小さい理由

 私は今、人生で一、二を争うくらいに緊張している。震えで歯が小さくかちかちと鳴る。呼吸も浅い。私は一度、大きく深呼吸してから話し始めた。


「改めまして、高梨陽葵です。先日から、結華さんと交際させて頂いてます。」


 夏休みが終わってから初めての週末。たった数日でも待ちに待ったと言いたくなる彼女との再会、なのだが。

 私は結華ちゃんのご両親に、挨拶しに来ていた。今はテーブルを挟んで対面にお母様、その隣にお父様が椅子に座っている。隣に彼女が居てくれるとは言え、非常に緊張している。

 お母様とは少しだけ話した事があるけど、お父様とは初めて会う。見た目は長身痩躯で、聞いていた年齢より若く見えるが鋭い目付きをしていてちょっと怖い。『お前に娘はやらん!』とか言われたらどうしよう。


「そんなにかしこまらなくても……。ねえ?」

「そうだよ。前にお土産を持ってきてくれた子だね? あの時はありがとう。美味しく頂いたよ。」


 少し困った様な顔をして、お母様は同意を求めた。それに頷いて、お父様が小さく笑う。この笑い方、と言うより表情の変化が小さい所は、娘である結華ちゃんとそっくりだ。

 どうやら私が恐れていた様な事は無いみたいだ。柔和な人達で良かった。


「だから言ったでしょ。普通に話せば大丈夫だって。」

「でも、やっぱり大事な事だから。失礼な事出来ないよ。」


 隣から話し掛けてくる声は気楽そうだけど、それはここが彼女の家だからだ。きっと同じ立場になれば彼女だって少しくらい緊張するに違いない。後見人である父方の祖父母の家までは少し距離があるので、その日が来るのは遠いだろうが。

 ご両親に最初から頭ごなしに否定されると言う事は無かったけど、この後がどうなるかは分からない。私達は女性同士で付き合っているわけで、それに対して何か言われると思う。

 私が幼い頃に比べて世間は同性愛に対して寛容になったけど、それは多分他人事だからだ。自分とは関わりの薄い、遠くの出来事だと思っているからに他ならない。いざ身内がとなれば、抵抗感が生まれてしまうのは想像に難くない。


「はははっ、気持ちは分かるよ。俺も……おじさんも昔はそうだった。君よりも少しだけ大人だったけど、もう緊張しっ放しだったさ。」

「懐かしいなぁ。この人ね、挨拶が終わって二人になった途端、へなへなーってへたり込んじゃって。」

「しょうがないだろ。俺から見たらお義父さんは怖かったんだよ。」


 昔、お父様も似た様な経験をしたらしい。多分、結華ちゃんが産まれるより前、結婚以前の事だろう。お母様から過去の事をからかわれて浮かべた苦笑いに、少し親近感を覚えた。

 隣を見れば、彼女は何やら微妙な顔をしている。まあ、親の恋愛話を聞く事など少ないだろうから、心中で気不味くなっているのかもしれない。彼女からすれば親の馴れ初めを聞いているのと同じ様な物なのだろう。

 それにしても、私達の事は不自然なくらいに突っ込まれない。気を遣ってくれているのかもしれないが、どう思っているのかはっきりと言ってもらいたい。無論、関係を否定された所で簡単に諦めるつもりは無いけど。


「あの、何も仰らないんですか? その、私達は女性同士ですし……。」

「この子は周りの目なんか気にしないし、陽葵ちゃんはしっかりした子だから。そんなに心配してないかな。」


 お母様には受け入れてもらえてほっとするが、申し訳無い事に昔の事を抜きにしても私はそんなに立派な人間ではない。煩悩ばかりが浮かんでくる様な人間である。常識や世間体と言うのもあって外面を取り繕っているだけだ。付き合う前からあなたの娘をずっと性的に見ていました、なんて言ったら真逆の評価になると思う。いや、これは私が男だったとしても同じ事か。


