自覚

 私は今日、久々に本気で勉強を頑張った。何故ならば、今日は終業式だからだ。

 私にとっては明日から始まる夏休みをどれだけ陽葵さんと過ごせるかが重要なのであり、宿題ごときにかまけている暇は無いのだ。当然補習などは以ての外であり、期末テストも真面目に受けた。掲示板に貼り出される程では無かったが、十分な点数は取れたので問題は無い。

 問題集とすぐに出来る様な実践系の宿題は全て終わらせたので、残すは読書感想文と自由研究のみ。これらは明日以降、時間がある時に進めるつもりだった。そう、そのつもりだったのだが。

 聞けば、陽葵さんは夏休みが始まったら祖父母の家まで挨拶に行くとの事で、数日はマンションを空けるそうだ。この時点で私の当初思い描いていた予定は先送りとなった。


「ゆいゆい、丸くなったよねー。」

「は? 喧嘩売ってんの?」

「ひゃーっ! 怒っても怖くなーい!」

「可愛いのう可愛いのう。ほれ、飴ちゃんをあげよう。」

「くひひっ、確かに丸くなったよね。別人みたいだよ。」

「太ってないし!」


 夏休み初日、私は友人達に誘われてカラオケ店の一室に居た。やたら煽ってくる櫻井さくらい瑠那るなと、訛っている風を装っている中原なかはら琥雪こゆき。それから真理も含めての四人。全員強敵とか宿敵とか書く方の友達だ。

 今朝の事、コネクトの通知音を聞いた私は、陽葵さんからメッセージが届いたのだと思い込んで勝手に浮かれていた。


『勝負しよ』『ついでにあそぼ』『こゆきちゃんとるなもくるって』


 この文面を見た時の気持ちは、多分この場に居る彼女達には分からないだろう。

 それはともかく、断る理由も無いので私も集まったというわけだ。今後に活かすため、遊び方を学ぶと言う目論見もある。どうせ夜は他にやる事もないのだから、宿題はそちらに回せば良い。

 しかし、だ。丸くなったと言われれば私だって気にしてしまう。今は全然運動もしていないし、もしかして本当に太ってしまったのだろうか。それは不味い、小さいままでなければ困る。


「見た目の事でそんなん言わないでしょ、普通。じゃなくてさー、態度? 空気? なんかめっちゃ柔らかくなったじゃんか。」

「うむうむ。遊びの誘いなぞ乗ってくれんかったしのう。」

「それなら、まあ。予定も無くなって暇になっちゃったから。」


 内心でほっと息を吐く。同時に最近の自分を省みて、運動量の減り過ぎだと自戒する。今後はもう少し動く事にしよう。


「私は全然勝負してくれなくなったから、ちょっと張り合いが無いんだよね。」

「分かるぅー。柔らかくなり過ぎじゃね?」

「女の子なんだから柔らかい方が良くない?」

「わっはは! 似合わねー! 修羅が何言ってんの!」

「誰が修羅だ!」

「ウチらの中じゃユイしか居なかろうよ。」


 ここに居る面々は皆競いたがりの癖に、私だけがそう言われるのは納得がいかない。特に真理なんて最近は事あるごとに勝負しろと言ってくるのに。今日だってその一言から始まって、久々に勝負した。

 そう、今は既に『ついで』の部分なのだ。フリータイムで入った私達は、カラオケの採点機能で勝負していた。結局真理の圧勝だったけれど。九十九点台は当たり前、一人だけ小数点以下の世界で数字が前後していた。ちなみに私は一応本気で歌ったけれどブランクもあって九十点前後が関の山である。


