高梨陽葵は何の価値も無い人間である。
ああ、またこの夢だ。嫌だ。見たくない。
いつからか、夢の中で夢だと気付く事が多くなった。だけど、私の体は思い通りには動いてくれない。結末の用意された映画を見ている様に、全ては決められた通りに進む。
「……お母さん。」
「なぁに?」
「これ。……今日、誕生日だから。」
私の口が勝手に言葉を紡ぐ。反抗期だった当時の私は、素っ気ない態度でお母さんにラッピングされた小箱を渡した。箱の中身は自作のアロマキャンドル。ラッピングも悪戦苦闘しながら自分でやった。そんな事は口には出さなかったけれど。
――どうして、そんな物を渡したの?
「わぁっ、ほんとぉ? すっごく嬉しいよぉ! ありがとうねぇ、陽葵!」
「……ん。」
ふわりと柔らかく笑うお母さんから目を逸らして、短く返事をした。普段は両親の事を鬱陶しいと思う癖に、この時は照れ臭かった。
――どうして、もっと素直に出来なかったの?
私に便乗する様に、近くで見ていた弟の
「二人共、母さんにプレゼントあげたんだって? 偉いじゃないか。」
帰ってきたお父さんが私達姉弟を撫でようとする。私は近付いてきた左手を無言で払った。お父さんは一瞬悲しそうな顔をして、右手で天の頭を撫でていた。
――どうして、拒絶したの? 本当は嬉しかったのに。
二人の姿が闇の中に消える。周りを見れば白と黒の煙が私の部屋に入ってくるのが見える。
「陽葵ッ! ああ……良かった。落ち着いて聞け。火事だ、すぐに外に出るぞ。」
お父さんがドアを乱暴に開けて飛び込んできた。見た事も無い真剣な表情で、私の肩を掴む。煙が立ち込める廊下を抜けて、私はお父さんと一緒に外へ避難した。
「母さんは天の方を助けに行ったんだ。俺は二人を迎えに行ってくる。陽葵はここで待ってなさい。」
お父さんはそれだけ言って、私を残して煙が立ち上る家の中へ駆けて行った。
――どうして、付いて行かなかったの?
もしも、やり直せるのなら。今ここで、全てをやり直せるのなら。
今回の夢は、いつもと違った。体が動く。
それを認識すると同時に、私はお父さんの後を追って家の中に戻る。向かうべき場所は分かっている。燃え盛る弟の部屋だ。天の傍に、きっと二人も居るはずだから。
「天ッ!」
「……姉ちゃん。」
黒い塊の中から、天の返事が聞こえる。まだ意識は残っている。今なら、助けられる。私は一人にならなくて良いんだ。
「どうして助けてくれなかったの?」
黒い塊の押し退けて探し出した天の顔は、左半分が火傷と水膨れで元の形が分からなかった。
――どうして、助けに行かなかったの?
「陽葵さん。どうして助けてくれないんスか。」
背後から、ここに居ないはずの声が聞こえた。振り返れば、ただの焦げの塊に変わりつつある彼女の姿があった。
「……っ! はっ、はぁ……っ!」
暗闇の中で目が覚める。夜は嫌いだ。この宵闇が、いつ恐ろしい光と熱に襲われるか分からないから。
本当の私は、皆を助けに戻らなかった。体が震えて動かなかった。両親は人間だったのかも良く分からないくらい黒焦げになっていた。両親に庇われていた弟は中途半端に綺麗な部分が残っていた所為で、余計酷い姿に見えた。私だけが無事だった。私だけが傷も火傷も無い綺麗な体のままだった。
火元は弟の部屋だった。弟は家の中で火遊びなんてしない。原因は察しが付いている。私が作ったアロマキャンドルの残りだ。あの失敗作を天にあげた所為で火事が起きたとしか考えられない。お父さんも、お母さんも、天も、私が殺した。
「ごめんなさい……。少しでも忘れて、ごめんなさい……。」
誰かに同情されても、慰められても、私が家族を殺した事実は変わらない。でも、誰も私に罪を償わせようとはしてくれなかった。せめて罵って欲しかった。
彼女と知り合ったのも、全ては自分のためだった。お母さんの様な柔らかい仮面を被って、お父さんの様な優しい振りをして、弟の様な幼い子供を助けようとしていた。彼女を助ける振りをして、自分が許されそうとしていただけだった。
それでも、彼女と接している内に悪夢を見る事が少なくなった。それが続くと、段々と皆の顔が朧げになっていく。やがてあの夢を見る事も無くなって、私は普通の幸せを享受する日々を送っていた。
だからこれは、私に罪を思い出させるための物なのだろう。忘れかけた過去が、お前は幸せになる資格など無いのだと咎めてくる。人殺しに幸せを求める権利など無いのだと叫んでいる。どれだけ経とうとも、時のシャワーは私の
「……結華ちゃん。」
震える指先で隣に眠る気配を探す。見付けた彼女の手を、自身の胸元に抱き寄せる。もう訪れる事など無いと思っていた、独りではない夜。少しでもその温もりに近付きたかった。
自分から求めたのに、自分から突き放して。それでもまだ、私は彼女に縋り付く。酷い事をしている自分に吐き気がする。だけど、手放したくなかった。
彼女の想いは知っている。何度も強い好意を向けられたら、分かってしまう。そして私もまた、いつの間にか本気で好きになっていた。でも、私はそれを応えられない。焼け死んだ家族を差し置いて、幸せになんてなれない。なのに諦める事も出来なくて、中途半端に彼女の気持ちを弄んでいる。私はまた、罪を重ねている。
これまで何度自害しようと思っただろう。けれど、生かされている自分の体を傷付ける事など出来なかった。助けてもらった命を無駄に捨てるなんて出来なかった。
普段から内心は欲に塗れている癖に、薄汚い欲望を思いのままに他者にぶつける事も、自身の中で消化する事も出来ない。この体と心を真に汚す事は冒涜だから。
結局、私は自分だけが大事なんだ。殺した家族を利用して、大好きな彼女を裏切って、罪の上に罪を積み重ねている。そうすれば、私は皆を忘れていないと言い張れるから。どれだけ取り繕おうとも、仮面の下は醜悪なままだ。どれだけ人を助けようとも、その裏では自分の事しか考えていない。どれだけ彼女を好きだと嘯こうとも、結局私が愛しているのは自分自身だけだ。
「ごめんなさい……。」
高梨陽葵に、存在する価値なんて無い。
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