これはデートの内に入るか否か?
ファミリーレストランは便利だ。安価で食事が出来るのは当然として、限度はあるけどドリンクバーの注文だけで居座っても文句は言われない。メニューには軽食やスイーツの類いだってあるし、私達の様な学生には有難い存在だ。
こうした場所で駄弁るなんて、友達なら普通だ。だからこれがデートの内に入るのかは分からない。でも、一緒に会話を楽しめるのなら、それで良いのだと思う。
「クラスにね、結華ちゃんの事知ってる子達が居たんだ。同じ中学だったって。」
「へえ。誰だろ、陸上の先輩とか?」
「うん、一人はそうだって。
「……ああ。話す時、良く噛む人っスか?」
「そうそう。」
四人掛けの席で隣に座る彼女はスプーンを片手に、少し思案する素振りを見せてからそう返した。どうやら晶ちゃんの事を思い出した様だ。
晶ちゃんの一つの大きな特徴として、吃音症が挙げられる。人によっては良くない顔をするけど、きっと彼女はそういう人間ではないと思う。
無論、私もあまり気にしていない。こちらが最後まで聞き取れば良いだけだし、晶ちゃんが良い子なのは知っているから。始業式の日は失礼な反応をされたけど。
「あの人、
彼女は無感動にそう言って、私達の前に置かれた、一人で食べるには少し大きいパフェにスプーンを差し込む。そのままストロベリーソースの掛かった生クリームを掬って、私の方へ差し出した。実にカップルらしい感じだと思いながら、それを口にする。甘い。甘酸っぱい。
高校に対して興味が薄ければ、先輩の進学先を聞く事も無いだろう。当時の彼女は一年生で、その上友人との競い合いの方が大切だっただろうから、興味を抱く暇も無かったのではないだろうか。
「結構話したりしてたの?」
「いや、そんなには。ただ、私が入部した時は古戸さんが短距離で一番速かったんスよ。だからコツとかは聞いてました。」
「晶ちゃんって中学の時からすごかったんだ。」
どうやら晶ちゃんは中学時代も足が速かったらしい。今も陸上部の中では上位の方だと聞いている。その影響もあって、晶ちゃんは他の生徒から人気がある。
部活中の精悍な顔付きとショートヘア、陸上競技で鍛えられた肉体、日焼けによる小麦色の肌と言う外見で、女子高の王子様と言った扱いをされている。吃音症に関しても、普段のちょっと抜けた表情や部活外で掛けている眼鏡と合わせて、ギャップがあって逆に良いのだとか。
「なんか懐かしいっス。あの時は古戸さんが一つの目標だったんスよ。」
「晶ちゃんに勝てば一番だったから?」
「はい。実際勝てたんスけどね。その時にはもう、古戸さんに勝てても一番にはなれなかったんスよ。」
中学生とは言え、上級生の中でもトップクラスの実力者に勝った事を微塵も誇らず、彼女は何でもない風に事実を口にした。それはそうだ。当時の彼女の最終目標は飽くまで一番になる事に他ならない。こればかりは簡単に推測出来る。彼女は晶ちゃんに勝つよりも前に、ライバルである柳原さんに先を越されていたのだ。
「晶ちゃん達からも聞いたよ。結華ちゃんが全然勝てない友達って、柳原さんの事だったんだね。」
「そうっスよ。陸上やってた時も、ずっとアイツは私よりも前に居ました。」
カットされたイチゴをスプーンで自身の口へと運ぶ彼女。その表情は変わらない。美味しいと感じているかも分からないし、柳原さんの話題をどう思っているのかも分からない。
同じ赤なら、彼女の唇の方が美味しそうだ。イチゴを咀嚼する口元を見て馬鹿な事を考えながら、私は安っぽいアイスティーで口内に残る甘さを濯いだ。
「柳原さんって、どんな子なの? 落ち着いた感じだったよね。」
「んー……。陽葵さんには、あまりアイツの事話したくないっスね。」
パフェにスプーンを差し込んで、そのまま手を離した。それから彼女は、私の方へ体重を預けてくる。その温もりが、心地好い。
嫉妬、なのだろうか。他の女の話はしたくないとか、そういう事なのだろうか。でも、晶ちゃんの事は気にしていない感じだった。楽しそうにも見えなかったけど。
「嫌なら無理には聞かないけど……。でも、なんで?」
彼女は柳原さんの話題は避けたい。でも、私は知りたい。きちんと知ってからでないと、今も燻っている怒りを表す事も出来ないと思うから。
