着するまでに「東京都」の道路標識を見ることはなかった。

「朝霞市の現地に着きました」

「朝霞市って東京都ですよね?」

 大曲の話し声と博志の質問がほとんど重なっていた。しかし、大曲は聞き取れていたようだった。

「いいえ、埼玉ですよ」

「僕は東京都に住みたいと言いましたけど……」

「はい、存じておりますよ。ただ、埼玉の物件も見ていただいて、それでも本当に東京に住みたいか、北川様のご意思も確認したかったんです」

 話だけ聞くと、まっとうな理由のように思えるが、博志を東京のことを知らない関西人だと高をくくって、しれっと埼玉の物件を紛れ込ませた可能性は否定できない。しかし、その真相を確認する方法は博志には見つけられなかった。

「ここは、1LDKで築3年です。前の方が丁寧に使われていたので、今でもとてもきれいです。3階の角部屋で周辺に幹線道路もない。駅からも徒歩10分以内です。住所は埼玉ですが、池袋までは電車1本で乗り換えなし、30分もかかりませんよ」

 大阪の実家では同じ大阪府内にある会社なのに、父親が豊中市の自宅から1時間以上かけて通勤しているので、それよりも時間がかからないということか。

「おまけに家賃が7万5000円です。さらに大家さんに掛け合ってもう少しお安くすることも可能かもしれません」

 中に入ると、たしかにきれいだった。築3年と言われなければ、新築物件といってもおかしくないぐらいだった。

「じつは次の和光市も埼玉県なのですが、どちらも東京都に隣接していますし、都心にすぐ出られます。北川様が東京都に住みたいというこだわりさえなくせば、個人的にはどちらかをお勧めしたいぐらいです」

 生まれも育ちも関東の人間にしてみれば、東京都に住むか埼玉県に住むかなんてたいした差ではないのかもしれない。博志自身も「住めば都」と思う部分もあるので、「何が何でも東京都!」とまでは考えていないが、やはり「初めて関東に住むなら東京都!」という思いも捨てきれない。それにせっかく会社から住む場所は自分で決めていいと言われているのだから、当初のこだわりを通したかった。

 朝霞市の物件見学を終え、車に乗ったときに、博志はそれまで考えていたことを大曲に話した。

「やっぱり僕は東京都に住みたいです。次の見学先も埼玉ということなので、すごく条件がいいかもしれませんが、たぶん住まないと思うので、見学はこれで終わりにしてもいいですか?」

「わかりました。北川様のこだわるお気持ちも理解できますので、和光市の物件見学は中止しましょう。そうなると、これで見学は終了になりますが、いったん事務所に戻りますか?」

「はい、お願いします」

 成増の事務所までの帰路では、大曲がこれまで見学した物件の感想を聞いてきた。博志のなかでは、東久留米市の新築物件が一番良かった印象があった。しかしネックは駅までの距離であり、その部分で決め手に欠けていることを正直に伝えた。

「自転車通勤は避けたいですか?」

「そうですねえ。やっぱり雨の日のことを考えると……」

「自転車通勤をされている方もたくさんいらっしゃいますよ」

「もちろんそうですが……。僕も高校時代は自転車通学だったので」

「実は僕も最寄り駅から自宅までは自転車なんですよ」

「へえ。雨の日とかどうしてるんですか?」

「僕は合羽を着ています。慣れれば健康的だし、楽しいものですよ」

「う~ん、僕は高校3年間、自転車通学が苦痛だったので」

 博志は大曲との会話中、ずっと外の景色を眺めていた。ふとため息をついたとき、「東京都」と書いた道路標識が見えた。博志の乗る車がスーツ姿の中年サラリーマンらしき男性が漕ぐママチャリを追い抜いた。車が横を通ったのはほんの一瞬だったが、追い抜きざまに見えた男性の顔がとてもニヤついていたのが、いつまでも脳裏に焼きついていた。

 自分が自転車通勤をここまで嫌がるのはなぜだろうかと自問してみた。高校3年間は自転車通学だと話した博志だが、高校時代は雨が降ったらバスに乗っていた。自転車通学をしていた生徒の多くが雨の時はバスを利用したので、朝は大混雑だった。さらに利用していたバス会社の運転手のほとんどが、客を乗せているとは思えないほど乱暴な運転をしたので、立っているときは何かに捕まらないと倒れてしまうほどで、博志は何度か女子生徒にぶつかられたことがあった。かわいい女子だったら思春期の博志も許せたが、バスの揺さぶりによろめくのはたいてい、ほっそりしているネクラか太っていて冬でも暑苦しい女子のどちらかだった。いずれも博志の好みのタイプではなく、まるでぶつかった博志を痴漢扱いにするような視線を送ってきたので、いくら異性にときめきを覚える思春期であっても迷惑に感じられた。

