罅割れ

「……めちゃめちゃ触るじゃないっスか。」

「洗ってるだけだよぉ。はぁ、すべすべぇ……。」

「まあ、別に良いっスけど。」


 忠告染みた事まで言っていたのに、彼女は思い切り私の体を触っていた。

 最初は頭を洗ってくれた。自分でするのとは違う感覚で、人に洗ってもらうのは気持ちが良いと思う。

 その後、背中を流してくれると言うのでお願いしたのだが、泡タイプのボディソープを手に取って直接洗い始めた。背中と言いつつ前の方にも普通に手が伸びてきて、少し困惑している。これで本当に我慢しているのだろうか。


「こんな胸触って楽しいんスか?」

「それは勿論……。何言ってるのかなぁ。洗ってるだけなのにねぇ。」


 他の場所を洗っていると思えば度々胸の方に手を滑らせてくる。その時だけ手の這う速度が少し落ちるし、細長い指を僅かに動かすのだ。バレないとでも思っているのだろうか。やはりロリコンの人はこんな膨らみなんてほとんど無い様な胸が好きなのか。

 彼女としては下半身に触るのはよろしくないらしく、そちらは自分で洗った。線引きが良く分からない。

 交替して彼女の髪に軽く泡立てたシャンプーを付けた。先程洗ってもらった時の動きを思い出しながら、頭皮をマッサージする様に指の腹で揉み擦る。壁に付いている鏡の中で、目を閉じた彼女の唇が少し開いていた。泡立っているシャンプーで長い髪を手櫛で撫でる様に指の間を通していく。あまり髪を強く擦るのは良くないらしい。

 一度洗い流してコンディショナーを付けながら、これを毎日するのは大変そうだと思った。私の時と比べて倍以上の量を使っている。全体に馴染ませたそれをシャワーで流すと、彼女はタオルで髪をまとめた。


「んっ、ふっ、陽葵さん、気持ち良いっスか?」

「……なんだか、いけない事させてる気がするぅ。」

「何スか、それ。」


 私は自分がされた様に、背中だけではなく抱き着く様にして体の前面も素手で洗っている。そんな姿勢で居ると、背中側は私の体を使えば前と同時に洗えるのではと途中で気付いた。自画自賛になってしまうが効率的で素晴らしい発想だと思う。

 貧相な私とは比べるまでも無く、彼女は女性的な体付きをしている。普段から節約しているためか痩せているけれど、肌に触れてみれば柔らかくて、胸だってちゃんとある。


「触ってみるとやっぱり大きいっスね。」

「結華ちゃんの手がちっちゃいだけだよぉ。私、そんなに大きくないからねぇ?」


 彼女の胸も触らせてもらった。先程は好きな様に触らせてあげたのだから当然の権利である。

 軽く揉んでみると、感触は軟式テニスのボールが近いだろうか。柔らかいけれど、力を緩めるとすぐに戻ってくる。触っているだけで楽しいと言うか、癒される。この気分は犬や猫と言った、可愛い小動物を撫でている時と似ている。これは世の男性が夢中になるのも分かる気がする。

 体に付いたボディソープを洗い流してバスタブに入るのだが、やはり二人だと小さいみたいだ。両端で対面になる様な形で脚を伸ばせないため、彼女は狭そうにしている。

 同じ方向に脚を伸ばせれば、もう少し快適に入浴出来るだろうか。そう思って、私は一度その場で立ち上がった。


「陽葵さん。やっぱり私もそっち行きますんで、脚伸ばしてください。」

「えっ、えっ、近い近いっ!」

「どうしました?」


 目の前まで近付くと陽葵さんが焦った様な声を出した。密着なんて散々しているのに、何を今更気にしているのだろうか。私はそのまま腰を下ろして、彼女の膝の上に座る。


「人の顔におま、お股を近付けるのは良くないよぉ!」

「言われてみれば。スイマセン、洗ったけどあんまり綺麗なとこじゃないっスよね。」

「ううん、綺麗だよぉ? 綺麗だけどぉ……。」


 しっかり洗ったとは言え、他者の顔に排泄器官を近付けるのは確かによろしくない。いくら綺麗にしても汚いイメージは残っている物だ。普段なら多分そこまで気にしないけれど、服を着ていない事でこんな弊害があるとは思わなかった。

