第90話 ヴィルトン

 北東の隣国ルートゲルデとの紛争は、取り敢えず何とか収まりました。

 私が現地へ赴いてから、二週間後にはルートゲルデ王家からの使者がラムアール王国の王都に到着し、国王陛下に謁見をしてルートゲルデ国王からの陳謝の意をしたためた書簡を渡すとともに、相応の賠償金を支払うことで宰相と合意したようです。


 しかしながら、魔人が絡むと今後もどうなるかはわかりませんので、他の隣国等の国境を預かる領主等に対して警戒を厳にするよう王宮から各地へ指令が飛んだようです。

 この辺は、別途、サルザーク侯爵様からいろいろ情報をいただいているのです。


 私自身が必ずしも必要としている情報ではありませんけれど、侯爵様ご夫妻はそうは思っていない様子ですね。

 何か事あらば、私を利用としようとしている魂胆が透けて見えます。


 そう云うのは「フラグが立つ」とか言うのじゃなかったかしら?

 前世で私の孫や曽孫が中高生の頃に、よく口にしていたように思います。


 最初は何のことかよくわかりませんでしたね。

 フラッグが立つ?


 なにそれ?お子様ランチの話?美味しいの?

 孫たちと世代が離れるとそんな感じですよね。


 私が中学生の頃でしょうかしら、英語の先生に出されたちょっとした設問じみた逸話があります。

 日本語の全く話せない米国人が、歩行者用信号が点滅から赤に切り替わった時に、道路を横断しようとしていたお婆さんを見て、思わず英語で叫んだところ、お婆さんは慌てて歩道に戻ったそうです。


 さてこの米国人は一体何と言ったのでしょうかという問題です。

 因みにおばあさんは、英語を全く話せませんし、理解できません。


 聡明な皆さんならお分かりかもしれませんね。

 日本語にとても近い英語だったということなのです。


 先生が言うには、米国人が大声で叫んだのは「Have an eye!」ということでした。

 但し、実際に危ないときに米国人がそう話すかというと、私の経験では違うと思います。


 余り英語の得意でない大昔の日本人が、外人と話すのは馬を操るようなものだと言っているのと似ています。

 「How do you do?」を、「ハイドゥドゥ」と聞こて真似をしたようです。


 握手しながら「ハイドゥドゥ」と明治の人が話したかどうかについては定かではありません。

 当該外国人も変な英語とは思ったでしょうけれど、一生懸命に話してくれているので何となく察してくれたんじゃないかと思います。


 妙な話になってしまいましたが、「set up flag」の意味を、「raise a flag」や「put up a flag」と勘違いした私の勘違いです。

 「フラグが立つ」というのは、ある現象・状況を引き起こす条件が揃ったというような意味で普通に使われ始めたのですけれど、本来はIT用語のはずですよね。


 それを意識していないと単に旗を立てると直訳してしまいますから、意味が分からなくなります。

 特にメールでのフラグは別の意味合いもありますから余計に混同してしまうわけです。


 ここで「フラグを立てる」と表現したのは、ルートゲルデ王国の使者が王都を去ってから半月もせずして、第二の騒乱が起きてしまったからです。

 騒乱の舞台は、ラムアール王国の南部にあるヴィルトン公国との国境でした。


 ここも山地に囲まれたラムアール王国の国境らしく、山地の稜線と峠を国境線とする地域で、ルートゲルデ王国との紛争地帯によく似た地形の場所もあるのですが、ヴィルトン公国との主要道は二か所にあります。

 西側のサルベッツ峠と東側のクレンドル峠の二か所です。


 このうち西側のサルベッツ峠の道は、両側を峻険な崖に囲まれた隘路なのですが、クレンドル峠のほうは比較的なだらかな丘陵地帯の峠であり、大部隊を動かすには適した場所でもあります。

 そもそも、ヴィルトン公国はかなり好戦的な国であり、周辺国にいろいろとちょっかいをかけてくる国として有名であり、ラムアール王国でも建国以来このクレンドル峠一体の国境線に城壁を築いて、ヴィルトン公国から簡単には攻め込まれないようにしているのです。


