お泊まり会

 インターネットで調べた所、仲の良い友達は互いの家に泊まる事もあるらしい。なので陽葵さんに提案してみると、あまり良い返事は貰えなかった。


『やめておいた方がいいよ』

『だめですか』『うちでも?』

『うーん』『家の人に迷惑になっちゃうし』『うちだったら家族いないからいいけど』『でも布団もないから』


 彼女の住む部屋は一人暮らしを目的とした人向けみたいで、あまり広いわけではない。そうなると当然、寝具なども一人分しか用意していないわけだ。

 ならば仕方が無い、と思った所で名案が浮かぶ。他に布団が無ければ、同じベッドで寝れば良い。単純な話である。


『じゃあ』『いっしょにねましょ』

『意味わかってる?』『私が我慢できないかも』

『?』

『色々しちゃうかも』『えっちなこととか』


 ああ、そうだ。彼女にとって、私は性の対象なんだ。当然、そう言った欲求も持っているわけで。

 顔が熱い。心臓が早く脈打っているのが分かる。彼女の言うえっちな事とは、どこからがそうなのだろう。私はどこまでなら大丈夫なのだろう。普通に考えて、胸やお尻を触るのはえっちな事の範囲に入るだろう。でも、彼女になら触られても嫌じゃないと思う。

 でも、上手く想像が出来ない。教科書では男女の行為について文章で書かれていたくらいだった。女同士ってどうするのだろう。


『がまんはよくないです』

『うん』『だからね』

『ちょっとだけですよ』


 考えても分からないから、ちょっとだけなんて言葉で濁した。これなら体の触れ合いくらいで済むと思う。交際しているわけでもないのに性交(生殖をするわけではないけれど、他の適した言葉が分からない。)をするのはよろしくないけれど、あまり我慢させるのは可哀想だ。もしかすると今までも色々と我慢していたのかもしれないし、溜まっている欲を解放させてあげたい。

 それに、私だって打ち明けてはいないけれど、彼女の事が好きなのだ。彼女が喜んでくれるのならしてあげたいし、学びたい。インターネットで調べれば良いのかもしれないけれど。でも私は、どうせ知るのなら陽葵さんに教えてもらいたいと思った。


『わかった』『我慢するね』『私頑張る』

『え』『がまんしないでください』

『大丈夫』『絶対変なことしないから』


 我慢するなと言っているのに逆を行くとはどういう事なのだろう。普通は解放したがる物ではないのだろうか。陽葵さんの考えはいまいち分からないけれど、その時に聞けば良いか。

 その後、勉強を教えてもらうという方便で両親の許可を取って、翌日の午後に彼女の部屋へと向かった。


「こんにちは。今日はお世話になります。」

「待ってたよぉ。ほら、入って入ってぇ。」


 私を迎えてくれた陽葵さんは下心なんておくびにも出さず、いつも通りに柔らかい空気を纏っていた。

 久々にやって来た陽葵さんの部屋は甘い香りが漂っていて、相変わらず飾り気が無かった。ただ、見覚えの無いカーペットが白いテーブルの下に敷かれている。


「床にも座れる様にしてみたんだぁ。フローリングだとちょっと抵抗あるからねぇ。」

「さらさらっスね。気持ち良い。」


 薄手のカーペットは冷感素材で出来ているそうで、軽く掌を滑らせると心地良い涼しさと滑らかな手触りが伝わってくる。

 さて、今日の目的はお泊まり会なのだが、両親に対する方便をまるきり嘘にしないために勉強会らしき物も兼ねている。と言ってもする事自体は別々で、陽葵さんは宿題を、私は高校の教科書を借りる予定だ。


「早速始めますか?」

「そうだねぇ。この辺が去年使ってた物だから好きに使って良いよぉ。」


 勉強机に備え付けられたラックを彼女の指が差した。端の方に高校一年次の物らしき教科書が複数冊収まっていた。

 軽く表紙を見てみると、高校だと同じ分野でも科目が別れている物がある様だ。例えば中学では国語と言う科目だけど、高校では現代文と古典に。歴史は日本史と世界史に別れている。その分総ページ数も増えている様で、丸暗記するのは今より大変そうだ。

