第29話 ラーミ山林へ
(後で。後で、ですか。今日はまだ、アッシュと共に行動できるのですね)
そのことに安堵と、喜びを覚える。
部屋を出て行く二人を見送ってから、アネリナも自室の奥にある浴室スペースへと移動した。
服を脱ぎ、魔法によって生成されるお湯を浴びながら、考える。
(わたくしは、アッシュと離れている時を寂しく感じている。共にいられると安心します。それは確か。でも)
――その感情は、果たして恋や愛と呼ぶべきものなのだろうか。
(……分からない。けれど今、もしすぐに選ばねばならないと言われれば。わたくしは離れたくないがために、彼を受け入れる答えを選ぶでしょう)
ならばそれが答えでもいい気が、しなくもない。
同時に、それでは納得していない自分もいる。
(……ごめんなさい。アッシュ)
数十秒己の心に問いかけてから、アネリナは緩く頭を振った。
(もう少し、甘えさせてもらいましょう)
出ている答えを、心が理解できるまで。
人々が家路につき、大通りでさえ人通りがまばらとなった夜。
リチェルに手引きされて、アネリナは無事、星神殿の裏門に辿り着くことができた。
落ち合った場所に揃っていたのは、まずヴィトラウシス。そしてアッシュ。ここまではいい。
もう一人、アネリナにとって初見となる男性がいた。
「こんばんは。――ユリア、彼は今回の旅で御者兼護衛を務めるエイディールだ。貴女の事情も承知しているから、気を楽にして頼ってくれていい」
「改めるのも妙な話ですが。神殿騎士団長、エイディール・フラウトです。よろしくお願いします」
柔和に微笑み、優雅に一礼してみせる。
年の頃は三十手前。明るめの茶色の髪に、深い焦げ茶の瞳をしている。やや癖のある長めの髪は首の後ろで束ねられ、品良くリボンで飾られていた。
一見して、実に貴族的な、優美な男性だ。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。では、早速出発しましょう」
夜とはいえ、誰かの目に留まる可能性は皆無ではない。
急いて促したエイディールにうなずき、アネリナは馬車に乗り込む。外から遮蔽された空間に入ってしまえば、ひとまず安心だ。
「本来ならばわたしも付いて行きたいのですが、明日以降のことを考えると、そういうわけにはいきません」
「ええ、分かります」
申し訳なさそうに言うリチェルに、アネリナは同意を返す。
ラーミ山林は帝都からそう離れているわけではないが、それでも悠に一日弱はかかる。それまでリチェルには、聖女が部屋にいるように振る舞ってもらわねばならない。
「ですがどうぞ、ご安心ください。ユディアス様もエイディール様も、信用できる方ですから」
「……。あ、あぁ!」
リチェルが『何』を特別に気遣っているかを理解して、アネリナは思わず声を上げてしまった。
「大丈夫、心配していません。お気遣い、ありがとうございます」
アネリナの顔をユリアとして認識してしまった者がいる以上、もう聖女ユリアの身代わりに代えは効かない。アネリナに下手な真似はまずしないだろう。
(まあそのような邪推は、いちいち口にする必要はない)
計算など心の内に仕舞って、言葉を素直に受け取ればいい。
(アッシュもいますしね)
よく知らない男性二人と自分だけであれば、さすがにもう少し気にしたかもしれないが。
「では、行ってきます」
「お気を付けて」
アネリナの後ろからヴィトラウシス、アッシュが乗り込み、馬車はひっそりと出発する。
箱の中で揺られてしばし。アネリナはそれでも声量に気を付けつつ、口を開く。
「ときに、ラーミ山林とはどのような場所ですか?」
「山の規模はそう大きくない。山から流れてくる川の近くに、小さな村がある。特に目立った特産品もなく、存在感は強くない」
アネリナの問いに答えたのはヴィトラウシスだ。ただ、資料を読み上げたような口調からして、彼も直接訪れたことはなさそうだ。
「川、ですか……」
氾濫したら危険だ。アネリナの眉は自然と寄ってしまう。
「まずは見てから、だな」
「……そうですね」
地上に生きる人の身では、俯瞰などできようがないのだから。
「――街道、少し荒れてきてんな」
宿場町を経由し、ラーミ山林に近付きつつあった翌日の昼頃。窓の外を見たアッシュから、ぽつりとそんな言葉が寂しげに発された。
「先にも言ったが、この先には特別に産業があるわけではない、小さな村が一つあるだけだ。今の高官の中に、旨味を生み出さないその数十人を気遣う者はほとんどいないだろう」
いたとしても、意見が通らないぐらいに少数、というのは確実だ。
「そうなんだろうな」
「嘆かわしいことです」
命の重みは、数の問題ではないというのに。
利益しか見ていないから。数字としてしかとらえていないから、そうなる。
とはいえ、この街道の使用頻度が高くないのは事実。窓を覆うカーテンを開け、アネリナが外を眺めても大丈夫なぐらいには、人通りがない。
(……はて)
そのことにふと、気がかりを覚えた。
「ときに、星神殿の馬車で村に乗りつけるのは大丈夫でしょうか? いえ、拒絶される、という意味ではなく」
アネリナが危惧したのは、村の人間が星神殿の行いを特別視しないか、ということだ。
「星の導きがあったとして、星神殿はそのための下見などを行ったことがありますか?」
「あー、ど、どうだろ」
「すまない。私も記憶の中にはない……」
おそらくそこまで星神殿に近くなかったアッシュ、星神殿が機能していた頃は幼かったヴィトラウシスは、揃って首を横に振る。
「必要であれば、調査はしていたみたいですよ。事が大きくなれば、星はともかく人の世では色々な所で影響が出ますから」
唯一記憶にあり、明確な答えを繰れたのは御者台のエイディールだった。
「そうか。聖女が導きを示すのは十年ぶりだ。それを考えれば、多少慎重さを見せても不自然ではないな」
エイディールの言葉を受け、ほっとしたようにヴィトラウシスは言う。
「そうですか」
ヴィトラウシスがそう思うのであれば、問題ない。
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