 これまで数十年にわたり何度かヴィルトン公国からの侵攻がありましたけれど、その都度ラムアール王国の国境守備軍によって撃退されているのが常でした。

 ラムアール王国の守備軍は、国境に沿った長城のような城壁があることから基本的に守りが主になります。


 これまでは、ヴィルトン公国側で攻め寄せる勢力が二千を超えることは滅多にありませんでしたが、此度は万を超える大軍を擁し、城壁の前五百尋ほどの距離に陣を敷いて、攻め寄せてくるらしいとの秘密情報が諜報部隊から得られたのです。

 攻城用の大型バリスタ、攻城用の移動城塞、大型投石器などが国境周辺の町等で秘密裏に準備され、また、公都から完全装備の大軍が北上し始めた段階で、ヴィルトン公国の不穏な動き察知し、ラムアール王国側はこれに対抗するために長城を守る辺境伯領周辺の領主から援軍を出すよう指示する羽目になりました。


 必要とあれば五万もの大軍を繰り出せるラムアール王国からすれば、一万程度の軍勢は左程の脅威ではないのですけれど、あいにくと直前において北東部で起こったルートゲルデ王国との騒乱のために、国内での軍事力はどちらかというと一時的に北部に偏り、南部方面が手薄になっていたことは否めません。

 南部でも中央寄りの領主は、万が一をおもんぱかって、王都方面への移動を行っていて、この時点では未だ本拠地にまで復帰できていなかったのです。


 軍隊というものはロジ部隊も含めるとなかなかに腰が重いものなのです。

 命令一過、反転して遠隔地の南部国境まで戻るということがなかなかに難しいことなのです。


 無論、戦場に駆け付けることが急務ではありますが、戦場に着いたときに疲労困憊していては戦えないことになります。

 従って、将兵の疲労を抑えつつ軍団を迅速に進めるのが有能な指揮官の役割になるでしょう。


 いずれにしろ、戦端が開かれる前には、何とかカイロード辺境伯が籠る国境のブリュト長城城塞に、ヴィルトン公国軍になんとか拮抗できるだけの勢力を集めることが叶って、両軍が対峙することになりました。

 その後も援軍は、徐々に増えて来るはずですが、万が一、開戦劈頭へきとうで長城の城壁を破られたりすると、ラムアール王国内が戦場になり、仮に後にヴィルトン公国軍を追い払うことができても大きな被害を被ることになりかねません。


 それで、そんな情報を私に知らせなくても良いのに、サルザーク公爵から知らせられると、無碍むげに放置もできません。

 ラムアール王国の南部は穀倉地帯なのです。


 仮に騎馬などで畑を蹂躙じゅうりんされればそれだけで今年の冬に多数の餓死者が出る恐れさえあるのです。

 ラムアール王国南部のカイロード辺境伯領は、国内随一の肥沃地ですから、これに代わるほどの穀倉地帯はありません。


 今年の収穫が不調に終われば、王国全体に負担がのしかかることになるでしょう。

 正直なところ一介の薬師で錬金術師の私が関わるような案件ではないと思うのですが、お節介の虫が起きてしまいました。


 多くの人の安寧を守るためには理不尽な相手を懲らしめることもやぶさかではないのです。

 但し、気になるのは、この件に魔人が関わってはいないのかということです。


 これまでの魔人の動きとしては、黒子に徹して悪事を働いていることから、今回のヴィルトン公国の動きは、ルートゲルデへ王国の部分干渉と合わせて、ヴィルトン公国を唆した恐れもありますよね。

 北へ南へとラムアール王国を揺さぶって、本命は東もしくは西からやってくる可能性も無きにしも非ずです。


 魔人がラムアール王国を狙う理由が良くわかりませんが、魔人が今回も関与しているならば、更なる擾乱があるような気がします。

 そのため、この情報を聞いた際に、サルザーク侯爵には、周辺各国の動向に今一度ご注意をと警告を発しておきました。


 念のため、ラムアール王国の国境付近の動静については精霊空間での転移を利用してざっと確認はしていますが、生憎と私が迅速に動ける範囲(転移拠点)でのサーチでは異変を感じ取れませんでした。

