笑顔が見たくて

 どれくらいの間、そうしていたのだろう。気付けばいつの間にか私は彼女の膝の上に乗っていて、それでも向かい合ってお互いを抱き締めていた。


「……陽葵さん。今日は何して遊ぶつもりだったんスか。」

「んー? 最初にちょっとお話してぇ、それから外に出ようかなぁって。一緒にお昼食べたりとかぁ、お店を回ったりとか考えたんだよぉ。」

「もう十二時近いっスよ。」

「そうだねぇ。」

「離れないんスか。」

「離れたいの?」


 くすくすと笑う声が聞こえる。顔は見えないけれど、きっと悪戯っぽい表情を浮かべていると思う。

 彼女の言う通り、離れられないのは私の方だ。きっと時間を忘れていたのも私の方。理屈は分からないけれど、ずっとこのままで居たいと感じている。こんな事、今までに体験した記憶は無い。私はどうしてしまったのだろう。

 水を差す様に私のお腹が鳴って、釣られるように彼女のお腹も小さく鳴った。色気の無い音達が、この時間の終わりを告げる。

 体を離すと彼女の頬は少し赤らんでいて、汗ばんだ額には数本の前髪が貼り付いていた。


「ごめんなさい、暑かったっスよね。」

「気にしなくても大丈夫だよぉ。」


 ふわりと柔らかく笑う。それを見て再び抱き着きたくなる自分を抑え、彼女の膝の上から降りる。室温は決して低くないはずなのに、少し肌寒い気がした。

 一方で陽葵さんはグラスに注がれたまま放置されていた紅茶を飲み干した。やはり暑かったのだろう、少し申し訳ない気持ちになる。


「ふぅ。何か食べたい物あるぅ? 決まってないならファミレスで良いかなぁ?」

「特に考えてなかったんで、それで大丈夫っスよ。」


 言ってから、私も残っていた紅茶を飲んだ。冷たかったはずのそれはぬるくなっていて、私達の間でこもっていた熱が飛び出して紅茶へ移ったのだろうか、なんて変な事を考えた。

 彼女は立ち上がって背を伸ばした後、小さめの鞄を手に取って肩に掛けた。制服の時に使っていた物とは別の鞄だ。私もまた、ウサギ鞄を背負う。彼女の後を追う様にして、部屋を後にした。

 ファミリーレストランは歩いて数分の所にあって、私も来た事がある店だった。お昼時なので少し並んで待つ事になったけれど、意外と早く順番が来た。


「陽葵さんは何か好きな物、あります?」

「結華ちゃん。……冗談だよぉ。」


 メニューを開きながら聞くと、ふざけた様な答えが返ってきた。嘆息すると、困った様に笑みを浮かべて言い訳をする。冗談だと言う事くらいは分かっている。ただ不意に言われたから驚いただけだ。むしろ、好きであるのが本当なら私にとっては都合が良いくらいだ。その意味でも冗談だろうけれど。


「海鮮系が好きかなぁ。あっ、これにしよう。結華ちゃんは何が好きぃ?」

「特に好き嫌いとか無いっスね。美味しければ何でも。」


 陽葵さんは野菜とシーフードのパスタを、私は少し迷ってからオムライスを選んだ。サラダとドリンクバーが付くランチセットも一緒に注文する。テーブルに備え付けられたタッチパネルに注文完了の文が表示された後、二人でドリンクバーへ向かう。


「紅茶、好きなんスか。」

「うん。詳しくはないんだけどねぇ。」


 その香りが好きだと言ってドリンクバーの画面を押し、アイスティーをグラスに注ぐ。彼女の部屋でも飲んだのに、飽きないのだろうか。

 私はオレンジジュースを選ぼうとしていた指を彷徨わせ、アイスティーのマークを押した。テーブルに戻ってから飲むフリをして香りを嗅いでみる。悪いわけではないけれど、あのペットボトルの紅茶の方が良い香りだった気がする。


