『今』は、今にしか無い。

「久しぶりだね。」

『こんにちは。スイマセン、急に。』

「良いって良いって。どうせ暇だったし。」


 スマートフォンの向こうから聞こえるのは、たった一度会っただけの少女、丘野結華の声だ。彼女はあたしの友人である高梨陽葵の友人、つまりは友達の友達と言う少し遠い関係だ。


「で? 高梨に何されたの?」


 そんな、大して関わりの無い彼女から相談を持ち掛けられた。まず間違い無く高梨の奴が関わっている。

 高梨の事で何かあれば連絡しろとか、彼女にはそんな感じの事を言った覚えがある。どうせあいつが堪え切れなくなって手を出したとか、そんな所だろう。


『何も、されませんでした。』

「は?」


 だったら何故相談などしてくるのか、分からない。つい昨日、高梨から自慢する様に仲の良さそうな写真を送られたばかりだ。そんな短期間で問題など起こらなさそうな物だが。


『陽葵さんって、多分私と居て、色々我慢してると思うんスよ。本人もそんな感じの事言ってましたし。』

「……ああ。ま、そうだろうね。丘野ちゃんみたいな子にくっつかれたりでもしたらめちゃくちゃ興奮しそう。」


 あの時会った丘野ちゃんの見た目は完全に小学生のそれだった。高梨と比べてもかなり背が小さかったので、恐らく身長は百四十センチ程か、更に下だろうか。服装のセンスも幼い物だった。あたしと二つしか歳が変わらないと言われて酷く驚いた物だ。

 そして、高梨はロリコンである。より正確に言えば、小さくて可愛い女の子が好みなのだ。陸ヶ峰に入ってから自覚したらしい。まあ、うちの高校は同性で付き合ってる奴らも多いし、見ている内にそういうのに目覚める奴も良く居るから不思議では無いのだが。


『ハグぐらいならあまり変わらないっスよ?』

「してるのかよ。いや、んなわけないじゃん。そうだな、普通の女がイケメン俳優に抱き締められる様なもんだろ。それか、男が巨乳美女に、とか。」

『……それって、ときめいたりとかしてたんスかね?』

「多分そんな温くねーかな。あいつ性欲強いらしいから。自称だから知らんけど。」


 どうやら高梨は丘野ちゃんの前では取り繕っているらしい。そこまで理性が強いとは思っていなかったので、正直な所驚いている。好みの相手に嫌われたくないと言う心理は分かるが、クラスでは色々とオープン過ぎる癖に何を今更とも思う。あいつは見た目は良いのに残念な部分が多過ぎるのだ。


『そんなに我慢させてたんだ……。ああ、話を戻すとっスね。私の事、好きな様にしてもらおうと思ったんスよ。』

「……マジ? そんで、手ぇ出さなかったの?」

『まあ、その。キスだけは、されました、けど。』


 言いにくそうな、照れた様な声を聞いて、この子はあいつの事が好きなのだと気付いた。以前と違って、恋愛的な意味で。

 前は高梨の事を友達と言うか、憧れのお姉さんみたいに見ていたのだと思う。一見すればゆるふわでおっとりした感じだし、他人に優しい奴だから。部活も入っていないのに、後輩達から慕われていると聞いた事がある。どうも、困っているのを助けてもらったとか、そんな話が多かった。そう言えば彼女も同じ様な事を言っていた気がする。


『でもそれだけで、謝られちゃって。だったら私が、って思ったんスけど。やめて、って言われちゃいました。ははっ……。』


 だからこそ、何かがおかしい。高梨が彼女に対して恋をしているかは分からないが、少なくとも性の対象なのは間違い無い。学校でも彼女の事を食べたいだの飼いたいだのと馬鹿みたいな事を何度も言っている。

 それは高梨からしてみれば据え膳。十中八九、理性など吹っ飛んで欲望に身を委ねる様な状況である。キスだけで済んでいるのがおかしい。

 単にヘタレだったと言うのであれば分かる。しかし、彼女の行動に対して明確にストップを掛けたとなれば、どうにも違和感を覚える。小さい子に責められたいとか踏まれたいとかイカれた事も言っていたから、むしろ喜びそうだと思うのだが。


『好きって言ってくれたんスよ? なのに、駄目だって。私、どうしたら良いのか分からなくなって。陽葵さんも教えてくれなくて。』

「それで、あたしに相談してきたってか。いや、悪いけどあたしも分かんねーよ。丘野ちゃんはどうしたいの?」


 連絡先を交換した時、彼女からの連絡が来るとすれば高梨からセクハラを受けたとかその辺りだと思っていたので、こんな恋愛相談なんてされても困る。全くの専門外だ。

 だからと言って何も言わずに放り出すのも忍びない。ここで秘技、『お前自身への問いかけ』を使う。何かの必殺技みたいだが、本人に丸投げするだけだ。だが、これが意外と役に立つ。


『私は……。どうして拒絶されたのか、知りたいっス。じゃないと、他に何が出来るのか分からないっス。』

「良いんじゃね。それも高梨にしか分からないだろうし、まあ頑張って聞き出しなよ。」

『はい。ありがとうございました。』

「じゃあねー。」


 秘技のお陰で今回もどうにか乗り切れた。恋愛関係の話はどうにも苦手だ。あたしがそういう意味で好きなのはあたし自身だけだから。そもそも他人に性欲を抱く感覚が良く分からない。まあ、欲自体はあるのでそれを他人に当て嵌めて想像すれば良いだけだが。