 私が、転移により、カイロード辺境伯領のブリュト長城城塞上空に至った時は攻防の真っ最中でした。


 攻城用の移動城塞が五基も長城に迫っており、大型バリスタの矢が長城に籠る将兵を狙い、大型投石器八台が大石を城壁めがけて飛ばしていました。

 ラムアール国側守備隊が人員も七千名と少なく、やや押されているような感じですね。


 今回の私の姿は、新婚旅行で欧州を旅した時にお会いした某ホテルの支配人、クルト・ゲーリングさんの姿をお借りしました。

 ちょっと肥満タイプのちょび髭の叔父様です。


 もちろん支配人然とした格好ではまずいですから、タクトのような短く細いワンドを持ち、ローブを来た五十代後半の魔法使い風になっています。

 長城の指揮所にいる辺境伯に御目もじして、王家から預かっている宝剣をお見せし、そのうえで辺境伯の了解を得たうえで攻撃魔法の発動です。


 最初に城壁に迫っている攻城兵器を破壊することにしました。

 ファイアー・トルネードを五つ放ったことにより、攻城用の移動城塞は五台とも一気に燃え上がりました。


 主要構造は木造ですから一旦火が付くとの城塞自体が煙突のようになって燃え上がるのです。

 火矢を防ぐため毛皮などで多少の防火処置を講じていても、移動城塞すべてを焼き尽くすように渦巻き状のトルネードの炎がやぐら全体に火をつけてしまいます。


 当該移動城塞に乗っていた敵方将兵も焼死することになりますが、止むを得ないと割り切っています。

 大型バリスタと大型投石器は、メテオの小型版で天空から飛来する大石で破壊させました。


 大石自体の的は、バリスタであり、投石器であるのですけれど、その破壊に巻き込まれて周辺の将兵が大勢死傷しました。

 戦は嫌いですが、大勢の人を守るために理不尽な侵攻には鉄槌を下さねばなりません。


 そうして敵軍本陣にいる大将を大石の落下で討取りました。

 そこまでする必要はなかったのかもしれませんが、後顧の憂いをなくすためにはこちら側が優勢であることを明白にしておく必要があります。


 因みに敵軍の大将は、ヴィルトン公国の第二王子でした。

 彼を討つことでヴィルトン公国が更なる反抗心をもつかどうかはわかりませんが、叩いておかねば、万が一東西の隣国が動くと困ることになります。


 それゆえ、急いだのです。

 これらの魔法は傍目にも分かりやすいように、魔法を放つ私自身が敢えて目に見えるように大きなオーラをまとって順次発動しましたので、城壁の天辺に立つ太めの男が魔法を放ったと敵も味方もわかったはずです。


 傍目には大魔法とみえる魔法を行使したのは、飽くまでクルト・ゲーリングという中年の魔法師であることを印象付けるためです。

 この名前はいずれヴィルトン公国にも知られることになるでしょうが、エリカの名で知られるよりはましですね。


 クルト・ゲーリングの出番は今回限りの予定です。

 ヴィルトン公国軍は、間もなく攻め手を失って撤退を始めたので、私も辺境伯に挨拶してその場を辞去しました。


 辺境伯やその側近から見れば、どこからともなく現れ、驚くほどの大魔法を放ち、風のように去っていった男が記憶に残りました。

 私はその足で王宮に赴き、国王陛下と宰相閣下に報告、そのうえでカボックの我が家に帰りました。


 サルザーク公爵には携帯通信機で、経過をお知らせしておきました。

 やはり侯爵が知らないと後々いろいろ不都合があるかもしれませんからね。


 うーん、いいように使われているのかしらねぇ。

 パティとマッティをもふりながら、独り言で愚痴を言っている私です。


 今回は魔人が介在しているかどうかは不明です。

 少なくとも私の探知には引っ掛かりませんでした。



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