第85話 閑話 魔法に関する考察

 この新たな世界イスガルドに転生してから、時折考えていることがあるのですよ。

 それは、魔法のことなのです。


 なぜか私は、強大な魔力と強力な肉体を持って生まれ変わってしまいました。

 熟練の冒険者であっても中々倒せないキングゴブリンの首を一刀のもとに刎ねてしまったり、人々が災厄として恐れる魔人を瞬時に討伐できてしまうほどの魔法が使えてしまうというある意味でチートな超人なのです。


 ハーフエルフという特殊な種族であることは別としても、ほとんど無意識の内に魔法を繰り出し、あるいは前世で得た知識のままに新たな魔法を生み出している様なのです。

 勝手な推測ではあるのですけれど、おそらくは身体強化によって体力や運動能力が増しており、動体視力や反応速度も相応に増しているのだろうと思われます。


 但し、正直なところ、私が持っている種々のスキルについては、納得の行くような説明ができません。

 少なくとも前世の私は、剣道を含めて武術は全く習ったことが無いですから、そちらの方面の経験も技術は無かったはずなのです。


 それなのに、スキルにある武術は、少し経験というか練習をするだけで上級冒険者以上に使えてしまうのです。

 神様から与えられたものだとは知りつつも、自分自身が納得できない能力を発揮できてしまうのが何とも面映ゆいいのです。


 その最たるものが魔法ですね。

 どうして何もないところから火や水を生み出せるのか?


 可燃性ガスを持ち歩いているわけでもないのに、思った場所に火炎を発生させることができます。

 前世でもなかなか発生させるのが難しい1万度以上の高熱を特定空間の中に送り込めるというのは、使っていても馴染めないものなんです。


 亜空間などの時空間魔法は何となく理解できる部分があります。

 SF小説で様々に扱われている事象だからでしょうかねぇ。


 超能力のテレポート?

 宇宙船のワープ航法?


 それなりの理屈があって、空間を捻じ曲げて別の空間とつなげることができるから瞬時に移動できる云々・・・・。

 超能力に確かに炎を生み出す者のSF映画もありましたね。


 後、ちょっと怖いお話で人体発火現象とやら。

 どれも前世の科学技術では、真似のできないものでした


 真似ができないからといって、科学的に説明できないものという訳ではありませんよね。

 ライト兄弟が飛行機を飛ばすまで、空を飛ぶのは人間の夢でした。


 18世紀後半に熱気球で有人飛行がフランスで行われて以来、ライト兄弟が初めて空を飛んで横移動をしたのです。

 この時代には碌な理論も無かったはずですが、翼理論を始めとする流体力学を進展させ、いわゆる航空機を生み出したのは人類の知恵ですよね。


 でも、魔法は知恵という代物ではないような気がします。

 私の場合なんかは特に天恵とでも言うのか、神様によって与えられた能力です。


 では、この世界の魔法師の能力はみな神様によって与えられたものなのかどうか?

 神様が与えたにしては随分と大雑把すぎるような気がしますけれどね。


 まぁ、確かに私がお会いしたから神様という存在は認めますけれど、神様っていい加減じゃないですか?

 神様の力をもってすれば人々の間で戦など起こらなくできるはずのに、それをしないのはなぜなのでしょう?


 神様のルールでできないのか、放置しているのか、あるいは、敢えて地上のモノに争わせてそれを見ているのかです。

 この中では、ルールでできないとしておくのが一番無難でしょうか。


 生前の私は、無宗教でした。

 科学に裏付けられた医療知識を学び、その最先端の技術を駆使して病人の治療に当たってきた私は、神仏を信仰できませんでした。


 神仏が居るならば、困っている者に何故に手を差し伸べないのかが理解できなかったからです。

 神仏が人を救済する存在であるならば、清く正しく生きている者達に病という苦難を与えるのは何故か?


 乗り越えられる苦難であれば我慢もするけれど、その結果死に至らせるのはどうしても合点が行きません。

 ですから、今現在は、神仏の存在が居るにしても、彼らにできないことが多々あるのだと勝手に理解しています。


 生まれたばかりの子供にどのような罪があるのでしょう。

 健康に生まれたはずの子供がある日突然病にかかり死亡する。


 周囲の者は最善を尽くしますけれど、それでも助けられないのは神仏が子供の死を願っているから?

 おかしいですよね。


 神仏が生を与え、死を賜る存在だと言われても納得できませんし、そんな神仏をあがめることはできません。

 神仏を信仰することは自由ですが、同時に信仰しない自由もあって然るべきでしょう。


 そう考えながら、与えられた現状に感謝しつつも、何もしてくれない神仏を余り敬うことができない私です。

 ウーン、神仏の話ではなく、魔法の件でしたね。


 私の場合、チート能力で魔法発動には詠唱すら不要です。

 研修生達も訓練と研鑽により短縮詠唱がより巧みになりましたから、より経験を積むことで無詠唱もできるようになるかもしれません。


 そもそも魔法とは何なのでしょうか?

