姉十九歳、弟十七歳

一年後、祖母が亡くなった。それまでかくしゃくと元気にしていた祖母だったが、夕飯を作っている時に台所で倒れ、帰って来た恵美子が気づいて救急車を呼んだ時には、意識を失って朦朧としていた。緊急入院して手術をしたが、既に末期の癌があちこちに転移しており、医者も匙を投げ出すような有様だった。結局、入院してから三週間、意識を取り戻すこともなく二人を残して逝ってしまった。


突然の出来事に戸惑う二人。向かいに住み、何かと気にかけてくれる石川のおばちゃんが親身に相談に乗ってくれた。ただ、中卒で平凡な事務職とは言え恵美子は社会人であり、狭くて古くてぼろいけれども住む家もある。また、僅かだが祖母が残してくれたお金もある。敬史の義務教育が終わる中学校卒業までは役所の支援が得られるが、卒業までは一年もない。基本的には、姉弟二人だけで生活していかなければならなくなったのである。


敬史のバスケット部での活躍は目を見張るものがあり、中学二年の秋にはチームを全国大会へあと一歩のところまで引っ張り、県大会準優勝の成績を残した。当然のように近県を含め県内外の高校から注目される存在となっていった。そして中学三年の春には悲願の全国大会出場を果たし、私立の強豪校が勧誘に乗り出してきたのである。


祖母が亡くなった頃、敬史の名前は近県どころか全国のバスケット強豪校にも知れ渡っており、高校進学は当然の事として捉えられていた。恵美子も敬史にはバスケットを十分に楽しめる高校に行ってもらいたかった。しかし、祖母が残してくれたお金と自分の給料だけでは弟を高校に行かせることは出来ない。そう考えた恵美子は夜、近くのラーメン屋でバイトを始め、学費を捻出しようとした。


そして中三の秋、再度、全国大会に出場した敬史は、優勝こそ出来なかったものの随所に素晴らしいプレーを見せ、高校関係者を唸らせた。そして、敬史の下にはバスケット強豪校の関係者が集まり、学費免除での勧誘が囁かれるようになっていった。しかし、敬史は家計のことを気にし、姉にはその事を告げなかった。

”お姉ちゃん一人を働かすわけにはいかない。バスケットは中学校で十分楽しんだから、卒業したら働いてお姉ちゃんに楽させてやるんだ。”


なかなか首を縦に振らない敬史に業を煮やしたスカウトが恵美子の下を訪れた。

「うちの高校に来てくれれば、学費免除の特待生として受け入れることが出来ます。寮も完備なので、食事等の生活面もご心配に及びませんよ。」


東北にあるその高校は、スポーツに力を入れているらしく、色んな分野でプロ選手を輩出しているらしい。そんな学校で頑張れば、敬史にとっても遣り甲斐があり、更にステップアップ出来るのではないか。それに学費を免除してもらえれば、アルバイトをすれば何とか遣り繰り出来るのではないか。恵美子は敬史がバスケットにのめり込んで大活躍する姿を思い浮かべ、スカウトに来たバスケット部の監督に頭を下げた。


翌春、敬史は東北の高校に入学し、寮での生活を始めた。敬史には学費が免除されること、祖母の残してくれた貯蓄や恵美子の給料で十分賄えることが伝えられており、バスケットに専念出来る環境での高校生活だった。その甲斐あって敬史の力量は今まで以上のペースでレベルアップしていった。


一方、川島家の財政は日を追う毎に厳しくなっていった。当初恵美子は学費が免除されることで、他の費用はどうにかなると考えていた。ところが、いざ高校生活が始まると、寮費、ウェア・シューズ等の費用、遠征費、等々、思った以上に出費がかさむ事がわかってきた。それでも日々の生活に掛かる費用を節約して、恵美子の給料とアルバイトの時給で賄おうと頑張ってみた。そして、それでも足りない分は祖母の貯蓄を取り崩して凌いでいたが、遂にその貯蓄もあと数ヶ月で底を突きそうなところまで来ていた。


敬史が高校を卒業するまではまだ二年近くあり、このままでは敬史に申し訳ない。とは言え、中卒で町工場の事務しか知らない少女には、高校生を養っていくだけのお金を工面する方法など思いつくべくもない。そして、ふと思い出したのは、以前、町工場で行われた送別会の帰りに社長から誘われたとても嫌な言葉。その誘いに乗ればお金を工面することは出来る。その代わり、自分の人生は、少なくとも青春は終わるだろう。そして、何日も悩んだ末、恵美子は暗い闇の中に落ちていく決心をしたのである。


敬史の入学した高校は、全国から選りすぐりの選手が集まってくる。そんなメンバに囲まれながらもレベルアップを続ける敬史。二年生の春にはレギュラーの座を確定させ、秋には全国制覇の中心選手に育っていった。当然のように周りの注目度も上がり、遂にはプロのスカウトから声が掛かるほどの逸材になっていた。


そんな敬史の活躍とは裏腹に、町工場の社長の愛人になった恵美子は、週二回の憂鬱な時を、敬史の晴れやかな顔を思い浮かべて堪えるしかなかった。


まるで姉が弟の闇をすべて引き受けたかのような、そして弟が姉の光をすべて吸収してしまったかのような、二人の十代だった。

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