迷い路を抜けた先は

「その……映画館にっ! ……行きま、せんか?」

「全然良いっスけど、なんで陽葵さんが敬語なんスか?」


 困った様に笑う彼女を前にして、私はゆっくりと息を吐いて緊張を解いた。全く、彼女のご両親に挨拶へ行った時と遜色無いのではと思えるほどだった。

 今までに何度も遊んでいるし、外でデートだってした事もある。だけど、こうして私から明確にデートへ誘うのは初めてだった。遊びに誘うのと大して変わらないと思っていたはずなのに、ここまで緊張するとは思わなかった。

 それから翌週末、私達は駅前で落ち合った。彼女の家まで迎えに行っても良かったのだけど、これは話し合った結果だ。やはり待ち合わせをすると意識が変わると言うか、いつもと違う感じがして新鮮な気分だ。


「お待たせ、結華ちゃん。早いね?」

「私も、さっき着いた所っス。」


 私も早めに着いたはずなのに、そこには既に彼女の姿があった。彼女並に背の低い人はそうそう居ない(それこそ、小学生くらいだろう。)ので、少しくらい人が多くても逆に見付けやすい。

 彼女に近付いて、思わずじっと見詰める。いつもと変わらず――いいや、いつも以上に可愛いと言うのは当然として。見た事の無い服装だ。何と言うべきか、私の知る彼女のセンスとは違う。パステルカラーでもなければファンシー過ぎるプリントも入っていない。こんな服を持っていたのか。頭に咲くヒマワリだけが、私の知っている物だった。

 そのパーカーは子供服ではなく通常の女性向けの物なのだろう、初めて見る物だ。中心辺りには跳ねるウサギのシルエットがプリントされている。この辺りは彼女らしさが出ていると思った。

 しかし彼女の体躯では明らかにオーバーサイズで、袖は指先まですっかり隠れてしまっている。まるでミニワンピースの様にも見え、裾からは下着が見えてしまわないかと心配になる。いや、流石に何かしらの対策はしているだろう。

 更に視線を下へ移す。これが絶対領域と言う物か。オーバーニーソックスで覆われた脚とパーカーの間から顔を出す裸の太ももが、妙に艶めかしく見える。これはちょっとやばい。すごく触りたくなる。


「いつもと違う感じの服だよね。」

「……変じゃないっスか?」

「全然! すごく可愛いよ!」

「えへ。陽葵さんも、可愛いっス。」


 下心が表に出ない様に平静を装いながら、彼女の服を褒める。普段の様な幼さを全開に出している服装も可愛いのは間違いないけど、今の格好も絶対に可愛いと思う。しかも、ちょっとえっちな感じだ。

 対する私の格好はと言えば、いつもと大して変わらないロングのワンピースに、ニットのアウターを羽織っただけ。褒めてはもらえたけど、彼女が普段と異なる着飾り方をしているだけに、少し恥ずかしい。この辺りも要改善か。

 そもそもの話だが、私はそこまでファッションに詳しいわけではない。何となく可愛さや綺麗さを感じているだけで、実の所彼女のファッションをとやかく指摘するほどの感性は持ち合わせていない。ただ、流石に年代別の相応しさはある程度は分かるが。

 これからはファッションの事も、もっと学ばなければいけないだろう。変な格好をして周囲を不快にさせないために、自身に合いそうな物を出来るだけ安い価格帯で買っていたが、それもおしまいにしなければ。これからは、彼女の隣に居ても恥ずかしく思われない様に、そしてもっと彼女から褒めてもらえる様に。こう言うのも、きっと一つの努力なのだと思う。

