再帰/邂逅

 コネクトを開けば、新しいメッセージなんて無くて。連続した『おはよう』の文字だけの並びに溜め息が漏れる。

 あれから気不味くて、全然彼女と連絡を取れていない。憂鬱な気分のまま、週末を迎えようとしている。もう、一週間が経ってしまう。

 当たり前の様に毎週会っているのに、その約束もするはずなのに。今は約束どころか会話さえ覚束無い。

 明日は彼女に会えるのだろうか。会えたとしても、どんな顔をして会えば良いのだろう。

 いつもの楽しみや恋しさは無かった。寂しささえも、今は鳴りを潜めていた。怖い。ただ、それだけだった。

 どうして、こうなってしまったのだろう。

 数日が経ったと言うのに、私は未だに怒らせた理由が分からなかった。彼女を信じるなら、私はそれを既に知っているはずなのに。

 鞄の中に手を入れて、壊れたシュシュに触れる。彼女からの、初めてのプレゼント。壊れてしまっても、私の大切な宝物。

 そこへ意識を遣るだけで、彼女を傍に感じられていたはずなのに。指先に触れた生地は何だか冷たくて、淡く感じた。あの時に失くしてしまった所為で、彼女の心も離れてしまった様な気がした。

 窓の外を見れば空のグラデーションからは既に橙色は消えていて。建物の灯りばかりが外を過ぎ去っていく。

 何をするでもなく電車に揺られていると、スマートフォンが震える。期待と不安、そして恐怖が交錯する中、それでも私の指は素早く反応する。画面を見れば、そこには確かに彼女からのメッセージが届いていた。


「何、これ……。」


 しかし一文字の言葉も無く、一枚の写真だけがあった。

 映っているのは白いポリタンク。恐らく小さめの物で、中には半分ほどまで液体が入っている様に見える。そのすぐ近くには私が贈ったヒマワリのヘアゴムと、ライターが置かれている。

 まさか、とは思うが。このポリタンクに入っているのは、灯油だろうか。そんな物の近くに、ライターを置くなんて。

 嘘だと思いたい。彼女がこんな写真を送ってくるはずがない。こんな、明らかに私が嫌がる事をするわけが――

 再びスマートフォンが震え始める。今度はメッセージではなく、通話が掛かってきていた。


『こんばんは、陽葵さん。』

「……結華ちゃん。さっきの写真は、何?」

『最近寒いっスよねー。あははは。焚き火をするには良い季節だと思いませんか?』


 何? 何が起きている? 今、私が話している相手は、本当に彼女なのだろうか?

 私の言葉を無視して、彼女はへらへらと笑いながら一方的に関係の無い話題を投げ掛けてくる。


『薪は用意してますから、陽葵さんも来てくださいね。ふふっ、あははは。』

「何なの、意味分かんない。ちゃんと話してよ。」

『あははは……はあ。今から公園に行きます。陽葵さんも、絶対に来てください。これが最後になるかもしれないんで。』

「そんな、何を言って――」


 何一つ問いには答えないまま、彼女は通話を切った。当然納得出来るはずも無く、私は通話ボタンを押す。何度掛けても、どれだけ時間が経っても、彼女の声は聞こえてこない。私の気持ちを無視して、電車はいつも通りに走り続ける。

 その間、私は疑問を消化しようとしていた。これから公園で会いたいと言うのは、きっと言葉通りのはず。しかし、最後とはどう言う事なのか。もしかしたら私は、捨てられるのだろうか。彼女を激怒させたのだから、それも自業自得であって仕方ないのかもしれない。

 焚き火がどうとか、意味が分からない。だけど、そのために灯油を用意していたとすれば、薪とは?