「思う所もあるけど、先に聞いてたからね。聞いた時は、正直驚いたよ。でも、少しほっとしてる所もあるんだ。そういう事には興味無さそうだったからね。だろ?」

「まあ、そうだね。ちゃんと好きになったのは陽葵さんが初めてだもん。」

「結華。はしたないからやめなさい。」


 彼女が腕に抱き着いてきたが、お母様に注意されて渋々と言った感じで離れた。心地好い温もりがすぐに薄れてしまうのを内心で残念に思う。それはともかく、ご両親は共に認めてくれるみたいで本当に良かった。

 以前も聞いたが、当時の彼氏達とは全く上手く行っていなかったみたいだし、本当に恋愛関係にはほとんど興味が無かったのだろう。私以外との交際を知っているかは分からないが、それは親から見ても同じ様な見解みたいだ。


「娘が迷惑掛けると思うけど、よろしく頼むよ。」

「挨拶に来てくれてありがとね。結華、最近毎日お世話になってたんだから、アンタもちゃんと挨拶しに行きなさい。」

「ん、うーん……。陽葵さん、どうしよ?」

「言ってなかったの?」

「いや、あれはちょっと。相手が親でも勝手に教えるつもりは無いっス。」


 恙なく終わったと思いきや、今回とは逆に彼女が私の方へ挨拶に行けとお母様が言う。私の親はもう居ないわけで、居ない人間に対してどう挨拶をすれば良いのだろう。一緒に墓参りとか、流石に辛気臭過ぎるのではないだろうか。祖父母の所にしても歩いて行けるほど近いわけではなく、電車を乗り換えながら行かなければならない。

 彼女もどうすべきか迷っているみたいだ。別に隠すつもりは無いが、絶対に空気が悪くなる。変に誤解されるよりは、言ってしまう方が良いか。詳細まで口にすると色々と思い出してしまって精神的によろしくないが、多少事実を話すくらいなら平気だ。


「すみません。両親は亡くなってまして。今は祖父母に無理を言って、将来自立する時のために一人暮らしをしてるんです。」


 空気が凍り付くのが分かる。にこやかだったご両親の表情が少し強張っている。このくらいは予想していた事だ。ご両親に挨拶をすると決めた時点で、親が居ない事で色々言われるのは覚悟している。


「ですから、今すぐ結華さんに挨拶しに来てもらう必要は――」

「言いづらい事言わせちゃってごめんね。今まで……ううん、今も大変でしょう?」

「陽葵ちゃん。遠慮せずに、いつでも遊びにおいで。泊まりに来てくれたって良い。俺達はいつでも歓迎するよ。」


 どうやら同情されたみたいだ。差別的に見られないだけ良い方か。いやいや、これは私がネガティブなだけだ。ご両親に悪い所なんて無いし、とても優しい事は伝わってくる。

 あまり場の空気が暗くなるのはよろしくない。私は気にしていない旨を話して、軽くおどけてみたりもした。それから少しの談笑を挟んで。お母様が彼女の方を目をる。


「結華。お母さんは陽葵ちゃんに話があるから、アンタは部屋に戻ってなさい。」

「何? 変な事しないでよ?」

「馬鹿、するわけないでしょ。ほら、さっさと行きな。」


 和やかな雰囲気になったかと思えば、ご両親から話がある様だ。彼女は不安そうに私へ目配せしながら自室へと去って行った。その姿は可愛らしいのだが、私にそれを楽しむ余裕など無い。現状を言えば孤立無援、非常に心細いのだ。


「俺も外した方が良いかい?」

「うん。ありがとね。」

「いや、いつも悪いね。陽葵ちゃん、この後もゆっくりしていって。」

「はい。今日はありがとうございました。」


 話があるのはお母様の方だったらしい。いや、お父様の口振りからしても、何かしらを話し合ってはいるのだろう。

 私が頭を下げると、お父様は何とも言えない、良く分からない表情を浮かべてから、その場を後にした。私は無難な事を言って、頭を下げるくらいしか出来なかった。


「ごめんね。結華と一緒に居たかったでしょ。」

「いえ、まあ、はい。あの、お話って……?」

「もしもの時のためにね。あの子の体、いつおかしくなるか分からないから。」


 対面に座るお母様から放たれた言葉が、ずしりと私に圧し掛かった。耳に入った言葉は、ただの音として脳へと伝わる。何を言っているのか、分からなかった。少しの間を置いて、私はその言葉をようやく理解出来た。