 電車の中でも腕に抱き着いてくる彼女に愛おしさを感じながら過ごしていると、すぐに目的の駅まで着いてしまった。幸せな時間は過ぎるのが早い。

 目的地は駅から出てすぐの所。以前買い物に来た大型ショッピングモール、その中にある映画館だ。


「何か観たいのある?」

「スイマセン、何やってるのかも分かんないっス。」

「うーん、そっか。実は私もあんまり……。あっ、ココンの最新作だって。」

「ココン……懐かしいっスね。じゃあそれにしますか。」


 ここまで来てリサーチ不足と言うか、計画性の無さが浮き彫りになる。言い訳をすれば自分だけでは映画なんて見ないし、それこそ世間で話題になる様な物くらいしか友達から聞かない。気持ちばかりが先行して調べるのが疎かになっていた。

 しかしアトリエ・ココンの新作映画があって良かった。流石に私でも、この国民的な制作会社は知っている。主に少年少女の成長や出会いと別れの物語を描く、アニメ映画を作っている所だ。昔は、ココンの映画を良く見ていた。

 ビターエンドで終わる作品ばかりで世間の評価は賛否両論ではあるが、物語や世界観に引き込まれると言う点では非常に評価が高い。これなら概ね老若男女に受け入れられているし、デートで見るのもおかしくはないだろう。正直な所、本当に助かった。ありがとう、ココン。

 二人で大きな紙コップに入ったアイスティーを手に入場し、指定された座席に着く。映画なんてお互いに久々だとか、そんな話をしていると。やがてブザーが鳴り、明かりが消えていく。訪れた非日常感と、隣から聞こえる息遣いに胸が高鳴る。彼女の気配に、恋を感じている。

 しかしそれも、上映前の他映画の予告を見ている間だけだった。いざ始まれば、いつの間にか私は巨大なスクリーンの世界へと引き込まれていた。

 強がりで臆病な少年が、住んでいる街の『裏側』に迷い込んでしまう所から始まる。そこは魑魅魍魎が跋扈し、普通の人間であればすぐに食べられてしまう様な場所だった。少年もまた化け物を前にパニックに陥り、もう少しで美味しく頂かれてしまいそうな所を、人間と化け物のハーフである少女に助けられる。『裏側』で生まれた少女は初めて見る人間に興味を示し、表の世界を見てみたいと話す。

 それから二人は表の世界を目指すのだが道程は長く、何度も襲われては少女が戦い、時には少年が勇気を出し機転を利かせて退けた。二人の仲は深まっていくけど、長い様で短い旅はやがて終わりを告げる。表へと繋がる意思を持つ扉の前で、生贄として人間の魂を要求されたが、少年はこれを拒絶。臆する事無く、二人で帰るのだと叫ぶ。


「陽葵さん、大丈夫?」

「だい、じょぶ……っ!」

「いくら何でも泣き過ぎじゃないっスか?」

「だってぇえ。」


 涙が止めどなく溢れている。私と言う人間は、こんなに感情的だっただろうか。なんて、今更な事を考える私の中の冷静な部分が、自分の涙脆い部分に驚いている。映画選びに失敗したかもしれない。いや、映画自体は良かったけど。

 数年ぶりに見た映画は、素晴らしかった。主人公に感情移入する部分もあったし、窮地に陥る場面では本当にハラハラして息を飲んでしまったり。最終的に泣いた。ハンカチで軽く押さえてはいたが、多分申し訳程度のメイクも酷い事になっていると思う。実際にトイレまで連れて行かれて鏡を見てみれば、涙で目元の部分が滲んでいた。

 ホラー要素、と言うよりびっくりする様な場面もあったので、その時は彼女の方へ手を伸ばしてしまった。それでも私の手を優しく握り返してくれたり、指先で軽く撫でてくれたりする。後から思えば、映画への集中が途切れない程度にしてくれていたのだと思う。


「ラストのとこ、本当に駄目だって。泣いちゃうよ、あんなの。」

「昔見た時もあんな感じの終わり方でしたね。寂しさとか悲しさ、無力感みたいなのがあって。」

「うんうん。あっ、やばい、また泣きそう。」


 幼い頃から何作か見ているけど、ココンの映画はいつもそうだった。最初の方はコメディタッチで青春や冒険と言ったオーソドックスな要素が多いのだが、大抵は最後に主要人物の誰かが自己犠牲を選ぶ。それは命だったり、記憶だったり。その後に主人公が日常へ帰っていく、と言う終わり方が多い。今作であれば少女の人間性が失われ、『裏側』との境界の向こうで完全な化け物へと変貌していく様子が主人公の目を通して描かれていた。