 酷く嫌な憶測が頭の中を満たす。彼女が言ったのは『最後』ではなく、『最期』だとしたら。

 焦燥感ばかりが募る。通話は繋がらない。私の気持ちとは裏腹に、電車は急いではくれない。逸る心を抑え切れず、私は座席から離れてドアの前に立つ。

 

――人ってさ、関係なんて簡単に途切れるんだ。後悔した時には遅いんだよ。


 分かっている。分かっていた、つもりだった。

 両親と弟を殺してしまってから、私はずっと後悔していた。だけどそれもいつの間にか薄れていて、彼女によって思い起こされて。それからまた後悔して、サキちゃんに喝を入れられたのに。私はまた、後悔しようとしている。

 そんなの嫌だ。結華ちゃんを失うくらいなら、私が死んだ方が良い。

 駅までの時間は、いつもよりずっと長く感じた。電車から飛び出して、改札も走る様に抜ける。

 駆ける。駅前で人通りが多くとも、すぐ近くを多種多様な車が走ろうとも、全力で駆ける。やがてそれらも少なくなり、すっかり暗くなってしまった住宅街の中、街灯を道標にして駆けていく。

 息が苦しい。脚に疲れが急速に溜まっていく。でも、そんなのは速度を落とす理由にはならない。

 このくらいが何だ。彼女はもっと、辛く苦しい日常を送っていたんだ。恋人の私が、この程度で音を上げているわけにはいかない。


――アイツはとっくに覚悟を決めて、本気であなたに向かってるんですよ。


 本気だからって、どうして命を投げ出す必要がある? そんなのは、誰のためにもならない。どうして自害なんて考える?

 どうして彼女は、私の前で焼身自殺を図ろうとしている?

 私に対する当て付けの様に、彼女はこれからの行動のヒントを出してきた。私は再び、炎によって大切な人を失うのだと。

 何故、どうして。そんな言葉ばかりが浮かぶ。彼女は意味も無くそんな事はしない。わざと私を傷付けようとはしない。

 何度も足がもつれて転びそうになりながら、私は公園へ辿り着いた。そこには誰の姿も無い――ただ一人、ベンチに座る彼女以外は。

 神秘的な光景だった。黒いセーラー服を着た彼女は、どこか遠くを見ているみたいで。浮世離れした美しい顔立ちと何にも縛られていない滑らかなセミディの髪は街灯によって照らされ、まるで完璧に作られた人形がライトアップされている様にも見える。

 それは、出会った時の再現だった。


「結華、ちゃん……!」


 だけど、あの時の様に反応しないなんて事は無くて。しかし私に向ける視線は、どこか無機質な感じがした。

 呼吸と鼓動を整えながら、私は彼女の返事を待つ。


「ここで出会って、もう半年くらいになりますね。」

「……そう、だね。」

「ここが最初の場所。思い出。大切な場所っス。だから、ここに決めました。」

「やめて! やめてよ……。自殺なんて、どうしてそんな事するの!?」


 ここは思い出の場所だ。この公園で、彼女に出会った。きっと私の日常は、偽善的な日常は、その瞬間から変わったのだ。

 一度目はいつもと同じだった。その外見は好みであれど、私にとっては不特定多数の一人でしか無かった。だけど、二度目に会った時。最高の友達を目指すと言われて。確かに、嬉しかったんだ。

 絆の始まり。私にとっても、きっと彼女にとっても、ここは特別な場所だ。

 だからこそ分からない。私は、ここを最期の場所にはしたくない。大切な場所を、死の匂いに包ませたくはない。

 何がおかしいのか、彼女は吹き出した。それはいつもの控えめな笑みと違って、だけど先の通話越しのそれと同じく、軽薄な笑い方だった。


「あははは。何言ってるんスか、自殺なんてしませんよ。意味無いっしょ、そんなの。」


 きっと私は安心するべきなのだと思った。でも。

 彼女は笑っている。だけど私は、言い知れぬ不安を覚えた。

 それは予感だった。今よりも悪い事が起きるかもしれない。そんな漠然とした予感があった。

 果たしてそれは、的中する事となった。


「陽葵さんが、私を殺すんだよ。もう一人くらい殺しても、別に良いっしょ。ねえ、人殺し。」

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