私の知らないあなた
何事にも終わりは来る物だと言うけど、そうは思わない。例えこの恋に終わりが来ても、この愛に終わりなど無い。終わる時が来るならば、それは私が死ぬ時だ。
などと格好付けた事を考えてみたが、私は沈んでいた。夏休みが終わってしまったのだ。毎日会っていた恋人に全然会えないと思うと、少し憂鬱な気分になってしまう。
しかし泣き言ばかり言っているわけにはいかない。彼女だって学校に通っているのだから、私もしっかりしなければ。学校を休んで彼女も巻き込んで、などと言うのは流石に良心や常識が咎める。学費だって
残暑の中、空調の効いた電車に乗る。同じ車両に見知った顔を見付ける。そこには既に同じクラスの二人組が座席に座っていた。彼女達とは夏休みの間に出会う事は無かったけど、同じ地域に住んでいる。
「おはよう。二人共、久しぶりだね。
「……ふ、ふへっ、だ、誰?」
「うわ。きも。」
「高梨ですけど! もう、そういうの良くないよ!」
二人組の
晶ちゃんの隣に座ると彼女は私から距離を置く様に羊佳ちゃんの方へ体を寄せた。ちょっと失礼過ぎないだろうか。二年生からの付き合いとは言え、二人の事は友人だと思っていたのだが。
「ひぁ、ひまっさんが、そ、そんな普通の事言うわけ、な、ないし。」
「私だって学校の外では普通だよ。変な事言ったら他の人に迷惑でしょ。」
「う、ウール、助け、助けて。」
「高梨。きもいからやめて。」
晶ちゃんはずり落ちた眼鏡を指で押し上げて、吃りながら失礼な事ばかり言う。羊佳ちゃんもまた、気怠げに罵倒してくる。ああ、結華ちゃんの愛のある罵倒が恋しい。
いや、分かっている。私の普段の行いが原因だ。確かに今年の夏休み前までは色々とオープン過ぎた。欲求不満や同性しか居ない環境などの様々な要因で下ネタやアブノーマルな性癖の数々を口走っていたのを忘れたとは言わない。ただ、それは学校で放課後や休み時間に言っていた事だ。私だって真面目な時は真面目にしているし、こう言った公共の場では控えている。
「二人共、酷くない? いつも変な事ばかり言ってるわけじゃないよ?」
「きっしょ。何その喋り方。」
「ん、ああ……。」
ああ、そうか。夏休み前まではお母さんの真似をしていたから、今の私を見ると違和感を覚えるのか。この夏の間に素の自分に慣れてしまったので、こうなる事を失念していた。
「本当はこっちが素なんだ。色々あって、隠さなくなっただけ。」
「ふーん。男でも出来た?」
「ううん。でも、彼女は出来たよ。」
確かに彼氏が出来て色々変わってしまう子は居るけど、私にそれを聞くのか。私の恋愛対象は女性で、小さくて可愛い子が好みである事は周知の事実だ。少なくともクラス全体には知られている。まあ、彼女のお陰で著しく変化したのは間違い無いけど。
それにしても、誰かと付き合った事は無かったので、こういう事を友達に報告するのはちょっと照れ臭い。少しにやにやとしてしまう。
「へぁ、ひまっさん、ロリ、ロリコンだもんね。で、出来るなら、か、彼女、だよね。……あれ?」
「その彼女って、空想上の存在?」
「実在してるよ! ちゃんと触れるよ!」
どうしよう、この後の展開が予想出来てしまう。ロリコンとして認識されている私に彼女が出来たとなれば、その相手の外見年齢はある程度想像が付くわけで。十中八九、サキちゃんの時と同じ事になる。
「さ、さわ、触ったの?」
「ん、まあ……。どっちかって言うと触られてるって言うか……。」
「なるほど。通報しよ。」
「やめてよ! 二つ下なだけだから! 小学生とかじゃないから!」
予想通り過ぎて笑えない。これから彼女が出来た事を誰かに知られる度に通報されそうになるのだろうか。身から出た錆とは言え、ちょっと辛い物がある。確かに彼女には触れているし触れられてもいるけど、法には触れていないのだから。