 前世において経験則や科学知識に基づく蓄積された医学知識を総動員して医療に当たってきた私なので、そうそうに「神の与えたもうた力です。」という簡単な説明で納得するわけには行きません。


 理屈っぽいと言われればそれまでですが、納得できないのは仕方が無いのです。

 一つの現象が生まれるには、何事にも原因があるはずなのです。


 前世においても、従来の知識では容易に説明がつかないことも多々ありましたけれど、それは未だ真理が解き明かされていないからに過ぎなかったと思っているのです。

 例えば、前世の科学者で半信半疑ながらも立証を企てていた特殊分野の中に「超能力」というものがあります。


 私が追い求めていたわけではありませんが、脳の機能を追い求める研究者のごく一部にその存在を検証しようとしていた人たちがいます。

 前世において、実際にそのような場面に私が遭遇してはいないから、超能力を持つ人が居たのかどうかも正確には知りません。


 然しながら、真剣に取り組んでいた者もいて、一時期米国やソ連などで超能力の研究が国家レベルでなされていたという話も聞いています。

 但し、それにもかかわらずその存在が肯定も否定もされていないのは類例が乏しいか立証ができていないからだろうと思うのです。


 転じて、このイスガルド世界では、超能力に似た魔法が当たり前に行使されているのです。

 魔法については、全ての人が使えるわけではないのですけれど、かなり多くの人々が使えるのです。


 例えば、魔導具の起動には魔力が必要なのですが、魔法を顕現できない者でも魔導具を起動する程度の魔力を持っているものなのです。

 但し、例外的に魔力が皆無かいむの者も稀に存在する様で、そうした人にとっては、魔導具は無用物になりますね。


 我が家に設置してあるレンジなどの調理器具や洗濯機も魔導具ですので、仮に全く魔力の無い人が居れば、それらの魔導具は使えないことになります。

 錬金術・薬師ギルド等に卸している私が製造した魔導具については、当初、魔力がない者でも使えるようにオンオフ・スイッチを設けて納品していました。


 前世の経験からむしろ魔法の使えない者が多いだろうと思っていた私の勘違いに過ぎないのですけれど、魔力を使わなくても起動できるように製造したからです。

 ある意味で、この世界では非常に例外的な魔導具になったようですが、二ヶ月以上の間、私もギルドもそのことに気づいていませんでした。


 何しろ魔力の無い人というのは非常に珍しく、三十万人に一人ぐらいの確率だそうで、サルザーク侯爵領にはこれまでのところそのような人物は見当たらないそうです。

 たまたま他領に流れた品から、魔力のない者でも使用できることが分かって、すぐにカボックの錬金術・薬師ギルドまで連絡が入り、事情を聴かれて初めて知ったような状況です。


 それ以後は、原則として魔力を流して起動するタイプを納品することにしていますけれど、需要に応じて魔力を必要としない魔導具も納品できるようにしています。

 さて、このイスガルド世界でほとんどの人が持っている魔力とはそもそも何なのでしょう。


 また、魔力を持っていても魔法が発動できる人とできない人が居るのは何故なのでしょう。

 分かっていることは、魔法を発動するには魔力が必要ということなのです。


 我が家に居た研修生や弟子も、魔力の多寡で発動させた魔法の効果が違っていました。

 単純に言って、魔力はヒトの身体の中で産み出されるものと理解した方が良さそうです。


 これまでの経験から言うと、何となく体内に魔力溜りのようなものがあって、その容量が訓練等により大きくなるような感じですよね。

 別に魔力溜りの内臓が見えるわけじゃないので、あるいは、体内の別次元にあるものなのかもしれません。


 お助けマンのリリー曰く、魔素なる存在があって、魔法はその魔素を利用することで発現するようになっているとされているそうです。

 これはあくまでアカシックレコードからの引用です。


 ウン?

 何だろう・・・。


 ちょっと違和感がありますね。

 『・・・とされている』?


 この言い方は明確な論拠が無い時に使われる用語ですよね。

 どちらかというと責任逃れに近い表現です。


 論文にはこんな伝聞のような記載をしてはいけません。

 推論であるなら推論であると明確に記すべきです。


 19世紀に光の不思議な性質を説明するために科学者たちはエーテルという特殊な場若しくは空間の媒体を考え出しました。

 光が真空中を伝搬して行くことを説明するには何か適当な媒体が必要だったのです。


 特に光は波動として捉えられる場合もあるし、粒子として捉えられることもあるので、その伝動媒体の説明が難しかったのです。

 そのために20世紀前半のSFには色々な場面で、このエーテルという言葉が盛んに出てきますが、20世紀後半にはその存在を否定する見解が現れ、廃れてしまいました。


 このエーテルと同様に、魔素とは魔法の顕現を説明するのに便利だからアカシックレコードに用いられている可能性がありますよね。

 リリーがアクセスできない部分がアカシックレコードには結構あるようですから、敢えてわからないようにしている可能性も無きにしも非ずです。


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