 私も脚を伸ばそうと思って、彼女の首に手を回す。近い。今度は私が、そう思った。

 こんなにも近くに、彼女の顔がある。その綺麗な瞳をじっと見詰めていると、彼女は恥じらう様に目を逸らした。もう少し距離を詰めるだけで、その唇に触れてしまえる。


「……近いねぇ。」

「そう、っスね。」


 変な空気になってしまって、私は誤魔化す様に彼女を抱き締めた。彼女に掴まったまま、うつ伏せの様に脚を伸ばす。お湯の中で、背中を撫でられる。バスタブに張られたお湯は少し熱いけれど、その手の暖かさは確かに伝わってきた。

 逆上のぼせてはいけないので、それから少ししてお風呂を出た。体を拭いた彼女が着たのは、膝丈の白いネグリジェだった。良く見ると体のラインが分かる程度に透けている。


「それ、ウサギさん? 可愛いねぇ。」

「陽葵さんのは……。すごく大人っぽいっスね……。」


 それに対して、私は夏用の着ぐるみパジャマ。自分で選んで持ってきたのに、着ているのが恥ずかしくなってきた。

 着替えている時も、下着一つで差が出る物なのだと感じた。レースのあしらわれたショーツは大人らしくもセクシー過ぎず、陽葵さんに良く似合っていると思った。私はどうだろう。キャラクターのバックプリントにジュニアブラ。まあ、似合うだろう、こんな幼い体では。

 もっと大人っぽい体躯だったなら、彼女の身に纏う物もきっと似合うだろうに。しかし、逆にこの体だからこそ彼女の好みに合っているのだとも思う。

 正直な所、この体はコンプレックスだ。もっと大きな体格であれば、どれだけ良かっただろう。ロリコンのおじさんに声を掛けられる事も少なかっただろうし、運動関係なら真理にだって勝てたかもしれない。

 でも、この体を彼女が好きだと言うのなら、私は今を受け入れる。思えばあの夜だって、私が幼い見た目でなければ声を掛けてくれるか分からなかった。だから、このままで良いのだと本心から言える。

 ただ、それを全て受け入れられるかと言えば違う。彼女に指摘された時、私は自分の外見に気付いてしまったから。元々上を目指していたのだ、もっと大人らしくなりたいと思う自分と、彼女の好みのままでありたいと思う自分、いつだって矛盾した心がせめぎ合っている。


「どう? 熱くない?」

「うあぁー。気持ち良いっスー。」


 濡れた髪をドライヤーで乾かしてもらう。髪を掻き分ける彼女の手と熱風がとても心地好い。これの前には、私の葛藤など些末だ物だ。いや、今更何を悩んでいるのか。彼女と出会えて仲良くなれて、これ以上何を望むと言うのだろう。

 女性の中ではどちらかと言えば短い方である私の髪はすぐに乾いてしまった。残念だと思うけれど、次は彼女の髪を乾かす番だ。後ろは長いので横や前の方から風を当てていく。


「この感じ、久しぶりだなぁ。」

「陽葵さんも昔はやってもらってたんスか?」

「うん、お母さんにねぇ。もう何年前になるかなぁ……。」


 彼女は少し寂しそうな表情で、昔を懐かしむ様に言った。高校から一人暮らしをしているとの事だが、中学時代の彼女にもきっと反抗期と言う物があったのだろう。きっとその時には親からの干渉を嫌がっていたはずだ。それらしい時期がほとんど思い当たらない私には、あまり分からないけれど。

 彼女の髪に風を当てながら指で梳いていると、段々と手触りが変わっていく。貼りつく様に水気を含んでいたのに、今ではさらさらと滑らかで通りの良い感触になっていた。それを一房取って、鼻に近付ける。シャンプーやコンディショナーの香りがして、いつもの甘い香りがほとんど感じられない。それを少し、残念に思う。


「……何してるのかなぁ?」

「匂い嗅いでました。あ、髪乾きましたよ。」

「やめてよぉ! 恥ずかしいんだからねぇ!?」


 どうやら彼女は自身の匂いを知られるのが苦手らしい。別に汗臭いと言うわけでもないので気にする事も無いと思うのだけれど。

 髪を乾かし終えたので、やる事が無くなってしまった。この部屋には娯楽の類いは無く、彼女も今から勉強と言う気にならないとの事で、私達はベッドの上に座りながら会話を楽しむ事にした。


