She's Not There -居場所のない彼女- [Single cut version]
烏丸千弦
[1]カラオケ・ビーチウッドで、僕は彼女と出逢った。
「
そう挨拶して顔を上げたとき――
「
微笑んで応えてくれた彼女に、僕は一目惚れをした。
三者面談で勧められ適当に決めた大学受験に失敗し、一浪してまで行きたいところややりたいことなど、将来のビジョンもなにもなく。僕は部屋に籠もってゲームをしたり、好きな映画を観たり音楽を聴いて怠惰な毎日を過ごしていた。
もともとインドア派の僕のこと、このままいけばひきこもりニートの道をたらたらと進んでいくのが目に見えていた。だが、そんな状態を親が黙って見過ごすはずもない。
半年ほどが経った頃、だらだら遊んでちゃだめだ、怠け癖をつけたらやりたいことがみつかったときに動けなくなるぞと、両親が僕の尻を叩き始めた。しかもタイミングがいいのか悪いのか、ニュースで五十代の『子供部屋おじさん』が取りあげられたりした。
さすがに、そんなふうになった自分を想像したくはなかった。
しょうがないなと腰を上げた僕は、とりあえず外に出てなにかしようとアルバイトを探した。そして偶々募集のあった近くのカラオケ店に応募、すんなり雇ってもらえたというわけだ。
気さくで感じはいいけれどちょっとチャラい感じの店長は、シフトがほぼ重なってるからと云って、僕に仕事を教える役を先輩アルバイトの仁村さんに丸投げした。歳は僕より少し上っぽかった。二十二、三歳くらいだろうか。シフト表を見ると『仁村
さくらさん。名は体を表すと云うのはこういうことなのかと、僕は思った。だって彼女が微笑むと、なんだかその頬に桜の花びらが舞い落ちたように見えたから。
お客さんにも愛想が好くて、僕にいろいろ教えてくれるときも丁寧で。そのおかげなのか、僕はフロントでの応対の仕方や退室後の清掃など、必要な仕事をどんどん覚えた。仁村さんが湯浅くんすごいね、教えてる私よりテキパキしてて速いよね、などと褒めてくれ、僕はますます完璧に仕事を熟すようになった。
ありがとうございましたー。仁村さんと並んで笑顔で客を送りだす。そしたら僕はさっと消毒済みマイクの入ったカゴを持ち、清掃セットのワゴンを押して退室した部屋へ向かう。平日の昼間はそれほど忙しくないので、大抵は厨房担当の高桑さんというおばちゃんと、フロントその他もろもろ担当の僕らという三人で回している。初めの頃は高桑さんにフロントを見ていてと頼んで、仁村さんとふたりで清掃に行っていたが、最近はもうこんなふうに仁村さんにフロントを任せ、僕ひとりでやっている。
仁村さんはフロントでお客さんやインターホンの番をしながら、防犯のため各部屋に設置されているモニターで、清掃している僕を見ている。
なぜ見ていると断言できるのかって? それはあるとき、こんなことがあったからだ――
「ふふっ、湯浅くん、フレディ・マーキュリーの真似してたでしょ」
「えっ」
退室後の清掃を終えて戻ってくるなり、仁村さんにそんなことを云われて僕は驚いた。
「……視てたんですか? モニターで」
「うん。初めはなにしてるのかなーって思ったんだけど、こう、マイク持って胸をぴーんって張ってるの見て、あ、フレディだってわかったの」
あちゃー。僕は恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じ、持っていたカゴが急に重くなったような仕種でどーんと両手を下げ、俯いた。
使用済みマイクを消毒のために回収するとき、コードを肘にかけてくるくると巻くのだが、その前にちょっとポーズを決めて遊んでしまったのだ。それを、仁村さんに見られたらしい。
くすくすと笑う声に、僕はゆっくりと顔を上げた。
「クイーン好きなの? なんか洋楽とか聴きそうだよね、そういえば」
「えっ、そんな感じあります?」
「なんとなく」
「……仁村さんも聴くんですか、洋楽」
「そんなに知らないよ。CMとか映画で聴いたのくらいかな。いいなって思ったら聴く感じ」
「あ、じゃあ『ボヘミアン・ラプソディ』、観たんですね」
「うん。泣いた」
その日は水曜日で、店は暇だった。そんな会話をきっかけに、僕と仁村さんは音楽や映画から最近のドラマやアニメについてなど、いろいろ話すようになった。彼女はとても聞き上手で、自分が知らないものに関しても興味津々という表情で耳を傾けてくれた。
一日で、一気に彼女との距離が近づいた気がした。
そして僕はそれ以来、清掃のため部屋に入ったときは毎回、カメラに向かってなにかの振り真似やジェスチャーのようなことをして見せるようになった。
フレディの次は、ぴしっと真っ直ぐ立ち、左でベースを弾く振りをしながら頭を振ってポール・マッカートニーの真似をしたのだが、彼女には通じなかった。なのでその次には日本で人気のK‐POPグループのダンスを真似てみたり、変なおじさんをやってみたり、ドラマの話をしたことのあった古畑任三郎の物真似をしてみせた。仮面ライダーの変身ポーズをいろいろ決めてみせたりもした――といっても、ほとんどがカードをベルトに差し込む系の平成ライダー世代の僕たちである。フロントに戻ると、ポーズのあとばったり倒れるふりをした
仁村さんがわかってもわからなくても、フロントに戻ったときの話題に繋がる。そんなふうに話をするのが楽しかった。彼女の笑顔を、ずっと見ていたいと思ったのだ。
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