第二部 パッションとミッション前編

「わしじゃあて、おんしお主を切りとうない。踏め、踏まねばデウス様の禁じとる自死と同じぞ。」

刀を持った下級の武士らしき人物が妙齢の女性に詰め寄る。

仕事とはいえ、その人物の顔には顔見知りを切りたくないという表情がうかがえた。


これは、別世界の少し違う歴史を辿った日本で起こったかもしれないお話


「まあ、待ちなされ。一旦キリシタンに転んだ改宗したもんは考え直すのにちいとちょっとばかり時間がいるじゃろう。」

と、奥の方から威厳のある人物がやりとりを遮る。

「わしにええ考えがあるから、十日ばかり待ちんさい。」


下級武士が続けて

おんしお主まん運がえかった良かったの。」

「このお方は備前ゆかりのもんでいえば和気清麻呂様、(熊沢)蕃山先生、その次くらいにえれえ偉いお方じゃぞ。」

「しからば、ここはお開きで、お上には上手いこと言うとくから今宵は気いつけて帰りなされ。」

「そこの。途中まで送って行くんじゃぞ。」


身代として預かったロザリオを眺めながら偉い人が一人ごちる。

「こわいなもんのために身捨つるこたないんじゃ。じゃあから、仕込みをしとかんとな。」



--- 一方、そのころ ---

「わしらに任せぇ。オセのもん(先輩や技量に優れる者)が先に逝くんじゃ。」

瀬戸内海の小島では会議が行われていた。

「ここのお上は網にかかった舶来品で銭や首はよっしゃにしてくれた勘弁してくれたんが、今度は葵の御紋が許してくれんらしい。」

「天領、倉敷からわざわざ来とったからのぅ。」

「五島(長崎の五島列島)の方でなんやらあったらしいけえからのぉ。」

しゃーけえどそうだけど、背取りだの荷抜きだの(海上での違法貿易)せなんだらしなければこわいなこんなやっちもねえ益体もない、しょうもない島、たちまち備中松山城飢え死に(秀吉の渇殺しの故事から引用)じゃ。」

「わしらもほんまは(浄土)真宗じゃ。お上とて本願寺注1(のような)ことなるのが、おっとろしいて恐ろしくて無茶ぁできんじゃろ。」

「じゃあから異教を禁止するんじゃろが。」

「さって、女子供はのけて除外してとお(十)ほどの首がありゃあええと言うとる。わしとだれだれが逝くんじゃ?」


しばらくの沈黙の後、会議の口火を切った者が口を開く

「わしがいかあな行くわな。いっぺん沖ぃでりゃあ白骨の御文注2どころか骨も残りゃあせん。今度行ったら首も名前も家も残る。得じゃろうが。」

「わしも行くわ。この島をキリシタンの流刑地にしたんはお上の勝手じゃが、キリシタンのおなごに惚れたんもわしの勝手じゃ。」

その後もわしがわしがと手が上がり、若衆ワカシが出るころにはくじ引きとなった。

一番の若手には当たらないように細工されたではあったが。


かくして、他のキリシタン殉教地ではありえないとも言えるお上が首を取りたくない踏み絵が始まる。


次回へ続く



注1 本願寺は戦国時代に財力と信仰を背景に、死を恐れぬ僧兵に鉄砲を配備して一大勢力として台頭した。


注2 浄土真宗の葬儀で読まれる「白骨の御文」より一部抜粋

“されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬるときは、六親眷属あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。

さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。”

以上より、農民なら殺生をせず、死んでも骨くらいは残るのが普通だが、漁民でもある自分たちは陸においてあるものしか残せないことから。

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