第56話 修業(その四)
私はクルド・バレンホフだ。
サルザーク侯爵の領軍魔法師隊に属している。
侯爵の命によりカボックの錬金術師兼薬師の若い女性のエリカ嬢に魔法の師事を仰ぐべく、彼女の家に厄介になっている。
一応侯爵閣下の命令ということでれっきとした任務となっているんだが・・・。
まさかこの俺が30歳にもなって、十代の若い女性から魔法を教わることになろうとは夢にも思っても居なかったぜ。
但し、師事を仰ぐ女性というのは、単身でゴブリンキングを討伐してのけた女性冒険者なのである。
俺が直接確認したわけじゃないから、どこまで本当なのかわからないが、無数の石の
なおかつ、ゴブリンキングは彼女の剣の一振りで首を撥ねられたというから、本当だとすれば大した剣豪だぜ。
だからどんな女傑かと思いきや、会ってみると、びっくりするほどの美人だったよ。
今の俺には女房子供もいるから脇目も振れないんだが、独身の頃なら、たとえ振られるのがわかっていても間違いなく先ずは口説いてみただろうな。
そんな良い女が師匠なんだが、この訓練所は、俺たちの待遇もものすごく良いんだ。
俺たち魔法師ももたまに領軍の歩兵連中と一緒に中隊規模で砦などを巡回することもあるんだが、その際に与えられる砦の宿舎に比べたら雲泥の差だ。
そもそも砦の屋根のついたところに寝られるのだって滅多にない良い環境なんだぜ。
屋外の野営では、間違いなくテント生活で地べたに寝るしかないからな。
この寮と称される家は、師匠の工房の上に建て増しされた部屋であるらしい。
二階が男たちの寮で、三階が女たちの寮になっている。
魔法師は、王宮魔法師団から二名の若い男女が派遣されており、そのほかに錬金術の弟子で男が一人、薬師の弟子で女が一人だ。
俺たち領軍の魔法師二人を加えて都合男が4人で、女が2人なんだが、このほかにこの家にはメイドとコックの女が二人いる。
そうして家主で俺たちの師匠でもあるエリカ嬢が居る。
この家には女が5人、男が4人住むことになるわけで、エリカ師匠以外の女4人は三階に部屋があるから、特別な用事が無い限り、男の俺たちは三階より上には行けないことになっている。
因みに四階はエリカ師匠の住居になっている。
四階の上には、さらに屋上があって、とっても見晴らしが良いのだが、階段を上って行かねばならないので、当然に三階と四階を通過して行かねばならんから、俺たち男はできるだけ遠慮している。
実のところ、屋上は物干し場になっているんだ。
この家に来て二日目だったか、俺らが見学がてらに屋上に上って行った時に、物干し場ではたまたま女物の下着が風にひらひら揺れていることがあったものだから、それ以来、俺たちは遠慮して行かないようになった。
俺たちも洗濯はするが、物干し場は専ら裏手の庭にしている。
此処には洗濯機なるものがあって、洗濯物を放り込んで洗剤を適量入れて「開始」という押栓を押すと、ひとりでに動き出し、終わると音が鳴って知らせてくれるんだ。
終わると洗濯物を取り出して、すぐに物干し場に乾せるまでの作業をやってくれる優れものの魔導具だ。
この洗濯機が二階には4台もあって、そのうち一台はメイドのヴァネッサさんの家事専用となっているんだが、残りの3台は、俺たち男4人で自由に使える。
何でも三階にも同じ洗濯機4台があるらしい。
部屋にはシャワーの浴びられるバストイレがついているんだが、それとは別に共同浴場もある。
二階の住人なら誰でも入れる風呂場があるんだ。
しかも、しかもだ。
24時間入れる温泉風呂なんだぜ。
カボックでは、唯一「白狐の曲がり宿」が最近温泉を掘り当てて市中で評判になっているとは聞いていたが、まだ俺も行ったことはない。
そもそも、庶民では風呂場なんぞは薪代などの維持費が高すぎてまず作る奴はいない。
庶民は、精々井戸端で行水するのが関の山なんだ。
俺の家族もそうだな。
ここのところ相棒のアランや王宮魔法師団のモールとともに毎日風呂に入っているが、時折錬金術師見習いのレーモンとも一緒になることがあり、裸同士の付き合いですぐに親しくなれたな。
領軍でも歳が離れるとなかなか話しづらくなるもんだが、風呂場で裸同士だと意外と垣根がなくなるものだということを初めて知ったよ。
領軍にも温泉があるといいかもな。
機会があったら、温泉のことと洗濯機のことをエリカ師匠に相談してみたいなと思っている俺だった。
訓練というか、研修というか、とにかく始まったわけだが最初に度肝を抜かれたのは魔力錬成だな。
魔力錬成なんてものは長い時間をかけてゆるゆると自己努力で上達して行くものだと先輩から聞いていたんだが、いきなりその常識をぶち壊されたよ。
若い錬金術師見習いと薬師見習いの二人にいきなり経路を広げると言って、エリカ師匠が無茶をした。
