誘惑

 一人暮らしと言うのは二人で過ごすには都合が良い。人の目を気にする必要が無いのは、大きなメリットだ。逆に言えば、理性を失えば止まるのは難しい。だからこそ、以前彼女が泊まるのを渋ったわけだ。

 この数日、彼女は毎日私の家に来ている。何をするか決めているわけではなく、ただ一緒に居たいだけだ。

 今はベッドの上に座ってスマートフォンで一緒に動画を見ている。動物の癒し系動画だ。私の選択は悪くなかったらしく、腕の中にすっぽりと収まった彼女は画面に集中している。そして私は彼女の首筋に集中している。

 いけない、今の私はただの背もたれだ。ただのクッションなのだ。動画に集中している彼女に手を出すわけにはいかない。だが、しかし、魅力的な肌が触って欲しいと訴え掛けている様な。いやいや、彼女の体を支える事だけに集中しなくては。

 首筋が見えるから変な事を考えるのだ。私は彼女の肩に顎を乗せて、一緒に動画を見る事にした。彼女はぴくりと反応したが、そのまま動画に目を向けている。後ろから抱き締める様な格好になっている所為で密着している部分に意識が持っていかれる。興奮してきた。

 少しすると、暑かったのだろうか、彼女は服の襟元をぱたぱたと煽ぐ。オフショルダーなので襟元と呼んで良いのか分からないけど、とにかく服をうちわ代わりに風を送っている。

 ちらちらと姿を見せる胸元に、つい目が奪われる。彼女の胸はお世辞にも大きいとは言えない。全く膨らみが無いわけではないが小さいからこそ、こう言った服では上からの視線には無防備だ。と言うか、何故下着を付けていないのだろうか。それよりももう少し、もう少しで先の方まで見えそう。そう思った所で、彼女の腕が襟元を塞いだ。


「陽葵さん。」

「何?」

「えっち。」


 やばい。たった一言なのに、とんでもない破壊力を秘めている。何を破壊するかと言えば理性に決まっている。

 危ない所だった。理性が弾け飛んで衝動のまま押し倒す所だった。私がノータッチ派(幼い女の子には触らないタイプのロリコンの事。)じゃなかったら我慢出来なかった。実際は二つしか歳の差は無いし、付き合っているのだから問題は無いけど。


「動画、終わっちゃいましたね。次は何にします? 陽葵さん、何か、ありますか?」


 そう言って、彼女は襟元を軽く指で引っ張った。当然私はスマートフォンになど目は行かず、吸い込まれる様にそこを見てしまう。やっぱり肝心な部分は見えない。

 私は落ち着いた風を装って、常識的に彼女へ指摘する。


「結華ちゃん。ちゃんと下着は着けないと駄目だよ。」

「嫌っスよ。この服だと丸見えじゃないっスか。……あ、陽葵さんはそっちの方が良いんスか?」

「ううん、どっちが良いとかじゃなくてね? 中、見えちゃうよ?」

「……ふーん? それ、心配してくれてるんスか? それとも、期待してます?」


 こちらを控えめに振り向く彼女は頬を染め、流し目を送ってきた。その幼い見た目とはアンバランスな妖艶さを纏っていた。ここ数日の彼女は、こういう感じになる事が多い。

 以前からたまに色気を出してくる時はあったけど、その時は多分無自覚だったのだと思う。彼女は私の想像よりも恋愛や性の知識には疎く、歳を考えれば信じられないほどに無垢だった。

 それが付き合い始めてからと言うもの、どう身に付けたのかは分からないけど、やたらと劣情を刺激する事ばかりしてくる。昨日なんて恥ずかしそうにしながら自分からスカートを捲って下着を見せてきた。ドット柄だった。


