宣戦布告・再
一晩が経って、気不味い朝食を摂って、そのまま別れて。私は一度自宅に戻ってから、また陽葵さんの部屋に訪れた。
「あの。昨日は、ごめんなさい。」
「私もごめんねぇ。嫌な気持ちにさせちゃったよねぇ。」
「私の事なんて、全然。でも、教えてくれませんか。少しでも良いから、どうして嫌だったのか、教えて欲しいっス。」
咲田さんの助言を受けて、私は彼女から拒絶された理由を聞く事にした。どこまで話してくれるのかは分からないけれど、何も知らないよりは良いと思った。だって、何一つ知らないままでは、ここから進めない。
「嫌じゃなかったよぉ。うん、嘘とかじゃなくてねぇ、本当に嫌じゃなかったの。私、嬉しかったんだぁ。」
「だったら、なんで。やめてって、言いましたよね? どうして拒んだんスか?」
「……これ以上幸せになるのは、いけない事だから。」
彼女の話し方が、変わる。静かで、少し平坦に感じた。その声に甘さは無い。
幸せになる事がいけないだなんて、どうしてそう思うのだろう。人が何かに幸せを見出して求める事は、自然な事ではないだろうか。今の私が、彼女を求めている様に。
「分かるよね? あれ以上続けるのは、愛し合うって事なんだよ。」
「それの何がいけないんスか。私じゃ、駄目なんスか?」
「そうじゃないの。結華ちゃんが悪いんじゃない。私にそんな資格が無いって事だよ。」
分からない。幸せを求めるのに、誰かと愛し合うのに、資格なんて必要あるのだろうか。お互いを求め合う事は、いけない事なのだろうか。
分からない。彼女が何故、そんな事を言うのかが分からない。疑問ばかりが増えていく中で、彼女は言葉を続ける。
「私が一人暮らしをしてる理由。教えた事、無かったよね。」
「……はい。でも、それと何の関係が――」
「私には、もう一緒に暮らす家族が居ないんだ。」
ガツンと、頭を殴られた気分だった。彼女の言葉をそのまま受け取るなら、少なくとも両親とは簡単には会えないと言う事だ。その理由が、明るい物ではない事くらいは分かる。
馬鹿だ、私は。どうして今まで、何も思わなかったのだろう。違和感の一つくらい抱けていたはずなのに。そうだ、まだ働いてもいない高校生が一人暮らしなんて、普通ではない。それを私は、立派だとか、大人っぽいとか、楽観的に考えていた。なんて、浅はかな。
「家族、は……?」
「死んだよ。四年前、私が中一の頃に火事でね。」
それは私が考えていた中で、最悪だった。彼女は二度と、一緒に暮らしていた家族には会えない。その気持ちは、きっと私には分からない。私は失っていないから。
「……お母さんの誕生日に、自作のアロマキャンドルを贈ったんだ。でもそれは、別に問題無かった。でも、アロマキャンドルを作ったのは初めてで、何度も失敗したの。その失敗作を、勿体ないから。そんなのでも喜んでくれるから。弟にあげた。……誕生日から何日かして、その火事が起きたの。出火元は、弟の部屋だった。私の所為で、皆死んだの。」
彼女は淡々と、本に記された文章を読み上げるかの様に言葉を紡いだ。その目は、どこか遠くを映している様に見えた。その姿が、いつかの自分と重なった。
昨日の出来事を思い出す。髪を乾かしていた時に浮かんでいた感情は、本当に寂しさだけだったのだろうか。調理器具がIHなのは、火事を恐れての事だったのだろうか。肉が、苦手な、理由は。
どれだけ苦しかったのだろう。いつだってふとした瞬間に、きっと嫌な物は目に入ってしまう。
「私はね、人殺しなんだ。親も、弟も、私が殺したの。駄目なんだよ。そんな人間はね。人並みの幸せなんて、望んじゃいけないの。」
それが、私を拒んだ理由。自責の念と言うのだろう。彼女は自身の所為で家族の命を奪ったのだと思っているからこそ、自分の幸せを拒む。
でも。幸せを望んではいけないのなら、どうして今まで私と過ごしてくれた? どうして好意を向けてくれた? どうして優しく抱き締めてくれた? どうして、唇を重ねたりした?
