第44話 研修と面倒ごと
準備に意外と時間がかかりましたけれど、ナブラ四の月25日から研修を始めました。
場所は、修道院で一番広い聖堂を使わせていただくことになりました。
修道院の聖堂の場合、普通の教会の聖堂の様に多くの人が祈りを捧げるような場所では無い為に机と椅子が一緒になったようなものがありません。
椅子も本来は使わないのですが、かろうじて30脚程倉庫にあったものを使うことにしますが、残念なことに机はありませんでした。
次の30日までには全員分の折り畳み机を作っておきましょう。
研修は、午前中の二の刻から三の刻までの
修道院の修道女は、他にも色々することがありますから、これ以上の時間は割けないのです。
初日に修道女の方々に教科書とノートそれに鉛筆と消しゴムを渡しましたなら、すっかり驚かれてしまいました。
この世界での書面というと羊皮紙が主流で、他にヤーガラという植物質のパピルスのようなモノがあるのですけれど保存性が悪いので、余り使われてはいません。
ですから、滑らかな表面の紙を多分見たことが無かったのでしょう。
鉛筆や消しゴムもこの世界には無かったものの一つのようですね。
でも勉強には必要な物ですから、全員に渡しておきました。
そのうちにお目に掛けますけれど、等身大の人体模型だって作ったのですから、シッカリと勉強してくださいね。
研修は治癒魔法を使える方だけが対象ではなくって、修道院に居る方全員が対象なんです。
最初にお話ししたのは、創傷に対する処置について概略をお話しし、少なくとも怪我に対応するには、手を触れるもの全てが清浄でなければならないことを教えました。
具体例としてブラックライトに似た魔道具を造り、皆さんの両手を広げて膝の上に出してもらいました。
少し暗い聖堂の中で、青い光を出す魔道具でその手を照らすと、あら不思議、見えない汚れが見えちゃうのです。
修道女たちもしっかりと手洗いをしている筈ですけれどそれでは足りないのです。
修道女が使うのは水だけです。
それでは雑菌や汚れは中々取れません。
ですから、手洗いに使える液状石鹼を作って、修道院に常備することにしました。
手洗い場には是非とも備えてもらわなければなりません。
勿論、液状石棺は私が喜捨することにしました。
但し、この石鹸水や排水を飲んだりしない様に、洗い場と水飲み場とは別にしなければいけないことも教えました。
修道女たちに目に見えない雑菌やバクテリアの話をしても、なかなかピンとはきませんけれど、汚れという目に見える形なら理解しやすいのです。
説明としては、汚れの中に目には見えない小さな魔物が居て病気を引き起こす恐れがあるとだけ教えました。
そのうちに顕微鏡でも造って、実際に目に見えなくてもこの世界には動き回る微生物が多数いることをわかってもらうつもりでいます。
初日は、清浄を保つという衛生の基本概説だけを説明いたしました。
最初の講話が終わった後で、院長様に了解を戴き、沐浴場に案内してもらいました。
単純に泉のほとりに粗末な建物があってそこが沐浴場となっていました。
そこで温泉の話をして、教義に反しないことを確認の上で、院長様から許可を貰い、沐浴場のすぐ近くに入水路や排水路を勘案しながら浴場を作りました。
材料は石、それに土を固めて作るレンガです。
最初に地中にある岩石を地表に露出させ、4m四方ぐらいの浴槽を
浴槽の深さは、床に腰を下ろして肩が少し出る程度の65センチぐらいにしました。
浴槽の東西南北の面ごとに若干深さを変えて(±2~3センチ)身長の高い人、低い人でも利用に不便が無いようにしています。
浴槽の床面は僅かな傾斜を造り、排水口から排水できるようにしますが、普段は紐の付いた木製の栓で閉めておきます。
基本構想は温泉かけ流しですので、浴槽から溢れたお湯が排水路に流れ込むようにしてあるのです。
勿論、浴槽の床にある木栓を抜けば排水もできますよ。
これは、浴槽の掃除をする場合に、温泉が浴槽に入らないようにするバイパス路の併設とともに是非とも必要ですよね。
温泉というのは鉱泉ですから不純物が結構含まれているものなので、長時間使っているとそうした不純物が浴槽や床にこびりついてしまうのです。
出来れば毎日お掃除をした方が良いですよね。
浴槽ができると、次は雨風を防ぐために、土で作ったレンガを積んで壁を造り、ドーム状の天井も作ります。
レンガと言いながら、実はセラミックにしてしまいまいましたので、色は白です。
接着を含めて錬金術を駆使し、魔法を行使すると左程の時間はかかりません。
壁の一部の高い部分にステンドグラスで明り取りを作成しました。
デザインは、水の精霊ウンディーヌが池に入っている情景を描いたような彫像が聖堂の隅の祭壇にありましたので、それを参考にステンドグラスで造ってみました。
午後の二刻足らずの間に、脱衣場を含む温泉かけ流しの沐浴場を造り上げました。
なお、洗い場も浴場の脇に付けてありますので、洗濯もできるようになっています。