 理解出来たからと言って、納得出来るかと言われれば、そんなはずも無い。彼女の体に、いつ不調が起こるのかも予測出来ない? そんな馬鹿な話があるか。だって、私が数日前に友人から聞いた話では、以前の彼女は相当無茶苦茶な事をしていたらしいじゃないか。そもそもの話、今までに聞いた不調と言えばいつかの生理くらいしか思い当たらない。彼女は重い方みたいだけど、まさかそのくらいで言う事でもあるまい。もしかしたら不順気味、いや、止まっていたらしい事も関係しているのだろうか。


「……どういう意味ですか?」

「あの子、小さいでしょ? 成長障害って言ってね。背が低いのもそうだけど、他も上手く成長出来てないんだ。内臓なんかは、特に何が起きるか分からないんだよ。……あの子はずっと無茶してきたからさ。育ち切る前に、体が成長を終わらせちゃってるんだって。」


 お母様は視線を下に向け、項垂れる様にして話し始めた。テーブルに乗せた組んだ手を自ら見詰める姿は、まるで今まで犯してきた罪を告白しているかの様だった。

 そんな事が、あるのか。だったら、私が軽い気持ちでその姿を好きだとか可愛いだとか言っていたのは。私の想像よりもずっと、彼女にとっては耐え難いコンプレックスだったのではないか。私は、彼女が嫌がる事を言っていたのではないだろうか。


「実はね。陽葵ちゃんとの付き合いを反対しなかったのも、これが理由の一つなんだ。あの子、多分子供は作れないから。」


 更なる事実が私を襲う。機能はあっても子供を作る気の無い私とは違う。あまり考えたくは無いがもしも私以外の人と、男性と付き合う事になったとして。その時に子供が欲しくなったとしても、彼女は産むと言う選択肢すら無い。それはご両親からすれば、酷く痛ましく思うのだろう。だから無理に異性と付き合わせるつもりなんて無くて、私と付き合っている事に何も言わなかった。

 彼女の体は未成熟なんだ。きちんと出来上がる前の、未完成のままに仕上がってしまった体を、私は楽観的に考えていた。


「重い話聞かせちゃってごめんね? でも、万が一の時のために事情知っておいた方が良いと思う。病院連れて行くにしても、その場に私達が居るとは限らないし。」

「私、は……。結華さんの見た目を可愛いとか、それくらいにしか思ってませんでした。全然、そんな事なんて、考えてなくて……。」


 最初からそうだった。出会ったばかりの頃は、疑似幼女が懐いてくるとか馬鹿みたいな事を考えていた。現在でさえ、理想的な容姿の恋人だと思っている。でも、それだけだった。

 何を暢気に考えていたんだ。気付けるか否かの問題じゃない。彼女の事を真剣に考えるのは、恋人として当然だろう。心身を心配するのは、当たり前の事だ。その特殊な容姿を、僅かでも疑問に思うべきだった。


「こんなの、普通分かんないよ。本当にもしもの時のためってだけだから、そんなに気にしないで。うちの馬鹿娘は散々無茶してきたくらいには元気だからさ。」


 その所為でこんな事になってるんだけどね、とお母様は冗談っぽく言った。でも、私の気は晴れない。私みたいな考え無しに、彼女の恋人が務まるのだろうか。今更になって、それが酷く不安になる。

 お母様から改めて娘をよろしく頼むと言われ、話を終えた。本当なら今日は、彼女の事を色々と尋ねたかったのに、私は先程聞かされた話だけで頭がいっぱいだった。重く感じる脚を動かして、彼女の部屋へ向かう。


