第28話 空論さえ詰まるのならば、行動を
「星の導きではありませんよ?」
「そ、そうでしたか」
ヴィトラウシスと反応が同じだったので、きっぱり否定しておく。
「ではなぜ、お分かりに?」
「アッシュ曰く、ゾワゾワするから水の気配が分かるのだそうです」
「ああ……」
隣のアッシュを示して言えば、心当たりがあるのかリチェルは納得の様子でうなずいた。
「正確な所は分からねーが、結構な雨量なのは間違いない。万が一災害に発展すると、聖女的にあんまりよくねーんじゃねえかって話だ」
「……難しいですね」
事情を理解したリチェルが発した声は、言葉通りのものだった。
「聖女が星から受け取るのは、『大事を取って避難勧告』といった内容ではないのですよね?」
「はい。必要か不必要かが、そのまま導かれるようですから」
だからこそ人の身でありながら神秘の存在であり、ステア帝国は頂点を極め続けた。
「仕方ありません。では、どのような状況であっても聖女の神秘性が揺らがない、かつ、民の安全を護れる策を考えましょう」
「無茶苦茶言うな……」
まさに、言うは易し、というやつだ。
「アッシュ殿の仰る通りです。食糧や医薬品、資材を備蓄し、被害に遭った人に渡すことならできます。というより、人の身で出来るのはそれぐらいでは」
「そんな『こんなこともあろうかと』をやるぐらいならば、神秘性などかなぐり捨てて避難勧告を出しましょう」
どちらにしろ聖女の神秘性を保てないのなら、被害は最小限に抑えたい。まして人的被害ともなれば、ゼロにする努力を怠るべきではないはずだ。
だがそれが星神殿にとって最良の選択ではないことも分かっている。
代案が出せる者はなく、数分、沈黙が流れた。
「よし」
「どうした、姫さん。思い付いたか?」
「いいえ。黙っていたところで何も考えつかないと諦めました。ですのでまず、現場を見に行きましょう」
「待て待て待て。病弱な聖女がそれはマズいだろ」
すでにアネリナの顔を知っている者もいるし、そうでなくとも後々、『あのとき、聖女様が元気にラーミ山林を歩いているのを見た』などという話が出回っても困る。
「大丈夫です。さすがにわたくしも昼間にふらふら出掛けようとは思っていません」
「だよな!」
「夜に、こっそり出かけましょう」
人目が少なければ、気づかれる確率も勿論下がる。
アネリナはとても真面目に考えて、実行可能な案として提言した。
「却下! 聖女ユリアが狙われてんの忘れたのか!」
「あ」
「忘れたのかよ!? 豪胆だな!」
「もっと差し迫った問題が浮上しましたので、大分昔のような気がしてしまって」
実際には、襲われてからさえまだ一週間と経っていなかった。以降、襲撃者関連の音沙汰がなかったので、やや過去になりつつあったせいもある。
「しかしそれなら尚更、実は外にいた方が安全なのでは? 向こうもまさか、わたくしが外に出かけているとは思わないでしょうし」
何しろ聖女ユリアは、起き上がることさえままならない体なのだ。
聖女ユリアというか、アネリナが話程にはか弱くないという情報は、敵の元には流れていないはずである。
星神殿だけならば若干心配するところだが、アネリナはアッシュのやる事には信頼を置いている。
「黒髪紫眼の女性というだけで結びつけて考える方は、稀でしょう」
それはむしろ思い込みの域だ。
「まあ、な……」
一理あると思ったか、アッシュはアネリナの言い分を認める言葉を発した。
「わたしも異論ありません。厄災から人々を護り国の繁栄を導く事こそが、星神殿の本懐。ただ、ユディアス様には許可を得た方がよいと思います」
「勿論です」
ユリアの腹心でもある大神官に、話を通さない訳にはいかない。
「では早速、相談してまいります。ユリア様とアッシュ殿は、外に出る前に入浴した方がよろしいかと」
「ああ、これは失礼を」
塔の中に充満していた腐臭は、短時間の滞在でもしっかりアネリナとアッシュに移っていたらしい。
「いいえ。ただ、罪もなくそのような環境に置かれる人がいる現状は、何としても変えなくてはと思います」
「そうですね。抜け出したいのはやまやまですが、それで誰かを身代わりにしても意味がありません」
自覚はなかったが、アネリナはきっと頑健だった。
しかし次に生贄にされる者は、塔の環境に耐えられないかもしれない。
(わたくしは、まだ大丈夫。アッシュもいてくれたから)
けれど次の人のときには、支えになってくれる人が訪れるような幸運など望めないだろう。
(終わらせましょう。必ず)
そのためにも、星神殿の発言力を落とすわけにはいかない。
「それを言える貴女は、本当に強い人ですよ、ユリア様。普通の人は、己が苦から逃げ出すために他者が代わりに荷を負うことになっても、足を止められないものです」
「わたくしも、耐えられないと思えばそうするでしょう」
何にどこまで耐えられるかは、人によって違う。自分の物差しは他人には通じないのだ。どのようなことであっても。
自分にとって些細なことが、誰かにとっては深く傷を付けるものかもしれない。そしてそれは、どちらも当人にとっては真実。だからこそ、気を付けねばならない。
他人は、自分ではない。
「今は、次の誰かに荷を押しつける罪悪感が勝っているだけです。ですがこの先追い詰められて逃げ出せば、わたくしは安堵と共に罪悪感を抱え続ける羽目になるでしょう。絶対に御免です」
アネリナとて被害者だ。なぜ被害者が被害者を生み、罪悪感を覚えなくてはならないのか。
「悔いて嘆くのは、人様の尊厳を傷つけた阿呆だけでよろしい。わたくしの十年間の怨みも、きっちり償ってもらいます」
「ええ。貴女にはその権利があります」
他者に――リチェルに肯定されたことで、アネリナの昂りは一旦落ち着きを取り戻す。
やや長い息を吐いてから、顔を上げる。
「では今日は失礼して、臭いを落としておきましょう。ユディアスへの連絡、よろしくお願いします」
「承知いたしました。ではアッシュ殿、貴方も」
「おー。また後でな、姫さん」
「……はい」
何気ない『また後で』に心が跳ねて、返事が一瞬遅れた。
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