第47話 女商人サラ
王都から戻り、聖ブランディーヌ修道院で何度目かの研修が有ったある日、私は一人の若い女性に捕まっていました。
その女性はサラ・レドフォード。
ラムアール王国で手広く商売を行っているレドフォード商会の次女なのだそうですけれど、父と兄を助けながら自らも商いをしているお嬢さんで、このカボックの支店を任されているようです。
彼女の狙いは、マルセルと同様、私が作った紙と鉛筆であり、更に教科書や洗剤にも目をつけた様です。
紙については羊皮紙ギルドとの協議の結果、二年間は羊皮紙ギルドに先行の権利を与えていますから、仮に、マルクスやサラに紙を卸すにしても月に300枚以内になります。
王都から戻ってすぐに、マルクスには事情を説明し、二年後には特許が公開されるので、要すればマルクスが自ら紙を作っても良いこと、若しくは二年経過後ならば、年間で10万枚程度の紙を生産し、卸すこともできると伝えてあるんです。
マルクスは、今の段階で紙の販売をスタートさせても数量が限定されるので、二年間待つことにしたようです。
同じことをサラにも説明しましたが,サラも同様に二年間待つことにしたようです。
尤も、羊皮紙ギルドが紙を生産し始めたなら、供給先を乗り換える可能性もありそうですね。
その辺は彼らの判断に任せています。
前にも申し上げたように、この世界には印刷技術がまだありませんでしたから、この世界での書面は全て
そんな中で滑らかな紙質とインクの乗りが良いきめ細かな表面は、商人としてのサラ嬢を痛く興奮させたようです。
そうして更に、私の場合は、金属板のエッチングで印刷した教科書を作りましたので、修道女27名が持っている教科書全てが全く同じ字体で揃えられているのにびっくりしたようです。
特に図面とか絵について、全く同じものをそっくりきれいに書き写すことは非常に難しいですからね。
サラ嬢も商人としての勘が働いたのでしょうね。
これは売り物になると判断して、私に食いついてきたわけです。
洗剤についても同様です。
マルセルは男性ですので修道院の奥には入れなかったのですけれど、サラ嬢は結構内部にまで入り込むことを許されて色々と見て回ったようです。
私は別に出し惜しみをするつもりはありませんけれど、砂糖と同じで特定の作業にかかりっきりになって自分の自由な時間を奪われるのは嫌ですから、ここは商業ギルドで製法の特許を得て、別な人物に生産を任せることにいたしましょう。
別な人物というのはもちろん私に食らいついてきたサラ嬢のような商人のことです。
紙については待ってもらうしかないのですけれど、そのほかの品については、安い特許料金で製法を教えるから、サラ嬢が自分でやりなさいと私が押し付けたわけです。
勿論、スキルも無いサラ嬢が自らモノづくりをするわけにも行かないでしょうから、当然職人を集めることになります。
洗剤については、錬金術師等を雇って自分で作っても良いでしょうし、適当な工房に製造依頼するのも良いでしょう。
品質を保つのが難しいとは思いますけれど、少なくとも製糖のような難しい作業にはならないはずです。
私の場合、魔法で全ての作業をしてしまいますけれど、普通の錬金術師やその他の魔法師では同じ方法は取れないようです。
ですから一つ一つの工程を詳しく説明して、手作業で洗剤やら、鉛筆を作れるように指導することになりました。
私も付きっきりというわけにも行きませんけれど、10日間で三日ほどの時間を空けてサラ嬢の事業開始に当座はお付き合いしてあげることにしましたよ。
私が商業ギルドにいくつかの新たな製法の特許をしてから二か月でサラ嬢の作った洗剤工房が稼働を始めました。
紙については、羊皮紙ギルドとの協定がありますので、この二年間はサラ嬢に紙を月に100枚卸すことで我慢してもらっています。
因みに先に唾をつけたマルセルには一応200枚の紙を卸しているんです。
サラ嬢はいずれ印刷の方も始めたいと考えているようですが、こちらは紙の大量生産が始まらないとそもそも意味がありませんし、金属板のエッチングがかなり難しいようなので、取り敢えず、木版画による印刷を勧めておきました。
木版画の場合ですと、余り細かい文字を印刷すると文字が潰れてしまうので良くないのですけれど、一定の大きさ以上の文字ならば木版画で十分なのです。
その上で、金属の活字を作って印刷をする方法も商業ギルドに登録しておきました。
ですから活版印刷もやろうと思えばできますけれど、今はそのアイデアの提供だけにとどめておきましょう。
こちらの方もサラ嬢が2年後には試験的に始めて印刷業を起業するつもりのようですね。
私のところには特許使用料が入ってくるわけですが、左程高い物ではありません。
商業ギルドでは特許を登録した際に、特許使用料の料率を予め設定できるのですけれど、私は製品売上の5%だけにしています。
特許使用料率は売上金額の5%以上25%までという制限が付いているものですから、私の場合は、できるだけ利用しやすいように最低の5%にしているわけです。
因みに砂糖の精製についても同じ料率の設定をしています。
単純に誰かが、私の製法を真似して砂糖を作り、それを売れば、5%分の売り上げ金額が商業ギルドの私の口座に振り込まれるわけです。
そんなわけで、私自身は余り働かなくてもそれなりの金を得ることができるようになっていますね。
でも人間働けるうちに働いておかなければいずれ働きたくても働けなくなります。
私の場合はハーフエルフという設定上、これから500年ぐらいは長生きするそうなので、いくら何でも毎日ごろ寝しているわけには行きません。
そもそも昭和生まれは馬鹿が付くほど真面目で勤勉なんですよ。
私の夫がそうでしたし、私も似た様なものですね。
仕事に、家事に、子育てに、年がら年中追いまくられていましたけれど、そんな中にささやかな幸せのひと時が有ったと思っています。
可能ならば現世でもそんなささやかな幸せを追い求めてみたいものですね。
◇◇◇◇
サラ嬢との関わり合いが増えた結果、サラ嬢が我が家にやってくることも多くなりました。
確か、三度目ぐらいの来訪の時だったでしょうかねぇ。
「御不浄を借りますね。」
そう言って、一階のお手洗いにサラ嬢が入って行きました。
そうして左程時間が経たないうちに、お手洗いからサラ嬢の「きゃっ」という小さな叫び声が聞こえました。
私が慌てて駆け寄り、ドア越しに尋ねました。
水が流れている音がしますし、大丈夫だとは思うのだけれど・・・。
「どうしたの?