 多分、それがメッセージ性と言う物なのだろう。どれだけ夢や希望を抱いていても、いつかは現実が迎えに来る。どの様な意図があるのかは分からないけど、アトリエ・ココンの制作者達はそれが言いたいのだと思う。

 でも。私は、今を終わらせたくない。彼女と過ごす日々を、希望を、手放したくない。

 分かっている。いつの日か、それも無くなってしまうかもしれない事も。日常の中にある些細な幸せでさえ、唐突に失われてしまう事を私は知っている。


「結華ちゃんは、こう言うの平気なの?」

「んー、実は最後の方は、あんまり共感出来なかったって言うか。私なら何が何でも一緒に居たいって思うし、簡単に諦める気も無いんで。」

「あはっ、やっぱり強いなぁ。」

「弱いっスよ。だからずっと一緒に居てください。陽葵さんの所為で弱くなったんスから。」


 モール内のカフェで感想を聞いてみると、私とは違って彼女の琴線には響かなかった様だ。だけど彼女なりに思う所もあった様で、変にこちらを気遣う事も無く、その気持ちを教えてくれた。同じ感想を抱いていればなんて思ったけど、それとは違ったけど、ずっと一緒にと言われた事が嬉しくて。

 相向かいの二人席は、抱き締めるには遠過ぎる。ずっと前から頭は痛くならない、責める声も聞こえない。だけど今、私は彼女に触れたくて仕方が無かった。


「……ねえ、結華ちゃん。」

「はい?」

「ちょっと真面目な話なんだけど。私ね、色んな人から結華ちゃんの事、聞いたの。」


 彼女に触れたい衝動を抑えて、私は告白をした。彼女の知らない所で、彼女の知らない所を知った事を、全て。

 異常な努力をしていた事も。その様子から修羅姫と言う渾名で呼ばれていた事も。柳原さんとの関係も。その超人的な能力も。


「修羅は言われても、姫とか初耳なんスけど。……何て言うか、つまり、私に隠れて色々探ってたって事っスか。」

「……ごめんね。」

「それは全然良いんスけど。んー、でも真理と二人きりってのはちょっと嫌かな。てかアイツ、そんな風に思ってたんだ。」


 過去を知られても、彼女は全く気にしていなかった。所々疑問には思った様だが、私が他者から見た彼女を知ろうとした事については大して気にしていなかった。


「知りたいなら最初から、私に聞けば良かったんじゃないっスか?」


 ただ、そう言った彼女は、少しむくれていたけど。周囲の人間よりも、彼女本人に尋ねて欲しかったみたいだ。

 本当なら、私だって彼女から全て聞きたかった。最初こそ高校の友人が偶然知っていたからと言えるが、他はそうでもない。真理ちゃんと話した時もあわよくばと思う部分もあったし、彼女のお母様にも色々聞こうと思っていた。どちらも未遂と言うか、あちらから話してくれたけど。

 だけど、直接問う勇気は無かった。だって私は、既に折れてしまった彼女と出会ったのだから。


「う、ん……。そうなんだけどね。ほら、諦めたのを最初に知ってたから、ちょっと聞き辛かったんだ。」


 だから彼女自身から、過去の事を聞こうとは思わなかった。何が心の深い所に、傷口に触れてしまうのかが分からなかった。怖かったんだ。傷付ける事が。傷付く事が。


「そんな気にする事無いのに。まあ、大体は聞いた通りなんじゃないっスか。多分知らないのは、私が諦めた切っ掛けくらいかな。」

「……そう言えば、真理ちゃんも知らなかったみたい。」

「誰にも言ってませんからね。うちの親は気付いてるかもしれませんけど。まあ、言っちゃえば体調崩して弱ってただけなんスよね。春休みに、インフルエンザになっちゃって。久しぶりに何もしないで、そしたら色々考えちゃったんスよ。」