「夜はいつもどうしてるんスか?」

「何も無ければ早めに寝ちゃうかなぁ。結華ちゃんはぁ?」

「やる事があればそれやってますけど。無ければ誰かとコネクトで話したりとか。そんな感じっス。」


 以前は昼夜関係無く動いていたけれど、今となっては宿題くらいしかやるべき事が無い。受験に向けて多少の勉強くらいはしているけれど、使う時間などたかが知れている。


「友達と話したりとかってぇ、多いの?」

「まあ、それなりには。ほら、前に話した、全然勝てない奴とか。」

「それって、結華ちゃんが落ち込んだ原因の子だよねぇ? 嫌じゃないの?」

「いや、全然。確かに私、負けっ放しでしたけど。でも、お互い本気でやってたんで。悔しいとは思ってましたけど、嫌いじゃないっス。」


 彼女は心配そうにしているが、私からすれば大した事無い。誰かと勝負する時は基本的に宣言するし、お互い本気でぶつかり合っているので負けた所で自分の力不足だと認められる。少なくとも私は、そうやって自身の弱さを噛み締めながら努力してきた。

 でも最近のアイツはすぐに勝負したがるから困る。迷惑とまでは言わないが、私は一線を退いたのだから少しは加減して欲しい。


「陽葵さんは誰かと話したりとかします?」

「んー、学校の子と話したりとかするねぇ。前に会った、サキちゃんもたまに返事してくれるよぉ。」

「たまにしか返してくれないんスか?」

「うん。結構気まぐれなんだよねぇ。ちょっと今から送ってみるぅ?」

「え、大丈夫っスか?」

「平気だよぉ。そうだぁ、一緒に写真撮って送っちゃおうよぉ。」


 彼女はそう言って、私の肩を抱き寄せてスマートフォンのインカメラで写真を取った。変な顔をしていないか不安になって、私は彼女の首元に顔を埋めた。すぐにシャッター音が鳴って、私は彼女の首から顔を離した。

 陽葵さんは彼女だけが顔を出した写真を咲田さんに送って、メッセージも一緒に添えた。


『いぇーい』『さきちゃん見てるー?』『今ゆいかちゃんと一緒にいまーす』

『お前らの惚気に巻き込むな٩(๑`ω´๑)۶』『勝手によろしくやってろ( #`꒳´ )』


 咲田さんの趣味なのだろうか、顔文字付きで返ってきた。ちょっとイメージに合わない。あの格好の彼女しか知らないのでクールな印象しか無かったのだが、意外と可愛い所もある様だ。


「こんなに早く返事するなんて珍しいなぁ。」

「なんかイメージと違いますね。」

「あれ、コネクトで話した事ないの? いつもこんな感じだよぉ?」


 やはり咲田さんは顔文字を多用するらしい。楽しそうにする彼女の横顔を見ながら、私は少し妙な気分になっていた。ここに私が居るのだから、他の人と話さないで欲しい、なんて。これは多分、嫉妬なのだと思う。


「もう一枚送ってみるぅ?」

「もう、あまり咲田さんに迷惑掛けちゃ駄目っスよ。」

「このくらい大丈夫だよぉ。」

「駄目。他の人の事は考えないで。」

「……はい。」


 神妙な返事を聞いて、私は我に返る。やってしまった。どうにも私は自分で思っているよりも嫉妬深いみたいだ。

 変な空気になってしまって、どうすれば良いのか考える。どうせならこのまま変な事も言ってしまうか。


「陽葵さん、えっちな事はしないんスか?」

「んっ!? しない、しませんよぉ!?」


 意表を突かれた陽葵さんは、慌てて否定する。しないとは言っているけれど、したくないわけではないだろう。ただ、昨日からずっと気になっていたのに全然その気配が無いので、私としてはどうすれば良いのかも分からない。


「私みたいなのが良いんスよね。今までいっぱい我慢してきたんじゃないっスか。そんなの気にしなくて良いんスよ。」

「それはそう、だけどぉ……。でも駄目。そういうのは駄目なんだよぉ。」


 お風呂に入っていた時も、本当はもっと色々したかったのだと思う。でも、我慢していたにしては、欲望が漏れていた。もう少し押せば行ける。

 そう思って、一つの案を出す。彼女はロリコンだから、きっとこれなら喜んでくれるはず。


「そうだ、パンツ見ます?」

「なんでぇ!? なんでそうなるのぉ!?」

「ロリコンの人ってパンツ見たがるじゃないっスか。」


 パジャマのファスナーをゆっくりと一番下まで開く。彼女の視線がファスナーと共に下がっていくのを感じる。ここで想定外な事が起きた。恥ずかしい。私が恥ずかしいのだ。こんな、舐め回される様な視線に頬が熱くなる。見られている。幼いブラジャーに包まれた胸も、何にも守られていない肌も、子供っぽいショーツも。食い入る様な視線を払い除ける様に、私はファスナーを一番上まで戻した。