「……心配してるに決まってるでしょ。」

「そうっスか。あ、次の動画始まっちゃいましたね。」


 彼女は正面に向き直ると、再び動画を見始めた。スマートフォンを覗くと、画面には子猫がおもちゃを前に飛び跳ねている姿が映っていた。自動的に関連動画が再生された様だ。

 心配しているのは本当だ。彼女の無防備な姿を他人に見られたらと思うと、もしも襲われてしまったらと思うと気が気ではない。これは嫉妬みたいな物ではなく、純粋な心配である。

 同時にもう一方も、本当だった。それはもう、思い切り覗き込んでいたのだから言い逃れなど出来ない。前にお風呂で見たはずなのに、どうしてこんなに惹かれているのだろう。見えそうで見えないのも心をくすぐられる。

 それは突然の事だった。彼女のお腹に回していた手が掴まれて、その胸に引き寄せられる。彼女の手が上に重ねられ、ぎゅっと押し付けられる。右手に慎ましくも柔らかい感触が伝わる。


「あの、結華ちゃん? 何してるの?」

「誘惑してます。」

「なんで!?」


 私の問いには答えず、彼女はスマートフォンをベッドの上に放ると、そのまま左手をすべすべの太ももに引っ張ってくる。デニム生地から伸びる脚は細いのに艶めかしい。

 このまま流されるのは不味い。止まれなくなる前にやめなければと思うも、私の意思に反して指が動く。この感触をもっと味わいたいのが本音だからだ。


「はい、終わり。」

「なっ、なんで……!」


 両手を彼女の体からゆっくりと引き剥がされる。まだ触れていたい。つい先程まではやめなければと思っていたのに、どうして彼女は止めさせたのだろうと真逆の事を考えている。

 彼女がこちらに体を向けて抱き着いてくる。首元で深く呼吸を繰り返している。彼女が私の体臭を好んでいるのは知っているけど、こうして嗅がれるのはやっぱり恥ずかしい。

 息の当たる箇所が首筋から少しずつ上って行って、彼女と私の肌が擦れ合う。この先でされる事を想像して、私は期待と緊張で固まっていた。やがて、耳元にまで呼吸音が近付く。


「陽葵さん。好き。好きっス。大好き。」


 熱い吐息が耳を溶かす。真っ直ぐに愛を囁かれる。全身を波打つ様に、ぞわりと鳥肌が立っていく様な感覚。呼吸が浅くなる。心臓がどくどくと脈打っているのを感じる。

 駄目だ。以前の事で知ったけど、私は耳が弱いんだ。その上、こんなに近くで好きだと言われたら。


「ねえ、続きがしたいならしても良いんスよ?」


 続きがしたいかなんて、当然したいに決まっている。性欲だけじゃなくて、彼女の事が好きだから。その心も体も、どうしても欲しくなってしまう。

 でも私は、幸せを求めてはいけない。これ以上は強過ぎる。先へ進めば底なしの沼。止まれずに、そのまま最後までしてしまう。最後に行き着くのは愛し合う行為。同性間では子供を作れないからこそ、それは相互の愛を確かめ合う事に他ならない。そこまでの愛を求める資格なんて、私には無い。