温泉は合金製の管を地下深くにまで差し込んで温泉を掘り当てました。
最初の四半時ぐらいは泥水が混じっていましたが、やがてきれいな湯が
手荒い用の液状石鹸とは別に、ボディシャンプー用の液状せっけんと洗髪用のリンス入りシャンプー、それに洗濯用の洗剤も勿論用意しておきましたよ。
これらは消耗品ですから、毎月一定量を修道院に寄進する予定なのです。
私の講話の中で、沐浴ではなく、温泉への入浴と身体を綺麗に清潔に保たなければならない理由をしっかりと説明しておきました。
彼女たちは敬虔な修道女ですから怠けるというようなことはしませんけれど、それでもお湯に浸かって入浴するという贅沢にある意味罪悪感を抱く恐れもありますから、それを
私は彼女たちの信ずる教義を詳しくは知りません。
でも、彼女たちに率先して入浴をしてもらうために、はっきりと明言しました。
「身を清潔に保つことで自らの身体と他の人の健康を守れるのは、あなた方の信仰する神様の教えには背くものではありません。
むしろ、身を清潔に保って社会に貢献することこそがあなた方の使命であり、義務なのです。」
次の30日に講話をするために修道院を訪問した際には、修道女たちにはとても感謝されました。
肌艶が良くなり、髪も艶が出てとても綺麗に見えるんです。
うん、女性はいつでも綺麗に磨き上げていなければなりませんよね。
但し、予期せぬ面倒も待ち構えていました。
修道院への数少ない出入り商人が、修道女の持っているノート、鉛筆、消しゴムを目にしてしまったのです。
商人の名前はマルセル。
カボックで雑貨屋を営んでいる若手の商人です。
馴染みの修道女から色々聞き出して、我が家を訪ねて来たのです。
修道女も私のことを詳細に話したわけではありませんが、ノート、紙、消しゴムを配布してくれたのは私であることをばらしてしまいました。
私も特段口止めはしていなかったのですけれどね。
マルセルは、これらの品をどこから入手したのかということを私に尋ねました。
まぁ、仕方が無いので私が作ったということを教えました。
するとすぐにマルセルにも卸してもらいたいという話になりました。
さてさて、その要請を受け入れると大量に紙も筆記具も作らねばなりませんよね。
鉛筆と消しゴムは片手間でできますが、紙の方は魔法で造っても結構手間暇がかかるんです。
特に大量に造るとなると問題です。
この紙が出回るということは間違いなく大量の需要が生まれるということでもあります。
鉛筆で書いた書面は契約書にはなり得ませんけれど、インクを使えば正式書面にもなりますから、需要は大変に大きいものなんです。
市井に出回っている羊皮紙は単品でも高いですからメモ用紙に使うなんてことができません。
ですからマルセルが自分に卸してほしいと頼んでくることもわかりますけれど、これは色々なところと相談しなければなりません。
商業ギルド、錬金術・薬師ギルド、それに侯爵様にも一言断っておく必要がありそうです。
リリー曰く、羊皮紙に関しては、単独でギルドが存在するそうです。
紙が大量に普及すると、羊皮紙はその存在価値が薄れてしまうことになります。
私の所為でギルドの存在が危うくなり、職人さんが仕事を失うことになるのは私の本意ではありません。
そもそも私が製紙工場の代わりになるというのも嫌ですから、適切なスキル等を持つ人物への製紙方法の伝授等、何らかの方法を考えねばなりませんね。
商人マルセルへの返事は保留したまま、最初に商業ギルドへ声をかけ、錬金術・薬師ギルドも交えて三者会談を行いました。
両ギルドのギルマスが参加してくれましたが、やはり懸念したように私が作った紙は羊皮紙産業を潰しかねないそうです。
生産量を限定して羊皮紙産業を護るという方法もありますが、新たな製紙技術があるのなら羊皮紙産業の斜陽化は、時間の問題だろうということになりました。
両方のギルマスからは、サルザーク侯爵様とも協議の上で、王都の羊皮紙ギルドとの話し合いをした方が良いだろうと言われました。
ギルマス両名も紙や筆記具が売れるものだとは判断していますが、その為に既存のギルドを潰すような方向性はできるだけ避けたいと考えているようです。
栄枯盛衰は避けられないものですけれど、急激な改革では無くって、ソフトランディングの道がないかどうかを検討することは無駄では無いと思います。
私はサルザーク侯爵を訪問し、事情を説明の上、公爵のご意見を聞き、その上で王都に向かうことにしました。
今回は羊皮紙ギルドへの訪問ですが、王都の商業ギルドと錬金術・薬師ギルドも巻き込みたいと考えています。
羊皮紙の職人さんでも練習をすれば紙は造れるとは思いますが、獣皮を
そもそも取引量が少ないことと羊皮紙が高価なことが職人さんの少ない原因の一つですね。
ギルドは職人さんの保護を目的に設立されていますし、競合を防ぐために職人数そのものを制限している筈なんです。
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