[2]彼女は僕よりもずっと、おとなだった。
カラオケ店にはいろんなお客さんがやってくる。
辞めた人のシフトを埋めるため、僕の勤務時間は平日昼間が主だった。なので、夜に多いらしい酔っぱらいなどの厄介な客にあたったことはなかったが、あるとき、こんなことがあった。
「――だからよ、唐揚げセットにフライドポテトが付いてるなんてこっちは知らんっつーの! それなら注文したときにポテト付いてますとか云ってくれりゃあいいじゃん!? 知ってたら注文しなかったんだから、サービスしろって云ってんの!」
「で、でも、メニューにはちゃんと写真付きで載っていますし、そ、それならせめてお部屋にお届けしたときにキャンセルとか――」
「えーっ、そんなの、気持ちよく歌ってる最中に置いてくんだからさあ、気づくわけないじゃん。メニューだって薄暗いとこでいちいち写真まで見ないよねー」
「で、でも……完食されていますし、サービスと云われても――」
「ああもう、いつまでもグダグダ云ってんじゃねえよ、店長呼べ、店長!」
会計時、無茶苦茶なことを云いだしたせこいクレーマーに僕は困りきっていた。
高桑さんはランチタイム終了間際の注文のため厨房に籠もっていて、仁村さんは先に出た部屋の清掃に行っていた。店長どころか、他には誰もいない。
犬のキャラが描かれた色違いのいかついジャージを着た男女の客に、僕は少しびくびくしながら必死に対応していた。と、そこへ。
「……どうしたの?」
「あ、仁村さん……その、こちらのお客さまが……」
情けないことに、僕は仁村さんが戻ってきてくれてほっとした。そして、クレーマー客の言い分――唐揚げセットにフライドポテトが付いていると知ってたら頼まなかった――と、だからポテト代はサービスしろという要望を伝えた。
すると、仁村さんはカウンターのなかに入ってきて、レジを開けた。一瞬、フライドポテト分の返金をするのかと思い、僕はお会計はまだですと云いかけた。
が、彼女が中から取りだしたのはお金ではなかった。
「――大変申し訳ございません、お客さま。お詫びとして、こちらのフードに使える割引チケットをサービスさせていただきます。あいにく使用できるのは次回からになるんですが、ぜんぶお使いになるとフライドポテト五つ分くらいお得になります」
「五つ分? へえ、じゃあけっこう得じゃんか」
意外なことに、ヤンキーカップルはころっと態度を変えて割引チケット五枚を受け取った。
「ありがとうございます。では、お会計をさせていただきます――平日フリータイム二名様と生ビール、クリームソーダ、揚げたこ焼き、唐揚げセット、フライドポテトが二点で四千百二十円になります」
仁村さんがそう笑顔で云うと、ヤンキーカップルは素直に代金を支払った。
「本日は大変申し訳ございませんでした、またのご来店をお待ちしております」
ありがとうございましたと仁村さんが頭を下げると、ヤンキーカップルは満足したのかくるりと背を向け、さっさと帰っていった。自動ドアが閉まり、ジャージの後ろ姿が見えなくなるとなんだか急に体の力が抜けていくのを感じた。緊張が解け、僕ははぁーっと息をついた。
「……仁村さん、すごいですね。たすかりました……すみません。僕、なにもできなくて……」
自分が情けないと感じたけれど、それ以上に彼女がガラの悪い客を相手に毅然と対応したことが驚きで、僕はすっかり惚れ直していた。どちらかというとふわりと可愛い仁村さんのおとなしそうな雰囲気からは、まったく想像できないことだったのだ。
「しょうがないよ、湯浅くん、まだ入ったばかりなんだし。気にしないでね」
「はあ……でも、よかったんですか? あんなのにいっぱいサービスしちゃって」
「ああいう人たちって、こっちがハイハイって云ってればなんにもしてこないから。どっちかっていうとランチタイムなのに唐セ頼むようなお客さんはいっぱいお金遣ってくれるんだから、また来てもらわないとね」
あー、確かに。平日ランチのお客さんは平均客単価千円いかないのに、ふたりで四千円も遣っていったし。僕は感心して仁村さんの顔をまじまじと見つめた。
「それに、あのチケットお会計一回につき一枚しか使えないの。ちゃんと書いてあるから云わなかったけど」
そう云ってにっこり笑った仁村さんは、やっぱりめちゃめちゃ可愛かったけれど。
僕は、彼女が僕よりずっとおとななんだなあと感じて、ちょっと悔しい気持ちになった。
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