第四章 育成と異変
第51話 マルバレータとヴァネッサ
私はマルバレータ。
カボック市内で小さな食堂をやっていた夫婦の息子ブレフトと結婚、ブレフトの両親がやっていた食堂を二人で受け継いだ。
でも私には子ができなかった。
その分一生懸命に食堂を盛り立てようと頑張ったけれど、結婚して15年目のある日、ブレフトがぽっくりと逝ってしまった。
私の両親、夫の両親もなくなって気軽に頼れる身寄りがなくなっていた。
私の姉二人は健在だったけれど、家族も多く生活にも大変なようだったから私からは頼れなかったのだ。
借金はなかったけれど、余分なお金は無かったからね。
古ぼけた食堂を売り払って、当座の生活資金を作ったが、それも長くは続かない。
最終的に落ち着いたのが借金奴隷だった。
金が無くとも当座食いつなぐための安易な方法だ。
左程取り柄のない私でも、働けるうちは私を購入してくれた主に奴隷として従うことで生きて行くことはできる。
ブレフトと一緒に食堂の料理を作っていたから、一応料理人という触れ込みで借金奴隷になった。
それから二月ほども口入屋で借金のかさむだけのただ飯を食っていたが、ようやく私を買ってくれる主人が現れた。
初めてのご主人様は、エリカさんという錬金術師で薬師の若い女性だった。
女のあたしが見惚れるくらいの美人だったさネェ。
未だ17の小娘らしいのに、錬金術師と薬師の二つの称号を持っているらしい。
錬金術師と薬師、どちらもなったばかりの三級らしいのだけれど、噂によればいずれの場合でも資格を取るまでが大変で徒弟制度が長く大変らしいから、どちらか一方しか取らないのが普通で、資格を得れば、相応に仕事をしなければならないけれど、間違いなく裕福な暮らしができると聞いている。
若いのにそれを両方持っているなんてただ事じゃぁないさね。
私の購入額は大金貨5枚。
ま、借金奴隷としては安い方だろうねぇ。
私の場合は、借金があって奴隷になったわけじゃないから、最初から少ない金額なのさ。
その点、奴隷の従属期間も三年と短い。
今では、従属の三年が過ぎても、できれば同じ主に雇ってもらいたいとは思っているけれど、まぁ、主次第になるだろうねぇ。
初めて連れて行かれた主のエリカ様の家に辿り着いてびっくりしたのは、家が大きかったことだろうか。
お貴族様や大金持ちの豪邸ならもっと広い屋敷と立派なものがあるかも知れないが、エリカ様の工房兼屋敷は4階建てだった。
間口は十尋(ヒロ)ぐらいの建物だけれど、奥行きが十二尋ぐらいあり、一階部分に接客用の応接室、鍛冶工房、錬金工房、薬剤工房、倉庫と浴室、トイレなどがある。
二階と三階には、それぞれ6つの個室があって、食堂と洗濯室が別についていた。
それぞれの個室にはトイレと浴室がついている贅沢な造りだよ。
普通、個室はあっても部屋ごとにトイレはついていないだろう?
まぁ、その話は横に置くとしても、個室に浴室というのは・・・。
そもそも浴室を家に設置するのはお貴族様か余程裕福な大商人に限られる。
カボック一番の高級宿屋と言われる「ブーラの宿」でも、浴場があるかどうか疑問だよね。
何せ湯を沸かすのにお金がかかるからねぇ。
普通は、お金のかかることなら庶民はしないもんだ。
ところがエリカ様は地中を掘って温泉を引き当てたようだよ。
カボックでは「白狐の曲がり宿」という宿屋に初めて温泉の浴場ができたって、噂が立っていたけれど、私は行ったこともないので本当かどうかは知らない。
四階建ての家については、エリカ様の話では、錬金術師と薬師の弟子を預からなければならなくなって、それまであった工房兼住居の二階家を建て増ししたんだそうな。
因みに錬金術師と薬師のお弟子さんだけじゃなく、王都の魔法師と領都の魔法師も預かることになって、一挙に6人も居候を抱えることになったので、借金奴隷のコックとメイドを雇い入れることにしたらしいのだ。
二階家を建て増しして四階建ての建物にしたってことだけど、そんなに簡単に家が上の方に建て増しできるモノなのかねぇ。
何となく重さで下の階が潰れてしまいそうな気もするから、凡人の私にはよくわからない話だよ。
カボックで一番高い建物は、元ケアノス正教会(よくわからないけれど、王宮に不正がバレて潰れたという噂がある)の尖塔だけれど、エリカ様の家はそれとタメを張れるぐらい背の高い建物と言える。
商業ギルドや冒険者ギルドも大きいけれど、あちらは二階建てだからね。
エリカ様の家には四階の上に屋上があるけれど、そこからはカボック市内が一望に眺められるのさ。
屋上には洗濯物が干せるように物干し場があるので、最初に案内された場所の一つだけれど、とっても見晴らしがいい場所だよ。
お弟子さんと魔法師の連中は男女に分けて二階部分を男性に、三階部分を女性に住まわせるみたいだ。