「ところでユイさんや。この前一緒に居た人、誰なん?」

「は? この前っていつ?」

「期末の二週間くらい前。ほれ、ポテト食わせてたろう?」


 思い当たるのは、間接キスで陽葵さんをからかっていた時の事だ。見られていたのか。いや、店内には琥雪どころか知り合いの姿も無かったはずだ。


「……アンタ居なかったよね。」

「ずうっと窓から見てたぞ。子連れのパパママの目が痛かったのう。」

「怖っ……。」

「やべーよこいつ。」

「うん、それはちょっと……。よく何も言われなかったね?」

「言われたぞ。三度目には警察呼ぶう言いよるん、流石に逃げたわ。」


 絵面を想像すると完全にストーカーのそれだ。いや、長い前髪で目元が隠れている所為で新手の妖怪に思われても不思議ではない。どちらにしろやばい女にしか見えないのは間違いなかった。


「で、誰なん? あんな顔したユイは見た事ないけん、もう気になってのう。」

「何それめっちゃ気になる! 恋か? んん〜? 恋しちゃったんか〜?」

「うっざ。」


 にたにたとした顔を近付けてくる瑠那にうんざりしながら、肩を掴んで押し退ける、つもりだった。分かっていたけれど私の力では全く動かないので諦める事となった。それを見て更に楽しそうにする瑠那を睨んで舌打ちする。

 瑠那は他の人には普通に接するのに、私が相手だとすぐに煽ったりからかったりしてくる。そう、いつもの事なのだ。コイツの相手をするだけ時間の無駄なので話を戻す事にした。


「二つ上の高校生。ほら、一学期入ってからの私って色々酷かったでしょ? でも、あの人のお陰で立ち直れたんだ。だから、うん。恩人かな。」

「確かに見たとこ良い人そうっちゃけど、そんだけじゃなかろ? 声掛けんかったんは、イチャイチャしよるけん邪魔せんとこ思たんよ。」

「ほっほーう。やっぱりただならぬ関係ってやつなんだ。ねー、ゆいゆいはその人の事どう思ってんの?」


 私に問う瑠那の表情にはうざったさは残っておらず、好奇心で満ち溢れている。こう言った面があるから嫌いになれないのだ。いつもそういう風にしていれば良いのに、落差が激しくて調子が狂う。


「ん……優しい人、かな。可愛いとこもあるし、たまに格好良くなる。でも悪戯好きで、あと良い匂いする。」

「へえ。ほう。なるほどね。結華はその人の事、好きなんだ?」

「好きだよ。」

「おぎゃー! あめぇー! 甘酸っぺぇー!」

「うるさっ。」


 マイクに向かって叫び出す瑠那。増幅なれた声が部屋の中に響き渡る。私と琥雪が耳を塞ぐ中、真理がマイクを手繰たくって、届かない様に離れた席へと放り投げた。流石は我がライバル、頼りになる女だ。

 瑠那を三人で袋叩きにした(無論、本気ではない。ただのじゃれ合いだ。)後、今度は真理から質問が飛んでくる。


「じゃあさ、逆に嫌な所とか、困る所は無いの?」

「え、そんなの聞きたい?」

「まりりん、お主も悪い奴よのう。本当にそれはちょっと良くないよ、うん。」

「違っ、そうじゃなくて! 結華が嫌な思いしてたら嫌じゃん!」

「くっくっ、マリが悪口を好むわけなかろ? ユイはほんに愛されとるのう。」

「変な言い方しないでよ。友達なんだから心配くらいするって。」


 陰口が嫌いな事くらいは当然分かっていたけれど、何故そんな事を聞くのかが疑問だった。その理由を聞いて、少し心が暖かくなる。知っているけれど、改めて良い奴だと思った。

 真理は照れ臭いのか、ちょっと頬を赤くしてそっぽを向いた。珍しい物を見た気分だ。


「そうだね、すぐ興奮していきなり抱いてくるのはちょっと困るかな。でも、ふふっ。私が不安になった時はすごく優しく抱いてくれたなぁ。」


 咲田さんに同じ様な事を話した時を思い出して、困った事と共に一緒に良い面も言っておく事にした。また彼女が通報されそうになっても困るから。私は学習する女なのだ。嬉しかった時の事を思い出して笑いを漏れてしまったのはご愛嬌。