 ラックの中から現代文の教科書を手に取って、テーブルの上に問題集を広げた彼女の対面に座る。不規則に紙面の上を滑るシャープペンの音を聞きながら、私は教科書に記された作品を読み始めた。

 何かに集中していると時間は早く過ぎていく物だ。私は五つ目の作品を読み終えると、教科書を閉じた。少し内容が気に入らない話だったからだ。

 それは虎へと姿を変えた男の物語。その男は無駄にプライドが高くて、高名な人物になりたい癖に小さな才能に胡座をかいて大した努力もせず、自身の限界を知りたくないために他者と競い合う事も避けていた。そんな事で頂点など取れるはずもなく。はっきり言って嫌いなタイプの人物だ。共感出来るとすれば才能不足による絶望、その一点のみである。

 小さく溜息を吐いて、私は顔を上げた。未だシャープペンを問題集に走らせる彼女の真剣な眼差しに心が跳ねる。あまり見詰めては彼女の集中を切らせてしまいそうで、私は再び教科書を開く。続きを読みながら、ちらちらと彼女を盗み見る。ちょっと格好良いな、なんて思いながら。

 少ししてスマートフォンを見てみれば、時刻は既に午後四時を回っている。夕食の食材を買いに行くには丁度いい時間だ。そろそろ声を掛けるべきか。私は教科書をラックに戻して、そのまま彼女へと近づきながら、ふと思う。

 これは経験上知っている事でもあるが、調べた所によると、ハグと言うのは人を癒す効果があるそうだ。彼女は二時間以上宿題をしているのだから少しは疲れていると思う。抱き締めたら癒されてくれるだろうか。

 背後へ回って膝立ちで彼女のお腹の方に手を伸ばし、その肩に顎を乗せて。耳元で彼女の名をそっと囁く。


「陽葵さん。」

「きゃあっ!?」


 腕の中の彼女は、びくりと大きく身を震わせる。驚かせてしまったけれど、気が付いてくれた。落ち着かせる様に、彼女を癒すつもりで、出来るだけ優しく抱き締める。


「そろそろ外に出ませんか? 私、陽葵さんと買い物行きたいっス。」

「あっ、待ってぇ……! 耳、くすぐったい……。」


 おかしい。私の声で身悶える彼女に何かを感じる。後ろめたい楽しさとでも呼ぶべきか。悪戯を成功させた時に似ている。

 彼女の反応をもう少しだけ楽しみたくなってしまった。耳にふうっと息を吹き掛けると、力の抜けた様な声を上げた彼女が、くたりと体を私に預けた。


「びっくりしました?」

「うぅー……。えっち! そういうのは駄目なんだよぉ!」

「えっ!?」


 私の方を向いた彼女が潤んだ目で睨んでくる。怖くはないけれど、その目で見られると首の後ろ辺りがぞわぞわして、変な感じがする。これは、楽しい。

 しかし本気でないとは言えど怒らせてしまったのは良くない。私がしてしまった行動を振り返る。抱き締めるのは大丈夫、良くしている事だ。耳元で囁くのも大丈夫、内緒話をしている女子は学校でも見る。残るは一つ。あれはえっちだったのか。考えてみると日常で見る事は無い。精々耳掻きの後くらいだろう。


「確かに耳に息掛けるのは普通じゃないっスね。スイマセン。」

「もう、本当にもうっ!」


 彼女はシャープペンを問題集の上に放り投げてこちらへ向き直ると、私の胸に顔を埋めた。こんな膨らみの無い胸に頭をぐりぐりと押し付けて、痛くはないのだろうか。それで彼女の気が済むのなら、別に良いか。最近は私の方が悪戯好きになってしまった様でいけない。今度こそ癒してあげようと、ぎゅっとその頭を抱える。