私ともう一人借金奴隷で買われたヴァネッサは、女性の階になる三階の個室に部屋を割り当てられた。
それこそカボックの宿屋でも最上級と思われるような部屋にだよ。
少なくとも借金奴隷や弟子達に住まわせるにはちょっと立派すぎるような気がするんだけれど、他には無いからここに住んでねとアッサリ言われた。
この時初めてこのエリカ様の異様さに何となく気付いたけれど、それ以後はとにかくヴァネッサと
とにかく、この屋敷はびっくり箱のような家だったのさ。
私はコックとしてヴァネッサはメイド役として雇われたけれど、食事は他と違って朝・昼・晩と三食作らなければならないから仕事としては結構大変だよ。
コックだけの仕事で一日が潰れそうだ。
しかも一回に9人分の食事を作らなければならない。
食堂だともっと人数が多いこともあったのだけれど、エリカ様の注文が多かった。
料理の種類は一汁三菜と言って、スープとは別に毎回三品以上の料理を作らねばならないし、献立というかメニューを事前に作成してエリカ様の承認を得なければならないのさ。
最初は三日分のメニュー作成で始めたけれど、徐々に伸ばして最終的には一月分のメニューを予め作らねばならないと言われた。
しかも1か月の間に同じメニューは使ってはいけないと言うんだ。
食堂では定番のメニューが10種類ほどあって、注文に合わせて作ればよかったけれど、毎日、毎食、別のメニューとなるとさすがに大変だ。
私にはそんな多くの料理レシピは無いからねぇ。
食堂は決まりきったものを作ればよいだけだったが、ここではそうはいかないようだ。
しかもエリカ様は、味にものすごくうるさい。
食堂をやっていても私は知らなかったが、料理の基本は
それにエリカ様が与えてくれる調味料の数々に驚いた。
数えたら、基本的なものだけで50種類を超えていた。
カボックの市場じゃ売っていない代物さね。
聞いてみると9割がたはエリカ様が自ら作り上げた調味料だっていう話だ。
そうしてそれらを使って生み出す料理の数々。
エリカ様は料理の天才だと思う。
エリカ様が私に教えるために作る料理全てがものすごく美味しいのだ。
エリカ様の家に来て一日で、私とヴァネッサはすっかりエリカ様の手料理の
エリカ様は、私にたくさんの料理のレシピを教えてくれたけれど、僅かに三日間で、50種類を超えるレシピは流石に多すぎるのではと思うのだけれど、一生懸命に教えてくれるエリカ様に文句も言えないよね。
エリカ様は説明しながら実際に目の前で料理を作って行く。
その、動きがすごく早いし正確だ。
そうして、そのレシピを書きものにして残してくれたんだ。
とってもきれいな紙(?)に、使用する食材や調味料とともに料理方法が事細かに書かれているものだよ。
これを覚えるだけで新たに食堂が開けそうだよ。
エリカ様は、これらの料理を作って弟子たちに
お弟子さんと魔法師さんは全部で6人なのだけれど、錬金術師と薬師のお弟子さんは一人ずつだそうで、残り四人は魔法師らしい。
何で魔法師がお弟子さんと一緒なのかと思っていたら、エリカ様曰く王都や領都との
なんだか面倒そうな話なので詳細は聞かずにおいたよ。
もうひとつ大事なことは、エリカ様のお屋敷は魔導調理具がたくさん有る。
それらの一つ一つがものすごく便利で料理をする時の手助けになってくれる。
最終的にお弟子さんたちが来るまでに一月半ほどの余裕があったので、暇をみてはエリカ様が新たな料理の数々を魔導調理具の使い方とともに教えてくれた。
それを続けているうちに、私の料理もエリカ様の作る料理と同じような味に近づいているのがとても嬉しかったね。
こうなれば、もう元には戻れないよ。
乾燥肉の出汁に塩味だけのスープで満足していたなんて、今ではとても考えらない話だよ。
エリカ様の家で作る料理は、色鮮やかで、千変万化の味が口内に広がる魔法のような料理の数々なんだ。
お弟子さんたちに美味しい料理を提供するために、私も二階の厨房で毎日頑張ってる。
◇◇◇◇
私はヴァネッサです。
私はとある商家のメイドをしていましたけれど、その商家が商い上の失敗で家が傾き、私は解雇されました。
突然の解雇でしたし、蓄えもありませんでしたから、すぐに生活に困り、借金奴隷として口入屋に登録をしました。
私に身寄りは無いので頼る人も居なかった所為ですが、生活に困窮した時に良く使われるのが借金奴隷になることなのです。
すぐにメイドの仕事に就ければよいのですけれど、生憎とメイド稼業にギルドはありません。
ギルドがあれば互助制度があるのかもしれませんけれど、仕方がないのである意味で身売りをして口入屋に食べさせてもらいながら就職先を探すのです。
待機期間が長くなれば借金もかさみますけれど、とりあえずの生活はできます。