 さて、折角頼ってくれたのだから、もう一肌脱いでおこう。あいつが酷く嫌がるくらいだ、素直に話すかなんて分からないし、これは保険みたいな物だ。良い女は自ら苦労してしまうから困る。高梨の奴め。あたしと言う宝石を磨くための砥石になれる事を光栄に思うが良い。


『……はい。』

「よう。何その声。昨日はお楽しみだったんじゃねーの? 楽しみ過ぎか?」

『……そんなとこ。』

「ふーん。お前も嘘吐く事あるのな。」


 いつもの高梨からは考えられない様な冷たく平坦な声色だ。相当沈んでいるらしい。丘野ちゃんだけではなく自分まで追い詰めて、全く、一体何がしたいのか。

 まあ良い。あたしが聞きたいのはそれじゃない。高梨の本音を引きずり出してやる。


『何の用?』

「据え膳食わず終いだったんだってな? 要らないんなら代わりにあたしが貰ってやろうと思ってさ。あの子、ガキっぽいけど顔は良いし。」

『……結華ちゃんがそれで良いなら、別に。勝手にすれば。』


 こいつ、馬鹿なのだろうか。それとも彼女があたしに靡くはずが無いと高を括っているのか。だったら他の可能性を教えてやれば良い。


「あ、マジで良いの? 助かるわー。何万入るだろ。新しいアクセ欲しかったんだよなぁ。」


 分かりやすいのは金の存在をちらつかせる事。ある程度大きな金額を言えば、援交の存在に辿り着く。援交と言えば女子中高生と中年のおっさんとの組み合わせがイメージしやすいわけで、あたし達にとっては決して他人事とは言えない。

 丘野ちゃんが危ない目に合うと思えば、優しい優しい高梨陽葵は放ってなんか居られない。それでも切り捨てると言うならば、それまでだ。あたしもこいつを切り捨てる。


『待って。何の話をしてるの?』

「あの子、要らないんだろ? お前には関係ねーよ。」

『良いから答えて。』


 食い付いた。内心でほっと息を吐く。友人が一人減らなくて良かった。

 少しだけ沈黙を流してから、わざとらしく、高梨へ聞こえるように大きく溜息を吐いた。


「ま、ロリコンなんてお前だけじゃねーからさ。もっと優しいおっさんのとこに連れてってやるんだよ。あの子も女の喜びってやつを知ればその内自分からチンコ欲しがるだろ。あたしも紹介料貰えるし、皆ハッピーじゃん?」

『……サキちゃん。それ、本気で言ってるの? ねえ、答えてよ。』

「答えて答えてって、うるせー奴だな。何でも教えてもらえるとでも思ってんのか? それとも嘘だとでも思ったか? 中坊なんてな、ちょっと相談乗ってやればすぐ信用するんだよ。あ、もしかしてお前もその手で近付いたのか? ん?」


 有り得そうな事を並べ立てる。絶対に有り得ないと口にしようとも、頭では完全に否定など出来ない。これが説得力と言う物だ。

 ついでに彼女達の出会いについても突っ込む。これは当てずっぽうだけど、丘野ちゃんが言っていた助けてもらった云々を考えれば、そこまで遠くないのではと睨んでいる。別に間違っていても良い、おまけみたいな物だ。ただ、身に覚えがあればそれだけ信じてしまうはずだ。


『今、どこに居るの。』

「心配すんなよ、ちゃんと優しいの選んでやるから。あの人が良いかな。何も知らない子を自分好みにってのが趣味の――」

『結華ちゃんに指一本でも触れてみろ。後悔させてやる。お前も、その男も。』


 そんな強い言葉が遣えたのか。初めて聞く、高梨の静かな、しかし鋭い声を前にそう思った。

 発破を掛けようと嫌われ役なんてやってみたが、そろそろネタばらししないと本当に嫌われかねない。最悪の場合、殺されそうだ。


「悪いな、高梨。全部嘘なんだわ。あー、怖かった。」

『今更謝っても……! は?』

「だから嘘だって。相談は受けたけど、そんだけ。あたし、人を売るような女じゃねーんだわ。」


 スマートフォンの向こうから、長く息を吐く音が聞こえる。どうやら安堵したらしい。


『あ、あぁ……。良かった……。』

「ああ、良かったな。まだ間に合うんじゃねーの。……人ってさ、関係なんて簡単に途切れるんだ。後悔した時には遅いんだよ。お前、親居ないんだから少しは分かるだろ。」

『分かるよぉ、分かったけどぉ……。良い事言ってるのも分かるけどさぁ……。もうちょっとやり方考えてよぉ……。』

「悪かったよ。ったく、そんなに大事ならなんで遠ざけるんだか。理由くらい教えてやれよ。」


 その時、タイミング良く高梨の部屋のインターホンが鳴るなんて、そんな事は起こらなかったけど。きっと、丘野ちゃんは来てくれると思う。

 まだまだ長く生きているとは言えないけど、あたしだって色々あった。それでも今は、自分を好きだと胸を張って言える。昔に立ち去って行った人達を懐かしみながら、あたしは高梨の話に付き合ってやった。

 やっぱり聞くんじゃなかった。あたしは高梨の事情なんて、ほんの少ししか知らなかった。過去も考え方も重過ぎるんだよ、お前。後はもう、丘野ちゃんに全部放り投げよう。うん、それが良い。

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