邂逅/才器

 学校からの帰り道、最寄りの駅から歩いた所に小さな公園がある。かつてあったはずの遊具は全て撤去されていて、今では手入れされているかも怪しい芝生と日に焼けたベンチ、それからゴミ箱くらいしか残っていない。この、ほとんど何も残っていない公園に寄ってから自分の部屋に帰るのが、平日の日課だ。

 何故、そんな意味の無い事をしているのか。以前は、小さくて可愛い子供を偶然を装って眺めるためと言う理由だった。私は犯罪者一歩手前の行動を日常的に繰り返していたのである。なお、被害者は居ない。夕暮れの寂れた公園には子供どころか、そもそも人の姿がほとんど無かったからだ。

 今日も今日とて公園に立ち寄る。以前の理由が無くなった今、私は確認のためだけに公園の中へと足を向けるのだ。愛する彼女があのベンチに座っていないか、と。その姿が無い事を確認するためだけに、私は今も同じ事を続けている。

 ただ、今日は先客が一人。珍しいと思ってちらりと見れば、そこには見知った顔があった。幸か不幸か、彼女ではない。


「柳原さん、だよね。何してるの?」

「……ああ、高梨さん。お祭りの時はどうも。」


 そこには彼女のライバル、柳原やなぎはら真理まりが居た。酷く疲れた様な顔で、ベンチに腰掛けていた。制服を着ているのに鞄も持たず、黄昏ている様だった。

 それでも反応すら無いなんて事は無く、声を掛ければ返事をしてくれた。何かあったのかもしれないけど、消えてしまいそうなほど重症なわけではなさそうだ。内心でほっと息を吐く。


「何もしてませんよ。こんなに何もしないのは、本当に久しぶりだ。」

「……そっか。」


 何もしていない事こそが、かつての彼女を彷彿とさせる。柳原さんは可愛いと言うよりも美しい顔立ちで、艶やかなストレートの髪は腰の辺りまで伸びていて、背は程々に高くてスタイルも良い。容姿こそ彼女とは正反対に思えるけど、案外似ているのかもしれない。

 柳原さんの隣に座る。もう本人にぶつけるつもりは無いとは言え、私に怒りの感情があるのは確かだ。だけど、それ以上に。今の柳原さんを放っておく事など出来ない。ここで見過ごすなんて、そんなのはあの日の彼女への裏切りだ。


「ねえ、少しお話しない?」

「浮気ですか?」

「まさか。重い自覚があるくらいには一途だよ。」

「……成る程ね。思っていたよりもお似合いそうだ。」


 鞄の中からロリポップを取り出す。食事の面では、これが唯一の贅沢品だ。精神を保つためだとか、友達に分けやすいとか、いつでも小さい子に渡せる様にとか、そんな理由で数本は常備している。今ではその理由の内の二つは無くなってしまったけど。

 何故普通の飴ではなくロリポップなのかと言えば、見た目と名前が気に入ったから。しかし名前の由来に少女は関係無いらしい。幼いイメージがあるのに。

 まとめ買いだと安くなるので十五種類の味が三本ずつ、計四十五本入りの物を買うのだが、困った事に外れの味がある。マーブルフラワーステーキ味。その文字を見ただけでおかしい事が分かる。こんな物を作った上に販売している製作会社の気が知れない。他の味はまともなだけに残念だ。

 そんなわけで、この外れだけは鞄の中でも別のスペースに入れている。言ってしまえば、罰ゲームや悪戯用にしているのだ。これに限っては、出来れば自分では食べたくない。


「あげる。」

「どうも。……何だ、これは。」

「あははっ! それ、皆不味いって言うんだよ! 結華ちゃんも言ってた!」


 ほとんどの人が不味い、もしくは違和感を覚える味だからこそ、最初の掴みに使える。決して悪戯だけが理由ではないのだ。

 柳原さんは顔を顰めたけど、大人しく舐める事にした様だ。単純に諦めただけか、それともこんな事でも結華ちゃんに勝ちたいとか思っていたりするのだろうか。


「何かあったの?」

「平たく言えば、親子喧嘩ですね。私も陸ヶ峰ろくがみねに行こうと思ってたんですけど、冗談だと思ってたみたいで。進路希望が変わらないのを見て、それはもうすごい勢いでしたよ。」


 そう言う柳原さんは冷静そうに見えるけど、前に会った時の様な涼しそうな表情ではなかった。親と言い合いになったからだろう、余裕が無い様に見える。

 喧嘩の原因はすぐに気が付いた。陸ヶ峰――私の通う高校は、それほど偏差値が高いわけではない。低いとまでは言わないけど、真面目に勉強していれば合格出来る程度の平均的なレベルの学校だ。