上目遣いに私を見上げる彼女。その眼差しにどきりと心臓が高鳴る。ふとした時に、私が恋に落ちている事を再確認させる。この感覚は、きっとパフェに乗っているイチゴよりも甘くて、そして酸っぱい。
「私、他の誰にも負けない自信はあるんスよ。でも、アイツだけは違う。陽葵さんがアイツの方に行ったらって思うと……。そっか。私、怖いんだ。ははっ、臆病になったなぁ。」
彼女は私の肩に顔を埋める様に俯いた。悔しそうな声色が、その感情を示す。
妙な心配をするものだ。相手が私の好みの外見ならば分かるけど、柳原さんに関して言えば有り得ない。柳原さんは私よりも背が高いし、可愛いと言うよりは綺麗とか、美しい印象だった。その上、彼女は知らないだろうけど、私は柳原さんに悪感情を抱いている。
そもそも今更、私が彼女以外に目を向ける事など無い。店に入ってから気付いた事だけど、他の席に好みと言える女の子を見掛けても、ほとんど心を動かされていない。可愛いとは思うけど、そこで興味が無くなる。つまり恋愛的な意味で言えば、今では結華ちゃん以外は有象無象なのだ。
「私が、柳原さんに? それは無いでしょ。全然好みじゃないし。」
「……思い出したんスよ。元カレにフラれた時の事。皆、他に好きな人が出来たって言ってました。アイツを、真理を好きになったって。」
私は生クリームの付いたスプーンを手に取って、自嘲気味に笑う彼女の口に突っ込んだ。不愉快だ。私は彼等とは違う。私と彼女との間に、他者が入り込む余地などあるものか。聞くに堪えなくて、黙らせたかった。
「そんな人達と一緒にしないでよ。私は絶対に裏切ったりしない。」
もしも私が離れるとすれば、それは彼女から愛想を尽かされた時だ。決して私からは別れを告げたりしない。だって、そうだろう。例えこの恋が終わろうとも、私は彼女無しには生きていけない。私の中では、それだけ大きな存在になっている。
「ごめん。もう聞かないよ。」
柳原さんへの気持ちが膨れていく。それは当然、負の方向へ。顔が熱い。怒りがどんどん膨れ上がっていって、そして萎んだ。
もう良い。私の怒りなどどうでも良いのだ。本人を前に怒りをぶつけた所で何だと言うのか。ただの自己満足ではないか。そんな事よりも彼女を想う方がずっと良い。大体、柳原さん自体に興味があるわけではない。飽くまで知りたいのは彼女の事だ。
「……ごめんなさい。こんなの、らしくないっスね。まあ、考えてみれば陽葵さんならアイツより、もっと小さい子の方に行きそうっスよね。」
「行かないよ。あなたしか見てない。」
小さく動いた喉を見て、彼女の口からスプーンを引き抜く。それから彼女は、見当違いな事を口にした。
あなた以外に恋心を抱く相手など、これから先に居るはずが無い。冗談で言っているのは分かっている。くすりと小さく笑う彼女を見据えて、それでも大真面目に本心を伝えた。
「う、ん……。そう、っスか。ふ、ふふふっ……。」
左腕を抱き締められる。私は単純だ。こちらにしなだれ掛かり、嬉しそうにする彼女を前にすれば、ネガティブな感情など全て吹き飛んだ。
頬に手をやれば、気持ち良さそうに擦り付けてくる。まるで人懐こい猫の様な仕草だ。愛らしい彼女を見ていると、心がふわふわと漂っている様な気分になる。
「私も。陽葵さん以外、見てませんから。」
言われなくても、それは分かっている。たまに嫉妬心を抱いてしまう事もあるけど、彼女が私しか見ていない事は分かる。あの日、彼女は私の一番になると言った。ならば、きっとそれだけを目指すのだと思う。過去に抱いていた『一番』への執着、それを目指す異常な努力。それらを多少なりとも知った今では、彼女の行動の動機に対して疑念は無い。
私が彼女に返事をしようとした時だった。突如として、頭上から聞き覚えのある声が投げ掛けられた。
「……ふーん。本当に付き合ってるんだ。」
「きゃっ!?」
声の主は
「羊佳ちゃん!? なんで居るの!?」
「私達の方が先に居たから。……妹とご飯食べに来たの。」
「……誰っスか。」
以前話に出た、弓道部の妹さんと来ているらしい。それにしても、どうやら羊佳ちゃん達の昼食は遅かったみたいだ。今は既に午後二時に近い。