中学生と高校生で付き合っているので、何か問題は無いのか私も一応調べた。一般的にこの程度の年の差は普通だし、お互いに好きであれば何も問題は無い。そう、えっちな事をしてても何も問題は無いのだ。避妊も必要無いからむしろ異性間カップルより安全なのではないだろうか。
「んう、嘘でしょ。そ、そんな大きい、お、女の子、タイプじゃない、ないよね?」
「本当だよ。彼女、ちっちゃいし可愛いんだよ。私も最初見た時は小学生と間違えちゃったくらいだもん。」
「信じられない。写真くらい撮ってないの? 見せて。」
本人を見ないと納得しないのか、羊佳ちゃんから写真を要求された。なんと疑り深い事か。しかし本人を見た所で見た目の幼さしか分からないと思う。逆に納得出来ないのではないだろうか。
前にサキちゃんに送ったツーショットで良いか。大きさは伝わりづらいけど、私にくっついて顔を隠そうとしているのが最高に可愛い。
「ほら。……ちゃんと中学生だからね?」
「んー……? どっかで見た様な……。」
「結構近い所に住んでるから。どこかで見掛けたんじゃない?」
「いや、多分学校だと思う。フルード、分かる?」
「しゅ、修羅だ……。」
「あ、本当だ。これ修羅姫じゃん。髪下ろしてるの初めて見た。」
「え? 修羅? 姫?」
どうやら彼女達は結華ちゃんの事を知っているみたいだ。考えてみれば近い所に住んでいるのだから、同じ中学だったのかもしれない。それにしても修羅とは、穏やかじゃない。あんなに可愛いのに。
修羅と言うのはともかく、姫の方は同意出来る。彼女は本当に可愛いし、私のお姫様だから、なんて。惚気が過ぎるか。
「ひ、ひまっさん、ほ、本当にこの子とつき、付き合ってるの?」
「うん。修羅って何なの?」
「ぼ、僕、中学もりく、陸上やってて。ぶっ、部活、同じだったの。め、めちゃくちゃなとれ、トレーニングしてた。」
詳しく聞いてみると、どうやら結華ちゃんは陸上部時代にとんでもないトレーニングをしていたらしい。一見すると幼くて可愛らしいのに、常人では思い付いても絶対にやらない様な練習法と後先など考えていない様な練習量で努力を重ねる姿に、修羅姫と呼ばれる様になったそうだ。
例を挙げると、リスニング教材をイヤホンで聞きながら数学の教科書を読みつつ、部活が終わるまで延々と走っていたそうだ。他にも短距離走を倒れるまで全く休み無く練習し続けたとか、走って帰ったと思ったら鞄も置かずに走っているのを夜道に見掛けたとか、聞けば聞くほどに、あの可憐な彼女がそんな事をしていたのかと疑いたくなる。
陸上部だったのは聞いた事がある。でも、そんな意味不明な事をしていたと言うのは初耳だった。同じ事が出来るかと問われれば、無理だ。思い返せば出会った時の彼女は頑張り過ぎで燃え尽き症候群になっていたみたいだから、過酷なトレーニングをしていたのは多分合っている。過去の事だからちょっとした記憶違いで、大袈裟に言っているのではないだろうか。
「で、でも、それで僕、ま、負けちゃったんだ。あんな、ひ、酷いと、トレーニングなのに。」
「うちの妹も弓道で負けてた。先に的の真ん中以外に当てた方が負けってルールで。」
「弓道? 陸上部だったんだよね?」
「色んな部に修羅狩りと一緒に二人で押し入って対決してた。あっと言う間にそこの部員より上手くなるから、道場破りみたいな扱いになってた。」
何だ、修羅狩りって。昔、弟が見ていたアニメにでも出てきそうな単語だ。いや、修羅姫の方もそうだけど。別に嬉しくないのに頭が痛くなってくる。
ちょっと理解が追い付かない。結華ちゃんは体を壊しかねないレベルで陸上のトレーニングをしながら、全く別の競技までやっていた、と言う事か。わけが分からない。いや、教科書を読みながら走っているだけでも意味が分からないのに、どうなっているんだ。修羅姫とやらは、本当に私の彼女である丘野結華なのだろうか。
「また知らない言葉が出てきた……。修羅狩りって何?」
