第50話 悲願
「射手はあの辺りだな――っと」
いつの間にか構えていた弓で、エイディールは迷わず、一点を狙って矢を放った。風の魔法が掛けられたその矢は、正しく魔弓。
落ちることも力を失うこともなく、目標に向かって飛んでいく。
「周りの被害は、どうなっていますか?」
エイディールが矢を放ってすぐ、爆音は消えた。代わりに聞こえてきたのは悲鳴だ。
防音も施されているのだろう。その声は随分遠く聞こえる。
どうなっているかは気になるが、動くのは愚行。弓を下ろし、代わりに腰の長剣を抜いたエイディールに訊ねてみた。
「民間人には興味がないでしょうから、不運だった人以外の心配は必要ないかと。それより、相手の最後の一射の方向が妙でした」
「え……?」
その瞬間、妙な空白が場を支配する。
そして前方、皇帝の一団に大きく乱れが生じ、直後。
大きな放物線を描いて落下してきた火矢が、目標に近付くと同時に膨れ上がり、爆発した。皇帝の乗る馬車を護って円陣を汲んでいた隊列が、内側から吹き飛ばされる。
「っ!?」
目の前の光景を認識した目と脳を、アネリナ一瞬疑ってしまった。
しかし吹き付けてくる熱をはらんだ風が、事実を明確に告げてくる。
「なぜ、皇帝を」
「利害が一致しなくなったからでしょう。そもそも、血族としての力は継がなかったものの、彼もまた星の一族です。それよりも、来ます」
「伏せろ、姫さん!」
「きゃっ」
伏せろと言いつつ、アッシュはアネリナが動くのを待たなかった。頭を押さえ付け、否応もなく体勢を低く変えられる。
その頭上を、風が吹き抜けた。
「!」
急に明るくなった気がして、目だけで頭上を確認する。理由はすぐに分かった。
明るく感じたのも道理。馬車の天井は、アネリナの頭上の少し上で綺麗に切り取られていた。アッシュに頭を押さえられていなければ、首のやや下から失くしていただろう。
それをやったのだろう人物と、至近距離で見合うこととなる。
恰好はいつか見たのと同じ黒ずくめ。体型は定かではないが、その身長から男性の可能性が高いと察せられる。
襲撃者が手に持つのは、刃の部分が乾いた血のように赤黒く染まった大剣ただ一つ。
(まさかあの剣で切った……。わけではない、ですよね……?)
常識的には否定したい。だが剣の持つ禍々しい気配が、アネリナに否定をさせきらなかった。
「この剣が恐ろしいか、星の娘」
「そのように禍々しい刃物を恐れぬ者がいますか。……それより、その剣は……」
「貴様を殺す刃だ。星の命脈を断つ呪を掛けた、貴様のためだけの刃だ。命を持って鍛えられたこの刃は――必ず、星を討つ!」
(禁術の剣!)
大量に集めていた生贄を奪われたために、おそらく予定していた禁術の行使にまで人命は足りなかったのだろう。
代わりに、必殺の剣を用意した。その後確実に己の身も潰えると知って尚。
襲撃者は剣を振りかぶる。動きが定まった瞬間に、アッシュとエイディールが同時に動いた。
アッシュは襲撃者の心臓へ、長く鋭く爪を伸ばした手刀を突き入れる。エイディールは剣に掛かった呪がどのように影響するかわからないヴィトラウシスの元へ。
彼の盾となるべく、アッシュ、襲撃者、アネリナと、ヴィトラウシスとの間に割り込み構える。
剣を振り下ろした襲撃者は、己が致命傷を受けつつも、一顧だにせずアネリナを見ている。その最後を見届けようと。
だが――
「や!」
呪いの力を以って、絶対に星の血族の命を絶つはずだった剣は、側にあった聖杖でアネリナが渾身の力を込めて叩き払うと、あっさりとその刃を逸らしてしまった。
「ふぐぅっ!」
そして心臓を貫かれた痛みにくぐもった声を上げ、襲撃者は口元から血を流しながら――笑う。
「き、貴様、は。星の血族では、ない」
必殺の呪いが発動しなかった。そのことで確信を得て、襲撃者は満足気な言葉を発する。
「おぉ、星に、滅ぼされし我が、租よ。喜び、たまえ。我らと同じく、星は、絶えた!」
両手を広げて天にかざし、掠れた、しかし誇りに満ちた叫びで今はもういないのだろう、己が思いを継いだ何者かへと語る。
「悲願、成就、せり……」
天を仰いだその姿勢のまま、力を失った体が仰向けに倒れて、大きな音を立てる。
「……ステア帝国が滅ぼした、いずれかの国の末裔だったのでしょうか」
「かもしれませんね」
ステア王国が帝国へと移り行く、その過程。
多くの民はステア王国へと支配者が変わることを喜んだ。しかしもちろん、全員ではなかっただろう。
少なくとも、民に望まれないような政治を敷いていた、当時の王族や貴族が利権を手放すことを喜んだはずがない。
「とりあえず、その物騒な剣はユディアス様から離して、早々に清めてしまいましょう。勿体ないので、可能であれば資源として再活用したいところですがね」
「そうですね。わたくしたちにとっては不気味なだけでただの剣と変わりありませんが、ユディアスにどのような影響があるかは知れません」
剣だけでいきなり飛び掛かって来てもおかしくない。
「ああ、やっぱりそうなのな」
この場で唯一、ヴィトラウシスの正体をはっきりと知る機会のなかったアッシュだが、察してはいたようだ。
「よし。クトゥラに渡して離れててもらうか」
「い、いいのでしょうか。彼にパレードに同行してもらっているのは……」
「このためだったんだろーな」
そういうことにするつもりらしい。
「……では、お願いしてしまいましょうか」
少し考えてから、アネリナはアッシュの提案を呑んだ。
まだ襲撃者の仲間が潜んでいるとも限らない中で、アッシュやエイディールと別行動をする選択肢はない。
次点でこの呪いの剣を預けられるとすれば、アッシュの言う通り、クトゥラになるだろう。
「ユリア。私は陛下の様子を見に行く。貴女は……」
「参りましょう」
ヴィトラウシスが言い淀んだ先を、アネリナは自ら切り出してうなずいた。
「助かる」
「この状況で、わたくしが逃げるわけにはいきません」
集まっていた民衆で、難を逃れられた者はすでに皆、逃げ散っている。しかし各々が安全だと見なした場所から、事の推移を見守ってもいる。
四方を覆っていた馬車の壁は中途半端な高さで無くなっていたが、アッシュは律義に扉の残骸部分を押して開く。
ヴィトラウシスの手を借りて馬車を下り、アネリナ達より余程酷い状態となった皇帝の馬車の元へと向かった。
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