「はい、終わり。」

「ああっ……。どうしてぇ……?」

「こういうのは駄目って、陽葵さんが言ったんスよ?」


 恥ずかしい気持ちを隠して、冗談だと言う風に振る舞う。彼女は呆然としながらこちらを見て来た。そして、ちょっと怒った様な顔をして、私の方へ手を伸ばしてきた。


「う、うぅ……。もうっ! そうやってからかう悪いウサギさんはぁ……こうだぁ!」

「ひっ!? きゃはははっ!」


 脇腹をくすぐられて、私は声を上げる。身を捩っても彼女の手が追い掛けてくる。耐え切れずに私はベッドに倒れ込んだ。それでもくすぐってきて、私は望んでもいないのに笑い続けた。やがて笑うのも限界になって、荒い呼吸を繰り返しながら体を震わせる。


「あっ、陽葵さ、だめっ……!」


 ようやく彼女からの攻撃が止んで、荒くなった息を整えようとした時。私の唇は、彼女のそれに塞がれた。落ち着かない呼吸が鼻から抜ける。

 そんな事など知るかとでも言う様に、彼女の唇が蠢く。その甘噛みする様な感触に、柔らかさとか、痺れとか、胸の高まりとか。様々な物が頭の中で弾けて、わけが分からなくなった。

 唇が離されて、彼女の潤んだ瞳が見える。その頬は赤らんでいる。彼女の方からしてきたのに、そんな顔をするのはずるいと思った。


「……ねえ、陽葵さん。知ってます? 友達同士って、キスとかしないんスよ?」

「ごめん。ごめんなさい。我慢、出来なくなって……。」


 はっと、たった今何をしたのか気付いた様に。申し訳なさそうに謝る彼女の首に両手を回して引き寄せる。我慢なんてして欲しくない。もっと私を求めて欲しい。


「別に、良いっスよ。ほら、もっと好きな様にしてください。」

「駄目、駄目なの。これ以上は……!」


 彼女は苦しそうに答える。そんなに苦しいのに、どうして我慢するのだろう。私は良いと言っているのに。

 動かない彼女に苛立ちが募る。その体を抱き寄せて、ベッドに転がした。


「……ふーん。だったら、良いっスよ。」


 彼女の上に跨って、その唇を奪う。離れると、蕩けた様な瞳で私を見詰め返した。駄目と言いながら、物欲しそうな顔をしている。もっと私を欲しいと言っている。

 どうしてこんな事をしているのだろう。私は何かをされる側だったはずだ。ああ、そうだ。陽葵さんがして欲しい事をしてあげれば良いんだ。


「私がやります。どうして欲しいか、言ってください。」


 彼女はこちらを見据えたまま押し黙っている。私の問いには答えてくれない。

 彼女が我慢している事。えっちな事をしたいのなら、そうしてやれば良い。でも、やり方が分からない。いいや、一つだけ知っているじゃないか。


「言ってくれないなら、勝手にします。でも、私が知ってるのって、このくらいなんで。」


 彼女の首元に顔を埋めて、耳に息を吹き掛ける。熱く、優しく、柔らかく。彼女の耳を、溶かす様に。

 熱くなった耳元に、時折キスを落とす。私の唇と彼女の耳との間に音が鳴る度、彼女は短く高い声を出して、その体を震わせた。

 少しずつ、彼女の香りが強くなっていく。甘い。甘い。脳髄が痺れる。彼女に酔う。浮かんだ汗を拭う様に、首筋に舌を這わせた。力の抜けた声が聞こえる。


「ねえ、陽葵さん。して欲しい事、言ってください。私、頑張りますから。」


 耳元で囁く。私に出来る事をしてあげたい。何をして欲しいのか、教えて欲しい。だけど彼女は、何も答えてはくれない。

 どうして。どうして何も言ってくれないの。これで合っているのか教えて。間違っているならそう言ってよ。


「何か言ってよ。ねえ。何か言ってください。何でも良いから。私、陽葵さんに、してあげたいの……!」


 彼女の頬に水滴が付いている。ぽたり、ぽたりと、それは彼女の顔に落ちていく。

 それが何なのか分からないまま、私はもう一度唇を重ねた。深く、深く、彼女の奥底へ届く様に。

 それが届いたのかは分からない。けれど、彼女は静かに言葉を紡いだ。


「結華ちゃん……。」

「……はい。」

「結華ちゃんが欲しいの。好きなの。愛したいの。愛して欲しいの。でも、でもね……。ごめんなさい。……もう、やめて。」


 何でも良いから、何かしてあげたかった。陽葵さんが喜んでくれるなら、それで良かった。私は好きな人に、陽葵さんに求められたかった。ただ、それだけなのに。

 彼女から返ってきたのは、拒絶だった。

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