「しゅ、修羅にはま、負けない、って言ってた子。ほん、本当にさ、最後には勝ち、続けて。だ、だからその子が一番す、すごかった。」
「私も修羅狩りの方がインパクトあって覚えてる。私は料理研究部だったんだけど。突然二人が入ってきて、焼き菓子対決始めたんだ。勝手に私達、部員を審判にしてね。修羅姫――ああ、丘野だったっけ? そっちは店レベルのフィナンシェ作ってた。」
なるほど、修羅狩りと言うのが例の、結華ちゃんが全然勝てなかった子か。渾名の由来も何となく察した。他者よりも圧倒的な速度で上達する修羅に、最終的には絶対に勝つ。そして勝ち続ける。だから修羅狩り。
そして、羊佳ちゃんの思い出した様な一言で、修羅姫が私の彼女である事が確定した。フィナンシェか。私も初めて遊んだ時に食べさせてもらった。焼きたてではなかったけど、あれはすごく美味しかった。そう言えばあの時、お菓子の作り方を教えてもらう約束をしていた。ああ、懐かしい。などと、私は脳内で現実逃避をしていた。
「私も作ってもらった事ある。ちょっと懐かしいな……。それで、修羅狩りさんの方は?」
「ウェディングケーキ。」
「……えっ?」
「ウェディングケーキ作ったの。わざわざ前もって飾りの飴細工まで用意して。当時結婚したばかりの二人の先生まで呼んで。女の先生なんて、泣いて喜んでた。……勝敗は言う必要無いよね。」
「そ、それ、僕もき、聞いた事あるよ。うぇ、ウェディングケーキは、が、学校中でう、うわ、噂になってた。」
おかしい、いくら何でも修羅狩りのやっている事はおかしい。当時は中学一年生だったはずだろう。結華ちゃんとの対決のはずなのに、どうして他者を祝うウェディングケーキを作るなんて発想が出てくるんだ。それも、本人達をその場に呼ぶなんて。そんなの、他の何を作った所で勝てるはずが無い。
「……ちょっと信じられないんだけど。全部本当なの?」
「う、うん。り、陸上の方は、ぼ、僕も見て、見てたから。」
「私も知ってる事しか言ってない。天才二人組って感じだったけど、結局いつも柳原が勝ってたみたい。」
「え、柳原さん?」
急に知っている名前が出てきた。確か、彼女の友達。そして、ライバル。
ああ、そういう事か。いつも柳原さんが勝っていた、と言う事は。修羅狩りは、柳原さんの事だ。
「修羅狩りの方、柳原真理って言うの。ケーキの所為で今も覚えてる。」
私は既に、彼女を追い詰めた原因に出会っていた。ふつふつと、怒りが湧いてくる。柳原真理。涼しい顔をして、友達面をして、彼女の心が完全に疲弊するまで追い詰めた人物。
頭では分かっている。私が口を挟む事ではない。彼女が柳原さんに対して恨みが無い事も分かっている。そもそも、彼女が限界まで追い詰められたからこそ、私達が出会えたと言うのも分かっている。
それでも、あの消えてしまいそうだった彼女の姿を思えば、どうしても許せない。あのまま放っておけば、どうなっていたか。ずっと投げやりな態度のままだったかもしれない。誰にも助けてもらえなかったかもしれない。二度と、彼女は立ち直れなかったかもしれない。
でも、今は駄目だ。私には怒る権利は無い。いや、恋人だと言う事を踏まえれば権利はあるのだろうが、そういう事ではない。私は、出会う以前の彼女の事も柳原さんの事も全然知らない。何も知らない人間が怒るのは筋違いだ。
彼女と出会ってから三ヶ月以上経つ。少しずつ彼女を知っていって、少しずつ彼女を好きになっていって。今では、彼女と恋人になった。だけど、私は自分が思っていた以上に、彼女の事を知らなかった。彼女は私の事を、色々と知っているのに。彼女の恋人を名乗るなら、もっと知らなければいけない。今も、過去も、良い所も、悪い所も。全て知った上で、好きで居たい。
電車を降りた後も、学校に着いてからも、始業式中も。ずっと、その事ばかり考えていた。
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