 結華ちゃんは何をしても柳原さんに勝てなかったと言っていた。それは恐らく、成績に関しても同様なのだろう。テストの点数なんて実力や結果が目に見えて分かりやすい物を、勝負に使わない理由が無い。そして、一番を目指す彼女を阻む壁が柳原さんだった。つまり、柳原さんは学年でも常にトップレベルの成績を取っている事くらいは想像出来る。いや、もしかしたら常に首位の成績なのかもしれない。

 つまり、もっと上を目指せるはずなのに何故大した事の無い陸ヶ峰に行きたがるのか、と言う事だ。実情をほとんど知らない私でもそう思う。私は相槌を打ちつつ、疑問を投げ掛けた。


「でも、なんで陸ヶ峰? 柳原さんって、多分すごく成績が良いんでしょ? もっと良い所に行けるんじゃない?」

「結華が行くからですよ。私はアイツが居ないと駄目なんです。」


 その返事に対する私の反応は、硬直。柳原さんの言う二つの事を、私の頭では同時に処理出来なかった。落ち着いて、一つずつ片付けよう。

 結華ちゃんが私と同じ高校を受験するなんて、初耳だ。柳原さんに届かなくても、きっとそれに近いくらいに優秀なはずだ。少なくとも過剰な努力を絶やさなかった事は分かっている。

 それなのに陸ヶ峰を目指す理由なんて。そんなの、私くらいしか無いじゃないか。確かに私から聞いた事は無かったけど、教えてくれても良かったのに。彼女から直接言われたなら、きっと今よりも、もっと嬉しかったに違いない。

 対してもう一方は、意外だと言う驚きと困惑だった。結華ちゃんが居なければ駄目、などと。まるで柳原さんが彼女に依存しているみたいな言い方だ。固執していたのは彼女の方だと思っていたのに、実は違ったのだろうか。と言うか、まさかと思うけど彼女の事を――


「……一応言っておきますけど、恋愛的な意味じゃないですからね。」

「違うの?」

「私もアイツも、お互いをそう言う目で見た事はありませんよ。そもそも私にはそんな事をしている余裕が無い。」


 どうやら彼女に懸想を抱いているわけではないらしい。それが本当かは分からないけど、内心でほっと胸を撫で下ろす。しかしそれも、束の間の事。


「ところで。高梨さんは結華から、『覚悟しておけ』みたいな事、言われたんじゃないですか?」

「……なんで。」


 なんで、それを知っている? まさか、彼女が教えた? いいや、そんなはずが無い。なのに、どうして。

 柳原さんが変えた先の話題は、私の心を逆撫でした。嫌だ。ああ、嫌なんだ。あの時彼女から貰った言葉は、向けられた想いは、私だけが知っている物のはずなんだ。彼女から『最高の幸せ』を受け取れるのは、私だけのはずなんだ。


「やっぱり。私も言われた事があるんですよ。初めてアイツに勝った時に、ライバル宣言されて。」


 息を飲む。それから気付かれない様に何度か深く呼吸をして、動悸と暴走する感情を落ち着かせようとした。

 どうにも私は見当外れな勘違いをしていた様だ。ご両親にも話していないのだ、一番近かった友人――ライバルに対してでも、彼女が私の事情を漏らすわけがない。当然、彼女から宣告された内容も。

 知っている、と言うよりも柳原さんが想像出来た理由が分かった。どうやら結華ちゃんがあの様な宣言をしたのは私だけではなかったらしい。思えばあの時だけじゃない、出会ってすぐの頃、同じ様な事を言われた。最高の友達、だったか。確か、私から提案した事だったけど。今では友達の枠も飛び越してしまった。


「……それで? 何? 私を怒らせようとしてるの? 違うよね?」

「当然、違いますよ。怒っても構いませんけどね。実は私、高梨さんの事嫌いですから。」


 恋愛云々の他に嫌われる理由など思い当たらないが、それは嫌悪を示すにしては投げ遣りな態度だった。どちらかと言えばどうでも良い、興味が無いと言った風に感じられた。


「うん、分からない。どうしてそうなるのかな。結華ちゃんの事はそう言う風には見てないんだよね。」

「それとこれとは違うんですよ。アイツから聞いた話ですが。あなたは弱った結華に近付いて、今の信頼を得たんでしょう。それが気に入らない。」


 それを聞いて、得心が行った。私だって考えた事はある。彼女が好いてくれているのは、所謂吊り橋効果に近い物の所為なのではないかと。彼女からすれば不安や絶望から救い上げたのが私なのだ。最初こそ、感謝から懐いてくれているだけだと思っていた。しかし次第に、その時の感情を元に恋と誤認しているのではないかと、私は思い至った。それも遠ざけようとした理由の一つだった。