「でも、出来ないんスよね。ヘタレな陽葵さんには。」

「……え?」


 そんな事を考えていると、私の知る彼女からは想像出来ない様な、くすくすと嘲る様な笑い声が聞こえた。


「色々言い訳してますけど、本当はそんな勇気も無い雑魚なんスよね。私なんて、押さえ付けられたら抵抗できないんスよ?」


 心の中を見透かされた様な言葉。彼女の誘いに乗った所で問題など無いのに、私の気持ちばかりを言い訳にして結局ストップを掛けてしまう。

 彼女の力は体格相応に弱い。私に抱き着く小さな体は、確かに力を持ってすれば私程度でも簡単に征服出来てしまいそうだ。


「彼女に責められてばかりの雑魚。ねえ、年下の子にこんな風に馬鹿にされて、悔しくないんスか?」

「もう、もうやめてよ。そんなに、言わないで。」


 頭の中が熱で暴走している。思いもよらなかった罵倒に心が掻き乱される。

 抱き着いたままだった彼女が離れていく。にやにやと意地悪そうな表情を浮かべて、くすくすと笑い声を漏らした。


「いくらヘタレでもキスくらいは出来ますよね? ほら、早くしてくださいよ。出来ないんスか?」


 キスなら。キスなら何度かしている。今更性欲を含んだ物をした所で、罪悪感は少ない。

 彼女の細い手首を掴んで押し倒す。溜まり切った劣情をぶつける様に、唇を重ねた。貪る様に唇を動かして、彼女の感触を味わう。

 その時、口内にぬるりと何かが入ってきた。それは歯をこじ開けて、私の舌を嬲ってくる。知らない感覚に目を見開く。しかし舌に絡むその感触に溺れていって、ゆっくりと瞼を閉じた。

 唇が離れる。それを名残惜しく感じて目を開けて、ようやく気付く。私が押し倒したはずなのに、いつの間にか彼女に肩を掴まれて押し倒されていた。


「私、言いましたよね。抵抗なんて出来ないって。ねえ、どうして陽葵さんが押さえ付けられてるんスか?」


 弱々しく彼女の手首を握っている私は、まるで無駄な抵抗をしようとしているみたいだ。

 こちらを馬鹿にする様に笑う彼女が私の上に体を重ねて、左耳を手で塞いでくる。その逆側に、彼女の吐息を感じる。


「私に負けちゃうくらい弱いんだ? やっぱり雑魚じゃん。ざーこ。雑魚陽葵。大好き。びくびくして情けないね?」


 耳へのキスと罵倒と、愛の囁きが繰り返される。反対側を塞がれている所為で、頭の中でそれらが乱反射して、脳がぐちゃぐちゃに犯し尽くされていく。

 知らない女の声がする。いいや、前にも聞いたことがある。短くて、高くて、色を帯びた嬌声。それは、私の喉から勝手に漏れ出た物。

 頭の中で溜まりに溜まった彼女の愛が弾ける。体が跳ねる。全身を快感の波が襲う。それでも彼女はやめない。やめてくれない。彼女に乗られたまま、私は悶え続けた。

 残る快感に痙攣する私から離れた彼女は口元に小さく笑みを浮かべていて、小悪魔的な雰囲気も鳴りを潜めていた。


「どうでした? こういうのが好きって聞いたんスけど。」


 先程までの態度や罵倒の事だろう。誰から聞いたかなんて、そんな相手はサキちゃんしか居ない。私の性癖をバラされたのだ。後で文句言ってやる。

 

「……やばい、これ駄目。駄目だよ。おかしくなる。」

「嫌でした?」

「……嫌じゃ、なかった。」


 それはそれとして、非常に興奮した。いつもの彼女とは全然違った雰囲気で、完全に呑まれていた。途中から他の事なんて考えられなくなって、与えられる快楽に溺れていた。

 どうしてなのか、罪悪感も無い。欲に身を任せるのはいけないはずなのに。だからずっと、我慢してきたのに。それが彼女によって、呆気なく満たされてしまった。


「良かった。……そうだ、ちゃんと出来たら褒めないと。」


 彼女は思い出した様に言って、私の頭を優しく撫で始めた。細い指が私の髪を通る。


「キス、してくれましたね。嬉しかったっスよ。雑魚の癖に良く出来ました。」


 慈愛に満ちた瞳で、優しい口調で褒めてくれたと思ったら、罵倒まで一緒に降ってくる。勝手に体が反応して、ぐしゃぐしゃの下着にまた新しい雫が落ちた。

 褒められて撫でてもらえるのは何年ぶりだろう。心が何かで満たされていく。嬉しいのに、頭が痛くない。彼女に撫でられているからだろうか。


「結華ちゃん……。好きぃ……。」

「私も、大好きっスよ。弱くて、情けなくて、えっちで。そんな陽葵さんも好き。」


 体を起こして、私に跨ったままの彼女に抱き着く。小さな手が頭を撫で続ける。与えられるままに愛を受ける私は、まるで幼い子供の様だった。


「私、色々調べたんスよ。人間って気持ち良い事を覚えるとなかなか抜け出せなくて、むしろエスカレートしていくらしいっス。」


 体の火照りが落ち着いた頃、彼女は私の膝の上で話し始めた。それは私にも身に覚えのある事だった。

 一度味わってしまうと、二度目への抵抗は少なくなる。彼女と接する中で、それを何度も経験している。あんな物を知ってしまったら、もう戻れない。以前よりも我慢が効かなくなる予感があった。


