『あなただけを見つめる』
夏休みが始まってから一週間。そろそろ七月も終わりそうだ。とうに宿題は完了していて、暇な時間は受験勉強とランニングを繰り返していた。あまり頑張り過ぎても両親を心配させそうなので、そこまで熱を入れているわけではないけれど。
やる事がある間は良かった。寝る前の時間は気持ちが落ち着かなくなる。それもこれも、恋と言う物を自覚した所為だ。
陽葵さんは今どうしているのかな、から始まって。会いたいとか、触れたいとか、声が聴きたいとか、そんな事を思って。あの甘い香りが恋しくて。最後には彼女に抱き締めて欲しくて仕方が無くなる。
それまでは全く気にしていなかった過去の自分の言動が、不意に脳裏を過ぎる事も増えた。初めて彼女の部屋に行った時だって、あんなにも長い時間抱き締め合っていた。そんなの、友人間で行う様なハグではない。嫉妬に駆られた時には、私だけを見ろ、などと言ってしまった。ここ数日は、無自覚に行ってきた様々な行動を思い出してはベッドの中で悶えている。
同時に、私は目標を達成出来るのか、酷く不安になっていた。彼女にも宣言した、一番仲の良い、最高の友達。それになる前だろうと後だろうと、この気持ちを伝えれば、きっと友達では居られなくなる。その上で、最高の『友達』では満足出来ないという確信があった。
コネクトを起動して、彼女の名前をタップする。履歴に並ぶ何気無い会話が、私の心を満たしていく。今夜も、どうにか落ち着いて眠れそうだ。
眺めていると、新着のメッセージが届く。陽葵さんからだ。こんな時間に、どうしたのだろう。
『明日戻るよ』
その短い一文に、ふつふつと。喜びの感情は、少しずつ膨れ上がっていく。どくん、どくんと、心臓が大きく跳ねている。
近い内に会える、それが分かってしまったら。一週間を待つ事なんて、普通だったのに。今はほんの一日や二日が、どうしようも無く待ち遠しい。
『了解』のスタンプを送る。デフォルメされたウサギが画面に表示された。それから書いては消してを繰り返して、ようやく一つの文章を送る。この言い方は駄目、これだとおかしいかも、とか。気持ちが出過ぎていないだろうか、不自然になっていないだろうか、とか。気にしていなかった事がどんどん浮かんでくる。結局無難なメッセージを送ったのに、迷惑じゃないかな、なんて。
『ひまりさんに時間ができたらあそびたいです』
『うん』『明日はちょっと難しいけど』『他の日はたぶん大丈夫』
別に大した事じゃない。遊ぶ約束なんて、今までだって何度もしてきた。今回は日程だって決めていない。なのに、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。熱に浮かされた様に頭はぼうっとしているのに、気持ちばかりが騒がしく体内を暴れ回っている。
心の中で彼女の名前を呼ぶ。明日会えるわけでもないのに、私は酷く興奮していた。この夜、私は中々寝付けなかった。
翌日、私はジェラート作りに勤しんでいた。夏と言えばアイスクリームである。風味は勿論紅茶。次に陽葵さんが私の家に来た時に食べてもらいたいから。
少量を作っては冷凍庫に仕舞っていく。いくら量が少ないと言っても凍らせるには時間が掛かるので、その間に作り方を変えて試行錯誤を繰り返していた。
「あれ。結華がそんなに集中してるなんて、久しぶりに見るね。何作ってるの?」
「紅茶のジェラート。後でパパも味見してくれる?」
「勿論。ははっ、結華は料理上手だからなぁ。楽しみだよ。」
キッチンへやって来た父に、作っている物を教える。嬉しそうに笑う父を横目に、私は次を作ろうと分量を量る。次は紅茶を長めに煮出して、甘さ控えめで作ってみよう。
アールグレイの茶葉を弱火で煮ながら、立ち上る湯気と香りの中に彼女を見る。陽葵さんは喜んでくれるだろうか。急に抱き着いてくる彼女を思い浮かべて、くすりと声を漏れた。困ると思っていたのに、今ならあの強い抱擁さえ愛おしい。
休み無く作っていた所為で午後には冷凍庫がジェラートだらけになってしまい、母から呆れた様に叱られた。流石にやり過ぎたと反省しつつ、少し懐かしさを感じる。前はそんなのまるで聞かずに続けていたな、と。あの頃と比べたら、私も少しは成長出来ているのかもしれない。
両親と共に味見をしていると、不意にインターホンの音が鳴り響く。スプーンを皿に置いた母が、足早に玄関に向かっていった。少しして戻ってきた母の手には、大きな紙袋が下げられていた。
「結華、陽葵ちゃん来てるよ。」
「えっ!?」
「ほら、お土産くれたの。本当に丁寧な子だよねぇ。」
それを聞いた私は、駆ける様に玄関へと向かう。完全に油断していた。だってそんなの、予想出来るわけが無い。今日会うのはきっと、無理だと思っていたのだから。
