第38話 悪役令嬢の担当編集
ヨシヒコの同僚で悪役令嬢ものの編集担当だった木下千秋(キノシタチアキ)という女性編集。
実は彼女はちょっと前まで女神に異世界に連れさられ転生させられていた。
しかし当の本人はその事は一切覚えていない。
彼女は女神ランによって、スカーレットとして悪役令嬢の世界に転生させられていたのだ。
だが鈴木との一件があって以降、極度の筋肉フェチになってしまい、全くランの思い通りに動かなくなってしまった。
「ああ、あんたもういいわ。元の世界に戻すから」
そう言ってあっさりとランの力で元の世界に戻されたのだった。
確かにランは記憶を全て消したはずであった。
しかしどういう訳か、潜在意識の奥深くで異世界にいた時の出来事が残っていたのか、筋肉フェチだけはそのまま治らなかった。
こうして元の世界に戻ってきたわけで、当然ヨシヒコは悪役令嬢ものの担当である彼女にも何らかの作戦を決行しようとしていたのだが、実は策を練るまでもなく、彼女はすでに戦線離脱していた。
「お先に失礼します」
そう言って定時に帰って行く千秋を、近くの席の同僚がボーッと見つめる。
「どうしちゃったんだろう木下さん。最近ずっと定時に帰ってるけど。今までは悪役令嬢ものの担当任されて、遅くまで残業してたのに」
そうボーッと見ていた同僚が呟くと、さらに隣の席の男がパソコンを叩きながら応える。
「さぁな、彼氏でもできたんじゃないの?」
「ヤマさん。その発言セクハラになりかねませんよ」
「いいんだよ。本人いないんだから。木下は定時に帰るとは言っても、ちゃんと仕事終わらせてから帰ってるんだ。俺らもさっさと終わらせて飲みいくぞ」
「そうですね。さてやるか!」
仕事場を小走りで後にした千秋は、急いで着替えを済ませ目的地までタクシーに乗った。
今日は楽しみにしている格闘技の試合の日なのだ!
そう、千秋が最近仕事を早くに切り上げる理由は彼氏などではない。
ズバリそれは最近できた趣味、格闘技鑑賞のせいであった。
今日もSNSで知り合った同じ趣味の仲間と約束していた。
「遅れてすいません、笹丸さん」
そう言ってすでに来ていた趣味仲間に声をかける千秋。
笹丸と呼ばれた若い女性は、
「いえ、私も今来たところなので。行きましょう」
そう言って目的地に向かい歩き出した。
笹丸。もちろんこれは本名ではない。
千秋自身も『ちーさん』というハンドルネームをSNSで使っており、笹丸さんからはそう呼ばれている。
千秋は笹丸という女性について、
(ずいぶん若いし、まるで高校生みたいだけど、いつも私と一緒に格闘技の試合を見に行ってくれる。格闘技のチケットって高いから、お金があるみたいだけど、いいとこのお嬢さんなのかな?)
色々聞いてみたい気持ちはあったが、千秋はせっかくできた趣味仲間を失いたくなかったので、あれこれと詮索することはやめておいた。
実際ハンドルネーム『笹丸』は、いいとこのお嬢さんなどではなく、裏闘技場の賭博で1500万円という大金を手にいれただけ?のごく普通?の女子高生であった。
千秋の予想通り、今日の試合は最高だった。
今一番推している選手を間近でみれて、千秋は満足であった。
笹丸とも選手の筋肉の話で盛り上がったし、本当に充実した一日であった。
さぁ帰ろうと思った千秋を笹丸が不意に呼び止める。
「……ちーさん。今日ってまだ時間ありますか?」
こんな風に呼び止められるのは初めてだったので、少し変に思ったが、他ならぬ笹丸さんの話なので、時間を作ることにした。
笹丸さんは、
「ちーさんは同志と判断しましたので教えます。絶対に言わないでくださいね……」
そう意味深に言う笹丸に千秋が連れて行かれたのは地下にある怪しい場所。……そう鈴木が以前ブッチャーと戦ったあの地下闘技場であった。
最初はそのアウトローな雰囲気に戸惑っていた千秋であったが、数分もすると歓声をあげて、食い入るようにリングを見つめていた。
「どうですか?ちーさん」
「もう最高ですよ!笹丸さん」
その言葉を聞いてハンドルネーム『笹丸』は満足そうに笑う。
「ふふふ。そうでしょ。ここの選手の筋肉は別格ですから!でもこれで驚いていちゃ駄目です。本番はこれからですから!」
笹丸がそう言うと、次の試合の選手が入場し出した。
会場は破れんばかりの歓声とブーイングで鼓膜が破れそうであった。
もちろん、リングに現れたのは今やこの裏闘技場最強のヒールとなった高校生、鈴木おさむだ。
千秋はリングに現れた鈴木のその姿を見て、驚きを通り越して、もう心臓が止まってしまうかと思った。
「やっと……」
そう言って涙をポロポロ流す千秋を見て、笹丸はギョッとした。
「ど、どうしましたか?ちーさん!」
「……やっと会えた。本当の推しに……」
どういうこと?と思った笹丸であったが、千秋はそんなことはお構いもなしに大声で叫んだ。
「これからは悪役令嬢なんかじゃない!筋肉が支配する世紀末で、筋肉を極めた伝承者達が戦うバトルの時代じゃー!!」
千秋はその日、思う存分推し活を楽しんだのであった。
そして次の日、彼女は編集長に、悪役令嬢ものの担当を降りる旨を告げに行く。
「私は漫画部門に行きたいので今回の企画は別の方にお任せします。それと異動願いです」
だそうだ。
会社の者は皆唖然としていた。
その数年後、彼女が編集をした、筋骨隆々の戦士たちが命を賭して戦う世紀末バトル漫画が、世界的な大ヒットを記録する事になるのだが、それはまた別のお話である。
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