「で、やっぱり体に覚えさせるのが早いかなって。」

「もしかしてこういう事、結構するつもりなの……?」

「はい。依存症ってあるじゃないっスか。それにしようかなって。いつでも私の事を考える様になってもらおうと思ったんスよ。」


 本人は至って明るい感じだけど、言っている事はヤンデレのそれである。自然体なのが逆に本物感がある。

 もしかして、とんでもない素質を目覚めさせてしまったのではないか。私の所為で彼女は道を踏み外そうとしているではないか。

 結華ちゃん依存症になるのは満更でもないが、それこそエスカレートしていって監禁とか言い出したりしないだろうか。今の内にどうにか道を正したい所だ。


「結華ちゃん。それ、普通にやばいと思う。危ない発想だよ。」

「え、好きな人に自分の事を考えてもらいたいのって、普通じゃないっスか?」

「それはそうなんだけど。依存させるとか、ちょっとね? 気持ちが強過ぎるかな。」

「そうスか? ……そうかも。」


 頭も良いし素直な子だから、指摘してあげれば分かってくれると思う。現に彼女は思案する様に瞳を動かして、どうやら思い直している様だ。


「でも仕方無いっスね。私は彼女になっただけじゃ満足出来ないんで。もっと陽葵さんに好きになって欲しいもん。」


 控えめな照れ笑いを浮かべながらそんな事を言われれば、私はそれ以上反論する事は出来なかった。その可愛さの前に説得は失敗したのだ。

 いや、これはずるい。ときめきで胸がきゅんきゅんする。小悪魔な彼女に翻弄されるのも良いけど、やっぱり素直に好意をぶつけられるのはすごく嬉しい。

 感情の赴くまま、私は彼女を強く抱き締めた。


「なんでそんなに可愛いのかな。好きだよ。もっと好きになる。」

「陽葵さん、苦し……。」

「あっ、ごめんね。」

「……もっと。もっと強くしてください。このまま一つになる、くらい。」


 彼女の望み通りに少しずつ抱き締める力を強くしていく。その華奢な体が壊れてしまいそうで少し怖い。空気の抜ける様な、掠れた声が聞こえる。それが聞こえなくなった所で少しだけ留めて、すぐに力を緩めた。

 彼女は力が抜けた様に私の首元に顔を埋めて、大きく息を吸う。空気を求めて、荒い呼吸が繰り返される。


「ふ、ふふっ……。私の中、陽葵さんでいっぱいになってます……。」

「あの、結華ちゃん? そういう事言われるの、恥ずかしいんだけど。」


 もしかしてそれが目的だったのか。つまり、彼女は肺の中を空っぽにして、私の体臭を思い切り堪能していたというわけだ。

 当然ながら物凄く恥ずかしい。汗も掻いているし、下の方も酷い事になったままなので、そちらの匂いまで届いてしまうのではないかと心配だ。

 ひたすら呼吸を続けていた彼女が口を開く。そこに居たのは、小悪魔だった。


「さっきまで、もっと恥ずかしい事になってたのに?」


 ぬるりと、私の首に温かい物が蠢く。柔らかな唇が吸い付いてくる。その一つ一つに、体が反応してしまう。

 まさかこのままもう一度、あの快楽の海に落とされるのだろうか。それを想像して、私は期待している自分に気付く。依存症になる日は遠くないのかもしれない。

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