 私みたいな人間が他者の感情を利用して幸せを得ようなどと、決して許されない事だ。当時はそう思ったし、今でもそう考えている。でも、彼女は本気だった。彼女にとって、始まりはただの切っ掛けに過ぎなかったのかもしれない。突き放そうとしても、私を離してはくれなかった。中途半端な態度で接しておいて、いざとなれば自分の事しか考えていなかった自分を思い出して辟易する。


「アイツは自分の脅威となる相手以外に興味を持たなかった。なのに、偶然居合わせただけのあなたが信頼を勝ち得ている。それが不快で堪らない。どうして、ろくに努力もしていないあなたが、結華の一番近くに居るんですか?」


 横目に睨まれる。まるで映画のワンシーンの様だった。綺麗な人は、こういう時にも絵になる物だ。

 確かに彼女に比べれば、そして恐らく柳原さんと比べても、私は努力している内に入らないと思う。変わっていけばいつかは、なんて思っていたけど、どうすれば彼女と釣り合う自分になれるのだろう。

 それでも。それでも、私は結華ちゃんの恋人なんだ。決して生半可な気持ちで付き合っているわけじゃない。私が彼女の傍に居て、何が悪いと言うんだ。


「……あなたこそ。ライバルだって言うくらい、結華ちゃんの近くに居たんでしょ? どうして助けなかったの? どうして、どうしてあんなになるまで、追い詰めたりしたの!?」

「……追い詰めた? 私が?」


 そう思っていただけのはずが、気付けば相手を責めるための言葉が飛び出てくる。言い連ねる度に燻っていた炎が燃え上がり、ついには噴出した。吹き荒れる感情が一気に流れ出す。こんな事をするために話し掛けたわけではないのに。だけど、止まれなかった。

 身に覚えが無い風な柳原さんに、酷い怒りを覚える。違うのに。責めたかったわけじゃない。私はただ、ほんの少しでも力になれたらと思っただけなのに。こんな事をしても、ただの自己満足に過ぎないのに。

 次から次へと、柳原さんを責める言葉が喉元へ押し寄せてくる。堰き止められない。


「柳原さんなら、良く知ってるでしょ? 結華ちゃんは、一番になるのを目指してたって。何をしてもあなたには勝てなかったって。私が初めて会った時に、なんて言ったか分かる? 努力なんて無駄だって言ったんだよ。それがどういう事なのか、柳原さんの方が分かるんじゃないの?」

「……そう言う事、か。」


 知らぬ間に息が上がっている。呼吸の度に熱を感じて、悲しいわけでもないのに涙が出てきそうだ。

 次には自己嫌悪が襲い掛かってくる。どうして、こんな事を。抑えられないと言う事は、私が放った言葉は本心以外の何物でもない。私みたいな人間が、誰かを責められるはずが無いのに。そもそも怒りと言う感情を抱く資格なんてあるのだろうか。本当なら、私こそが怒りと憎しみを向けられ、責め立てられるべきなのに。


「知らなかったなぁ。あの時も結華が落ち込んでるのにも気付かなかったし、自分でも嫌になりますよ。」


 私の心情を知ってか知らずか。柳原さんはふっ、と鼻で笑う。自嘲だろうか。

 それから柳原さんは一つ深呼吸をして、私の方へと顔を向ける。いつかと違って涼し気な笑みも無く、真っ直ぐにその視線で貫き。そして、再び俯いた。


「もう少し、話に付き合ってくれませんか。ちょっと吐き出したい気分なんです。」

「……嫌いなんじゃないの?」

「嫌いですよ。でも、感謝もしてるんです。結華を助けてくれたのは、確かだから。私には出来なかったと思うから。」


 ここで、私はようやく思い至った。この子は純粋に、結華ちゃんの事が大切なのだと。

 恋愛だとかライバルだとか、そんな物は関係無いのだ。柳原さんは彼女の事を友達として本当に大切だと思っていて――恐らく、親友に対する様な感情を抱いている。だから私に対してプラスとマイナスの感情を併せ持っているのだ。


「高梨さんが嫌なら構いません。先に嫌な事を言ったのは私ですから。」

「怒ってるのは本当だよ。警戒、って言うのかな。そう言うのもしてた。でも……私は柳原さんの事、嫌いじゃない。」

「……くひっ。聞いてた通りだ。本当に優しいんですね。」


 独特な笑い声を少し出してから、柳原さんは上を向いて、宙を見詰め始めた。

 優しさなんかじゃない。私はただ、自分のために他者に優しいフリをしているだけだ。今だって彼女を裏切らないために、理想の自分になるために柳原さんへ話し掛けたのだから。

 だけど私の内心や動機など関係無い。時は勝手に進み、柳原さんは言葉を紡ぐ。


「どこから話した物か……。最初は、そう。結華は、私の憧れだったんですよ。」

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