 自転車での通学路も歩道が狭く、高校近くにある小学校の児童が横に並んで歩道を占拠していたので、なかなか前に進めなかった。小学生の列をかわそうと歩道から車道にはみ出ると、そんなときに限って生活指導の教員が見回りをしており、注意を受けてしまう。教員に見つからなくても通勤時で交通量が多く、何度クラクションを鳴らされたかわからない。よく3年間無事故で過ごせたものだと、運転免許を持っている今だからこそ身にしみて感じられた。

 自転車通勤にはそうした命の危険性もあるし、朝は晴れていても夜に雨が降っていたらどうするのかといった問題がある。これまでの自転車通勤でいい思い出もなかったし、徒歩で通勤できるところに住めるのなら、あえて自転車通勤が必要な遠方に住むことはないというのが、その時に出したかりそめの結論だった。

「そこまで自転車通勤がお嫌でしたら、駅に近いところを選ばれるのがいいのではないですか?」

「う~ん、でも新築も捨てがたいんですよね」

「……まあ、家探しはよく悩まれるのがいいと思います」

 成増不動産の事務所に戻り、見学した物件のチラシを並べ見比べる。


①西東京市の物件……1DK 築10年 3階建ての3階 家賃8万2000円 最寄り駅まで徒歩9分

②東久留米市の物件1……1LDK 築16年 5階建ての4階 家賃8万4000円 最寄り駅まで徒歩3分

③東久留米市の物件2……1LDK 新築 4階建ての4階 角部屋 家賃7万8000円 最寄り駅まで徒歩20分

④朝霞市の物件……1LDK 築3年 5階建ての3階 角部屋 家賃7万5000円 最寄り駅まで徒歩8分(ただし埼玉県)

 

 大曲は優先順位をつけることが大切とアドバイスをくれたが、どれを優先したらいいのかわからなかった。家賃や階数、間取り、角部屋かどうかはあまり気にならなかった。そうなると築年数と最寄り駅までの距離が今回の争点になってくる。

 ④の物件が、大曲が勧めるように住む条件としては一番整っているように見えるが、何よりも埼玉県である。候補からは完全に消えると思い、チラシを裏向けた。

 残った3つから決めることになるが、新築と築10年には大きな差があるように思えた。中間ぐらいの程よい物件はないものか。

「エリアを変えればたくさん物件は出てきますが、どうしましょうか?」

 大曲がエリアの変更を提案してきたが、住むエリアを考え直すのはひどく面倒なことに感じられたし、1泊2日での家探しでは時間が足りないだろうし、職場が池袋なので、池袋に乗り換えなしで行ける路線を利用したかった。

「この3つのうちどれにするかで、もう少し考える時間がほしいのですが……」

「構いませんよ。ただ、時間が空くと、他の方に物件を押さえられる可能性もあるので、そのへんはご承知おきください」

「あ、そうなんですか? どれぐらいで埋まるのでしょうか?」

「何とも言えませんが、1週間以内には確実に埋まっていると思います」

「1週間ですか……」

「特に東久留米市の新築物件はもっと早いと思います」

「え? 駅から遠いのに?」

「駅から徒歩20分ということで歩けない距離ではありませんし、自転車通勤を希望する人も少なからずいますしね。それに新築ですし」

「そうですか……」

「最上階の角部屋は明日には決まっていると思います」

 博志は1階でなければいいと思ったので、最上階の角部屋が埋まっても構わなかったが、他もすぐに埋まってしまうのであれば悠長に考えている暇はないのではと焦った。しかしそれでも一晩は考えたかった。

「明日、またうかがってもいいですか?」

「それはもうまったく問題ありません。心よりお待ちしております」

 博志は今日で住む家を決め、明日は東京観光でもしようかと思って、池袋のホテルを押さえていたが、どうやら観光は中止して明日も家探しになりそうだ。

 成増不動産を後にし、博志は池袋まで戻った。東京は大阪よりも日の入りが早いようで、夕方の5時ごろには空は暗くなっていた。チェックインを済ませ、晩ご飯をどうしようかと考えた。ずっと大阪で過ごしていた博志には、東京に住んでいる知り合いがいない。一人飲みをする度胸もないので、ホテル近くのラーメン店で腹を満たすことにした。

 外に出て、そう言えば4月から勤務するムサシファーマシー東京支店にまだ一度も行ったことがないと気づいた。ラーメン店で注文の品が出てくるのを待つ間に、携帯電話で東京支店の住所を調べ、食べ終わった後に寄ってみた。東京支店はオフィス街と言われる池袋西口ではなく、繁華街である東口にあった。西武池袋駅の改札が東口寄りにあったので、やはり西武線沿線のほうが通勤しやすいと思った。東口を出ると、池袋に本店を置く家電量販店があり、池袋は東側に西武があって西側に東武があると揶揄したテレビでもなじみのテーマ曲が流れていた。東京支店は家電量販店から道路を挟んだはす向かいにあった。都会のど真ん中にあるじゃないかと、博志はこれから迎える東京ライフが楽しみになってきた。