晶ちゃんと同じく、彼女と一緒の中学だ。面識があるのだと思っていたけど、どうやら彼女は知らないらしい。彼女を見れば、羊佳ちゃんの方を睨め付けている。
「えっと、同じクラスの子で――」
「櫻井羊佳。
「どうもー……。妹の瑠那でーす……。」
「……盗み聞きなんて良い度胸してるじゃん。」
羊佳ちゃんの隣に顔を出したのは、申し訳無さそうな表情を浮かべている少女だった。彼女の方を見れば、瑠那さんに怒っている様だ。少しむくれた顔をしている。やはりと言うべきか、過去に弓道で対決したらしいだけあって、彼女が知っている相手みたいだ。
「違うんだよー……。今回は巻き込まれたんだよー……。瑠那は姉ちゃんには逆らえないのだよ……。」
彼女は瑠那さんが盗み聞きを企んだのだと思った様だが、事実は違うらしい。主犯は羊佳ちゃんの様だ。あまり他人に関心を持たない子なのに、珍しい。いや、この前は彼女について聞かれたし、それは私の思い込みと言うだけかもしれない。そんな事を考えながら、背もたれの上からこちらを覗く姉妹を見上げて、私は一つの提案をした。
「あの、話しづらくない? こっち来る?」
私としても、ずっと後ろを向いているのは疲れてしまう。羊佳ちゃんはそれに頷くと、瑠那さんを連れて私達の向かい側の席に座った。
ただ、きっと二人きりの方が良かったのだろう。本当は私だって、そう思っている。不機嫌な顔になってしまった彼女の肩を抱き寄せる。
「あーん。」
「……んっ。」
彼女の口元にスプーンを差し出して、再びパフェを食べさせた。大人しく食べてくれたけど、少しだけ睨まれている気がする。もしかして、食べ物で誤魔化しているとでも思われたのだろうか。そうではないのだけど。
そんな私達を見て、呆れた様に羊佳ちゃんが溜息を吐いた。
「人前で良くそんなにイチャつけるよね。」
「うーん、一応牽制っていうのもあるかな。この子は私のだから。」
「……えへ。もう、陽葵さん。んふっ、ふへへ。」
「馬鹿じゃないの。そんな趣味無いし。」
彼女は私が離れてしまう事を恐れたけど、それは私だって同じだ。彼女が目標を達した後を考えると怖い。私から一切の興味を失ってしまうかもしれない。
それに、今は他の人に目移りする事は無いだろうけど、それでも誰かとあまりに仲良くしているのを見るのは嫌だ。そのくらいの独占欲はある。
だから、私は言葉と行動で示した。あなたは私のものなのだと、こんな私如きが烏滸がましいとは思うけど。でも、目に見えて彼女の機嫌は良くなった。嬉しそうに笑みを浮かべている。
「うわっ、こんなゆいゆい見た事無い……。」
何やら見慣れない彼女の姿に瑠那さんが衝撃を受けている様だが、しかし待て。ゆいゆい? 何だ、それは。結華ちゃんの事か?
今、分かった。この子は敵だ。そんな可愛い呼び方をするなんて。それを恋人たる私の前で。場合によっては羊佳ちゃんの妹と言えども容赦するわけにはいかない。
「その、ゆいゆいっていうのは、何かな?」
「ひえっ……。」
「瑠那は初対面の相手に
問い質そうとするも、こちらを見上げる彼女に絆される。だってこんなに可愛いのだから、仕方が無いだろう。嫉妬心も鳴りを潜めると言う物だ。全く以て、私は彼女に弱い。
まあ、彼女だけに限った話で無いのであれば、そこまで目くじらを立てる事も無い。それに嫉妬ばかりしていても、空気が悪くなるばかりだ。そう、私は確かに彼女の恋人なのだ。それは揺るがしようのない事実だ。ならば、もっと余裕を持たなければ。
「ああ、またやっちゃった。ひまたん先輩、すみませんでした。」
「うん……? うん、良いよ。私もごめんね。」
また、と言う事は、前にも同じ様な事を経験しているのだろうか。想像するに、例えば仲の良い男子を渾名で呼んでしまって、その彼女か想いを寄せている子に恨まれたとか。うん、ありそうだ。一般的に見て瑠那さんは可愛いと思うから、尚更勘違いされそうだ。
それにしても、先程彼女が言った事は本当だった。私にも可愛い感じの渾名が付けられてしまった。事前に知らされていなければ、多分面食らってしまっていたと思う。