「あ、陽葵さん。待ってましたよ。やっと二人きりに――」

「結華ちゃん、ごめん。」


 部屋に入った私は、彼女の言葉を遮って抱き締めた。この華奢な体は、自然にそうなったわけじゃない。愛おしいのに、今まで以上に儚く感じた。


「……なんで謝られてるのか分からないんスけど。何か言われました?」

「うん……。結華ちゃんの体の事、聞いたの。私、知らない内に結華ちゃんが傷付く事言ってたかもしれない。」


 少し体を離して彼女を見れば、困惑している様子だった。急に抱き着いて謝られれば当然だろう。でも、そうせずには居られなかった。


「体が小さいのも、成長障害の所為だって……。」

「うん? ……あー、なんか病気みたいな? 確かに成長止まってるとか言われましたね。スイマセン、隠してたわけじゃないんスよ。」


 彼女は小さく眉根を動かして、気不味そうにそう言った。

 隠していたかどうかなんて問題じゃない。もっと単純な話だ。私には、思い遣りと言う物が足りなかった。ただ好きだと言うだけでは駄目だ。彼女から注がれる愛には程遠い。


「私、何も考えてなかった。彼女なのに。もっと真剣に考えなくちゃいけないのに。」

「陽葵さん、ちょっと待って。そんな大した事じゃないんで、落ち着いてください。私も普通に忘れてました。」


 嘘だ。私に心配を掛けさせまいとしているんだ。彼女にとって生涯付き纏う事なのだから、忘れるはずが無い。それも子供が作れないなんて、女としては致命的な事なのだから。

 私は確かに同性愛者だけど、同じ女だから分かる。もしも女性同士で子供が作れるのならば、私だって愛する人との子を授かりたい気持ちはある。でも、それは現実的に不可能だからその気が無いだけだ。

 でも、彼女は違う。好きになった相手が女だと言うだけだ。元々同性が好きだったわけではない。彼女だって、恋愛は異性とする物だと思っていたはずだ。いつかは男性と結婚するのだと漠然と思っていたはずだ。その証拠に、以前は彼氏が居たと言う事実もある。

 外見こそ幼いが、彼女だって十五歳だ。私と同じ、子供と大人の境目に居る歳だ。自身の体について、将来について、聞かされているに違いない。その全てを忘れているなんて事は有り得ない。


「嘘吐かなくて良いよ。こんな大事な事、忘れるわけ――」


 彼女の唇によって、私は言葉を噤む事となった。閉じた瞼から、長い睫毛が顔を覗かせる。顔のパーツ一つだけを見ても、やっぱり彼女は綺麗で可愛らしいと思う。

 どのくらいそうしていただろうか。貪るでもなく、舌を入れるでもなく。深く、深く。純粋な接吻くちづけは続く。やがて離された唇に小さく笑みを浮かべ、しかし彼女は困った様な瞳で私を見詰めた。


「落ち着きました?」


 落ち着いたかと言われれば、果たしてそうなのか。自分でも分からない。彼女への謝罪をしたくて、でもその勢いが削がれたのは確かだ。しかし、もやもやとした物は胸の内に残っている。

 私は彼女に対して弱い。まさしく、惚れた弱みと言えるだろう。愛だけを込めたキスをされれば、私は閉口せざるを得ない。これ以上謝る事は出来ない。でも、彼女がどう思っているのか、それだけは知りたい。知らなければいけない。


「……ずるいよ、そういうの。結華ちゃんを心配するのって、いけない事なの?」

「そんな事無いっス。陽葵さんに心配してもらえるのは、なんだか大切にされてる感じがして。ちょっと嬉しいっス。」

「大切だもん。……でも私、体の方は全然心配してなかった。病気なんて、考えもしなかった。だけどいつ調子が悪くなるか分からないって聞いて、怖くなったの。」


 彼女の身に何かあればと思うと、本当に恐ろしい。彼女を失うのが怖い。もしも彼女を失えば、私はまた独りに――ああ。ああ、そうか。私は本当に最低だ。

 彼女を大切だと嘯いて、未だに自分の事ばかりが大事なんじゃないか。だってそうだろう。彼女を失う事よりも、自分の孤独を恐れるなんて。やっぱり愛される資格なんて無いじゃないか。罪悪感だとか、そんなのは本当にただの言い訳だった。私は単純に、屑だった。

 でも、今更だ。彼女の事だから、きっとこんな私でも愛してくれるのだろう。だったら少しずつでも、変わっていかなければいけない。私は既に変化を経験している。彼女が私を変えてくれた。そうだ、次はもっとスムーズに、新たな自分になれる。彼女に相応しい自分に近付ける。

