第106話 グレンとイェルチェ

 僕は、錬金術師見習いのグレン・ドーセット。

 王都の錬金術師ギルドの指名により、サルザーク侯爵領のカボックに来ている。


 ここには三級錬金術師のエリカ様が居るからだ。

 普通、錬金術師の養成学校を卒業した後は、一級か二級の錬金術師のもとで数年弟子として働き、それから錬金術師の試験を受けて三級錬金術師になる。


 錬金術師は高給取りだから、何年徒弟でタダ働きをしようと正規の錬金術師になれば左うちわの生活が送れるんだ。

 僕のその素質があったればこそ選んだ道だった。


 それがなぜカボックのしかも三級錬金術師のエリカ様の徒弟になっているかと言うと、エリカ様、いや師匠は、王都の錬金術師ギルドがすぐにでも一級錬金術師を与えてもおかしくない技量を持った優秀な錬金術師なんだ。

 それゆえに、錬金術師専門学校でトップクラスの成績であった僕を師匠の下に送り込んだんだ。


 これには前例があった。

 歳は僕より若いけれど、一期上の先輩であるレーモン・ビショップさんが師匠の下で一年間の徒弟生活を送り、錬金術師の試験に見事合格して三級錬金術師になって王都に戻ってきたんだ。


 彼は王都の錬金術師ギルド本部に立ち寄って、その技前わざまえを披露した。

 これまで、一年程度の徒弟期間ではとても錬金術師の試験に合格しないと言われていたのに、それを覆した初めての実例だったので、特にその技量をギルドの幹部が見たがったのだ。


 僕ら卒業を間近に控えた専門学校生も特別に見せて頂いたのだが、凄まじい技量だった。

 錬金術師や錬金術師見習いにも魔力があって相応の魔法が発動できる。


 そもそもが錬金術の技の多くが魔力を必要としている。

 例えば分離、抽出、合成など様々な錬金過程で使うことが有る。


 だから、使えて当然のところがあるんだけれど、練度が桁外れだった。

 針の穴に糸を通すような繊細な作業を、手も触れずに魔力だけでできるなんて初めて見たよ。


 レーモンさん曰く、これがエリカ師匠の下では日常茶飯事の事であり、これができるまで毎日魔力錬成と魔力操作をさせられたと教えてくれた。

 錬金術には魔力とその操作が絶対に必要なことらしい。


 そもそもエリカ師匠は、専門学校を出ていないし、錬金術師の師匠に徒弟として入った経歴もないそうだ。

 そんな人が、カボックの支部で試験を受けて見事に最年少で三級錬金術師の資格を得た初めての人なんだ。


 色々なことが有り、王都に招かれた際に衆目の中で披露された錬金術が余りにも素晴らしかったので、王都の錬金術師ギルドが動いて毎年一人の弟子を取ってもらうことにしたらしい。

 始めてお会いした師匠は、僕より若く美しい女性だった。


 でも、どんなに若かろうと僕らの世界では、師匠と徒弟では天と地ほども差がある。

 師匠の命令には絶対服従なんだ。


 往々にして酷い師匠もいて、徒弟の生活水準が最低な水準に置かれる場合もあるとは聞いている。

 それでも何とか我慢して徒弟を務めあげ、試験に合格しなければならないのが僕たち錬金術師の見習いなんだ。


 錬金術師になるためには専門学校に行って知識を得て、更に徒弟と言う名の奴隷にも近い身分に身を置いて耐えなければならないから、錬金術師になろうという人自体がさほど多くはない。

 錬金術師の試験に合格するのは、今ではエリカ師匠という悪しき(?)前例があるので17歳が最小年齢になってしまったけれど、それまでは平均して25歳前後、遅い者は三十代も半ばにならないと資格を取れないこともあったんだ。