「結華ちゃんも紅茶好きなの?」

「んー、嫌いじゃないっスね。最初は別のにしようと思ったんスけど。」

「えぇっ、そっちにしたら良かったのにぃ。」

「陽葵さんが好きだからこっちにしてみようと思って。」


 相手の好きな物を知って楽しく共有出来たら、多分仲良くなれると思った。

 対面の彼女はちょっとだらしないくらい口元を緩めている。嬉しそうだが、ちょっと喜び過ぎではないだろうか。


「どうかしました?」

「あはぁ……。結華ちゃん、やっぱりやばいよねぇ。」

「えっ!? 酷くないっスか!?」


 唐突なやばい女認定。そんなに変な事を言っただろうか。闘争心も出していないし、そんなに子供っぽい事も言っていないのに。

 思わず俯くと、額を指でつつかれる。顔を上げれば、変わらずニコニコとした陽葵さんが居る。


「もう、私の喜ぶ事ばっかり言ってさぁ。ちょっとずるいよねぇ。」

「……ああ。やばいって、悪い方じゃなかったんスね。」

「うん。可愛過ぎてやばい。隣に座ってたらまたぎゅーってしちゃってたかもぉ。」


 おかしな事を言ってしまったわけではなさそうで、安堵する。褒められるのは少し照れ臭いけれど、嫌じゃない。それに可愛いと言うのなら、その方が好かれるだろうから。


「ねぇ、うちに住まない? 私、ペットのお世話は出来る方だから大丈夫だよぉ?」

「その発言の方がやばいでしょ。全然大丈夫じゃないし。」

「冗談だよぉ。うちのマンション、ペット禁止だからぁ。」

「そっちじゃないから。やばすぎでしょ。」


 満面の笑みで私をペット呼ばわりする陽葵さん。あの悪戯っぽい表情じゃないから本気なのか冗談なのか分からない。まあ、普通に冗談だと思う。

 そうして話している内に頼んだ料理がやって来る。彼女は食事中にあまり話す方ではないらしく、私も落ち着いて食べる事が出来た。オムライスの味はそこそこだった。

 会計は個別でと言ったのだが、陽葵さんは気にしないで、と言って私の分まで払ってくれた。そこまでしなくて良いのにと思ったけれど、感謝の言葉を口にした。


「この後どうします?」

「近くに雑貨屋さんがあるんだぁ。寄っても良いかなぁ?」

「全然大丈夫っス。どんなのがあるんスか?」

「うーん、食器とかも多いんだけどぉ、ヘアピンみたいなアクセもあるよぉ。」

「へえ、良いっスね。新しいゴム欲しかったんスよ。」


 店を出た私達は次の目的地を決めた。日用雑貨の店だが、アクセサリーの様な小物も並んでいるらしい。

 私は会話しながら、綿毛のポンポンが付いた真新しいヘアゴムに触れる。家にはまだ買ったばかりの物が何本かあるし、本当なら買い足す必要は無い。でも多分、これも子供っぽいのだろうなと思って。もう少し大人っぽい物があれば買おうとか、そんな事を思っていた。

 その雑貨店は落ち着いた雰囲気で、お昼時だからか客も少なかった。聞いた事のある曲が流れていて、しんみりとした曲調で愛だの恋だの歌っている。もう少し明るい曲にすれば良いのにと思ったけれど、多分こういう静かな曲の方が店の雰囲気に合っているのだろう。


「あっ、これ可愛くない?」

「可愛い。金属みたいっスけど、タンブラー? って普通のコップと何か違うんスか?」

「断熱だからぁ、冷たい物がぬるくなりにくかったりするんだってぇ。」


 こういうのが欲しかったと言って、彼女は小さめのタンブラーを買い物かごに入れた。デフォルメされたネコが描かれた物と、ウサギの物。一人暮らしなら一つあれば良いはずなのに、ウサギの方まで手に取った時に私は背中の鞄に意識が行った。もしかして片方は私の分なのかな、とか思ったり。


「うーん、やっぱり良いかな。」

「ヘアゴム、買わないのぉ?」

「なんかどれもしっくり来ないんスよね。」


 ヘアゴムは結局買わなかった。どうにも私のセンスではキラキラした物や大きな宝石っぽい物が付いたデザインの物を選んでしまうみたいで、どうにも子供っぽさを脱却出来そうになかった。

 それから少し店内を見て歩き、彼女はレジへ向かった。結局あのタンブラーだけを買うみたいだ。

 その間に、私はアクセサリーのコーナーへ向かう。二人で見ていた時に気になっていた髪留めがあったから、それを買う事にした。私の分までお金を払うとか言われたら困るからだ。先の一件があるから尚更気を払っている。


「結華ちゃんも何か買ったんだぁ。言ってくれれば一緒に買ったのにぃ。」

「気持ちは嬉しいっスけど、これくらいは自分で買いますから。」


 店の外で待っていた彼女はそんな事を言ってきた。案の定である。

 確かに私の方が年下だし、持っているのは自分で稼いだお金ではないし、友情を乞うべき立場だと言うのも分かっている。けれど、友達なら対等であるべきだと思う。贈り物として何か買ってくれるのであれば喜んで受け取るけれど、私が払うべきお金を代わりに払ってもらうのは正直な所、嬉しくない。