「陽葵さん。」

「……ん。なぁに?」


 こちらを見上げてくる彼女に、いつもと逆だと思った。彼女の方が背が高いのだから、それも当然なのだけれど。


「今更なんスけど、勉強の邪魔になってませんでした?」

「……ついさっき邪魔されたねぇ。」

「スイマセン。」

「もう。でもねぇ、誰かが居る方が集中出来るから。傍に居てくれたのは助かったよぉ。」

「それなら、まあ。良かったっス。」


 そんな話をしながら、私は彼女の機嫌が直るまで抱き締め続けた。離れる頃には同じ姿勢だった所為か脚が痺れて、彼女から仕返しとばかりにつつかれた。自業自得と思っておく。ようやく部屋から出たのは午後五時前だった。

 マンションからほど近い場所にあるスーパーには時間帯の所為もあって多くの人が店内を歩き回っていた。私達は適当に見て歩き、雑談を挟みながら何を作るか話し合う。


「一人暮らしして初めの頃にキャベツ一玉買っちゃった事があってねぇ。あの時は結局使い切れなかったなぁ。」

「切ってみると見た目より量ありますよね。あれは一人じゃ無理っス。」

「そうなの。毎回たくさん食べてたから、しばらくはキャベツが嫌になっちゃったよぉ。」


 陽葵さんの失敗談を聞きながら、サラダ用のトマトとレタスを買い物かごに入れる。そのまま通路に沿って精肉コーナーの方へ進んでいると、彼女に腕を掴まれた。


「ごめんねぇ。そっちはちょっと行きたくないの。」

「どうしたんスか?」

「お肉、苦手なの。見るのもちょっと……。」


 意外だ。彼女に苦手な食べ物があるとは思わなかった。私が知らなかっただけと言えばそれまでだけど。しかし、見るのも嫌と言うのは余程苦手みたいだ。

 嫌がる相手に好き嫌いするなと言うつもりは無い。私自身は食べる事への関心が薄いし、作るにしてもどうせなら相手が喜ぶ物を作る方が良いと過去に学んでいる。今夜は陽葵さんの好物にしよう。きっとそれが良い。


「じゃあ今日はシーフードっスね。」

「ごめんねぇ。」

「大丈夫っスよ。私、美味しければ良いって人なんで。」


 回り道をして、鮮魚コーナーへ向かう。流石に人の家で一から下ろすつもりは無いし、かと言って刺身は高い。何か丁度いい物は無いだろうかと思っていた所、広告の品と書かれた商品を見付けた。


「エビが安いみたいっスね。どうスか?」

「良いねぇ。何作ろっかぁ。」

「んー、エビチリとか……あれ、ご飯ってあります?」

「あっ。えへへっ、炊いてなかったねぇ。」


 ご飯に合うおかずを考えていたのだが、予定変更。スパゲティがあるそうなのでそれに使う方向になった。翌朝分の菓子パンも一緒に買って、彼女の部屋へ戻る。


「IHって初めてっス。普通のと違うんスか?」

「そうだねぇ。フライパンとかは置いたまま使うかなぁ。火と違って持ち上げると全然熱が行かなくなるの。」


 キッチンにはIHコンロが設置されていて、スイッチを入れると加熱が開始されたらしく、見た目には分かりにくいがフライパンに手を翳すと熱を感じた。ただ、今回は彼女にそちらの調理をお願いして、私はサラダを作ったり洗い物を担当する事となった。

 普段から自炊している事もあって、彼女の手際は良い。事前に全て用意しておく私とは違う。目分量で調味料を入れているのに、出来上がったパスタソースを味見してみると美味しくて、慣れているのが分かる。

 白いテーブルは小さな物だけど、二人分の料理を置くくらいなら十分だった。タンブラーにペットボトルの紅茶を注ぐと氷が揺れて、からんと金属質な音が鳴る。エビとトマトのスパゲティを食べてみると、絶品だった。今まで食べた中で一番美味しい気がする。


「めちゃめちゃ美味しいっスよ!」

「良かったぁ。……うん、ちゃんと美味しいねぇ。」


 最初に感想を言った後、私達は口数を少なくして食べ進めた。こういう時、本当なら談笑しながら食べるのが楽しいのだろうけれど、私は彼女と一緒に過ごす静かな時間も好きだ。

