第五章 新たな展開
第64話 領都の市場にて
王宮への報告も済ませて、またまた馬車ごと転移してエルブルグへ戻ってきました。
エマ様を送った後なので、そのままカボックへ戻ってもよかったのですけれど、たまたま十日に一度の市場が開いているようなので、寄ってみることにしました。
カボックの市場には何度か行っていますけれど、エルブルグの市場はまだ言ったことが無いんです。
カボックの方が商業は盛んなはずですけれど、町として大きいのはエルブルグの方であり、流れの商人などもカボックの市場とは異なる商人が来ているとカボックの商業ギルドで耳にしていました。
市場では色々な屋台が出ていてそれこそ沢山の品が売られています。
特段欲しいと思うような品は無かったのですけれど、食材や調味料になりそうなもの、それに薬草などが一応の興味を引きました。
そうしてもう一つ、奴隷市もあったのです。
今のところマルバレータとヴァネッサが居ますので奴隷は不要なのですけれど、後学のために覗いてみました。
そうして少し毛色の変わった奴隷が居るのがわかりました。
鑑定を掛けるとその奴隷は、ダークエルフの女性でエルメリア・ステラブレインという名でした。
しかもこの女性、ダークエルフのハーミッド族の族長の娘と鑑定には出ました。
リリーの説明によれば、ダークエルフは部族制を取っており、部族長は王国で言えば貴族に相当する階級になるそうです。
つまりは伯爵の娘さんのような人が奴隷になっているということですよね。
普通ならば有り得ないことなのですけれど、どうしてそうなったのか?
しかもこのエルメリアさん、かなりひどいケガを負っています。
右足の膝から下がありませんし、顔にも刀傷でしょうか大きな裂傷があります。
元は多分美人だったような気がしますけれど、今現在はひどくやつれていて、その面影がありません。
奴隷商での扱いもあまり良くないのじゃないかと思われます。
私の現世での出自は、転生時に女神様とのやり取りの中で言葉のはずみでしょうかねぇ、長生きを希望しているものと判断されて一応ハーフエルフとなっています。
リリー曰く、ダークエルフとエルフでは種族が違いますので、あまり仲は良くないのだそうですけれど、同じ長命種族ですものね。
同朋意識は何となくありますよ。
それと事情は知りませんけれど、見た目若い女性がこんな酷い状態で置かれているというのもちょっと納得できません。
もし可能ならば彼女を買い取りましょう。
競りが始まると真っ先に彼女が壇上に運び上げられ、銀貨一枚から競りにかけられました。
片足が不自由で褐色の肌が目立ち、顔に大きな傷跡のあるガリガリにやつれた女性では左程の用途もあるわけもなく、おそらくは男の慰み者にしかならないのでしょう。
だから安い値が付けられているのですけれど、競り人の説明ではこの女性は犯罪奴隷なのだそうです。
従って、壇上に上げられて床に座っていますが、これ見よがしに手錠が掛けられていますので、誰も手を上げようとはしません。
手錠が掛けられている奴隷というのは概ね反抗的であることが多いらしいのです。
しかも犯罪奴隷であるならば下手をすると周囲に何らかの被害を惹起する可能性もゼロではないのです。
奴隷になった際に隷属の魔法が掛けられていますので、主人に対しては背けないことになっていますけれど、他の者に対しては危険かもしれないのです。
従って、銀貨一枚でも身請けする者が出ないことは往々にしてあることのようです。
単純な話、この女性が死んでも銀貨一枚以上の費用か、相応の労力が掛かることになります。
それを嫌がっているのでしょう。
競り人が苦々しい顔をしながら打ち切ろうとしたときに私が声を掛けました。
「銀貨一枚なら私が買いましょう。」
競り人はその声を聴いて明らかにほっとしたようです。
間違いなくこの女性は奴隷商人にとってもお荷物だったのでしょう。
競り人とは別の者に、私は背後にある天幕に連れて行かれ、そこで奴隷譲渡の手続きを済ませました。
