第48話 聖女への尊崇
不自由だろうが何だろうが、それでも動けるのは皇帝を始め、多くの者が『事を荒立てたくない』と考え、進展を保留させている今しかない。
(最後の一手で狙うのなら、やはり聖女の――わたくしの命、でしょうか)
心の底から遠慮したいが、可能性は一番高い。
(嬉しくはありませんが……。たとえそれでわたくしが倒れても、星の血筋の存続には問題はないのですよね……)
そしてヴィトラウシスはアネリナと出会い、復讐をしたい、帝冠を奪い返したい思いを己の中に定着させた。
おそらくいつかは、星が彼を導くだろう。
だからアネリナとしては、ここでヴィトラウシスの身代わりとして殺される役目を負わされているわけではない、と願うばかりだ。
(勿論、そうだとしても大人しく殺されるつもりはありませんが!)
「さあ、ユリア様。そろそろ参りましょう」
「ええ」
正午から始まるパレードに参加するために、出発地点である城へ行かなくてはいけない。
本来ならば数日前から城で待機して、互いに打ち合わせをした方がいいに決まっている。だが現状の政権と星神殿の関係で、そのような交流が持たれるはずもなかった。
ゆえに、パレードに共に参加――とはいっても、前後でぱっきり分かれている。
先に進むのが皇帝の馬車。星神殿は追従する形となる。
(では、いざ)
扉を開き、出陣する。
アネリナが足を踏み出せば、聖女が表を歩くことにすっかり慣れた神官たちが、驚くことなく頭を下げ、敬意を示す。
そこにあるのは、正しい統治者を取り戻した安堵と誇り。どこか暗く、息を潜めて日々を数えていた姿はもうそこにはない。
庭に止められた馬車に乗り、城へ向かう手はずだったが――少しばかり予定外の事態が起こっていた。
辿り着いた正門の先でアネリナが目にしたのは、馬車までの短い距離の間に、ずらりと人々が左右に整列した光景だった。
神官の位にある者だけではない。それこそ、昨日助けた市井の人々も混ざっている。
「……すまない。どうしても君を見送りたいと」
いつもであれば馬車の側でアネリナを待っているヴィトラウシスと、扉を出たその場所で合流した。
少しだけの困惑と、何よりも喜びを滲ませつつ、アネリナにそう説明する。
「よかった。驚かせようとした仕掛けではないのですね」
「失礼な言い様かもしれないが、正直、私の方が驚いている」
この光景は恒例行事でもなければ、ヴィトラウシスが仕組んだ演出でもない。
ヴィトラウシスとの小声でのやり取りの後、アネリナが改めて周囲の人々の顔に目を向けると、誰もが瞳を輝かせてこちらを見ている。
それは希望だったり、期待だったり、あるいは憧れだったりだ。
(ならば)
ここでアネリナが言うべき言葉は決まっている。
ふわりと微笑み、もう一度周囲を見渡して、告げた。
「務めを果たしてまいります」
穏やかに柔らかく、そして優しく語りかけられたその言葉に、わっと人々が湧き立つ。
「聖女様!」
「聖女様に、栄光を!」
「どうか我々をお導きください、聖女様!」
微かに首肯だけして、アネリナは悠然と歩を進める。その後ろにはヴィトラウシスとリチェルが続いた。
(よかった。外さずに済んだようです)
人々からの求心を星神殿に向かわせ続けることも、アネリナの聖女としての役目の一つである。
ヴィトラウシスの手を借り馬車に乗っても、歓声は未だ途絶えない。人々に気を遣ってだろう、エイディールは馬車を異様にゆっくりと進ませた。
それでもやがて人々の声は遠ざかり、馬車の速度も通常のものとなる。
「……お前が言うなと、突っ込みはしないでくださいね」
「何のことだ?」
やや気恥ずかしい思いで、先手を打つつもりで言った言葉だったが、ヴィトラウシスからは本当に『何のことか分からない』という表情と答えが返って来ただけだった。
「いえ。真に務めを果たすのは貴方ですから」
「ああ……。確かにそうとも言えるが。それを恙なくこなせるのは、貴女という存在あってこそだ」
「それは言い過ぎです」
滞りなく行うための一助にはなっていると、アネリナも思う。そこまで否定はしない。
しかしその分を差し引いても、ヴィトラウシスの言い方は過剰に聞こえた。
「私は、言い過ぎだとは思わない」
「貴方はもう少し、ご自分の価値を見直すべきですね」
アネリナとヴィトラウシスの主張の本気度は、どちらも同じようなものだろう。
ヴィトラウシスの態度から感じ取った感触に、アネリナは自分の意見を妥協させた。
そうこうしている間にも、馬車は道を進んでいく。
互いに町の中心地近くに存在する星神殿と皇城だ。さほど時間もかからずに到着する。
(城の中も、落ち着いているように見えますね)
外側から眺めただけならば、いつもと変わらないように見えた。勤めている人々の努力の結果だ。
パレードの出発まではもう少し時間があるが、出発地点となる城の正門前の広場には、すでに式典のための楽団が揃っていた。
アネリナ達が乗る馬車や、パレードに従う騎馬たちは、さすがに城門内側の庭での待機だったが。
だが準備は万端。あとはそのときを迎えるのを待つばかり、という状態だ。
「では、ユリア様。あちらの馬車に移りましょう」
「失礼かもしれませんが、大丈夫でしょうか? 馬車がどれだけの時間城に置いてあったか分かりませんが、中に仕掛けをされたりとかは……」
アネリナの意識の中で、皇城は敵だ。そしてそれはこの場の全員が一致している見解らしい。
アネリナが声を抑えて問いかけると、ヴィトラウシスとエイディールは迷いなくうなずいた。
「心配ない。馬車自体はこちらで用意したものだし、最後に点検をしてからは関係者が完全に側を離れた時間はないはずだ」
「徹底していますね。ありがたいことですが、苦労を掛けました」
「皆、ここが今あんまり安心ではないと分かっていますからね。それとは別に、実際に動いた人の真剣さは、ユリア様の人徳の賜物でしょう」
「人徳……。そうでしょうか?」
エイディールの言った、前半の理由には納得できる。しかし後半には首を傾げた。
人として恥ずべきことをしないよう心掛けてはいるが、人徳とまで言われるような偉業を成した覚えがない。
「期待通りの、理想通りの聖女様だからってことです」
「気が引き締まる答えをありがとうございます」
「あれ。喜ぶところではありませんか? ……まあ、そういう所がこの評価を守っているのでしょうね」
エイディールが純粋に認めて、褒めてくれたのだとはアネリナも分かっている。
それに対する返事が捻くれてしまうのは、もう染み付いてしまったアネリナの気質ゆえだろう。
捻くれ者であり、慎重であり、臆病さの裏返しとも言える。
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