「それ、鞄に入らないっスよね。戻ります?」

「うーん、そうしようかなぁ。ごめんねぇ。」


 タンブラーの入った紙袋を抱えて、しゅんとして謝る彼女の手を握って歩き出す。これまで彼女の笑顔ばかりを見てきたからか、その表情は似合わないと思った。


「ちょっと、そんなに気にしないでくださいよ。」

「うぅ。でもぉ、色んな所に遊びに行こうと思ってたんだよぉ。」

「まだ時間ありますし、もう一回出かければ良いじゃないっスか。それか、今日は陽葵さんの部屋でゆっくりするのも良いかも。嫌じゃなければっスけど。」

「うちに来るのは全然良いよぉ? でもぉ、今日はたくさん遊ぶ所教えたかったんだよねぇ。」


 彼女からすれば、これから色々と遊び方を紹介しようとしていたのに自ら出鼻を挫いてしまった感じなのだろう。

 確かに私が頼んだ事だけど、そんなに気負う必要なんて無いと思う。そもそも私は陽葵さんと仲良くなりたいのであって、その方法は何でも良いのだから。

 一緒に楽しく過ごす。彼女も言っていた事だ。どこで、ではなくて。誰と、なのかが重要で。きっとそれが本質なのだと思った。


「じゃあ今日だけじゃなくて、これからもちょっとずつ教えてください。ね、一気にするよりも、その方が楽しく過ごせる日が増えそうじゃないっスか?」


 彼女を見上げて、笑い掛ける。少しだけ手に力を入れて握ると、向こうからもぎゅっと握り返された。何かが繋がった様な気がした。

 困った様な笑みを浮かべて、彼女は口を開く。


「うん。私、ちょっと焦ってたみたい。そうだよねぇ、遊べるのは今日だけじゃないんだよねぇ。」

「そうっスよ。私なんてもう暇になっちゃいましたし、毎日でも大丈夫っスよ。」

「流石に毎日は難しいかなぁ。」


 私がおどけると、彼女はくすりと笑う。陽葵さんの部屋までの道を手を繋いだままゆっくりと歩く。やはり彼女は明るい方が良いなと思った。

 甘い香りが充満した部屋に戻ってきた。やはり、この香りを嗅いでいると変な気分になる。落ち着くのは確かだけれど、同時にじっとしていられない様な、相反する感覚を覚える。

 それを誤魔化す様に部屋を見回す。飾り気の無い、すっきりとした部屋だ。しかし改めて見てみると、ちょっと片付き過ぎではないかと思う。少しくらい小物が置かれていてもおかしくないし、私が来るからと言ってそれをわざわざ収納に仕舞ったのであればそちらの方がおかしい気がする。


「陽葵さんって、部屋に何か置いたりしないんスか?」

「あははっ、やっぱり殺風景だよねぇ。そういうの、自分で買ったりしないんだぁ。節約しなくちゃだからねぇ。」

「節約、っスか。今日ご馳走になったのって、不味いんじゃ……。」

「それは別だよぉ。誰かと遊ぶ時は普通にお金使う事にしてるの。」


 確かに人と遊ぶ時にあまりお金を気にしてしまう様では思い切り楽しめないかもしれない。彼女の方針には納得出来るけれど、奢ろうとするのは別だ。節約をしているのなら尚更。多分年上だからとか考えているんだろうけれど、次からは個別か割り勘にしてもらう様に話を付けた。彼女はちょっと不満気だったけれど。

 それから私達は取り留めの無い話を繰り返した。その中で彼女の好きな物も色々と聞けたし、通う学校についても知る事が出来た。

 話をしていただけなのに、気付けば窓から見える空はオレンジ色に染まっていた。あまりにも時間の進みが早く感じて、スマートフォンに表示された時刻を凝視した。


「あれぇ、もう夕方だねぇ。そろそろ帰るぅ?」

「そうっスね。もう帰らないと……ああ、そうだ。これ、良かったら貰ってくれませんか。」


 鞄から取り出した小さな紙袋を渡す。中身は水色のリボンが付いたシュシュ。シンプルだけど、彼女に似合いそうだと思った。

 雑貨屋を出た時に思った事は決して嘘ではないけれど、本音は違う。単純に、こればかりは自分で買わないと意味が無いと思った。だってプレゼントを渡すのに、贈るはずの相手に買ってもらうだなんて、いくらなんでも格好悪すぎるだろう。


「……開けても良い?」

「勿論。陽葵さんには色々助けてもらってますんで、その。お礼って言うか。こんなのでスイマセンけど。」

「……可愛い。」

「使ってもらえますか?」

「うん。」


 彼女はウェーブの掛かった長い髪をシュシュでまとめ、肩の前に垂らした。それだけなのに、更に大人っぽく見える。窓から差し込む夕陽に照らされた髪が明るく輝く。今の感情が窺い知れない表情も相まって、神秘的で美しく感じた。


「やっぱり。似合うと思いますよ。」

「結華ちゃんっ!」


 思い切り抱き着かれる。それがちょっと苦しくて、でも彼女の腕に抱かれるのは心地好くて、強く香る甘さが私を酔わせる。

 二度目は少しだけ冷静だった。彼女の柔らかな感触が私の顔に伝わる。それは何故だかいけない事の様な気がしたけれど、このまま沈んでいってしまいたくなって。だから、抵抗はしなかった。


「ありがとぉ! すっごい嬉しいっ!」


 陽葵さんの喜ぶ声が聞こえて、今度は何も言わずに。私もまた、彼女の背に両手を回した。

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