そこには、ノースリーブの肩に鞄を掛けた彼女が居た。涼し気な格好だけど、少し赤らんだ肌に汗が浮かんでいる。でも、私の姿を見付けた彼女は暑さなんて無いかの様に、ふわりと微笑んだ。
「結華ちゃん! こんにちはぁ。」
――あれ。やばい。何を言えば良い。頭の中が真っ白だ。彼女が返事を待っている。何か言うんだ。手に汗が滲んでいるのが分かる。鼓動が早まるのを感じる。何をそんなに緊張しているんだ。さあ、早くその口を開け。
「あっ、い、いらっしゃいませ!」
「あはっ、どうしたの? 店員さん?」
間違えた。頬に熱を感じる。
くすくすと笑いを零す彼女を前に力の抜けてしまった私は、ようやく正常に回り出した頭で言葉を探す。
「……スイマセン。急だったんで、言葉が出ませんでした。」
「えぇー? 連絡したんだけどなぁ。見てない?」
「え、本当っスか? その、ずっとアイス作ってたんスよ。全然スマホ見てませんでした。」
メッセージが届けば通知音が鳴るはずだけど、全く気が付かなかった。ジェラート作りに集中し過ぎていたのか。これは私の落ち度である。
「そっかぁ。それならしょうがないよぉ。でも、アイスまで作れるんだぁ? すごいねぇ。」
「そんな大した物じゃないっスよ。……あの。外、暑かったっスよね。試作品で良ければ食べていきます?」
「良いの!?」
目を輝かせた陽葵さんを見て、誰が断れるだろうか。やっぱり駄目、なんて酷い事は私には言えない。
ひとまず私の部屋まで案内して、冷房を入れて待ってもらう。キッチンまで行ってまだ冷凍庫に残っている物の一つを取り出し、スプーンを添えた。それから急ぎ足で彼女の元へと戻る。ベッドに腰掛ける彼女に、手元のそれを渡した。
「どうぞ。溶けちゃうんで、早めに食べてください。」
「ありがとぉ。いただきまぁす。」
ジェラートを乗せたスプーンの先が、彼女の唇の奥へと姿を隠す。それをちょっとだけ羨ましく思いながら、私も隣に腰を下ろした。
「んー! 美味しい!」
「良かった。紅茶入れてみたんスけど、どうスか?」
「最高っ! 私、これ好きだなぁ。」
彼女は目を瞑って、大袈裟に味の感想を言ってくれた。口に合って良かったと思いつつ、好きという言葉に反応してしまう。それがジェラートに向けられた言葉なのは分かっているけれど、嬉しい気持ちは確かにあった。だってこれは、彼女のために作った物だから。例え試作品だろうと、美味しいとか好きとか言われたら嬉しいに決まっている。
暑さの所為か、喉が渇いていたのか、あるいはその両方か。彼女はあっと言う間にジェラートを食べてしまった。
「ご馳走様でしたぁ。本当に美味しかったよぉ、可愛い店員さん。」
「それは忘れてください……。」
満面の笑みを見られたのは良いのだが、先の失言を掘り返されるのは恥ずかしい。その癖可愛いと言われるのは嬉しくて、複数の気持ちが絡み合う。結局は恥ずかしさが上回って、私は目を逸らした。
彼女は片手で鞄を開けて、中から小さな紙袋を取り出した。それを私の方に寄越してくる。
「お代はこれで良いかなぁ?」
「えっ。そんな、貰えませんよ。」
「ふ、ふふっ。なんてねぇ。それもお土産。結華ちゃんに似合うかなぁって。」
少し悪戯っぽく笑う彼女を前に、袋を開ける。中には小さなヒマワリの造花が付いたヘアゴムが入っていた。ヒマワリと言えば少し子供っぽいイメージがあるけれど、これは本物に近い作りだからだろうか。そんな感じはせず綺麗で、しかし可愛らしさも残っている。
ずるい。彼女はそんな事なんて気付いていないだろうが、私にとってはただの友達からではなく、好きな人からのプレゼントだ。嬉しくないわけが無い。ちょっと泣きそうなくらいだ。
「陽葵さん、どうしよう。嬉しい。すごく嬉しいっス。」
「良かったぁ。ねぇ、着けてみてよぉ。」
私は一度髪を解いて、貰ったヘアゴムで結び直す。ヒマワリの花が良く見える様に、前へ向けて。鏡が無いので自分では確かめられない。上手く結べているだろうか。
「どう、っスか?」
「うん、やっぱり似合うねぇ。可愛い。」
陽葵さんが今も付けている水色リボンのシュシュ。彼女にそれを渡した時とは逆だ。私は迸る感情のままに、彼女に抱き着いた。
「あっ、お皿が落ちちゃうよぉ。」
「……嬉しいと、ついやっちゃうんスよ。駄目っスか?」
「えへっ、えへへ。ううん、好きなだけどうぞぉ。」
顔は見えないけれど、嬉しそうに笑う彼女の声が聞こえる。頭を撫でてくるその右手が心地好かった。
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