第30話 皇への期待
「だが、大事でなければそこまでしたりはしなかっただろう。……ますます失敗はできなくなった。ついでに、解決策が思い付かなくても『何か』をしていくべきだな」
「解決策が見つからなくても、とは、どういう意味ですか?」
「これが最善だった、と言い訳をするためだ」
言ってから、ヴィトラウシスはアネリナの反応を窺う間を空けた。
「実際には何の効果も及ぼさなかったとしても、星神殿の尽力で被害は最少に収まった、という顔をするためですね?」
「そうだ。訪れる未来は一つだけ。起こした行動がどこまで正しかったかなど、過去に戻って何度もやり直さない限り分かりようもない。……だから、嘘も付ける」
星は全てを見通しているかもしれないが、人の世が常に最善のための行動を取れるわけではなかったのだろう。
「嘘をつくというのは、面倒くさいものですね」
「それでも、必要な嘘はある。私はそう思っている」
「……」
ヴィトラウシスが守ってきた嘘のおかげで、星神殿はユリアという希望を残し、存続できている。
アネリナの命がギリギリのところで保たれていたのも、『本物』たる星神殿が存在していて、星占殿の権力拡大が止まったからだ。
(恩恵を受けていたわたくしが、その考えを否定するべきではない。……けれど)
嘘のために人の命を危険に晒す。それに抵抗を感じている心は誤魔化せない。
(ならばわたくしは、考えつかなくては。大雨が降ろうが何だろうが、麓の人々を護る知恵を出すしかない)
難題だ。だがやるしかない。
「――そろそろだな」
「あ……」
窓の外の景色の先に、人家らしきものが見えてきた。そして事前に聞いていた通り、山から流れる川が近くにある。
当然のように、村には堀も堤防もない。水量が少し増せば、一気に村の中心まで水が侵食していきそうだ。
「事情の説明は俺がしてきましょう。ユディアス様たちは山へどうぞ。良い策が閃くことを祈っています」
(……少し、他人事過ぎはしませんか?)
同じく星神殿に属する者だというのに、エイディールの口調には深刻さが感じられない。軽く不安を覚えるほどだ。
「任せる。――行こう、ユリア、アッシュ」
「はい」
(とはいえ、新参で事情や人となりをよく知りもしないわたくしが、口を出すべきではありませんね)
ヴィトラウシスについて歩き出しつつ、アネリナは意識を切り替えようとするが。
「あいつは、昔からああなのか?」
同じように感じたらしい、アッシュは放置しなかった。
「彼が星神殿に入ったのは五年程前だが、当時からああではある」
応じたヴィトラウシスの言葉からして、彼も気にしていないわけではないようだ。
「大丈夫なのか?」
エイディールはユリアの事情を知っている、と言っていた。アネリナにも直結することだからだろうか、アッシュは重ねて問う。
「大丈夫だと判断した。エイディールは帝国貴族出身で、元は国軍に所属していた人物だ。出世して、雑務が増えたのが面倒になったので、こちらに移ったらしい」
「……それは、大丈夫なのですか?」
神殿騎士団長としても。
「エイディールは基本的に求道者なのだ。己の戦技を高めることにしか、概ね興味がない。だが、武に関しては信頼できる。個でも集団でもだ」
「なるほど。やるべきことを決めるのは聖女や大神官で、煩わしいお付き合いもこっちの方がない、と。考えるのが面倒な奴にはいい職場か」
「そうらしい」
考えなくてもいい職場だから来た、というのなら、投げやりとも取れる態度に納得できる。人となりに対する感情はともかくとして。
「さて。ここからどうするか」
「川を登ってみたいです。もし上流に水量が増しても受け止められるような場所があれば、案外何も起こらないかもしれません」
大雨が降るのは、何も今回が初めてではないだろう。
麓の村に一切備えが見られないということは、地形的に問題ないのかもしれない。
「可能性はあるな。確かめてみよう」
「行けるのか? いつも机に張り付いて書類仕事で、歩き回んのだって星神殿の中だけだろ? 空いてたら手ェ貸すけど、俺は姫さんを優先するからな」
「……努力する」
山を見上げて答えたヴィトラウシスの声は、緊張と決意の入り混じったものだった。
察するに、自信はない。
(わたくしも、足手まといにならないよう頑張りましょう)
幸い、ラーミ山林はなだらかだ。
麓の村人も、狩りにか山菜摘みにか行楽にか――とにかく登ることが少なくないようで、簡単な道のようなものができている。
川を遡って行けば、源流まで迷うこともなさそうだ。
(しかし……ううむ)
ややあって川の始点、岩肌から水が出る場所まで辿り着いたが、ここまで来ても水量を調整してくれるような個所は見当たらなかった。
しかも半端ながら人が道を整備しているため、支流を作って水を逃がすような細工もしにくい。やるとしたら大掛かりな工事と、相応の人手と時間が必要となるだろう。
「運を天に任せるには、心配な地形ですね」
「どうする。諦めて避難勧告するか?」
「……いや。ただの、大事を取った避難勧告は行わない」
ヴィトラウシスのその言葉は、少なからずアネリナを落胆させた。
「わたくしは、見栄のために命を掛けさせるのは嫌です。貴方がしないのならば、わたくしが聖女の名前で指示を出します」
たとえ大神官ユディアスが動かなくても、聖女ユリアの言葉には、星神殿を動かす力があるはずだ。
「……貴方に、命を軽んじてほしくはありませんでした」
ヴィトラウシスは、唯一残った正当な皇位継承者だ。
事情を知る者はリチェルのように、彼が帝冠を取り戻し、あるべき席に就くことを願っている者も少なくあるまい。
正直に言えば、アネリナもその一人だ。
父が敬意を込めて語るステア帝国の在りし日の姿を、自分の目でも見てみたい。そんな気持ちが間違いなくあった。
そしてアネリナの中でその国は、自らの利のために他者に犠牲を強いるようなものではない。
(それでは、今の姿と変わらないではないですか)
アネリナの抗議の視線を受け、ヴィトラウシスはやや焦った様子で首を横に振る。
「待て。見過ごすとは言っていない」
「と、言われますと?」
「――川をどうにかしようというのは、不可能だと思う」
「はい。わたくしもそう思います」
そんな大規模な工事をする時間はないだろう。
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