 それにどうせ、自ら手放す事なんて出来ない。そんな所など既に通り過ぎている。


「全く、うちの母も大袈裟っスね。病気って言っても体が小さいだけで、発作みたいな物があるわけじゃないんスよ。私もさっきまで本当に忘れてましたし。」

「……じゃあ、本当に大丈夫なの?」

「はい。少なくとも肺とか心臓は大丈夫だと思いますよ。ほら、前に陸上やってましたから。体力作りに走り回ってたし、こんな体でも結構速かったんスよ。」


 一番は取れなかったけど、と。彼女は恥ずかしそうに笑った。多分二番目だったのだろう。十分以上にすごい事だと思うけど、きっと彼女にとってはそうではなかった。だって柳原さんには、結局勝てなかったみたいだから。当時の彼女は、一番になる事に執着していたのだから。

 確かに、彼女の言う事に嘘は無いのだろう。それは第三者である友人達の話が証言となる。常人には理解出来ない量のトレーニングと、平行して行っていた全く別の競技の練習と対決。想像するだけでも、普通ならとっくに体を壊しているだろう事は分かる。だが、彼女が夢を諦めたのは今年の春頃だと本人から聞いている。つまり、成長障害と言うハンデを負う事にはなったが、それまでは何だかんだ元気に過ごしていたと言う事だ。


「それと、ね。私が思ってるより、小さい事を気にしてるんじゃないかなって。結華ちゃんは可愛いと思うし、見た目だって好き。でもそう言われるの、今まで嫌じゃなかった?」


 体調に関しては、今すぐに問題無い事は理解出来た。お母様の言う通り、本当に万が一の事が無い限りは大丈夫そうだ。それには少しだけ安心した。ただ、これからはもう少し気を配ってみようと思う。もしもの時には、すぐに動ける様に。

 もう一つ、気になっていた事を聞く。私の言葉で彼女を度々傷付けていたのなら、後悔してもし切れない。本心で好意を伝えていても、それが相手にとっても良い事とは限らない。


「陽葵さん、そのくらい分からないんスか? ……好きな人から褒められて、好きって言われて、嬉しくないわけないでしょ。」


 呆れた様な声音。間近に見える彼女が、目を泳がせる。少しずつ頬に赤みが差していく。照れ臭そうにする彼女を見て、本当に可愛らしいと思った。


「確かに、この小ささが嫌だった事もありました。力も無いし、子供っぽく見られるし。でも、陽葵さんが好きだって言ってくれるから。私、この体で良かったって思ってる。」


 私を真っ直ぐに見て、嬉しそうに、幸せそうに小さく笑う彼女がどうしようもなく愛おしい。物凄く嬉しい事を言われてしまって、心は震えて締め付けられて、今にも暴れ出そうとしている。

 衝動的に唇を重ねる。彼女を真に愛せているかは分からない。でも、今の気持ちだけを込めて、彼女の奥底へと届く様に。一度お互いの唇が離れた後も、彼女の柔らかなそれに短いキスを何度も落とした。

 彼女への伝え方は、間違っていなかった。純粋に喜んでくれていた。それを知れただけでも、本当に良かった。


「結華ちゃん。好き。大好き。そんな事言われたら、もっと好きになっちゃう。」

「ふ、ふふ……。陽葵さん、好きっス。私も、大好き。ねえ、もっとたくさん、好きになってください。」

「うん。今も一番好きなのに、どんどん好きになってる。」


 その小さな体を包む様に抱き締めると、彼女もまた応えてくれる。彼女が受け入れてくれるのなら、それで良い。もう、愛する事を迷わない。この想いが純粋な物だとは言わない。今でも自分自身が大事なのだと自覚している。彼女に対して邪な欲望だって向けている。だけど、彼女を大切に思う気持ちは本当だ。


「ごめんね。本当は嫌だったらどうしようって、不安になっちゃって。」

「嫌なわけない。……私、前は陽葵さんみたいに大人っぽくなりたかったけど。多分同じ様になりたいって、憧れてただけだったんだと思う。今はもう、そんなのどうでも良い。陽葵さんの好きな私で居たい。」