大丈夫?」
そう呼びかけると、直ぐに、中から返事が聞こえました。
「え、えぇ、・・・
大丈夫、ちょっと待っててね。」
やがて、ドアが開いて彼女が顔を出し、すごい勢いで私に食いついてきました。
「エリカさん、何、このトイレ?」
「え?
トイレがどうかした?」
「いや、あの・・・、座るトイレって始めて見るし・・・。
何より下が見えないし、それに、匂わないのね?
一番、驚いたのはお湯で×××を洗うところ。
壁の説明書きで用済み後にボタンを押せと書いてあるからそうしたら、お湯が出て・・・。
ビックリして立ち上がって、見ていたら、今度はお水が出て来て中を洗い流しているし、どうしたらこんなことができるの?」
うん、そう言えば、水洗便器も洗浄機付き便座もこの世界では初めてでしたね。
私は普段通りのつもりでいましたけれど、外から来た人にはとんでもない魔導トイレに見えたに違いありません。
これって今のところ改良型を含めて世界に5つしかない特別なトイレなんです。
その五つ全部が、我が家に設置されているのですけれど、1階のトイレが1か所、2階のトイレが2か所、地下二階と地下四階の工房に各1か所ずつです。
サラ嬢、またまた口をとがらせながらこれを売ってくれと主張します。
確かに貴族を含めて需要はあるでしょうね。
でもねぇ、私はさすがに便器職人になるつもりはありません。
これまでの経緯から見て、これを普通の錬金術師辺りが作るのは非常に難しいのではないかと思うわけです。
勢い私が専属で造らねばならなくなるわけで、それは嫌です。
昭和生まれは真面目で勤勉ですけれど、一方で、ぐうたら気質も持っていますので、暇さえあればのんびりしたいわけです。
前世では人生の半分近くの時間を医療に捧げたわけですから、一つに絞って専業にするという考えは微塵もありません。
気ままに錬金術師や薬師の稼業をし、時折冒険者稼業にも就く、そんな人に私はなりたいのです。
ですから簡単にはサラ嬢の要請には応えられません。
それでもしつこく
我が家からの輸送や注文先での取り付け工事と付帯工事については、私以外の誰かがしなければならないというのが条件ですし、何より一番先に領主である侯爵家にも納品が必要ですよね。
まぁ、私からの献上品としても良いのですけれど、サラ嬢が今後取り扱う意欲があるのならば、サラ嬢にその手当もしてもらいましょう。
売り出すのは地下の工房に設置してあるタイプの便器です。
地上階の便器は水洗トイレで、汚物は浄化槽に導いていますけれど、地下の工房の場合はポンプでくみ上げるのが(メンテを含めて)面倒なので、便器単体で水洗、後処理できるように改良したものなんです。
環流水方式で、不純物を取り除いた水を何度も再生して使いますので水道管は不要です。
排出物の処理は単純に言えば、千度まで加熱し、三千気圧で圧縮して固形物に変換しています。
この固形物は主成分が炭素で、様々な金属成分等が混じった金属に近い性状を有し、直径5ミリほどの球に成型され、亜空間に保存されます。
この球状固形物は非常に硬く強靭で、ボールベアリングの部品に使えますけれど、対外的には内緒です。
亜空間は私の地下にある倉庫につながっており、そこに球状固形物が保管されます。
今のところ2個しか溜まっていませんけれど、数が売れれば、たくさん貯まることになるわけで、別途使い道を考えなければなりませんね。
この特製便器については、特許申請はしません。
多分、私しか作れないと思うので、特許申請の意味が無いんです。
錬金術師としての付与魔術だけではなく、色々な魔法の集合体ですから、マネのできる人が居ないと思うのです。
仮に将来的に、私の真似をして複製品を作ることのできる人がでてきたなら、喜んで特許を進呈することにいたしましょう。
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