本当は、求めているんだ。彼女だって、本当は愛が欲しいんだ。隣に誰かが居て欲しいんだ。
自分を責めてしまうのと同時に、亡くなった家族に対して後ろめたい気持ちがあるのだと思う。家族の未来を、幸せを奪ったと思っているから。だから、彼女は大きな幸せを前に自分へ歯止めを掛ける。それを彼女は望んでいるのだろうか。それを、彼女の家族は望んでいるのだろうか。
「そんなの、陽葵さんが全部背負わなくたって、良いじゃないっスか……。色んな事が重なった所為じゃないっスか。陽葵さんがそれを渡したのもそうかもしれないけど、弟さんの不注意だってあったかもしれない、気付くのが遅かったとか、消火が遅かった所為かも……。」
「結華ちゃん。物事にはね、一番根っこの部分があるんだよ。始まりの部分がね。それが無ければ、何も起こらないの。私があんな物を作ろうとしなければ、ううん、自分で何かを作って贈ろうとしなければ、火事なんて起こらなかった。過程に起きた事は原因じゃないの。一番最初が全ての原因なんだよ。」
これに関して、彼女は頑固だった。自分だけが悪いのだと、信じて疑わない様子だった。
普通であれば、彼女だけが責められるはずが無い。例えば彼女の弟が言われるなら、あの子が火遊びなんてしたから、とか。親が何か言われるなら、監督責任が、とか。間に合わなかった消防の所為だとか。あるいは、全てをひっくるめて不幸な事故だったと片付けるか。
彼女に普通の諭し方なんて通用しない。ただの慰めなど求めていない。普通では駄目だ。
彼女が、どうしても自分を責め続けるのならば。その考えが変わらないのであれば、私は彼女の論理に乗るしか無い。同じ考え方で立ち向かう他に無い。
「……だったら。だったら責任取ってください。私が陽葵さんを好きになったのは、あの時の陽葵さんの行動が原因だから。あの時出会った事が、一番最初だから。」
「本当はね。そんなに褒められた物じゃないんだよ。私が救われたくて結華ちゃんに声を掛けたの。助けたら、少しは償いに――」
「そんな事はどうだって良い! あの時陽葵さんがどんな事を考えていたって、私を助けた事に変わりなんて無い! あの時の優しさは嘘なんかじゃない! 今、私が好きな事に違いなんて無い!」
彼女の、自身を貶める言葉を遮る。私にとって、始まりはあの時なんだ。あの時にこそ、私はもう一度立ち上がって歩き始めたんだ。それは彼女にだって否定させない。
彼女にとって、今でも一番大切なのは家族なのだ。一番大切な人達を裏切れないから、一定以上の幸せを拒む。
ならば今、私が彼女に出来る事は。するべき事は。違う、そうじゃない。私がやりたい事は、何だ。一体どうしたいんだ。
――陽葵さんが欲しい。その心を独り占めしたい。何もかもどうでも良くなるくらい、一緒に幸せを感じたい。
やる事は決まった。簡単な話だ。私が一番になれば良い。他の事など考えさせないくらいに、夢中にさせれば良い。それだけで全てが解決する。家族への悔恨も罪悪感も消えるわけではないが、それよりも私への気持ちを上回らせる。絶対に無視なんかさせない様にする。そうすれば、彼女は幸せを拒めなくなる。
「決めました。私、陽葵さんの一番になります。今は駄目でも、一番大切だって言わせてみせます。」
「急に、何言ってるの? そんなの、結華ちゃんが一番好きに決まってる。だから苦しいの。本当はこれ以上、結華ちゃんと一緒に居るべきじゃないんだよ……。」
「……陽葵さんは亡くなった家族が一番大切だから、そんな風に考えるんだと思います。だから、私はもっと上を目指します。離れてなんかやりません。苦しませるかもしれないけど。嫌な思いもさせると思うけど。」
最高の友達? 彼女の一番? 彼女に求められたい? 何様のつもりだ。与えられてばかりの人間が、烏滸がましい。私はちっとも、彼女に近付けてなんか居なかったじゃないか。丘野結華、アンタは全然本気なんか出していなかっただろうが。
この程度で諦めてたまるか。これは手段だ、通り道でしかない。二番目以降に、価値なんて無い。私だけが彼女の一番大切な人間になるんだ。
「それでも、最高に幸せだって言わせてみせますから。覚悟、しておいてくださいね。」
再度の宣戦布告。必ずだ。アンタ達から、陽葵さんを勝ち取ってやる。過去の亡霊になんか負けてやるものか。
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