生きてさえいれば何とかなるものだというのが庶民の常識なのです。
私の場合、四か月ほど待つことになりましたが、若い女性にメイドとして買われることになりました。
新しいご主人様は、錬金術師で薬師のエリカ様と言います。
私は20歳ですけれど、エリカ様は私より三つも若い17歳なのです。
そんなに若くてどうすれば錬金術師や薬師になれるのかがわかりません。
錬金術師も薬師も、専門の学院で数年間の勉強をし、更に徒弟となって古手の錬金術師や薬師について数年の修練に励まねば、資格を取れないと聞いています。
他の仕事ならば成人となる15歳から相応の手間賃を稼げるのですけれど、錬金術師や薬師は厳しい徒弟生活を過ごさねばなれない職業だと聞いています。
私が知っている限り、錬金術師も薬師も30歳を超えた方が多いですね。
徒弟時代は苦しいけれど、錬金術師若しくは薬師の資格を取った後は裕福な暮らしができるようです。
その意味ではお若いのにエリカ様はお金持ちの様子です。
後で知りましたけれど、エリカ様が定期的に作られているのはお砂糖ですね。
私の力では持ち上げられないほどの量を10日に一度商業ギルドへ卸していらっしゃいます。
また、各種のポーション等のお薬、手鏡や不思議な手持ち灯などを造られて錬金術・薬師ギルドに卸していらっしゃいます。
それらの収入だけで大金になるそうですけれどその額は教えてもらっていません。
悪い人が情報を聞きつけて盗みに入っても困るからだそうです。
お金のあり場所については、私も知りませんが、多分、ギルドに預けているのじゃないかと思います。
会員カードにはそうした機能があるそうですからね。
因みにエリカ様は、錬金術・薬師ギルド、冒険者ギルド、それに商業ギルドにも入っておられるのです。
あ、冒険者としても優秀な方のようで、冒険者としては中級上位の黒鉄ランクだそうです。
冒険者ギルドとしては、上級者の銀若しくは金のランクに上げてもらいたいようなんですが、エリカ様が昇格のための受験を断っているそうなんで、中級上位の黒鉄のままらしいですよ。
これは、冒険者ギルドのミリエルさんから漏れ聞いた話です。
私のメイドの仕事は、お掃除と洗濯がメインですね。
一緒に雇われたマルバレータさんと一緒に市場に買い出しに行くこともあります。
私の仕事は、食事を作るコックのマルバレータさんのお手伝いもありますけれど、メインは家の掃除とお片付け、それに家に住むことになる徒弟や魔法師たちの部屋のベッドメーキングとシーツやタオルの洗濯がメインですね。
徒弟や魔法師たちの衣類については、自分たちで洗濯させるようにするとのお話でした。
エリカ様を含めると9名分の部屋の掃除やら洗濯なので結構な作業量があるはずなんですけれど、エリカ様に雇われてよかったと思う代物が役立ちます。
実は家の中にエリカ様が作った魔道具の数々があるのですごく便利なのです。
シーツやタオルの洗濯は、商家に雇われていた時にもやっていましたけれど、半日かけても終わらないほどの作業量があるんです。
でも、汚れを落とさないと叱られますし・・・。
でもエリカ様の家には魔導洗濯機があるのです。
洗濯機は二階と三階に複数、四階にも一基設置されていますから、私が常時使う魔導具以外にもエリカ様や同居人が自分のものを洗濯できるんです。
この魔道具、洗濯物を魔導具の容器の中に放り込んで、エリカ様が作られた洗剤を適量放り込んでスイッチと呼ばれる押栓を押してやるだけで、洗濯がひとりでにできるんです。
しかも洗濯物を
商家時代の手作業に比べると本当に楽になりました。
お掃除も何やら空気を吸い込む魔道具で部屋の隅々を撫でまわすだけでほこりやチリが吸い取られるんです。
部屋数は多いですけれど掃除も魔道具を使えばそうそう時間はかかりません。
もう一つ、厨房は魔導具の塊みたいな場所です。
厨房で9人分の食事を作るとなれば一人では大変な筈なんですけれど、ここでもエリカ様の魔導具が大活躍。
魔導コンロは火力の調節が簡単にできます。
魔導レンジなるものは、短時間で食品や料理を加熱してくれます。
冷蔵庫や冷凍庫は食材を冷やして長期保存してくれる優れものです。
私は包丁扱いが下手なんですけれど、ロディアン(人参)やベレド(芋)の皮むきぐらいならピーラーというエリカ様の作った道具を使って簡単にできます。
斯様に、エリカ様の家は魔導具やら新発明の品物で一杯なのですが、どれも便利なものなんです。
私もマルバレータさんも大いに助かっているんです。
本当にエリカさんに雇われてよかったと思っています。
借金奴隷の従属期間は四年なのですけれど、エリカ様のところならずっと居ても良いなと思っています。
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