第24話 侯爵邸にて その三

 それから昔の思い出にふけりながら美味しいお茶を戴いていると、メイドさんが一人突然部屋に入って来て、焦りながら侯爵と夫人に報告しました。


「マーガレットお嬢様の様態が急変しました。

 治癒師の見立てでは危篤状態と申されています。」


 侯爵と令夫人の顔色が即座に青ざめました。

 冷静そうな執事長のセルバートさんも若干顔が歪んでいます。


 今の話の内容だと、以前から重い病気だったのでしょうか?

 お二人が立ち上がったので、私も立ち上がり、早口で言いました。


「私は治癒魔法が使えます。

 差し支えなければ私も同道させていただけませんか?」


 侯爵が驚きながらもしっかりと頷きました。

 今まで誰にも治癒魔法なんて見せたことがありませんでしたから、きっと調査報告には、私の治癒能力は入っていなかったのでしょう。


 エマ夫人が言いました。


「お願い。

 できるならば、マーガレットを助けて。

 私の末の娘なの。」


 私も頷きました。

 すぐに執務室を出て二階へ小走りに向かいます。


 こういう時、ドレスと言うのは不向きですね。

 でも、私は町娘の扮装ですから隣で急ぐエマ様ほどおかしな恰好ではないはずです。


 ようやく部屋に辿り着いて、ベッドに横たわる少女を一瞥しました。

 七歳ぐらいの女の子ですが、正しく死相が浮かんでいますね。


 治癒師と思われる人の姿は部屋にはありませんでした。

 或いは末期まつごの時と言うことで、居合わせるのを遠慮したのかもしれません。


 エマさんの許しを得て、すぐに診察にかかります。

 CTスキャンよろしく生体スキャンをかけました。


 うん、これは酷いですね。

 急性肺炎からくる敗血症にかかっています。


 何故ここまで悪化させたのかと誰かを責めたくもなりますが、ここは異世界、まともな医者など居るはずもありませんでした。

 怪我を治すポーションはあっても、病気を治す方法はほとんど無いのです。


 教会関係者が保持する聖魔法が多少の病気は治癒できますけれど、そもそも病原体の存在を知らない聖職者では適切な処置ができないはずです。

 また薬師も個々の病気治療に必要な薬品を作ることは難しく、江戸時代にあった富山の反魂丹はんこんたん、伊勢の萬金丹まんきんたんのように余り効能の無い万能薬しか作れません。


 まぁ、それでも薬に出会ったことのない人であれば、歯磨き粉の殺菌力で病気が治ったという話(百年以上も前の話でしたから眉唾物まゆつばもの?)さえありますし、プラシーボ効果(偽の薬を与えても心理的な効果で治ってしまうケース)で治癒してしまう場合もありますから、全く効かないとは言い切れませんけれどね。

 それはさておき、肺炎であればその原因により本来は診療処方が違うのですけれど、ここには抗生物質も抗ウィルス剤もないから、すべてを魔法で処理するしかありません。


 原因が何であれ、ぶっつけ本番でやるしかないんです。

 敗血症は、体内に侵入した病原菌に対して身体の抗体勢力が総力で抵抗している証拠なんです。


 小さい子が頑張っているんですから、元医者の名に懸けて私も良い仕事をしなければなりません。

 最初にこの子の抵抗力に増援を送るために、白血球の抗体力を増強します。


 前世ならそんなことはできなかったけれど、今なら何とかできる付与魔法です。

 それとほぼ同時に肺の中に充満しているウィルスか病原菌かを殺菌します。


 ここは一々検査をしている暇なんぞありませんから、どんなかは不明なのですが、自分の能力を信じて生体スキャナーで引っかかる、即ち、目の前にある生体スキャナーのホログラム画像で見ると無数の赤い点に見えるものを殲滅して行きます。


 ホログラム映像は私だけに見えるもので、侯爵夫妻や居合わせた者には見えません。

 とにかく見える端から順次赤い点を潰してゆきます。


 どうやって潰しているって?