彼女の奴隷紋は左肩にあり、その紋章に奴隷商人が魔法陣による譲渡手続きを行えば彼女は私の所有物になるわけです。
犯罪奴隷については、手錠を付けたままでも良いことになっているのですけれど、私は彼女に話しかけました。
「誰にも迷惑をかけないと約束できるなら手錠を外しますけれど、約束できる?」
褐色の肌の彼女の目がまん丸くなりました。
この手錠は、魔法を使えなくする術式が入っていますから、これを外すと彼女も魔法が使えるようになるのです。
普通は魔法を使えるような犯罪奴隷にそのような危険なことをしません。
万が一にでも彼女が魔法を使えば、大きな被害が出る可能性があるからです。
仮にそのことで被害が発生した場合は、奴隷の主である者に全ての責任が
ですから、危ない橋を渡りたくない者は、絶対に犯罪奴隷の手錠を外そうとはしないものなんです。
彼女は驚きながらも素直にうなずき、かすれ声で言いいました。
「約束します。
誰にも迷惑はかけませんし、貴方に従属します。」
私は大きく頷いて、その場で鍵も使わずに手錠を外しました。
ガシャッと手錠が床に落ちる音が大きく響きました。
その途端、エルメリアが声もなく泣いて、両手で顔を覆いました。
手続きは済みましたけれど、彼女は歩けないんです。
松葉杖のようなものが無いかと奴隷商人に尋ねると、かなり薄汚れたものを持ってきてくれました。
その松葉杖らしきものに対価として銀貨一枚を支払い、浄化魔法をかけた上で、彼女にそれを使って歩くように言いました。
余り使い慣れていないらしく最初は不安定でしたが、じきに慣れたようでスムーズに動けるようになりました。
次いで彼女を連れて市場の中で古着屋さんを尋ねました。
彼女が着ている衣装は貫頭衣とでもいうような簡易な衣装だけなんです。
しかも結構汚れています。
そんな服装で家に連れて行ったら、マルバレータやヴァネッサが驚いてしまうでしょう。
ですから着替えさせねばなりません。
古着屋さんの奥まったところに試着室代わりの布で囲ったスペースがありましたので、そこに私も入って彼女の着替えを手伝いました。
彼女、下着もつけていませんでしたので下着も追加です。
ついでにその場で彼女自身にも浄化魔法をかけてあげました。
カボックの我が家に戻ったらまずは風呂に入れさせましょう。
その後で足の治療と顔の傷跡の治療ですね。
市場の中を移動していると、「クゥ」と可愛い音が彼女から聞こえました。
ちょうど屋台で食べ物が並んでいる場所でした。
買い食いをするのは行儀が悪いと言われて育ちましたけれど、ここは異世界ですから構いませんよね。
串焼きを数本買って彼女に与えました。
彼女が少し面食らっていましたけれど、食べなさいと命じると傍に在った腰かけ代わりの丸太に座り、嬉しそうな表情を見せて食べ始めました。
串焼き三本と汁物一杯でようやく人心地が付いたようですね。
それから、市場を離れ、人通りのないところへ移動してから転移です。
一瞬で、カボックの我が家の裏庭に着きました。
エルメリアの表情がころころ変わるのがとても面白いですね。
でもこれからまだまだびっくりすることが沢山あるのです。
早く環境の変化に慣れて頂戴ね。
◇◇◇◇
私はエルメリア・ステラブレイン。
ダークエルフのハーミッド族の族長の娘だった。
もう半年以上も前のことになるけれど、部族の村の一つを視察で訪れていた時に野盗の襲撃を受けたのだった。
私も供の戦士とともに戦ったのだが多勢に無勢で制圧されてしまった。
供の戦士は殺され、私も最後まで抵抗したので、左足の膝から下を失い、それ以外の身体にも無数の切り傷を負った。
中でも顔に受けた切創は右目の一部を傷つけ深い傷跡を残したようだ。
これで死ななかったのが不思議なくらいだったのだが、私は野盗どもの馬車に放り込まれ、ヒト族の町に連れて行かれ、碌な手当てもされずに奴隷商人に売られたのだった。
私は魔法を使えるから魔封じの手錠を掛けられ、片足では満足に歩けもできないうえに、高熱を発してほとんど身動きできない日々が続いた。
私はいつの間にか犯罪奴隷とされていた。