「お、おう。思うたより進んどるのう。」

「え、やばくない? ちびっ子のゆいゆいがまさかの一番大人だった件。」

「……こんな風に結華に負ける日が来るとはね。」

「良く分かんないけど、別に勝負とかじゃないじゃん。大人かどうかで言えば私はまだ……あっ。」

「あ、って何? もー、そういうのめっちゃ気になるんだけど。」


 思い出したのは生理が訪れた時の事。こんな見た目でも子供を産める体になったわけで、大人になったとも言える。でも汚い話だし、あまり直接的に言うのはよろしくない。親しい間であっても言い方をぼかすのがマナーと言う物だ。母にもそう教わった。


「いや、そう言えば大人になってたなって思って。」

「え、今更? 遅くない? ね、やっぱり痛かった?」

「うるさい。……まあ、想像してたよりずっと痛くてさ、血もいっぱい出ちゃって。」

「うひゃーっ、ゆいゆいの話なのに怖い!」

「うわぁ……。」

「ひえぇ、そんなんなるん?」


 何だろう、この反応は。三人共既に経験しているはず、だと思う。まさか、まだ来ていないのだろうか。彼女達も努力家だからあり得る。見た目では分からないけれど、私と同じ様に自分を追い詰めているのかもしれない。

 ならば、いざ来た時のためにも、安心させる様な事も言わなければいけない。辛い時は誰かに頼って良いのだと、教えてあげなければ。


「でもね、その時に助けてって言ったらすぐ行くからって言ってくれて。で、その人に包まれてる内に安心しちゃった。本当、すごく優しくしてくれて。やっぱり自分一人で抱え込んじゃ駄目だなって思ったよ。」

「……すぐイクって、え、やばくない? 優しいって何? 私がおかしいの?」

「あの、ユイ? いくら何でもそれは……。大丈夫なんですか? 騙されてません?」

「は? 何が?」


 安心して欲しくて色々考えて話したのに、瑠那は混乱している様子で、琥雪に至っては装っていた訛りが解けている。わけが分からない。

 私も私でこの状況が良く理解出来ておらず、隣で黙っている真理ならば分かるだろうと思って話し掛けようとした。横を見れば、そこには物凄い形相で体を震わせる修羅まりが居た。


「……真理? どうしたの?」

「――クソ野郎が! よくも結華を……! 許さねえ、ぶっ殺してやるッ!」

「え、えっ!? 何言ってんの!?」

「やべーよ……。まりりんガチギレじゃん……。こんなの止めらんないって……。」


 どうしてこうなったのだろう。こんなに怒っている真理は見た事が無い。いつだって余裕のある風で、他者への接し方は爽やかで、悠然としているのに。怒っている理由は分からないけれど、まだ見ぬ陽葵さんへと殺意を向けているのは確かだった。

 真理の知らない面を見てしまって、私は身を竦ませていた。何度も対決してきたライバルが、こんなに怖いだなんて。


「マリ、落ち着いてください!」

「そうだゆきぴょん、もっと言ってやれ!」


 どうにか真理を止めようとしている琥雪と、その後ろに隠れて他力本願な事を言っている瑠那。アンタも何とかしろと、更に他力本願な事を思う私。


「野郎じゃないです! お相手は女の子でした!」

「え、そこ!? 確かに衝撃的だけどさぁ!?」

「……女? 結華、それ本当?」

「う、うん。陽葵さんは女子だよ。ロリコンだけどすごく良い人だよ。」

「へえ。同じ女なのに、そんな酷い事する奴なんだ?」

「……ロリコン情報要る? 要らなくない? 止める気あるの?」


 少しでも陽葵さんを庇おうとしたのに、気が動転して必要無い事まで言ってしまった。怒っている人間に対して更にマイナスの発言をするのは、火に油を注ぐのと同じだ。

 けれど先程までとは打って変わって、真理は落ち着き払った様子で、爽やかな風に話し始めた。


「結華、もう大丈夫だよ。すぐにそのヒマリとか言う体目当ての変態鬼畜ロリコンレズ女を始末してやるから。だからそいつの居場所教えて?」


 訂正、全く爽やかではない。声色はいつも通りなのに、目が据わっていて殺伐とした空気を纏っている。しかも陽葵さん本人が知らない内にとんでもない蔑称を付けられてしまった。