 話していない分、食べ終わるのも早い。私達はテーブルに置かれたままの食器を片付ける前にどちらからともなく話し始め、食事中に出来なかった談笑を楽しむ事にした。


「陽葵さん、料理上手いっスね。」

「慣れてるだけだよぉ。結華ちゃんも上手だよねぇ。良く美味しいお菓子作ってくれるじゃない。」

「私はレシピ通りにしか作れないんスよ。それに、ガチガチに練習した奴しか覚えてないっス。」


 サラダみたいに切って盛り付けるくらいの物ならばともかく、私にとって料理とは数学と理科を合わせた様な物で、分量や手順を全て決めてから取り掛かる物なのだ。そうして結果を見て、少しずつ過程を変えてより良い物へ近付けていく。それを繰り返して満足の行く物になれば、私専用のレシピが出来上がるわけだ。

 つまり突き詰めて練習した物なら真理以外には負けない自信があるが、逆を言えばその場で急に何かを作ると言うのは苦手だ。味付けはその最たる例で、私なら初めに全て計算して決めたタイミング通りに投入していくわけで、彼女の様に味を見ながら調味料を足していくやり方なんて出来ない。だから料理が上手かと問われれば、実の所そうでもない。

 さて、料理をしている内にお風呂を沸かしてあるのだが、その前に目の前の後片付けをしなければならない。


「洗い物やっちゃいますんで、先にお風呂どうぞ。」

「私がするよぉ。結華ちゃんはお客さんだもん。」

「美味しい物作ってもらいましたから、これくらいさせてください。」


 私が、いやいや私がと繰り返す内に、私は閃きを得る。料理だって一応は一緒にやったのだから、こういう時も一緒にやれば良い。これこそお泊り会の醍醐味という物ではないだろうか。


「あ、そっか。一緒にすれば良いんだ。洗うのと濯ぐのを分担して。」

「うん、それなら良いよぉ。」

「で、お風呂も一緒に入れば良いんスよ。」

「どうしてそうなるの!? 私がどういう目で見てるのか忘れてないよねぇ!?」


 良いと思ったのだが、彼女は素っ頓狂な声を上げる。勿論、彼女が私の事を性的に見ているのは分かっている。でも、それを防ぐ様な配慮をする必要は無い。彼女が勝手に我慢しているだけだから。

 私にとっては何も悪い事など無い。裸の付き合いと言うのを聞いた事がある。一緒に入ればきっと仲が深まると思う。更に彼女の欲を解放出来れば一石二鳥である。


「折角だから普段出来ない事した方が良くないっスか?」

「それはそうかもだけどぉ……。ううん、結華ちゃん、男の人と一緒にお風呂入れるの? 嫌でしょ? それと同じなんだよぉ?」

「全然違いますよ。確かに他の人とだったら嫌だけど。あ、もしかして私とじゃ、嫌でした?」


 その例えは全く的外れで、私は即座に否定した。彼女の言う通り、同性でそれなりに気心の知れた友達ならばともかく、良く知りもしない男と共にというのであれば絶対に無理だ。私だってその程度の危機感くらいは持っている。

 ただ、彼女は別だ。今までに見た不審者と同様の欲望を持っているとしても、進んで私を傷付けようとはしないはず。そのくらいの信頼を得ている事を、彼女は分かっていないのだろうか。

 しかし、彼女が私の体を見たいのだという前提で事を考えていたけれど、私に裸を見られるのは抵抗があるかもしれない。それなら無理強いするのはよろしくないと思ったのだが、杞憂だったらしい。


「そんな、嫌なわけないよぉ。でもねぇ……。」

「じゃあ問題無いっスね。早く片付けてお風呂行きましょ。」

「うぅ……。私、大丈夫かなぁ……。」


 その話題を少し強引気味に終わらせると、彼女は心配そうな面持ちで呟いた。そういう目で見てしまうから一緒に入浴するのを拒んでいたけれど、そもそもの話、どうせ同じベッドで寝るのだから大して変わらないと思う。更に言えば、昨日の時点で我慢すると言ったのだから問題は起こらないはずなのだ。我慢出来るのであればの話だが。

 泡の付いた食器を水で洗いながら、私はどうすれば彼女が素直になってくれるのかを考えていた。

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