 そんなこと私だって良く分かりませんけれど、こういう時は勘と能力を信じてやるしかないんです。


 絨毯爆撃よろしくかなり早い速度で肺の中をクリア(多分浄化?)して行きますが、それでも終わるまでに10分は経過していたと思います。

 その間、女の子の身体は燐光のように淡いすみれ色に光っていました。


 次いで血液の浄化です。

 肺から侵入した病原菌は、肺血症を引き起こした際には血液を介して全身に回っているケースが多いのです。


 そのために多臓器不全を引き起こし、死に至ります。

 血液の浄化は聖魔法の浄化を心臓の出口二箇所で掛けました。


 血液の道路である血管網は、毛細血管まで含めると約10万キロほどになると言われていますけれど、心臓から送り出された血液は一分足らずで再び心臓へ戻ってきます。

 ですから心臓の出口で浄化をかければ全身に浄化された血液が行き渡るまでに一分ほどです。


 その措置が終わって、再度生体スキャナーをかけて異常のある場所を確認します。

 いくつかの派生した不具合を片付けている間に、もう一つ重大な不具合を見つけてしまいました。


 この子、心房中隔欠損症しんぼうちゅうかくけっそんしょうですね。

 心房中隔欠損症とは、心臓の右心房と左心房の間にある「心房中隔」と呼ばれる壁に穴が開いている状態を言います。


 この子の場合、5ミリを少し超える穴で、不具合が出るギリギリのところでしょうか。

 今まで異常は無かったのであればこのまま異常なく終わるかもしれませんが、心臓に負担のかかるような無理はできないかもしれません。


 元々、穴が開いているという異常に身体が慣れてしまっただけのことですから。

この際、ついでですので治しておきましょうね。

 生体細胞を産み出すなんて、当然のことながらこれまでやったことはなかったのですけれど、考えてみれば晩年のある時期、幹細胞のクローン化について勉強だけは一杯していましたから、案ずるより産むが易しで何とかできちゃいました。


 穴の周囲に結界を張って、穴を塞ぐように心臓細胞を増殖させ、・・・。

 ン、心臓ってそう言えば心筋細胞は再生できないんだっけ?


 いや、でも、できてるし?

 まぁ、魔法の世界だからね、不思議なこと、おかしなことも起きるのでしょう。


 とにかく穴を塞ぐほど増殖させてから癒着ゆちゃく(接着に近いかも・・・)させて魔法手術は完了です。

 この手術に要した時間は五分ぐらいでしょうかねぇ。


 心臓手術もかなり手がけましたけれど、これまでの最短時間ですね。

 もちろん、前世で魔法で手術を行ったことは一度もありませんよ。

 

 今回は全てが魔法です。

 手術と言ってもメスなんか使ってませんし、実のところ手も触れていません。

 

 傍にいる人には色々と怪しい光が女の子のあちらこちらに見えたかもしれませんけれど、そこは仕方がありませんよね。

 女の子の名前はマーガレットちゃんでしたっけ、あれほどゼーゼーと苦しそうな息遣いをしていたのに今はすっかり治まって、ゆっくりと呼吸していますし、おでこに手を触ると熱も下がっているのがわかりました。


 敗血症になると38度C以上に熱が出ますからねぇ。

 さっき部屋に入った時は、この子の物理的な熱気を感じとれましたもの・・・。


 でも、多分、これで取り敢えずは危険な状態は回避できましたし、弱った体力以外は、ほぼ全快したのじゃないかと思います。

 とても心配そうなエマさんに向かって、笑みを浮かべながら私は言いました。


「もう大丈夫ですよ。

 身体に巣くっていた病魔は全て退治しました

 目が覚めたら、できれば粥状かゆじょうの食べ物と水分をらせてあげてください。

 多分、発熱で水分が不足しているはずですから、のどが渇いているはずです。

 でも一度にたくさんは与えないように少しずつです。

 あと、余分なことなのですけれど、心臓に小さな障害がありましたのでそちらも治しておきました。

 多分明日には元気になっていると思いますけれど、三日間ぐらいは静養するようにさせてください。

 その後ならばお庭を駆け回っても大丈夫です。」


「ありがとう。

 エリカさん、あなたは娘の恩人だわ。

 何があってもこの恩は決して忘れません。

 正直に言うと、昨晩の時点で治癒師も司教様もこれ以上できることは無いとさじを投げていたのです。」


 それに続いて侯爵様が言いました。


「確かに・・・。

 しかし、治癒師も聖職者も投げ出す病をわずかな時間で癒すなど・・・。

 エリカ嬢は若しや聖女様なのか?」


「先ほども申し上げたように、私はしがない着物屋の娘に過ぎません。

 聖女などと間違った噂を立てられますと、侯爵様の領地にも居られなくなります。

 どうかあらぬ噂が立たぬようご配慮を願います。」


 私はそう言って釘を刺しておきました。

 少なくとも侯爵から噂が出ることはないでしょうけれど、マーガレットちゃんの様態を診たという治癒師と司教様とやらが問題ですね。


 今はこの場には居ませんでしたので、気が付かなければいいのですけれど、ほとんど回復の見込みの無かった筈の少女が数日で回復してしまうわけですから、流石に何かがあったと気づいてしまうでしょう。

 治癒師については別途ギルドがあるそうですし、教会関係は宗教が絡むととにかく面倒そうですよねぇ。


 リリーの話では、聖魔法の使い手は教会が囲い込んでいるようですから・・・。

 特に聖女様認定をされてしまうと後が大変です。


 教会には呼ばれても絶対に行かないようにいたしましょう。

 いずれにしろ、さんざんお礼を言われつつ侯爵家を後にしました。


 勿論、帰りも侯爵家差し回しの馬車で送っていただきましヨ。



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