彼女は瑠那さんの事には慣れているだろうし、私みたいに怒ったりはしないだろう。ああ、しかし結構嫉妬深い面を見てきているから、どうだろうか。
彼女の方へ目を遣れば、先程の嬉しそうな表情はどこへやら。視線で
「……は? 何それ? 私より親しい呼び方するな。」
「結華ちゃん、さっきと言ってる事違うよ。」
「あー、これこれ。ゆいゆいは怒っても怖くないから良いや。癒されるぅー。」
その怒りを受けても、瑠那さんはまるで堪えていない様子だった。むしろ楽しそうにも見える。これに関して、瑠那さんは謝るつもりも止めるつもりも無いみたいだ。
確かに怒る結華ちゃんも可愛いけど、私の彼女をあまり怒らせないで欲しい。最悪の場合、とばっちりで『お仕置き』を受ける可能性もあるのだ。実の所、表には出していないが戦々恐々としている。
彼女の味方をしたい気持ちはあるけど、どう言うべきかと考えていた所で。先程から私達の遣り取りを聞いていた羊佳ちゃんが溜息を一つ、それから口を開いた。
「何度も言ってるでしょ。そんな気軽に渾名なんて付けたら、勘違いされるって。色々と。」
「瑠那には瑠那のルールがあんの! きらりん一筋の姉ちゃんには分からんでしょーけどね!」
諭す様な口振りだけど、妹からは反撃を食らっている。瑠那さんにも譲れない物があるらしい。それが何なのかはまるで分からない。隣に座る彼女の頭を撫でながら、私は別の方面について考えた。
きらりん、と言うのは誰なのだろう。語感から言えば、瑠那さんが付けた渾名なのは間違い無い。彼女の事をゆいゆい、私の事をひまたんと名付けた事から、本名を
「きらりん? って、もしかして晶ちゃんの事?」
「……そうだけど。何? 文句ある?」
その予想は的中した。つい先程、彼女との話題に挙がっていた人物の事だった。
羊佳ちゃんの表情は変わらないものの、その頬はほんのりと赤みが差している。こんな羊佳ちゃんは初めて見る。いつも気怠げな感じだけど、今もそんな表情だけど、内心で照れている事くらいは分かる。
「晶ちゃんだけ、って。へえ、そっか。仲良いとは思ってたけど、特別なんだ?」
「うるさい。それ以上聞くな。馬鹿。」
「姉ちゃんヘタレだからなー。この前なんかお膳立てまでしてやったのに――」
「瑠那。夕飯は生米が良いの?」
「……瑠那は悪い子じゃないよ。姉ちゃんの言う事聞く良い子だよ。」
ヘタレ呼ばわりされて顔を顰めた羊佳ちゃんが、良く分からない脅し文句を口にした。調子に乗った風だった瑠那さんは、たったそれだけで大人しくなった。まさか、ご飯も炊けないくらいに料理が出来ないのだろうか。
しかし、他人事のはずなのに私まで耳が痛い。反面、羊佳ちゃんに対してすごく親近感が湧いてきた。
「分かるよ。自分から行くのは勇気要るよね。」
「……高梨はさっきから色々やってるじゃん。それ食べさせたりとか。」
確かに、恋人らしい振る舞いをするのは苦手ではない。以前の私ならばともかく、今では深い愛情表現であっても惜しむ事は無い。彼女が喜んでくれるのなら、私も幸せを感じられる。それを受け入れられる様になったから。
私がヘタレと言われるのは、今や性関係だけだ。彼女の体は実年齢よりもずっと幼い。私の嗜好から言えばその容姿に興奮するのは確かだ。でも、壊れてしまうのではないかと思うと、大胆に触れるのが怖い。散々思い切り抱き締めているのに、この
「いや、うん。こういう感じのは大丈夫なんだけどね。実はあっちの方だと私も全然……。ヘタレだって言われるし。」
「あっち?」
「あっちと言うか、えっ――」
「陽葵さん。人に言う様な事じゃないっス。」
危ない、危ない。彼女が止めてくれなければ公共の場に相応しくないワードを口走る所だった。いや、ほとんど言ってしまった様なものだけど。察したのだろう、羊佳ちゃんが呆れた様な目で私を見てくる。あの目は、『また高梨が
「ごめん。止めてくれてありがとね。」
「もう。そう言うのは二人だけの……秘め事? ってやつっスよ。」
秘め事。ちょっと文学的な響きだ。ただ、遣われるとすれば官能小説辺りかもしれない。読んだ事は無いけど。
