第110話 行旅病人と行旅死亡人?

 カボックに戻って久しぶりに商業ギルド、錬金術・薬師ギルド、冒険者ギルドにも顔を出し、顔馴染と駄弁ってまいりました。

 王都に出発する前に、取り敢えず三か月分の納品は済ませておきましたので、商業ギルド、錬金術・薬師ギルドに懸案事項は無かった筈ですけれど、カボックに戻ったことを伝える必要はあるのです。


 そうして冒険者ギルドでは、最低限のクエストを受けないと、そろそろ会員証の期限が切れるので、有効期限延長のためだけのクエストをこなすことにしました。

 どちらかというと余り受け手が無いようなクエストを私が持ってきて、「これをやりたいのです。」と言ったなら、受付のお姉さんであるミリエルさんは少し不満そうでしたが、受付はしてくれました。


 彼女としては、もっと上級の仕事を受けてほしかったのかもしれません。

 でも、私としては、さほど難しい仕事でなくても時間がかかったり、片手間でできる仕事であっても厄介なものだったりする仕事を頼まれるのは困ります。


 前者としては、例えば商人の移動中の護衛の仕事があるでしょうし、後者は盗賊退治がありますね。

 できないわけでは無いのですけれど、最初から人殺しを目的にする仕事は受けたくないです。


 そうなると、盗賊や野盗を捕縛しなければなりません。

 魔法を使ったにしても、捕縛場所から衛士のところまで運んでくるのに手間がかかります。


 転移魔法を使えば簡単ですけれど、魔人対策もあって、今更ながらですけれどできる限り人前では転移魔法は使わないようにしています。

 そういった意味では、あれはしたくない、これはしたくないと言っているようなものですから、随分と我儘な冒険者ですよね。


 それなりの必要があって、冒険者や商人としての登録もしていますけれど、私の本業は飽くまで錬金術師と薬師ですからね。

 面倒なことを頼まれるぐらいなら、冒険者を引退します。


 いつだったか一度そうした私の本音をぶちまけたことが有って、それからは受付嬢もギルドマスターも余り無理を言わなくなりました。

 尤も、ギルドが本当に困っている時や、カボックの町が危ない時には助力を頼むとギルドマスターからは言われていますけれどね。


 ギルドマスターもサルザーク侯爵の伝手つてから、私が色々とやらかしている内緒の仕事をそれなりに聞いているようで、私がかなりの実力者であることは十分に承知していますから、無理は言えないようです。

 ゴブリンの群れを討伐した際にギルドマスターが言っていた昇級についても、

護衛の仕事を引き受けないので一定のクラスから上がりません。


 私も別に金儲けのために冒険者をしているわけでは無いので、これ以上のランクを上げるつもりはないのです。

 まぁ、そんなわけで、私の今のランクに見合ったような珍しい薬草採取のクエストを受注し、それを終えてカボックに戻る途中で、何と行き倒れに遭遇しちゃいました。


 行き倒れというのは、前世の法律上では「行旅病人こうりょびょうにん又は行旅死亡人こうりょしぼうにん」と言いましたね。

 この世界ではどうなのか知りませんでしたので、リリーに確認しますと、特段法律上の定義はなさそうで、単に「行き倒れ」と称しているようです。


 で、助ける義務はあるのかというと、この世界ではそうした人助けに義務を課してはいないのです。

 前世ではカタカナ混じりの交じりの法律で「行旅病人及行旅死亡人取扱法」というのがありました。


 この法律は明治時代にできた法律ですよ。

 単純に言って、その当時は、皆が皆、豊かな時代というわけではなかったので、旅の途中で病気にかかって誰も助けてもらえないような場合、また旅の途中で行き倒れて亡くなった場合の手続きや遺留品の取り扱い等を定めたもので、市町村に対して救護義務等を課しています。


 この法律ができたために、市町村でも行き倒れに関する条例を定めて運用していましたね。

 私も前世で、勤務していた病院にホームレスの男性が運び込まれてきたことがありました。

 