と言うか、正直俺には何が起きているかはよくわからんのだが、薬師見習いのファラ嬢の両肩にエリカ師匠が手を触れると、いきなりファラ嬢が硬直し、小刻みに痙攣を始めたんだ。
痙攣は全身に及び、ファラも結構見映えの良い娘だったが、顔が奇妙に歪んでびくびくしてるもんだから見るに堪えない顔になっていたな。
後でファラ嬢が抗議していたが、全身がひどく痛んだらしく、それとともに全身の硬直で息もできなかったらしい。
とんでもない話だぜ。
まぁ、ゆっくりと十を数えるぐらいの時間だったから良かったが、あれが長引くと死ぬぞ。
次いで錬金術師見習いのレーモンが捕まり、そうして俺たちにもお鉢が回ってきた。
何でも、経路を広げると魔力の操作が効率的になり、なおかつ魔法を放つときにその効果が上がるらしい。
普通に練習していたんじゃ、その効果は中々分からないらしいんだが、経路が二倍から三倍に拡がると間違いなくその効果があることがわかるんだそうだ。
その上で俺たちも同じ処置を受けるかどうか聞かれてしまった。
一番若手の王宮魔法師団のビアンカ嬢が色々とやり取りした挙句にやると言ってしまった以上、俺らもやるしかない。
ここでしり込みしていたら、領軍に戻った時に周りの者から何を言われるかわからない。
決して王宮魔法師団の連中と張り合うつもりはないんだが、それでも奴らにたとえ一歩遅れるにしてもついて行かねばならないんだ。
すまじきものは宮仕えだな。
自由業ならばどうにでもできるんだが、公務ともなれば自分のやれることをできるだけやるしかないんだ。
で、経路を拡げる処置だが端的に言って本当に痛かった。
こんな痛みがあるとは知らなかったが、本当に極細の針で全身を刺されている感覚だな。
身体中の至る所から痛みがやってきて悲鳴を上げようにも筋肉が強張って声を出せないんだ。
まぁ、それほど長い時間ではなかったから良かったが、あれを長時間続けられたら絶対に拷問になるのは間違いないぜ。
そうして俺たち魔法師の実践訓練の日はその翌日だった。
実践訓練は、十日に二日しかないんだが、その前日の1日の夕刻にカボックの城壁沿いを走らされたよ。
まぁ、軽い駆けっこの類なんだが、エリカ嬢が先導して走るとこれが結構早い。
精々2ムロから3ムロを走って俺たち領軍魔法師は潰れたが、王宮魔法師の二人は俺たちより若いにもかかわらず、その半分の距離で音を上げ、走るのをやめて歩いていたな。
エリカ師匠の話では練習場に予定している荒地までは、カボックの南門から16ムロほどあるらしい。
可能ならば魔法師を引き連れて走って行くつもりだったらしいが、俺らでも流石にその距離は無理だ。
どんなに頑張って走っても一刻以上はかかってしまうし、そのあとは二刻ほども休まなければ訓練なんぞとてもできるもんじゃない。
仮に無理してやったにしても、またその日のうちにカボックに戻ってくるなんざぁ、到底できそうにないぜ。
魔力は体力とは違うんだが、疲れ果てている時には、絶対に魔法の精度も上がらないんだ。
領軍の歩兵の連中ならこんな鍛錬でも大丈夫かもしれんが、生憎と俺たちは歩兵じゃねぇ。
結局、エリカ師匠の判断で、翌日の実践訓練には「馬車」を使うことになったようだ。
で、翌朝、裏庭に出た俺たちの目の前に、馬車とは言いながら妙な格好の車のついた乗り物がある。
裏庭にも路地が面しており、幸いこの妙な乗り物が通れるだけの道幅があった。
この路地を西方向へ20尋ほど進むと、広い道路につながっているんだ。
但し、この馬車には肝心の馬が居ないんだ。
馬の曳く必要のない馬車らしいんだが、いったいどうやって進むんだ?
俺の盛大な
エリカ師匠が前の座席に乗り、その隣にビアンカ嬢、俺とアランとモールが後ろの席だが、中は意外と広い。
二列目の席に三人が並んで座って、十分に余裕がある。
そうして何やら魔力の発動の気配がしたが、エリカ師匠が何をしたのかはよくわからなかった。
理屈は分からんが、この馬車は本当に馬もいないのに動くことが分かった。
普通の馬車と同様に、街中は急ぐと危ないのでゆっくりと進むのだが、門を抜けると途端に速度を上げた。
町の外は主要街道なら整備されてもいるが、そうでもない道路はでこぼこ道なので当然にガタピシ揺れると思い身構えたんだが、肩透かしを食らったな。
揺れるのは揺れるんだが、尻にドスンと来るような衝撃はない。
何というかふわふわとした揺れはあるが、ガツンやドスンというような揺れが全く無いんだ。
道の無いような荒地に入っても快調に馬無馬車が進み、半刻ほどで目的地に到着したようだ。
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