 どうにか止めなければと話を続けている内に、私と彼女達との間で齟齬が生まれている事に気が付いた。結局の所、最初から全てを事細かに話す事となったのだ。


「はあ、なるほどね。結華がそういう方面に疎いのは知ってたけどさ。思ってた以上だね、これは。」

「なんで生理の事、無駄にオブラートに包んだん? 女しか居ないんだし別に良くね? つーか話端折り過ぎでしょ。」

「あの、抱くって言い方だと普通はセッ、性行為の事だと思ってしまいますから。ハグとか、抱き締めるとか、言葉を選んだ方が良いですよ?」

「……はい。全部私が悪かったです。」


 三人の中での陽葵さんは、言葉巧みに私を騙して近付き、事あるごとに肉体関係を迫る上に、酷い行いを優しさだと思わせる様に洗脳しているやば過ぎる女だと思われていたらしい。真理が激怒した理由もそれだった。何にしろ、言葉足らずだった私が全面的に悪い。


「てかさ、ヒマリさんだっけ? その人の話する時だけ雰囲気変わりすぎでしょ。」

「え、そんなに違う?」

「ん、んんっ。……自分で気付いとらんの? まさに恋する乙女! っちゅう顔しよるんに。」


 ――恋? 私が、恋をしている? 陽葵さんに?

 何だ、これは。動いたわけでもないのに、勝手に顔が熱くなってくる。分からない。分からない。こんな物、知らない。助けて、陽葵さん。

 彼女の事を思い浮かべると、胸の奥がきゅうと締め付けられる。嬉しい様な、苦しい様な、くすぐったい様な。ひたすらにもどかしい。これは何度も経験している。まさか、これが恋の証なのだろうか。だとすれば、私は一体いつから彼女の事を。


「全く、幸せそうにしてさ。それも行き違いの原因だったけど。て言うか、琥雪ちゃんも最初に性別くらい教えてよ。」

「ごめんて。言わん方がおもろそうやけん、後からネタばらししよう思っとったんよ。こんな流れになるとは思わんて。」

「にしても、身近に同性カップルが居るとは思わなかったなぁ。それも結華が、なんてね。」

「……違う。そういうのじゃない。陽葵さんは友達だもん。」


 自分の心を誤魔化す様に、私は否定した。実際に付き合っていないし、今の目標だって達成していない。誰かと付き合うなんて余裕は無い。

 そう、私はまだ、彼女の一番になれていないから――違う、私の目標は『一番仲の良い最高の友達』だったはずだ。それに彼女を選んだだけだ。『彼女の一番』なんて、そんなのは。自分で認めている様な物じゃないか。


「うわっ、顔真っ赤じゃん! こんなゆいゆい初めてじゃね? さっきのまりりんくらいレアじゃん。」

「くっくっ、可愛いのう可愛いのう。そいじゃあ全然説得力が無いんよ。」

「その顔見せてあげれば喜ぶんじゃない? 撮ってあげるよ。」

「やめろぉ!」


 真理が向けてくる、スマートフォンのレンズから逃げる。どんな顔をしているのか分からないけれど、絶対に恥ずかしい事になっているに決まっている。

 カラオケの機材から流れる宣伝映像と恋愛ソングをバックグラウンドに、私は一斉に弄ってくる友人達から逃げ続けた。

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