 だが、レーモンさんの話を聞く限り、エリカ師匠の下での徒弟生活は思いもかけぬほど優遇されているようだ。

 この師匠の下でなら、確かに一年でも資格が取れる可能性がある。


 従って、この徒弟の話が出た時には、応募希望者が多数出たらしい。

 そのかなりの倍率を潜り抜けて僕が選ばれたのはとても誇らしいことだ。


 でも、エリカ師匠に会ってすぐに言われた。

 エリカ師匠の下での徒弟生活は一年だけで、その間に試験を受けて合格しなさいと言われた。


 一年経っても合格しない場合は、王都の錬金術師ギルドに送り返すとまで言われたよ。

 これは何としても一年以内に錬金術師の資格を取るように頑張らねばならない。


 エリカ師匠の下での徒弟としての生活はレーモンさんが言った通りとても恵まれている。

 美味しい食事をマルバレータさんが造ってくれるし、部屋の掃除やベッドメイキングは、ヴァネッサさんがしてくれる。


 別の先輩に聞いた話では、掃除、洗濯を含めて雑用は徒弟の仕事の一つだって聞いたけれど、そんな雑用はしなくても良い反面、訓練と実技指導はとてもハードなものだ。

 どこぞの先輩に聞いたようなげんこつが飛んでくるようなことはないんだけれど、とにかくできるまで色々とやらされる。


 魔力操作で魔力が枯渇したらMPポーションを支給してくれて、それで無理やり回復させられるんだ。

 市販されている不味いポーションと違ってすごく美味しいんだけれど、毎日おなかの中でぽちゃぽちゃと鳴るほど飲まされたなぁ。


 でもそのおかげで魔力錬成と魔力操作は自分でもびっくりするほど上手になったし、保有魔力量も増えたみたいだ。

 エリカ師匠の下には、弟子以外では、メイドとしてのマルバレータさんやヴァネッサさん以外に、もうひとりダークエルフのエルメリアさんが居る。


 彼女は錬金術師じゃなくって魔法師なんだけれど、師匠のメイド兼助手的な役割をしている。

 だから、僕と薬師見習のイェルチェの魔力錬成と魔力操作については、エルメリアさんがつきっきりで面倒を見てくれた。


 錬金術師と薬師では、魔力の使いどころは違うけれど、どちらも魔力操作が必要なのだそうだ。

 だから、最初の一月はそればっかりだった覚えがある。


 二か月目に入ってようやく師匠があれこれと魔力を使いながら行う錬金術を教えてくれた。

 正直に言うと専門学校に師匠が居たなら、生徒全員がもっと伸びたんじゃないかと思っている。


 教え方が上手なんだ。

 だから勘所かんどころ的なモノを覚えるのはすごく早いような気がする。


 僕ってこんなに要領が良かったっけと、勘違いするぐらいに覚えられた。

 だから今では師匠がカボックの錬金術・薬師ギルドに定期的に収めている中級程度の携帯照明魔道具の部品錬成を手伝っている。


 因みに、この魔道具が一式造れれば実技試験には合格するそうだ。

 今は5割ぐらいまではできるけれど、やはり魔方陣をきれいに描くのが難しい。


 練習はさせてもらっているけれど、ものになるものができるのは十回やって一回か二回程度だ。

 これでは試験には受からない。


 まだ、五カ月も経っていないわけだから焦る必要はないんだろうけれど、すごく充実した生活を送りながら錬金術を学んでいるのはきっと僕ぐらいなんだろうと思うよ。

 但し、ここのところ師匠はとても忙しそうだ。


 十日に二回の錬金術の指導日が実質一回になっている。

 その代わり、かなり重要な魔道具の部品製造に携わらせてもらっているような気がする。


 生憎とできの方は今一で、しょっちゅうダメ出しを食らってはいるんだけれど、それでもなにがしか新しい錬金術の分野に触れたり新たな魔法陣を見ると心が躍るよね。

 エリカ師匠の下では、かなりの時間を宿題の実行と自習・復習が多いのは確かだが、錬金術師の徒弟にありがちな見て覚えろ的な放置が無いので嬉しい。


 何事かエリカ師匠が僕に声をかけて来る時は、それなりの意味があるんだ。

 なぞなぞ的な場合もあるんだけれど、それをわんこのようにひたすら待っている僕が居る。


 ◇◇◇◇


 私は、薬師見習のイェルチェ・キスト。

 王都の錬金術・薬師ギルドから推薦されてカボックのエリカ師匠の下にやってきた薬師見習いです。


 薬師になるには、薬師の資格を得ている人でなおかつ実際に薬師として活躍している人の下で徒弟として入り、数年間の指導を受けた後で試験を受けて資格を取る場合が多いのです。