しかし、現実でそんな言葉を聞く事になるとは思わなかった。これは所謂チラリズムと同じなのだろうか、私が学校で発する様なストレートな言葉よりも、何故だかずっといやらしく聞こえる。
「うわ、やば。ゆいゆいさぁ、そういうとこだよ。」
「何が?」
「なんでわざわざそんな言い方するん? 逆にエロいって。」
「えっ。」
どうやらそう感じたのは私だけではないみたいで、似たような事を瑠那さんは口にした。
その指摘は彼女としては思いもよらなかったのだろう。少し目を見開いてから数度の瞬きの後、私の方を見て彼女が問う。
「……そう、思いますか?」
「えっと、うん。ちょっと興奮した。」
「この馬鹿。絶対高梨の影響でしょ。」
「あははっ、私はそんな難しい言葉遣わないよ。」
そう、原因は私ではない。彼女はたまにズレた言い方をする。それは何にでもと言うわけではなく、知る限りでは恋愛や性の方面だけだ。ああ、交遊についても一応挙げられるだろうか。遊びと聞いておままごとが出てきたのも似た様な物だと思う。
多分だけど、あまり知らない事への言葉選びが苦手なのだと思う。彼女は疎い物事に関してはとことん疎い。今では色々と調べているし、私を依存させるくらいの技術まで手に入れてしまったけど、いくら彼女が優秀だと言ってもすぐに全ての知識が身に付くわけではないだろう。
しかし時と場合によってはサキちゃんの時みたいに通報されかねないので、ある程度の常識と言うか、一般的な感覚は早めに覚えてもらいたい。こちとらロリコンのレズビアン、二重に白い目で見られがちなので世間体が気になってしまう人間なのである。世の中はクラスの子達みたいに軽口を言い合える様な人間ばかりではないのだ。
「……人前では言わない様にしよ。」
「うん。その方が良いかも。」
「て言うか、そんな事はどうでも良いんスよ。結局、なんで盗み聞きなんかしたんスか。いや、そっちも別に良いか。私、デートの邪魔されてるの結構怒ってるんスよ。」
やばい。嬉しい。胸の奥がきゅんきゅんと締め付けられる。ああ、彼女は怒っているのに、こんな気持ちを抱いてしまうなんて。
彼女はこんなのでも、デートだと思っていてくれたらしい。少し鋭くなった眼差しがとても愛おしい。
「……ごめん。仲良さそうで羨ましくて、つい。」
「それで邪魔しようと思ったんスか。」
「違う。最初はちょっと聞くだけだった。でも、私も二人みたいに素直になれたら、って。そう思ったら、話し掛けてた。」
親に怒られた子供の様にしゅんとなって、憂いを帯びた瞳でテーブルを見詰める。羊佳ちゃんが声を掛けてきたのは、私達を冷やかしてからかったりするためでも、ただ友人を見掛けたからと言うわけでもなかった様だ。
しかし、理由を聞いて一つの疑問が湧く。私達の仲を羨ましく思うと言うのが、良く分からない。
「うん? 羊佳ちゃんも、いつも晶ちゃんと仲良さそうだけど。あれ、付き合ってるって事で良いんだよね?」
羊佳ちゃんにとって晶ちゃんは特別だ。そして普段から一緒に居るのを良く見るし、周りに言わないだけで私達と同じ様に付き合っているのだと思った。
だけど、羊佳ちゃんは首を横に振る。
「私達は、友達だから。フルードは私の事、そういう風には見てないと思う。それに……。」
「それに?」
「……怖い。本当の事言ったら、フルードに告白してた人達と同じだと思われるかもしれない。」
私は思い違いをしていた。話の流れから、二人は恋人同士なのだと思っていた。それは違っていて、羊佳ちゃんの片思いだった様だ。そして、想いを告げるのが怖い。だから羨ましいと言ったのだ。
勿論、晶ちゃんも同じ様に想っている可能性もある。羊佳ちゃんの事をウールと言う渾名で呼んでいるし、ほとんど一緒に居る事を考えれば、他の友達よりも特別に思っているのではないだろうか。それが恋による物なのかは分からないけど。
「たった一回で諦めるつもりなんスか? 本当に相手が欲しいのなら、何度でも挑戦出来るはずでしょ。」
「丘野には分からないよ。友達じゃ居られなくなるかもしれない怖さが。」
「分かりますよ。私は実際に拒まれましたし。」
「結華ちゃん、それは……。」
結華ちゃんが『拒まれた』と言うのはきっと、最初にキスした時の事だろう。思えばあれが、転換点だった。関係が変化する切っ掛けだった。