 これは私が原因だ。きっと、初めて私服を見た時の事が響いていたのだろう。私はその時、確かに彼女の格好を可愛いと思ったし、似合っていると伝えた。だがその一方で、年齢にそぐわない事を正直に言ってしまった。その後の態度を見れば、彼女がそれを気にしていたのは分かっていた。だけど、それもいつの間にか気にしなくなったのも感じていた。私の知らない内に、その意識は変わっていたみたいだ。

 あの頃は、交友関係において無知な彼女に色々と教えてあげようと意気込んでいた。頼れるお姉さんを演じていたのだ。そういう風に動いていたのだから、彼女が憧れを持ってしまっていたのも不思議ではない。

 今では、私だってそんなのはどうだって良い。年齢だとか流行だとかも関係無い。彼女に似合う格好をすれば良いと思う。個人的には、幼い子が少し背伸びをした様な服装が好みだけど。まあ、彼女はいつでも最高に可愛いから余程変な格好でなければ問題無いだろう。


「それに陽葵さんって思ってたより大人っぽくなかったし。思い込み激しいし、意外と落ち込みやすいし。えっちな癖にいざとなったら全然動けないし。後押ししても尻込みするし。」


 話の方向がおかしくなった。ついさっきまで真面目な話をしていたはずじゃないか。それがいつの間にか不甲斐なさを責められている。しかも事実なので反論出来ない。


「む、ぐ……。ちょっと言い過ぎじゃない?」

「……でも。すごく優しいし、頼りになるし。心配してくれる時は、真剣になってくれるし。陽葵さんに抱き締めてもらうと、とっても安心する。」


 今度は何やら褒められている。勿論嬉しい気持ちもあるけど、少しむず痒い。正直な所、気恥ずかしい。

 それを彼女が意識的にしているのかは分からないが、落として上げる流れだ。恋愛的な駆け引きにはよく使われる手法で、聞いた事くらいはある。だけど、頭では分かっていても、私はその術中に嵌まっていた。


「本当は弱くて情けなくても、陽葵さんが好き。良い所も駄目な所も、両方合わせて陽葵さんだから。まあ、直して欲しい所もありますけど。」


 彼女も言っていた事だ。好きな人に褒められれば、嬉しい。それは私だって同じだ。例えどれだけ貶されようとも、たった一つでもあなたから褒めてもらえたなら。そうでなくとも、好きだと言ってくれるのなら。それだけで、心が弾んでしまう。


「多分、病気の事は私の駄目な所なんだと思います。他にも、駄目な所はたくさんあると思います。それでも、好きで居てくれませんか?」


 だけど、寂しそうに笑う彼女を見て、違うのだと叫びたくなった。私はそんな事を言わせたかったんじゃない。彼女に駄目な所など、どこにも無い。私如きには勿体無いくらいに、理想的な彼女なのだ。僅かでも持病を負い目に感じているのなら、それは絶対に間違いだ。心配はしても、その程度で嫌うわけが無い。


「駄目なんかじゃないっ! ……心配はしてる、けど。結華ちゃんの事を駄目だなんて思ってない。もし駄目な所があっても、そんなの関係無い。何があっても、私は結華ちゃんをずっと好きで居る。」


 確かに私は弱い人間だ。家族の事を思えば、昔は死ぬ事ばかり考えていた。贖罪を探してばかりの日々を送っていた。自らの幸せなんて思い描く気も無かった。今日だけじゃなく、彼女に情けない所もたくさん見せてきた。

 でも、見くびらないで欲しい。あなたに対する想いは、決して軽くない。それは孤独を嫌う、自分勝手な物かもしれないけど。あなたが居なければ、もう駄目なんだ。他の人間では代わりになんてならない。例え邪険にされても構わない。近くにあなたが居ないのは、嫌だ。あなたじゃないと、私は生きていけない。

 どうか、この想いが少しでも多く伝わって欲しい。そう願いながら、私はもう一度彼女を抱き締める。満足そうな、熱の篭もった吐息が、私の耳たぶを撫でた。

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