 錬金術師もそうなのだけれど往々にして徒弟というものを奴隷扱いしている薬師も多く、通常は知り合いの薬師に委ねるケースがほとんどなのです。


 私の場合は親が薬師をやっていたわけでもなく、単に素質があって薬師養成所に入っただけの者ですから。コネなんかないんです。

 でもギルドの薬師部会の幹部の方の口利きでエリカ師匠に預けられることになりました。


 エリカ師匠は三級薬師に過ぎないのですけれど、一級薬師にも作れないお薬を作れちゃう人なんです。

 おまけに魔力錬成と魔力操作が何とか使えるようになった半人前の私を使って次々と新薬を作らせるのです。


 因みに作っているのは簡易なお薬もありますけれど、七割以上は余り世に知られていないお薬と薬品が多いんです。

 お薬と言うのは病気なんかにかかった時に病人に飲ませるお薬や傷に効くポーション類ですね。


 薬品と言うのはちょっと違います。

 錬金術にも使えそうな薬品で、毒性のあるものや危険性の高いものもあります。


 例えば『タイプ12アシッド』は、鉄が溶けるような薬品です。

 『タイプ104アシッド』は、デザートワームの胃袋から取り出した酸なのだそうです。


 そんなものどこからとってきた?

 また、薬師でそんなものを使うのかって?


 私自身は、薬師が鉄を溶かすような薬品を使っているなんてそんな話を聞いたことが有りません。

 でも師匠曰く、医薬品を作る際に必要な素材の一つなんだそうです。


 また、デザートワームというのは、カボックの西方にある砂漠地帯に住む魔物の一種という事も教えていただきました。

 巨大なミミズに凶悪な口がついている生き物を思い浮かべると良いかもしれません。


 私も以前に図鑑で見たことが有るだけで実物を見たことはありません。

 なんでも太さが私の身長ぐらいあって、長さは二十尋以上もある魔物なんだそうで、師匠がその砂漠で退治して有用なものが取れないか色々と試しているんだそうです。


 あ、因みにエリカ師匠は、錬金術師で薬師ですけれど、冒険者ギルドにも登録している冒険者ですし、商業ギルトにも商人登録をしているんです。


 冒険者としての資格を失わないように三カ月に一度程度はクエストを受けているそうです。

 受注クエストの大半は薬草採取で、その際は私も連れて行ってもらえます。


 薬草を採取すること自体は簡単ですけれど、そもそもが魔物が出没するような魔素の濃い場所に生えていますから、採取自体がとても危険で薬師がするような仕事ではないんです。

 普通は、冒険者ギルドに依頼して薬草を採取してもらうことになりますね。


 でも師匠の場合はそれを自分でやってしまい、おこぼれと言うか、ごく一部を冒険者ギルドに納品しているみたいです。

 でも、私が薬師になったとしても多分師匠の真似はできません。


 だって、この間なんか薬草採取の最中に、私の身長よりも大きな体高を持つビッグボアと鉢合わせしましたけれど、師匠は一撃でその太い首を撥ねてしまうんですよ。

 おまけにそのデカいビッグボアをインベントリに収納して、家に持ち帰り、裏庭で解体してその日のお夕食にしちゃいました。


 全部は食べきれないですけれど、冷凍したり、燻製にしたりすると保存ができるってことも教えてもらいましたが、これって薬師がすることじゃないですよね。

 錬金術師で、薬師で、冒険者で、商人でもある師匠の稼ぎは、錬金術・薬師ギルドに定期的に収めている魔道具、HPポーションとMPポーション、それに錬金術・薬師ギルドと契約している特殊な医薬品の納品ですね。