 ホテルに戻る途中に大型書店があり、店頭に不動産情報が載ったフリーペーパーがあったので、1冊取ってホテルでパラパラとめくっていた。最寄駅別に物件が出ていたが、博志には東京のどの辺りにある駅なのか皆目見当がつかなかった。大曲に家探しの範囲を広げるかと提案された時にじつは少し迷った博志だったが、こんなに知らない駅だらけでは範囲を広げるのは、いくら大曲が協力してくれるとはいえかなり危険なことのように感じた。あと何泊しないといけなくなるだろうか。博志は今日立ち寄った西東京市あたりを中心に、索引から西武池袋沿線の物件が載っているページを探し出し、東久留米駅とひばりヶ丘駅を最寄りとする物件情報を見た。大曲が博志に勧めてきた物件はどれも載っていなかった。博志がインターネットで事前に調べた物件もそうだったが、ここに載っているものはすでに成約済みかもしれず、それであれば何のために物件を掲載しているのだろうと、不動産の素人(博志のこと)は理解に苦しんだ。

 ホテルに戻って候補に残った3軒のチラシのコピーを持ち帰り見比べていたが、博志の心は東久留米市にある新築物件(③)に傾いていた。自転車通勤になってしまうが駅までの経路に学校はなさそうで、高校時代とは違って小学生のガキンチョに行く手を阻まれることはないだろう。徒歩20分だから悪天候の時は歩いて通えばいいだろう。東久留米駅は特急や急行は停まらないが、準急が停まるのでそこまで不便でもなさそうだった。

 翌朝、再び成増不動産を訪れた博志は、出迎えた大曲の顔を見るなり、「東久留米の新築マンションにします」と結論を伝えた。

「かしこまりました。ご成約おめでとうございます。では早速ですが、契約手続きに入りましょう」

 大曲は博志を商談テーブルまで案内し、いくつかの書類を用意してきた。

「こちらのマンションは敷金・礼金がともに家賃の2ヵ月分になります。更新は2年で、家賃の1ヵ月分を更新料としてお支払いいただくことになります」

 流暢な大曲の説明を途中で遮って、博志は質問した。

「敷金・礼金ってなんですか?」

 大曲が一瞬、呆気にとられたような表情になった。

「え? あ、えっと、北川様はずっとご実家にお住まいですか?」

「はい」

「そうでしたか。であればご存じないかもしれませんね」

 大曲はすぐに真顔に戻り、丁寧に敷金・礼金、更新料、仲介手数料について説明してくれた。

「これは会社が払うんですよね?」

「いや、そこまでは私どもでは把握しておりません」

 まさかとは思うが、初期費用も折半なのだろうか。これまで東京に住めることに喜び勇んで敷金・礼金や手数料などは気にも留めていなかったが、4月までにそんな大金を用意することはできない。

「ちょっと会社に確認してからでもいいですか?」

「あ、はい。それは構いませんが」

 幸いにも今日は月曜日だったため、ムサシファーマシーは営業していた。4月に入社する者だが、社宅について質問したいと言うと、総務部につながれた。電話に出た女性に確認すると、初期費用や更新料は全額会社負担だという。博志は、とりあえずお金を出さなくていいとわかりホッとした。家を借りるだけでも様々な手続きが必要なことがわかり、一人暮らしも大変だと実感した。

 大曲の言われるがままに書類にサインをした博志は、家が決まった安堵感で帰りの新幹線ではほとんど眠っていた。大阪に戻ってからは4月1日の入社式まで、上京の準備をしつつも可能な限り番組観覧に参加した。いくつかの番組では画面に自分の顔が映ったりもして、大学生活の思い出がさらに増えた。

 卒業式を終えて、3月27日に博志は上京した。この日にしたのは平日で友引だったことも一因だった。引っ越しは運送会社の単身パックを申し込んだ。ダンボール30個の荷物量で全国一律3万円というプランだった。テレビや冷蔵庫などの家電は東京で買いそろえるつもりだったので、荷物はダンボール30個で収まった。テレビは大阪では19インチサイズだったが、新生活では28インチを購入した。東京ではどんなテレビ番組が放送されているのだろうか。関西ローカルの番組を見られなくなるのは寂しいが、一方で関東のローカル番組を見られるのは楽しみだった。一昔前は関東と関西で電気の周波数が違うために、関西で買った家電が関東では動かないことがあると言われていた。博志もそれが心配で東京で購入したのだが、どうやら今ではそんなことはほとんど起こらないようだった。もう今は21世紀なのである。いつまでも昭和の負の遺産を残しておくわけにはいかないだろう。

 博志は4月1日に社会人としての第1歩を歩み出した。こうして博志の1回目の家探し・引っ越しは無事に(?)終わったのである。


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