少なくとも私は犯罪など冒してはいないのだが、犯罪奴隷の紋章が肩口に一旦刻まれるとそれが一生ついて回るのだった。
そうしてどれほど移動したのかわからないが、体調は良くないものの何とか生き伸びていた私は当然のように競りにかけられた。
これまで何度あったかわからないが、その都度購入者は現れない。
最初の頃は銀貨十枚だったのが今では銀貨一枚になっている。
おそらくはこれが最低ラインなんだろう。
これよりも値が下がると奴隷商人は奴隷を闇に葬るらしい。
元々犯罪奴隷ではない者を犯罪奴隷にできるぐらいなのだから、定めに対する抜け穴はいくつもあるのだろう。
奴隷商人である以上、本来はそんなことをしてはならないらしいのだが、食べるものを減らせばそれだけで一月と持たないだろう。
現に私の食べ物は減り続け、一日一食だけ、それも通常の半分の量だ。
これではそんなに長いことは持たないだろうと覚悟はしていた。
何度目かの競りにかけられているうちに、銀貨一枚で購入者が現れた。
小太りの中年の女性だった。
男ではないからオモチャにされないだけましかな。
いや、
それにしても見てくれの悪いがりがりの私を買って何をさせる?
一杯
「誰にも迷惑をかけないと約束できるなら手錠を外しますけれど、約束できる?」
まさか、そんなことを言われると思ってもいなかったから本当にびっくりしたけれど、すぐに返事をした。
「約束します。
誰にも迷惑はかけませんし、貴方に従属します。」
彼女が頷くと、捕らえられてからずっとかけられていた手錠がカギもなしに外れ、床に落ちた。
きっと魔法なのだろうと思いましたが、不覚にも涙が溢れ始め、私は自由になった両手で顔を覆ったのでした。
その後は怒涛のような展開で、古着屋に行って衣装を買い与えられ、着替えさせられて、市場の食べ物屋の前で久方振りの肉である串焼きを与えられ、吸い物と一緒に流し込んだのでした。
そうそう片足でろくに歩けない私のために松葉杖も買ってくれました。
その代金が私の代金と同じ銀貨一枚です。
松葉杖と同じ値段の奴隷だなんて、誰にも言えないですね。
それに私にかけてくれた浄化魔法、本当に久しぶりに自分の身体がきれいになりました。
まさか、奴隷に落ちて浄化魔法を掛けてもらえるとは思ってもいなかったのです。
私も浄化魔法は使えるけれど、このおばさまの魔法はものすごく洗練されているような気がします。
何となく一族の古老でもあったナーシャさんの魔法を思わせる切れの良さでした。
この主って、ヒト族なの?
そんな疑問さえ湧きましたよ。
でもそんな驚きはこの後もずっと続くのでした。
市場を出て町はずれの人通りのないところまで来ると、いきなり目の前の景色が変わったのです。
今まで目の前は森と草原だった筈なのに、今は四階建ての建物があり、その庭みたいなところに私とおばさまが立っているのです。
そうしておばさまが言いました。
「ここは我が家よ。
私の今の姿はマサキと言いますが、本体はエリカと言います。
姿が変わるけれど驚かないでね。
それとマサキの正体は誰にも言わないこと、家人にもね。
エルメリア、貴方にはここで働いてもらいます。」
あれ?私の名前は言っていないよね。
犯罪奴隷の常として、番号でのみ呼ばれていて、買われたときに別の名を与えられることになっているから、本名は名乗れないのです。
そうして名前のことでちょっと驚いている間にマサキさんの姿が急に変わったのです。
中年のおばさんから、若い女性の姿に。
目の前の私よりも若く見える女性がどうやらエリカさんのようだ。
では、今までのマサキさんは何?
幻影の術?
でもその痕跡すら見えなかったのに・・・。
本当にこの目の前の人には驚かされてばかりいる。
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10月12日、一部の字句修正を行いました。
By @Sakura-shougen
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