あの時は付き合ってもいないのに、我慢の限界を超えてしまった所為で勢いのまま押し倒してしまった。そして攻守逆転の末、その時の私は彼女と結ばれる事を受け入れられなかった。彼女も同じ気持ちだったと言うのに、自身の幸せを掴むなんて出来なかった。更には遠ざけようとまでして、どれほど彼女を傷付けてしまったのだろう。もう、二度と泣かせたくない。
と、それはさて置き。そこまで話されるのは恥ずかしいので止めようと思った。しかし、彼女はまたしても爆弾を投下したのだ。
「陽葵さんなんて酷かったっスからね。自分からやるだけやってポイとか、本当に無いっスよ。」
「ちょっと! 言い方ぁ!」
先程指摘されたばかりなのにこれである。今回は過去の話を持ち出したはずなのに、どうして詳細を全く言わないのだろう。その言い方で伝わるのは当事者の私だけだ。
対面からの視線が痛い。完全に櫻井姉妹から引かれている。
「マジ……? マジで変態鬼畜ロリコンレズ女だった……?」
「高梨、最低……。」
「違うからね!? その時したのはキスまでだから! ねえ、なんで変な言い方するの!?」
瑠那さんの口からあまりにも酷いワードが飛び出したが、これは聞かなかった事にした。鬼畜以外は全く否定出来ないからだ。下手に
私からの問い掛けに、彼女はもじもじとしながら言い淀んだ。少し拗ねた様な表情だけど、頬に赤みが差している。
「……え、だって。他の人にそんな具体的に言うの、恥ずかしいし。」
「ん、んんー……っ! 可愛いから許します!」
見られている事も気にせず、その小さな体をぎゅっと抱き締めた。恥じらう彼女を、これ以上問い詰める気など起きない。私は本当に彼女に弱い。そんな風にされたら、心の中が愛おしさで埋め尽くされてしまう。
「……アホらし。どこからでもイチャつくじゃん。瑠那、帰るよ。」
「あいあい。いやー、身内の恋バナとか正直きっついから助かりましたわ。んじゃねー、お二人さん!」
話の途中だったのに、羊佳ちゃんは呆れを全く隠さない声音で退店の旨を告げた。瑠那さんもまた、私達に軽く挨拶だけして、姉の背中を追い掛けていった。それに半端な返事をして、軽く手を振って見送る。
抱き締めるのをやめて、だけど片方の手だけはテーブルの下で繋いだまま。生クリームの中心に沈んでいた溶けかけのバニラアイスをスプーンで掬う。それを彼女に食べさせてから、もう一度アイスを掬って私も食べる。前に食べた紅茶のアイスの方が美味しかったと思う。
「羊佳ちゃん、どうするのかな。」
「さあ、ヘタレらしいっスからね。古戸さんをけしかけた方が早いんじゃないっスか。」
「……えっ、もしかして私がやるの?」
彼女は私と違って気軽に会いに行けるわけではない。と言うか、それなら私に会いに来て欲しい。そんな気持ちはさて置いて、けしかけるとすれば必然的に私が行う事になる。
友達のためなら協力するつもりはあるけど、そこまでするのはお節介にも程があるのではないだろうか。羊佳ちゃんも助けを求めているわけでもなさそうだったし、そもそも晶ちゃんの気持ちを確認しなければ、ただの空回りに終わる。
「やりたいなら止めませんよ。お節介なお姉さんも、私は好きだから。」
「えへへっ、何だか懐かしいね、それ。」
お節介なお姉さん。彼女に初めて会った時の自称だ。声を掛けたのは自分のためだったけど、彼女を助けたいと思ったのも嘘ではなかった。
嫉妬しがちな彼女だけど、誰かを助けるのを止めないと言いたいのだろう。どうせ私は利己的な人間だ。誰かのためだなんて言わない。彼女の好きな私で居るために、出来る事はしていこう。
「うん、学校に居る時だけ手伝おうかな。それ以外は、可愛い彼女を放っておけないし。」
「もう、陽葵さん。嬉しい事ばっかり言って、ずるいっス。」
だけど、それよりも。出来る限り、彼女の傍に居たい。彼女が困っている時にこそ、
今日、何度目だろうか。彼女はくすぐったそうに笑って、私に体を寄せた。パフェを食べ終わるには、まだまだ掛かりそうだ。
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