 ホームレスを行旅病人と言えるかどうかはやや問題もありそうですけれど、この際にはかかった医療費は自治体に対して請求できるようになっていました。

 但し、生憎と多額の経費が掛かる高度医療は予算的に無理なようですね。


 ですから、助かる命でも助けられなかったという思い出があります。

 医者も難しいのですよ。


 『医は仁術』とよく言われることがありますけれど、高度な医療技術が発達していた前世では、「仁」だけでは医者はやって行けませんでした。

 算術も必要なんです。


 ある意味で厳しい現実ですね。

 ところで現世では、立法そのものが少なく、どちらかというと領主の裁量で種々の方向付けが「お触れ」などでなされているようです。


 行き倒れについての定めも、また、領主からの配慮も無い場合、リリー曰く、単純に人の情けの有無で物事が動くようですね。

 私の目の前に居るのは母子二人です。


 身形みなりは、さほど豊かな暮らしをしていたようには見えませんが、農民ではなく商人か若しくは職人のような気がします。

 いずれにしろ、私のお節介な性格から言って、行き倒れを見つけた以上は助けられるものなら助けるつもりです。


 どちらも極度に痩せており、脱水症状も出ていますね。

 特に母親の方が症状が重く、もしかすると手遅れかも知れません。


 仕方がないので、二人を連れたまま魔法転移で我が家に連れ帰りました。

 我が家の四階にある私の居住空間にある客間に運んで治療を始めます。


 まずは、水分補給と栄養補給ですね。 

 前世ならば、さしずめを行うわけなのですけれど、私の場合はそれを簡素化した魔法でやってしまいます。


 点滴というのは、血液と同程度の濃度の薬液等を体内に徐々に送り込むことで、血液中の赤血球などを壊さないようにする処方です。

 この濃度を間違えたりすると、かえって病状が悪化しますから注意を要するのです。


 また急激に投与することもできませんから、時間がかかりますよね。

 現世での私がとる方法は、血液全体に薬剤等を均等分散させますので、点滴と違って短時間で処置が済みます。


 但し、急激な体調変化で気持ちが悪くなる場合もあるのです。

 子供は、多分7歳ぐらいの娘さんですけれど、母親(?)に守られていたのでしょうね。


 母親よりは症状は軽いと診ました。

 母親の方は、かなり重篤で放置すれば一時間も持たないような状況でした。


 ですから多少の副作用は無視して、一気に水分補給と栄養剤補給を魔法で行い、軽くヒールをかけました。

 娘さんの方は、意識朦朧もうろうの状態でしたけれど、無意識に水を飲める状況でしたので口腔から水分補給をする一方で、一時間ほどをかけてゆっくりとパッチから栄養を浸透させる方式をとっています。


 一応点滴用の装置も作ってはあるのですけれど、腕に針が刺さっている状況というのは点滴を知らない人から見るととても怖いもののようです。

 聖ブランディーヌ修道院の訓練された修道女たちが看護についている場合は別として、患者を一人にしておくと、自分で点滴の針を抜いてしまう事例が発生しましたので、人手が少ない時には、点滴は避けてパッチで肌から浸透させる方式をとるようにしています。


 点滴に比べると薬効は少ないのですけれど、少なくとも点滴の針を抜かれて血が無駄に流れるようなことはありません。

 きっと、この母子二人は長旅をしてきたのでしょうね。


 旅の汚れで、手足を含めて身体中が垢だらけですし、髪もしばらく洗った様子がありません。

 一応の措置を終えてから、浄化魔法で身体を綺麗にしてあげました。


 顔立ちは、母子ともに整っていますし、相応の知性が感じられますので、あるいは良いところの妻と娘だったのかもしれません。

 その辺の詮索は、母子二人が元気になってからで良いでしょう。

 

 居候二人が増えてしまいましたけれど、我が家の方にはまだ余裕があります。

 新しく入手し改装した別の家(以後『離れ』と言いましょうかねぇ。)については、平屋から二階建てに改造して8人から10人程度が生活できる場所にしていますので、主として男性用の寮にするつもりでいます。


 以前は工房のある家(以後は『母屋』と称することにします。)に、私、弟子二人のほかにエルメリアとメイド二人、さらには魔法師四名を泊めていたわけですので、新たに王都からくる四人の魔法師達を離れに住まわせれば、二人程度は十分に収容できますよね。

 このまま私の居住スペースにある客室を占拠されてしまうと何かあった場合に困りますので客室はできれば空けておきたいものです。


 概ね一か月後には、魔法師四人が王都から到着することになっていますが、王都からの先触れでは、四人のうち三人が男性、一人が女性のようです。

 従って、三人の男性は、錬金術師見習いのグレンとともに、離れの方に寝泊まりしてもらうようにします。


 歩いて一分もかからないほどの近所ですので、彼らの通勤には問題ないでしょう。

 このために工房のある母屋には、私、助手兼側仕えそばづかえのエルメリア、薬師見習のイェルチェ、メイドのマルバレータとヴァネッサ、それに行き倒れの母子二人が取り敢えず住むことになります。


 母屋は女だけの館になってしまいますね。

 日中は男性もいるのですけれどね。


 母子二人については、取り敢えず、体力が回復するまではウチで面倒を見ますけれど、旅の目的地があるのであれば本人の意向に任せるつもりです。

 ただ、念のために所持品を確認しましたけれど、この二人は路銀を持ち合わせていないのです。


 ですから行き倒れ状態になったのでしょうけれど、随分と無茶をするものですね。

 街道沿いには、魔物も出ますし、野盗の類も結構居るんですよ。


 そんな中での母子二人だけでの長旅は本来は無理なのです。

 体調が回復したら事情を聴いてみようと思っています。






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