 でも一番の稼ぎは実は砂糖なんですよ。

 ベントと言うお馬さんの飼料にしていた野菜を使ってものすごくきれいなお砂糖を作っているんです。


 これが物凄く高価な品でこれだけで生活費は要らないぐらいの儲けがあるそうです。

 一応、製法特許があって他の商人も作れるようにはなっているんですけれど、師匠のお砂糖ほど良質のものがなかなかできないんだそうです。

 ですから、師匠は一日にベント8個分のお砂糖を作って、それを商業ギルドに納品していますね。


 この分は、王都に運ばれて王都の高級菓子などに使われるんだそうです。

 因みに昔はクラス分けなんて無かったんだそうですけれど、商業ギルドで扱うお砂糖の品質別のクラス分けがあって、師匠の造るお砂糖は特級、特許に金を払って作っている商人の生産分は概ね中級から上級に分類されているとか。


 かつて外国から交易で入ってきていたお砂糖は、今や下級クラスなんだそうで、輸送費がかかるので余り取引がされていないと聞いています。

 目下の私の徒弟としての仕事で最もハードなのは抗生物質と言う訳の分からないお薬を作ることです。


 この薬、実はものすごく日持ちがしないんです。

 中には作ってから十日以内じゃないと薬効がないものもあるんです。


 そんなもの作ってどうするって?

 師匠曰く、非常時に備えるための備蓄なんだそうです。


 勝手に作って保管しているだけですから、これによる収入なんかありません。

 期限が切れたらお薬を分離、抽出して無害なものに変えて捨ててしまうだけなんです。


 この抗生物質を作るのに素材と手間暇がかかりますから、本当は随分と高価な品のはずなんです。

 そうして、これを作れるのは、エリカ師匠と、私の先輩でもあったファラ・モールベックさん、それに私も少しはお役に立っているんでしょうねぇ。


 師匠曰く、感染症と言う多数の人が罹る病気が発生した際の切り札なので、いつでも備えておく必要があるのだそうです。

 そんな抗生物質だけで実は6種類もあります。


 で、その作業に私も駆り出されています。

 最近は私に任せっぱなしで師匠が留守にすることが多いんですけれど、私、心細いです。


 私って見習いですよ。

 それが、こんな怪しげな薬作ってもいいんですか?


 私、思い切って食事の時に師匠に愚痴を言いました。

 そうしたら、師匠が契約魔法の魔方陣を出しながら言いました。


「これから皆に秘密のお話をするけれど、このお話は決して他所に漏らしちゃいけないの。

 だから契約魔法で縛りますけれど、それが嫌なら言ってちょうだい。

 その人だけのけ者にします。」


 のけ者なんか嫌ですから同意しました。

 そうしたら契約魔法で縛られました。


 驚いたことに、エリカ師匠、あちらこちらでこの国を守るために人知れず色々と動いているみたいです。

 此処の領主様であるサルザーク侯爵様はもちろんのこと、王様や宰相様とも顔馴染なんですって。


 おまけに魔人相手に戦闘したり、少なくとも三つの国の将兵とも戦って負かしてきたんだそうです。


「今は、魔人対策で色々と大変なので、もうしばらくは不自由をかけるかも知れないけれど、弟子を見棄てたりはしないから安心してね。」


 そう言われちゃいました。

 私たちは弟子ですから師匠の秘密は守りますし、御国のために人知れず頑張っている師匠をとても誇らしく思いました。


 私、資格を取ったら、できれば師匠のところでずっと働きたいと思っています。

 多分、王都に戻ればそれなりの待遇はしてもらえそうですけれど、王都で薬師として活動するよりも、師匠の下で色々なお薬を作る方が人のためになりそうです。


 両親は、田舎に戻ってきて欲しそうな言い方をしていましたけれど、逆に両親をカボックに呼び寄せても良いのじゃないかと思っています。

 師匠の家兼工房が、私たちの寮にもなっていますけれど、絶対にこの家の設備の方が貴族の家なんかよりも良いはずです。


 お風呂とか、トイレとか、理美容に使える色々な設備や品も他所よそでは手に入れられないものがいっぱいです。

 よくよく聞いたら師匠が造ったモノばかりなんです。


 師匠の近くに居れば、きっとそれらの品の入手も可能でしょう。

 勿論、代金は払いますよ。


 でも内輪料金にしてもらえるとありがたいですけれど・・・。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る