第35話 拭えない復讐心
先程の言は、すべて都合だ。ヴィトラウシスの気持ちは一切入っていない。
アネリナが見る限り、彼はずっとそうだった。できることしか、しない。おそらくは護るために。その癖がついてしまっているのだ。
(ヴィトラウシス様の中には、己が大勢の命と引き換えに生き延びたのだという自戒がある。だから慎重なのでしょう)
皆が命を捧げたのに値することを、成し遂げねばならないと思っているから。
(けれどそれでは、星神殿も動けないのです)
幼く力のなかった頃とは違う。今のヴィトラウシスには皆の先頭に立って采配を振るい、人を率いられるだけの器がある。
「……貴女は本当に、容赦がない」
「そう思われるのならば、貴方の周りがそれだけ貴方に優しいということですね。しかしわたくしはただの一国民なので、遠慮はしません」
星神殿で事情を知る者にとっては、きっと今でもヴィトラウシスは命からがら逃げてきた、幼い皇子なのだ。
もうすっかり成長しているのだと分かっていても弱々しい印象は拭えない。それぐらい、始めに受け取った情報とは強いものだ。
だがアネリナにとっては違う。
帝冠にまつわる責務を負うだけの力があるように思える、ごく普通の成人男性だ。
とはいえ、彼に帝位を取り戻してほしいと願うのは、アネリナの勝手な期待でしかない。
押しつけられただけで背負えるほど、ステア帝国は軽くない。同時に、そんな半端な、覚悟とも呼べないような気持ちしかないのならば継ぐべきではないさえ思う。
「貴方は、どう思っているのです」
「――殺してやりたい」
「!」
重ねて問いかけたアネリナにヴィトラウシスが返したのは、深く暗い一言だった。
「父も母もきょうだいも、近しい大切なものすべてを奪ったあの男を、加担した連中を、殺してやりたい。すまないが、帝位に関してはその後だ」
己の中で一番大きいのは復讐心だと、静かに語る。
「もし念願叶ったそのときに、私が帝冠を被るに最も相応しく、必要があるのならばそうしよう。一族が継いできたものを疎かにするつもりはない」
「成程」
「……国のため、と、一番に出てこない私に落胆したか?」
傷付いた瞳をして、しかしそれに反して唇を笑みの形に吊り上げながら、ヴィトラウシスは訊ねてくる。
「貴方が欲しいのは肯定なのでしょうね。己を苛む罪悪感を他人によって形にされて、罰を与えられるのを待っている」
ヴィトラウシスの中で、皇帝への復讐心が真っ先に己を縛るのは、きっと正しくないことなのだ。
なぜならそれは今、彼が背負っているもの、背負うべきものに相応しくないから。
「――……」
言い当てられた羞恥にか、ヴィトラウシスの視線はアネリナを外れて床に落ちた。
「ですがわたくしは与えませんよ。わたくしの答えは『いいえ』です」
「なぜ、そう言える?」
落とした視線を緩慢に上げ、アネリナの表情を伺いながらその真意を問いてくる。
「人ですから。己の大切なものを傷付けられて、どうして怒らずにいられましょう。ユディアスが今感じていることは、実に自然だと思います」
「だが、正しくはない。私怨を混ぜた判断では、国のための選択などできようもない」
国の未来のために生かされた身だからこそ、国のためにならない間違いを犯すことを、ヴィトラウシスは恐れている。
「私は、私がする判断が信用ならない。すべて私怨のためではと思ってしまう」
「ふむ。ならば判断はわたくしがしましょう」
「……な、なに?」
こともなげに言ったアネリナに、ヴィトラウシスはうろたえた声を出す。
「星がわたくしを貴方の元に導いたと信じているなら。思う通りに振る舞えばよいという言葉が本心であるならば。覚悟を決めてわたくしに付き合ってもよいのではないですか?」
平静な声を意識して作り、真っ直ぐヴィトラウシスを見詰めたまま、そう続ける。
傲慢なことを言っている自覚はあるし、自分ならば正しい判断ができるなどと思っているわけでもない。
だが、それでも。
「貴方の判断に、わたくしも責を負いましょう。『やれ』とばかり口にして放置では、あまりに無責任ですからね」
「い、いや、しかし。己の行動には自信で責任を持つべきだろう?」
「ええ。まったく同感です」
だからヴィトラウシスに要求する分、アネリナも一緒に責任を負おうとしているのだ。
「ですが同時に、一人で抱え込まなくてはならない荷など、この世に一つたりともありません」
「皇であっても、か?」
「無論。今ここに手を差し出している者がいるのだから、貴方は素直に頼めばよいのです。一人で抱えるには重たい荷も、二人、三人なら大した負担にならないことも多いのですから」
誰かの荷を共に背負い、助け、そして己が重たい荷を抱えたときには、誰かが一緒に背負ってくれる。
その循環こそが人の心を幸福にする、とアネリナは思っている。
自分に関わりのない苦労を背負い込むのは、一見ただ面倒なだけだろう。
しかし人からの感謝や好意というものは、時として金より高い価値を持つ。
社会において己の存在価値を証明したい気持ちは、多くの者が少なからず抱く野望だ。そしてそれは、他者からの肯定以外に実感を得る術はない。
「目的を達したら、共に喜びましょう。失敗したら共に責を負い、項垂れ、後悔して、反省して。改善のために再び、一緒に立ち上がりましょう」
「――……」
「わたくしにできるのはそれぐらいですが、しかし、それならば確実にできると断言します」
決意を込めて訴えたアネリナと、ヴィトラウシスの瞳がしばし見合う。
「……そうか」
「はい」
「そうか……。共に、か」
噛みしめる様に呟いて、ヴィトラウシスは堅く鎧われていた表情を解き、僅かに笑みさえ浮かべて見せた。
「分かった。ならば、ユリア」
「はい」
「禁術を使っている連中を探し出そう。証拠を掴み、皇帝との繋がりを暴き、資格なき帝冠を取り返す。――どうだろうか」
「賛成です」
道筋さえ見えない目標。それを今、ヴィトラウシスは感情のまま口にする。
先代の皇帝を失い、聖女を失い、過ぎる時に漂うしかできなかった星神殿。
力なき今、動き出すことを怖れる者もいるだろう。だがそれでも、停滞は終わりだ。
「――ありがとう。星に選ばれたのが、貴女で良かった」
「光栄です。しかし、まだ気が早いかと」
決断だけさせておいてなんだが、実際、敵にしている相手は強大だ。まかり間違っても『動かない方が良かった』などという結末にしてはならない。
(世の中には、勝たねばならない戦いがある)
背負う命を護るために。
「それではまず、身寄りのない人間を都合している者を突き止めましょう」
「ああ。……しかし、だ」
「はい?」
「建国祭も忘れるな」
「も、勿論です」
――気が急いたのは、否定しない。
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