 彼女は何でも無い様に、しかし小恥ずかしそうに‪笑った。その様子を見るに、恐らく彼女からすれば、今にして思うと大した事の無い切っ掛けだと思ったのかもしれない。

 実際、体が弱れば精神的にも弱気になってしまうのは分かる。それは一人暮らしをしている私自身の経験からも理解出来るし、いつか彼女に助けを求められた時もそうだった。

 しかし、それだけではない。立ち止まった事で、振り返ってしまったのだ。それはきっと、積み重ねた物が高ければ高いほどに、酷く心を揺るがしたのだと思う。


「今はもう、ちゃんと整理が付きましたから。新しい目標も出来ましたし?」


 だけど彼女は、私が喜びそうな事を言って、からかう様な笑みを浮かべている。

 きっと全てを受け入れているわけではない。彼女は一番を目指す事は諦めたけど、真理ちゃんへの対抗心らしき物は未だに持っている。それを悪いとは言わないが、縛り付けさせるわけにはいかない。

 だって、悔しいじゃないか。彼女は私が真理ちゃんの方を向かないか心配し、時には嫉妬しているけど、本当は逆だ。いや、お互い様と言い換えても良い。

 だから、結華ちゃんの望む言葉を、ようやく私は口にした。


「うん、その事なんだけどね。結華ちゃん、もう達成してるんだよ。」

「……え?」

「私、結華ちゃんを大切だって思ってる。一番、大切だって思ってる。」


 この想いが、本気の気持ちが伝わるのかは分からない。それでも、私は伝わって欲しくて、向こう側の彼女の手を握る。

 彼女は一度大きく目を見開いて、少し顔を伏せた。そうして、目元を袖で拭って。


「本当に? 私、陽葵さんの一番になれましたか……?」


 鼻声混じりの返事。潤む瞳を見詰めながら、私は後悔していた。

 悲しみではないのは分かっている。だけど、泣かせたかったわけじゃない。喜んでくれているのだろうけど、でも私は。違うんだ、こんな風じゃなくて。ああ、こんな事なら。


「ごめん。ごめんね。もっと早く言えば良かった。」


 彼女に、本心を伝えていれば良かった。態度だけでは足りない、行動だけでも足りない。伝えるために、しっかりと言葉に出さなければいけなかった。ただ好きだと言うだけではなく、あなたこそが一番なのだと。

 今まで怖がっていた事も伝える。ただの言い訳だ。彼女を失うかどうかは私が決める事じゃない。続く事が絶対でもなければ、途切れる事もまた必然ではない。


「馬鹿。馬鹿っスよ、陽葵さん。私がどんなに執着してるか、分かってない。だって私、こんなに、好き、なのに。」


 私の手を両手でぎゅうっと握って、その顔を押し付けた。手の甲に熱い雫が流れてくる。その感覚に、はっと気付かされた。

 私は多分、信じていなかったんじゃないか。だって彼女が『一番』に掛けていた気持ちの強さを知っていたから。だから彼女の想いを、心の底では本当に私と同じだとは思っていなくて。

 最低だ。高梨陽葵は最低の女だ。だけど。そんな私でも、彼女は好きだと言ってくれる。

 いくら迷っても、何度悩んでも、どれだけ間違えても。彼女に対しては、誠実でありたい。それが誤りだったとしても、今の本当を常に伝えなくてはいけない。

 言うんだ。もう、一度は済んだ事だ。彼女に伝えるんだ。本当の気持ちを。あなたのお陰で、最高に幸せなのだと。


「結華ちゃん、私ね――」


 その時だった。

 ベルが細かく鳴る様な、高く耳障りな金属音が響く。ムードもへったくれも無い、日常すら置き去りにする音。

 私は知っている。この、音は。

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